春陽

糸土八 ノヌ子

春陽




はじめに、温めたジュースを銀のスプーンで飲まされた。ひと口ずつ、ひと口ずつ。ジュースはうっとりと喉に張りつくように甘い。

幸福なきいろの液体。

いつか見た黄昏の色に似ていた。

わたしの身体には、内側からじんわりと熱がもたらされる。


「僕に気がつかなかったの?」


頷く。


「だって、眠っていたんだもの」


心地よい眠りの中にいた。

ずっと。

それがどれくらいのあいだだったのか、知るすべは無い。


「いい夢はみた?」

「ええ。たくさん、夢をみたわ。蝶々の夢、花の夢、太陽の夢……」


わたしは長い眠りの中でみた、数々の夢をひとつひとつ挙げた。


「雪の中でそんなあたたかな夢をみられるなんて、幸福だね」

「どれも幸せな夢だった」


氷点下の世界で、熱を求めるようにあたたかな夢ばかりをみつづけた。

その間に、わたしの上に降り積もった雪は皮膚に張り付いて凍ってしまっていた。

ぽたぽたと、水滴になって落ちる。

頰に触れると土もついていて、わたしは笑った。剥がしてしまいたくて、手で頰を撫ぜる。


「もうすぐだから、待って」

「はやく、きれいにしたい」


土と雪だらけなのが急に恥ずかしくなる。

目の前の人は、さっぱりとしているから。いつもどおり、清潔なシャツを着ている。


ぽこぽこ、ぽこぽこと泡の音がした。

水を注げば、丁度良い温度になる。

お湯で満たされた白の浴槽。

わたしは躊躇わず沈み込んだ。


「からだぜんぶが溶けるみたい」


言葉にならないくらい、気持ちいい。


「凍ったきみを見つけたときは、僕の心臓が凍るかと思った」


彼の苦い顔に、わたしはなんと言っていいのか分からなくなる。

困っていると、すぐに笑ってくれた。


「目を覚ましてくれて、ほんとうによかった」


それは、あなたが呼んでくれたから。




「おはよう、春」











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春陽 糸土八 ノヌ子 @utatatane

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