第31話 混乱と飛翔


 ——時刻は少し過ぎた、サン・カレッドのメインストリートにて。


「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「焦らず、走ってはいけない。まだ、時間があるから」

魔獣マギカに襲われるぅぅぅ! 助けてくれ~」

「善処する。それに魔獣マギカが来るとは限らないから、大丈夫だ」


 日は昇り、昼に近づくにつれ、王宮からの知らせは急激に広まった。疑う余地のない事実である占いの知らせは、サン・カレッドの住民を震撼させ、混乱させた。


 サン・カレッド中の人々は中央部付近に住まうものから、王宮近くに用意されたシェルターに、順に避難を始めていた。とはいえ、サン・カレッドは大国であるから、全国民を中心部に集めるのは時間がかかる。

 故に、人々は中心部にごった返し、何かの祭りでも開催されるかのように人の波の渋滞がいたるところで発生していた。


 その人の波が避ける、大通りから外れた路地裏に、黒髪と桃髪の少年と少女がいた。


「……にしても、人が多い。俺は得意じゃないな」

「私も、です。酔ってしまいそうで、苦手です」


 メルク、アナも顔をしかめていて、ボヤきながら路地裏に逃げ込んでいた。二人のいる路地裏は人が一人か二人が通れるほどで、周辺住民がごくたまに近道として走ってくるだけで、基本的には人がいない。

 しかし、少し大通りを見やれば、我先にと急ぐ人の群れが草食動物の群れが大移動するように、地響きを鳴らしながら同じ方向へ動いている。二人にとってその光景は、少し吐き気を覚えるようだ。


「……にしても、ここまでの騒ぎだが、あまりにも情報が少ない。少し、情報が欲しい」

「……そうですね。まず、その災厄とやらがどこから起こって、何がどうなるのかがわかればいいのですが……」

「そうだな。……とりあえず、高いところから見て見るか?」

「そうですね。俯瞰から見れば何か見えるものがあるかもしれません」


 二人は頷き、合意を確認して、同じ言の葉を紡ぐ。


「「【舞い上がれ、聖なる緑風の使いよ。新緑の薫りをさかずきに乗せて、我らと共に酌み交わそう。供物を与えし我らに、其方そなたの翼を授けておくれ】」」


 二人が紡いだ『詠唱アリア』が二人の足元に巨大な緑の煌めきを放つ魔法陣を描く。オラクルが対流し、二人を包む魔法陣のサークルは輝きを放つ。


「「【アイレ・ラ・スビーダ】」」


 ——刹那。魔法陣から上方向へ強烈な風が吹き抜ける。重力を跳ね除ける大気の流れが兄妹を強引にそらに持ち上げ、目の前に立つ石とレンガ造りの建築物の屋根の上に着地する。


「……意外とうまくいったな、っと。……おぉ、よく見えるよく見える」

「……そうですね。思ったより、街並みは綺麗です」


 人様の瓦屋根の上に威風堂々と立つ兄妹は360度ぐるりと景色を眺める。あちこちから響く、雑踏の声は混乱にあえぐサン・カレッド住民で、俯瞰することによって、より一層人の流れがわかる。


 避難に急ぐサン・カレッド住民は王国騎士達によって制止され、歩幅を小さくさせられている。安全無事を第一としているのは尊ぶべきことであるが、事態が起こってからは元も子もない。少し、緊張感がなさすぎるのではないかと、メルクは思考を巡らせる。


「……にしても、どこからやってくるのか。ここからじゃ、わからないか」


 景色を眺めたところで、人の波と、石畳のサン・カレッドの街々、そして、晴れ渡る蒼天しか見えない。人の流れは別として、この景色からは全くもって危機が迫っているとは感じられない。羊皮紙との内容の矛盾にメルクは顔を曇らせる。——と。


