第143話 シトリア油田強襲作戦(上)

 帝竜暦六八四年二月十日。現在の時刻は、一六二五ひとろくふたご


 私たちが搭乗したギガントは、今から二時間ほど前に、第四帝国領のカルテノス湾岸に着陸した。


 私たちが、敵に発見されることなく目的地へ到着できた理由は、ギガントに施したカモフラージュで視聴覚と魔法探知を遮断したことと、熟練パイロットのハイネ大尉が操縦桿を握り、天使シェムハザの導きに従って飛行を続けたお陰。


 その後、私たちは、天使シェムハザの助言通りに三つの班に分かれて、シトリア油田近郊まで移動し、アスリンさんの精霊術で身を潜め、後段作戦の開始時刻を待ち続け現在に至る。


 油田の無力化は、SSシュッツシュタッフェルが所持する戦闘車輌と発電に必要な燃料の供給を停止させることが狙いだ。また、戦闘車輌の動きを封じることで、SSの士気を大幅に低下させる相乗効果も期待できる。


 三班に分かれた私たちの主戦力は、ヘニング少佐が直々に指揮を執るクランプスことⅢ号戦車に搭乗したエーギス隊だ。たった一輌の旧型戦車かもしれないけれど、アスリンさんの精霊術でカモフラージュした、熟練の古参兵の業を持ち合わせている。


 そのエーギス隊の役割は、作戦開始と同時に、装填した榴弾をシトリア油田の燃料貯蔵タンクに撃ち込むことで火災を発生させる。そして、混乱に陥ったSSの敵兵士を一人でも多く討ち、更に、稼働していない戦闘車輌を一輌でも多く撃破することだ。


 そして、エーギス隊が敵の注意を引きつけている間に、二柱の天使たちと突入班が製油プラント内に潜入し、そこで労働させられている従軍労働者たちを救出する。


 突入班の構成は、彩葉さん、幸村さん、アスリンさん、それからデニス卿の四人。突入班と共に行動する二柱の天使は、言わずと知れた星読みの『天使シェムハザ』と『星光の天使ティシュトリヤ』のこと。


 突入班が救出に向かう製油プラントにいる従軍労働者たちは、主力旅団のSSに従軍を強いられた民間人で、私と同じように、地球からアルザルへ移民した製油プラントの設計に携わる有識者たちだ。その多くは、ナチ党の保護下に置かれていた化学工業トラストIGイーゲーファルベン社で勤めていた者たちだと聞いている。


 ネオ・ベルリンで人質に取られていた彼らの家族は、クルセード作戦でネオナチを追放した際に解放されている。従って、これ以上彼らがSSに従う理由などない。また、彼らの知識は、戦後の復興と文明の発展に不可欠。それ故に、私たちは、彼らをこの戦場から救出し、海岸で待機しているギガントに乗せて、本国へ連れて帰る義務があった。


 それから最後に、岩陰で身を潜めて待機する、私とハロルドさんの役割。


 それは、残念ながらこの油田内に存在する、パワーズの天使『黄泉の番兵サンダルフォン』とシーラッハ先輩の肉体を支配した『闇天使バラクエル』を討伐することだった。


 サンダルフォンは、大型の戦闘用オートマタ。そして、バラクエルが聖霊を宿すシーラッハ先輩は、戦闘術と魔術に長けた魔法兵学科マーギスユーゲントを主席で卒業したドラゴニュート。こちらから奇襲を仕掛けるアドバンテージがあるとしても、二柱の天使が恐ろしく強い相手であることは間違いない。


 星読みの呪法で未来を観測した天使シェムハザの話によれば、この戦に勝つ方法は、私とハロルドさんが、サンダルフォンとバラクエルが姿を現すまで待機し、絶対に魔法探知を得意とするサンダルフォンに見つかってはいけないのだとか。


 天使シェムハザは、私たちの中から犠牲が出ることはないと仰っていた。それに加え、ハロルドさんと彩葉さんの二人は、レンスター防衛線の中で、あの死天使アズラエルを討ち果たしている。今回も、その時と同じように、上手くいくと思うのだけれど……。


