千年恋歌
紺藤まこと
『まだ見ぬ人』
昔も今も、人が思うことは変わらないらしい。
日曜の朝は雅之にとって極上の癒しのひとときだ。子どものような無邪気な瞳で、雅之はそのときを待つ。
「ねえ雅之」
ーーまたか
妙に優しい猫なで声で呼ばれた瞬間に雅之は予感した。
「あなたより少し年下なんだけど、とっても気立てのいいお嬢さんなんですって」
ーーやっぱりだ
雅之は思わず天を仰いだ。
「……せめてこれ見終わってからにしてくんない?」
「だめよー。あなたそれ見終わったら、すぐネットかなんかにかかりきりになって、それが終わったらって言い出して、終わったかと思ったら、ごはん食べてお風呂入って、しまいには『明日、仕事だから』って言うじゃない。かあさん、もうその手は食わないわ」
雅之はチラっと時計を見る。8時27分。
ーー今日、絶対、オープニング変更回なんだよなあ
雅之はわしわしと頭をかいて、はあと深いため息と共に頬杖をついた。
「見ればいいんでしょ、見れば」
「あらあ、話せば分かるじゃない。そのお嬢さんがこれをあなたにって…」
ーーほら、もう会うていで話進めてる
雅之の脳裏に白い額装の写真が去っては消える。そこにある顔なんて覚えてもいない。初めから彼には、そこにいる人物に興味なんてないのだから。
ーー親が勝手に組んだ縁談が、なぜ恋に発展すると信じられんのかね
雅之は毎度毎度そう思う。
ーー俺と見合いがしたい女の腹のうちなんてたかが知れてる
高学歴、高収入、加えて雅之は見た目がいい。母親に似た瓜実顔で、子どもの頃から人目を引くものがあった。
ただ本人はそのせいで決定的に女嫌いになった。学生の時に趣味の繋がりで交際に至ったことはあったものの、3人目くらいでげんなりしてしまったのだ。彼が交際なるものをした女性はみな、雅之の整った顔の向こうになんらかの幻想を抱いていた。勝手な夢を見られるのが不可解で不愉快だったことはもちろん、なにより彼は「交際」をちっとも楽しいと思わなかった。
ーー俺は結婚向いてない、絶対
並べるとハートかなんかのモチーフになるキーホルダーだの、ましてやペアリングだのに、雅之はこれっぽっちの価値も感じない。彼はそんなものに金を使って、時間を束縛されるより、好きなアニメのフィギュアを買って、しげしげ眺めたいのだ。かくして友人から「残念イケメン」の称号を得た雅之は、晴れて三十路の大台に乗り、「孫を抱きたい」と親に泣きつかれるに至ったのである。
「はい!お写真は最近のがないとかで、お手紙だけだけど!」
「はい、はい」
雅之は、もう一度時計を見た。8時29分。
ーーとりあえずオープニングは無事に見られる
そう思ったときだった。母親から手渡された手紙に違和感を覚えた。いつもだったら、厚手の高そうな封筒に、季節の花かなんかが描かれているのだが、今日のものはどうも違う。
限りなく職場で手にする茶封筒の感触だな、と思ったら、ほんとにそうで、しかも宛名もなにも書いていない。よっぽど母親が間違えたのでは、と雅之は疑ったが、息子の見合いに必死な母がそんなヘマをするわけがないとすぐさま思い直した。
気付けば雅之は茶封筒を開封していた。
さも「好きに開けろ」とばかりに、糊付けが雑なのも変に彼の興味をそそった。中に入っていたのは、ただの白いコピー紙1枚と名刺だった。名刺を見ると、シンプルなレイアウトで「フリーライター 桐生奈津子」とある。コピー紙の方を開くとそこには、ワードの初期設定のまま打ち込んだような文字が並んでいる。
その先頭の1文に雅之は目を奪われた。
大好きなアニメのオープニングが流れたのに気づかないくらいのインパクトをその言葉は持っていた。
「あなたはきっとお見合いを望んでいませんよね」
続く言葉を、雅之の視線が追って行く。
