僕は君に殺されたい

葵 悠静

僕は君に殺されたい

 僕には大好きで大好きで、その人さえそばにいればどんな不幸でも幸せに思える、そんな人がいる。

 そして僕に奇跡が起きて彼女と付き合うことができている。


 彼女と付き合って一年、今僕は彼女に首を絞められている。


「どうして?」

 彼女は泣きながらそう言う。おいおい、それは僕のセリフだろ?

「どうして?」

 僕は彼女に微笑みながら同じ問いを返す。どうして君は泣いているんだい?


「どうして? どうしてなの!」

 話が全く先に進まない。それなのに首を絞める力はどんどん強くなっていく。


 彼女が僕の部屋のベッドの上で、僕に馬乗りになっている。こんな場面じゃなければきっとすごく興奮していただろう。


「どうして私といるときに、いつもいつも死にたいっていうの? 私といるのがそんなに退屈?」

 それが僕の夢だから。到底こんな状況でそんなことを口にできるはずがない。


「あなたは私の前ではいつも無表情。笑顔すら見せてくれない。それなのに友達と遊んでいるときはなんであんなに楽しそうなの?」

 そうか、君は僕の友達に嫉妬しているんだ。僕はそんな彼女の嫉妬にまみれた泣き顔に手を添えたかった。でも今そんなことをすれば、彼女は逆上してきっと僕を殺してしまう。


 僕はまだこの今の状況をかみしめて、楽しんでいたかった。


「なんで?」

 それはどうしてと変わらない問いだ。彼女は顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっている。それなのに必死に言葉を口に出して、彼女の想いを僕に伝えてきてくれている。


 そんな彼女が愛しくて愛しくてたまらないんだ。


「なんで今になってそんな顔で私を見るの?」

 僕は今どんな顔をしているんだろう。どんな目をして彼女のことを見つめているんだろう。首に触れている彼女の手の感触を味わいながら僕はゆっくりと自分の顔に意識を持っていく。


「どうして今になって私に微笑みかけるの?」

 そうか、僕は笑っているんだ。君のことが好きすぎて感情を伝えることができない僕がいまやっと彼女に笑いかけることができているんだ。

 僕はそれがうれしくてうれしくてたまらなかった。どんどんと口角が緩んでいくのが自分でもわかった。


「どうしてなの……」

 彼女の手の力が緩む。それじゃだめだ。そんな力じゃ僕は死ぬことはできないし、君は僕を殺すことはできない。


 もっと力を込めないと。


 そんな僕の思いとは裏腹に、彼女はとうとう僕の首から両手を離しそのまま僕の胸に顔をうずめた。


「……どうして?」

 僕は彼女に問いかける。どうして手を離してしまったんだい?


「そんなんじゃ僕は殺せないよ」

「殺そうなんて思ってない」

「そんなんじゃ僕は満足できない」

「あなたは死にたいの?」

「死にたいんじゃない。君に、殺してほしいんだ。君の手で」

「私は殺す気なんかない」


 彼女はそっと僕から離れるとベッドを下りる。そして目から光が消える。

「別れましょう。きっと私とあなたのためにもそうするべきだわ」

 僕のため? 僕のため? いったい何を言っているんだ。僕は君と別れるなんて想像もしたくないというのに。

「どうして?」

 今日何度目かの同じ問い。彼女はもう泣いてはいなかった。


「あなたは私が好きじゃない。私もあなたのことが好きじゃない。それじゃ理由にならない?」

 僕が君のことを好きじゃない? ああ、君は勘違いをしているんだ。僕の思いを伝えなきゃ。

「僕は君のことが好きだ。いつも言っているじゃないか」

「そんな無感情で言われても信じられない」

「僕は君のことが好きだ。殺してほしいくらいに。死にたいくらいに」

 そう、殺してほしいくらいに彼女のことが好きだ。彼女に殺されるなら本望だ。「その発想がおかしいのよ」


 おかしい?


「僕が?」

「おかしいわ」

 彼女はさみしそうな目で僕を見下ろしている。どうしてそんな目で僕を見るんだろう。

 最愛の人の手の中で死に絶える。僕は何かおかしなことを言っているだろうか。


「さようなら」


 そうか、おかしいのは彼女の方だ。今の彼女はいつもの彼女じゃない。僕に優しく微笑みかけてくれるあの君じゃない。おかしいのは君の方だ。


 今の君はウツクシクナイ。


 僕はとっさに立ち上がり、部屋を出ていこうとしている彼女の手をつかみベッドに押し倒した。

「離して」


 ほら、いつもの君はそんな目はしない。いつも光であふれているのに今は光が見えない。彼女はオカシインダ。彼女はきっとニセモノダ。


「本物に戻してあげる」

「何を言って」 

 ニセモノの言葉を聞く必要なんかない。早く彼女を返してもらわないと。


 僕は彼女の上に馬乗りになると、ゆっくりと彼女の首に両手を持っていく。柔らかい皮膚の感触が手に伝わってくる。


「僕は君が好きだ。スキナンダ」

 僕は両手にゆっくりと力を込めた。彼女は喘ぐ。やめてという声も聞こえる。

 でもやめるわけにはいかない。彼女の目には光がまだない。



 まだ……まだ……まだ……まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ



「……あれ?」


 気が付くと、彼女は動かなくなっていた。あんなに抵抗していたのに、あんなに声をあげていたのに。あんなに僕を見ていたのに。

 彼女はもう僕を見ていない。彼女の目には結局ひかりは戻らなかった。


 ゆっくりと僕は彼女の首から手を離す。彼女の感触が消えないうちに僕は自分の首に両手を当てる。

 ためしに力を込めてみるが、僕はすぐにそれをやめて両手をおろした。


「……これじゃだめだ」


 僕の夢は最愛の人の手で、最愛の人の手の中で死ぬこと。


 でももうそれは叶わない。全部ニセモノのせいだ。ニセモノのせいで僕の夢は途絶えてしまった。


 さっきまであんなに世界が輝いていたのに、世界はザンコクだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕は君に殺されたい 葵 悠静 @goryu36

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