「……マスター、マスター!」


 メルクの脳内に自称頼れる相棒のピッドの声が響く。


「……あぁ、ピッドか、何か久方ぶりだな~」


 メルクがそう返答すると、メルクにしか映らないその白猫に似た体を宙に浮かせて、姿を現した。ピッドの表情は頬が紅潮し、目が細くなっている。


「……マスター。素晴らしい相棒のことを忘れていたの? ひどいよ!」


 主人であるメルクにピッドは異論を唱える口調で、捲くし立てた。


「……仕方ないだろ。お前に話す余裕なんてなかったんだから。すっかり、忘れていたよ」

「ひどいっ! ひどすぎるよ! ……最近はあの不思議な王女様とブラコンの妹ばっかり話して、ボクには取り付く島もないとか、ボク達の関係はどうなったのさ~」

「……はいはい。あとで、美味いもんでもあげるから、許してくれ」

「……えっ、ホント! わかった、仕方ないから許してあげる~」


(……ちょろいなぁ~)


 メルクが内心そう感じているのをピッドが知ることはなかった。メルクがそう思案する傍らで、話さなくなった兄を見る目の色が変わったことをメルクは知らなかった。


「……で、俺に何か用なのか?」


 メルクは唐突に声を上げてきたピッドに問いかける。


「……そうだった。ここから、東の方に不穏な気配を感じるよ。ボクの勘だけどね」


 精霊が気配を感じるということは九分九厘本当なのだろうと、示された方角に目を見やる。フロンティアの中心聖域のある方角に目を見やるが、あるのは遠く彼方に見えるサン・カレッドの入り口と、蒼天のみだ。何も感じるものはない。


「……マスターには見えないと思うけど、何か良からぬものが近づいてきている、そんな感じがする。……この感じは相当やばいよ」


 精霊だと自負するピッドの目はいつになく鋭い眼光をしていて、それが真実であると証明していた。その目を見たメルクもまた目をすがめて。


「そうか。とりあえず、東門の方角へ向かうことにするか……」

「マスター、これは勘だけど、もしかしたらボクの力が必要になるかもしれない。まぁ、可能性だけどね。とりあえず、例のものは準備しておくから、それなりに覚悟しておいた方がいいよ」


 ピッドの真剣な口調にメルクは少し驚きの表情を浮かべて、そして小さく首を下げた。


「……お兄様、誰かと話しておられるのですか?」


 怪訝な表情をその顔に宿すアナに、メルクは気にせず切り返す。


「……アナ、俺は東門の方へ向かう。ここからはかなり綱渡りになるかもしれないが、それでも、ついて来るか?」


 唐突に返答された兄の声音が耳朶じだに触れる。桃色の瞳に鋭い黒目が仕向けられると、アナは少し頬を染めた。しかし、すぐに気を取り戻して。


「……はい、当然です。私はお兄様に付き従うと決めたのですから」

「……そうか。俺に引き離されるなよ」

「……もちろんです。地獄の果てまでついていきますよ」


 屋根に立つ兄妹は再び言の葉を紡ぐ。


「「【舞い上がれ、聖なる緑風の使いよ。新緑の薫りをさかずきに乗せて、我らと共に酌み交わそう。供物を与えし我らに、其方そなたの翼を授けておくれ】」

 オラクルが魔法陣を編み、緑の閃光を放つ。屋根にあつらえた魔法陣は二人の足元に展開し、同じ輝きで向きの異なる兄妹の魔法陣は共に強く瞬く。


「「【アイレ・ラ・スビーダ】」」


 ——刹那。緑風が吹き抜ける。兄、メルクが展開した魔法陣は地面に対して45度ほどに傾けて設置され、その通りに強風が駆け抜けて、大跳躍。メルクは低空飛行で屋根の上を滑るように飛ぶ。その様は打ち出された砲弾の如く、弧を描いて猛烈なスピードで突き進む。


 対して、妹、アナが創り上げた魔法陣は地面に対して垂直に近い。王宮で鍛え上げられた滑舌の良さで、屋根の上をはしりながら、建物の間で風に乗って跳躍ホップする。兄とは違い細かく魔法陣を展開するアナも、また凄まじいスピードで駆けぬける。その様は、雪原を逃げ回る白兎はくとのようであった。


 屋根の上を駆けずる二人の視界には中央に向かう人の波と、石畳の美しい街並みが次々と流れていく様が映る。それを、鋭い表情で眺めながら、兄妹は東方へ直走った。

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