「叔母から話を聞いていて、そうじゃないかと思いました。あと写真を見せてもらって、これだけ見た目のいい人が独り身なのは、独りでいたいからなんじゃないかと思いました。もしかしたら、私自身が結婚するつもりがないので、そう思ってしまったのかもしれません。
私はゲーム雑誌のライターをしています。私はこの仕事が好きですし、誇りに思っています。家庭のことに気が向くとはとても思えません。
ただ、私は幼いときに両親を事故で亡くしています。それで『あなたが独り身だと、お父さんもお母さんも心配する』と言われると、どうにも弱いんです。
そこに現れたのがあなたでした。勝手な期待ですが、あなたとなら楽しく暮らせる気がしたんです。それで叔母のすすめを受け入れました。
名刺を同封します。私のTwitterアカウントがありますので、気が向いたら見てください。それでもし、あなたも同じ気持ちになってくれたのなら、そのときは連絡ください。興味がわかなければ遠慮なく、この縁談は断ってください。」
雅之はスマホを手にして、Twitterを起動する。検索欄に@のあとの文字を数文字入れると、候補たるアカウントがザッと並んだ。
ーーこの人だ
ひまわり色の丸い背景に、オレンジっぽい髪をポニーテールにした女性のイラストがある。弾けるような笑顔が、不思議と雅之に、それが奈津子だと語りかけてくるような感覚があった。確認すればはたしてそれは奈津子のアカウントであった。
「イチさんふぁいとーーー!」
「EVO会場なう!あ、now!笑」
「私もさっそくPになりましたよ!みんないい子^^」
雅之はゲームをたしなまない。だから彼女のツイートはどれもなにを言ってるやらさっぱりだ。ただ、どれだけ遡っても、奈津子は愚痴や文句の類いを一言もつぶやいていなかった。いつ、なにをしていても楽しそうで、「このゲームやりたいな」と思わされる瞬間すらあった。
そんな中、ひとつ、動画つきのツイートがあって、彼の指先は導かれるようにそれをタップした。
ちょっとチープな演奏が聴こえてきた瞬間に、「カラオケか」と雅之は思った。よくよく耳を傾けるとCMで聞いたことがある曲ではある。しばらくすると奈津子の声が重なった。
ーーあんま上手くない
ちょこちょこ音程を外す奈津子に、雅之は知らず笑みをこぼす。ちょうどそのときだった。
『カッコいい!いいなあ!いいなあ!やっぱりいいなあ!』
ゲームの映像を見て、はしゃぐ奈津子の声が部屋にこだまする。
雅之は動画を閉じると、奈津子のアカウントをフォローした。そのときやっと自分が、愛しの日曜朝のヒロインたちをほったらかしにしていたことに気付いた。ピロンと通知の音がする。それは奈津子が雅之をフォローバックする知らせだった。
テレビの中では、雅之が「嫁」と言ってはばからないヒロインが、今日も平和のために戦っている。
ーーごめんね
雅之は心の中でそう呟いてから、奈津子へのDMをつづりはじめた。
「お手紙ありがとうございました。Twitterも見ました。僕もあなたとなら楽しく暮らせる気がしました。ともかく一度お会いしませんか。ゲームのこととか教えてほしいです」
送信ボタンを押すときに、ちょうど雅之の「嫁」がアップになった。いつもなら雅之が「今日もオレの嫁がこんなにもかわいい」とつぶやくタイミングだ。雅之はもう一度彼女に詫びた。
ーーごめんね、オレ、法的なお嫁さんが欲しくなったみたい
昔も今も、人が思うことは変わらない。
みかの原 わきて流るる泉川
いつみきとてか こいしかるらん
(みかの原から湧き出でて、原を分ける泉川ではないが、いつ会ったと言って、私はあなたのことがこんなにもいとおしいんだろう、一度も会ったことなんてないのに)
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