第9話 カフェと魔法書《グリモア》と模造品《レプリカ》


「……で、どうなされたのでしょうか?」


 朝立ち寄ったカフェへとなだれ込んだ俺達は、店主以外誰もいないのを確認して、朝とは別の席に座る。二人用の向かい合う形式のテーブル席だ。

 そこで二人分の注文をとりあえず済ませた後、まぁ当然なのではあるが……クレアに質問された。


「……もう一度聞くが、こいつが見えんのか?」


 俺は俺の背中でガクガクしている毛玉を指差す。俺の手にすら、この精霊様は怯えているらしい。


「……えぇ。そうですね」

「そうですか……」


 溜息一つ。やはり王族というものは特別なものなのだろうか。少し嫉妬してしまう。


「……ピッド、諦めろ。クレアにも姿を現してやれ」

「……どうしようともバレてるんですが、マスター。……ボク、マスター以外に見つかったことなかったのに……ヒグッ」


 涙目を浮かべ、プルプルと体を震わせながら姿を現した、背中を丸めている毛玉。もとい、ピッドは向かい合う俺ら二人の間に存在するテーブルの上にチョコンと座った。

 どこか観念した犯罪者のようである。


「……クレア、紹介する。こいつは俺の相棒にして、自称精霊のピッドだ」

「まぁ、精霊様ですって! 驚きです」


 驚きを見せるクレアに対してテーブルに座るピッドは憤慨した様子である。


「ちょっと、マスター。何、自称精霊って! ボクはれっきとした精霊だよ!」

「そうだったけ」

「そうだよ!」


 おっといけない。店主が俺らの会話に驚いていらっしゃる。ただでさえ、薄汚れた男と正体不明の黒ローブ人間という不審極まりない二人組なのであって、時間も遅くて、怪しさが増していて、これ以上店主の心証を悪くするわけにもいかない。

 少し、落ち着こう。


「……では、このピッド様は本当に精霊様なのですね」


 見たことのない精霊に興味津々の様子で、その碧眼へきがん双眸そうぼうを白い体毛へと向ける。


「……そうさ。マスターの親友にして、世界最高のパートナー。ピッドだよ」

「……最高は言い過ぎだが、な」

「……ひどい!」


 いつもの口論を繰り広げれば、おかしいのか俯いた様子のクレアがクスクスと笑った。


「……精霊様ということは聖域から、お越しなられたのでしょうか?」

「ピッドでいいよ。バレてしまったからね。……で、質問の答えだけど、その通りだよ。ボクは聖域ちゅうしんから来た」

「そうだったんだ。知らなかった」


 俺がそう答えるとピッドはどうも納得がいっていないようで、不満げに目を細くする。


「……実は聖域むこうでは結構高貴な存在だったんだよ」

「何だよ、それ。高貴な存在って、聞いたことないぞ」


 ある程度こいつのことはしているつもりではあるが、それでもこいつはまだ図れない何かがある。それはこいつが人間ではない存在であって、精霊という未知の存在であるからだ。


「……そのような記述、これに書かれていた気がします」


 何か思い当たる節があるようで、クレアは纏ったローブの中から、手に余るサイズの書物を取り出す。

 表紙は幾何学な紋様をしており、極彩色の糸で丁寧に編まれている。


「……ちょっと、待て。ま、まさか……」

「……はい、これは『魔法書グリモア』ですが」

「……ちょっと、ダメだろ! 国の至宝だろうが。まさかとは思うが、原典オリジナルじゃないよな?」


 俺の額には冷たい汗がたらたらと流れる。想定外の代物を見せつけられているのだから。


「はい。もちろん、模造品レプリカです。私の部屋にあるものを持ち出しました。……ダメでしたか?」

「俺に否定する権利はないが、貴重なものなんだから、十分に気をつけろよ。模造品レプリカでも、持っていかれたら国単位の一大事だからな」


 俺の目の前にある『魔法書グリモア』。これは、俺らが誕生するずっと前、魔法がまだ発達しきっていない頃、精霊と交流を始めた先人が書き留めた書物である。


 魔法という技術や精霊達との交流譚など魔法に関する全てを記した、所謂大全というやつである。

 原典という名の最古にして最高のものが作られたのは四つ。それは大国と呼ばれるサン・カレッド王国を含んだ四国に譲渡され、今もなお最高機密として、国のトップにしか開示できないよう厳重に保管されている。


 原典オリジナルの最高機密の部分を除外して、開示できる部分のみをピックアップした模造品レプリカを作るのは各国に任されているが、少なくともサン・カレッド王国では模造品レプリカでもかなり貴重だ。


 しっかりと見守らなければ……。


「……話を戻しますが、確かこの辺りに……ありました」


 魔法書グリモアをペラペラとめくるととあるページで動きは止まる。

書かれているのは精霊の言葉オラクルと翻訳された公用語の二つ。目頭をすぼめてよく見れば、精霊の記述が確かにされている。


「何々……精霊の中にも階級がありその地位が高ければ高いほど、身分が下位の精霊を従えることができる。……本当なのか、ピッド?」

「そうだよ、ボクはねぇ、全体の中でもかなり上の方の存在の偉い精霊なんだよ~」


 自慢げにそう言うがどうもきな臭い。


「……マスター、今嘘だって思ったでしょ~」


 バレた。勘がいい。


「本当だからね。こう見えても、数百の下級精霊を従える高位精霊なんだから」

「そうなのですか。感服いたしました」


 クレアはピッドを軽くあしらう。仕事柄、こういう面倒くさいことの対処には慣れているのだろう。


「……ゔ、うん。あの、ご注文の品ができました……が……」


 店主が調理を終えて、トレイに乗せてコーヒーと紅茶、その他軽食諸々を運んできた。別に驚くべきことではないのだが……テーブルの上には貴重な魔法書グリモア


 ——これはまずい。


「これは、もしかして……、魔法書グリモア……」


 本格的にまずい。どう繕おう。


「【なんじ、瞳を閉じるべきだ。なんじ、安息を得るべきだ。しからば、我らが安らぎを授けよう】」


 決断は早かった。こういう時の魔法である。


「【レポーズ・ヒュプノス】」


 俺の『詠唱アリア』と『呪文スペル』によって、トレイを持った店主の眼前に黒く怪しげな光を放つ魔法陣が現れる。


 妖光を浴びた店主は膝から崩れ落ちていき、トレイに乗っていた品々は宙に舞う。

 俺は大切な食糧を守るためトレイを手に掴み、落下する食べ物たちをバランスよく受け止める。


 ガタン!


 盛大な音を立てて、カフェの床へ店主はダイビングした。

 受け止める方を間違えた気がする。


「まぁ! メルク様、何をしておられるのですかっ!」


 思いがけない出来事にクレアは大声をあげる。そんな声にすら反応しないほど、店主は深く床に突っ伏している。


「……確かにやりすぎかもしれないけど、魔法書グリモアを見られるわけにはいかない。だから、ちょっと眠ってもらった。……もちろん、店主は生きているよ」

「そう……でしたか。……初見では、お亡くなりになっているように見えますが……ね」


 床に突っ伏している体勢を見てみれば、確かに死んでいるように見えなくもない。いや、死んでいるようにしか見えない。


「一応、手を合わせておくか」


 合掌して、一礼する。ものすごく失礼な気がするが、しばらくはこのままでいてもらおう。

 俺とクレアは眠る店主を二人で起こして、近くの椅子の上に座らせた。これで、誰か来たとしても、何とかごまかせるだろう。


「……では、また話を戻しましょう」


 クレアの鶴の一声で話は元に戻る。せっかく作っていただいたのだから、コーヒーと軽食を頂きながらにする。

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