 私は、天使たちとの戦いのことを考えると、不安ばかりが先行し、体の震えが全然止まらなくなる。


「大丈夫か、キアラ? ゆっくりと深呼吸をして落ち着こう」


 空を見つめて震えていた私に、ハロルドさんが優しく声を掛けてくれた。


「あ、はい……。ありがとうございます」


 私は、ハロルドさんの言う通り、深呼吸をしてから彼に答えた。ハロルドさんは、いつも難しそうな顔をしているけど、話をしてみると気配りが上手で誰に対しても優しい。ハロルドさんが、ギムナジウムで同窓の女生徒から人気を集めていたという理由がよくわかる。


「不安なのは、俺も一緒だぜ、キアラ。突然、サンダルフォンとバラクエルを倒せと言われても、漠然としなくてさ。この油田のどこにいるのか知らないけれど、巨大なオートマタとドラッヘリッター最強の軍人の体を支配した天使が相手なんだ。シェムハザの奴、待機しろって言うだけで、まだ対処法を伝えてくれないからなぁ……」


 ハロルドさんは、左耳に掛けられたアートマを指差して、眉をひそめながら不満そうに言った。アートマは、マナを媒体として離れた相手と通話するアヌンナキ専用の無線通信器だ。ハロルドさんは、雷天使ラミエルのを取り入れているため、ルーアッハの聖霊が覚醒していなくてもアートマを使用できるらしい。


「ハロルドさんの不満はよくわかります。天使シェムハザは、本当に言葉が足りませんから……。ですが、天使シェムハザは、大切なことを伝えるタイミングを誤ると、それだけで未来が変わってしまうことがあると仰っていました」


 私は、ハロルドさんの気持ちに同意しつつ、天使シェムハザをフォローした。


「まぁ、そうなんだよな……。未来を知っているのは、あのヤマネコだけなんだし。とりあえず、対天使対策は、そのうち伝えてくれることを期待するとして……なぁ、キアラ。この油田ってさ。第四帝国唯一の製油所って割に、規模が小さく防衛能力が低いように感じないか? それに、製油所とタンク以外、建物だって木造だ。昨夜宿泊したネオ・ノイシュタットの営所よりも粗末な感じがしないかな?」


 ハロルドさんは、溜め息混じりにシェムハザからの通信がまだ来ないことを諦めると、岩陰から油田を見下ろしながら私に意見を求めてきた。


 たしかに、ハロルドさんが仰った通り、シトリア油田の敷地面積は、サッカー場で二面くらいの広さしかなく、かなり小規模なものだった。それに、敷地の境界線は、高い壁で守られておらず、簡易的な垣根がある程度。


 シトリア油田の敷地に建てられた建築物のうち、一番大きな建造物が、私たちが破壊するつもりの製油プラント。次に大きな建物が、外壁のない木製のガレージだ。ガレージの軒下には、ドラム缶が積載された輸送用のブリッツが五台と、Ⅳ号戦車が三輌停車している。


 そして、製油プラントから最も離れた場所に建つ長屋風の木造の建物が、シトリア油田で生活するSSの軍人や従軍労働者たちの官舎に違いない。


「そうですね。私もハロルドさんと同じ意見です。これは、推測でしかないのですが……。主力旅団を率いるSSの上層部は、アリゼオ平定後にパワーズの天使たちの力を借りて第四帝国を建国しました。しかし、コンクリートの建築物を建てる労働力と、資源が足りていない状況なのだと思います。北伐へ向かった彼らは、整備兵と僅かな民間人の技術者しか同伴していませんでしたから、最重要拠点であるはずのシトリア油田ですら、要塞化できずにいるのではないかと……」


「俺は、軍事的な意見を出せるほどの専門家じゃないけど、キアラの解釈で合っていると思うよ。主力旅団がアリゼオを平定して三ヶ月。軍政国家のネオナチが、唯一所持する油田を未だに要塞化できていないだなんて、その理由以外考えられないよ」


 ハロルドさんは、私の推測的意見に同意してくれた。ハロルドさんの戦術論は、レンスター公王陛下やヘニング少佐が一目置いていただけあって重みがある。


「私は、元軍人でありながら、戦術論が苦手でした。様々な場面で戦術を進言してきたハロルドさんと同じ意見だと安心します」


「あはははは……。なぁ、キアラ。そんなに俺のことを過大評価しないでくれよ。そして、もっと自分に自信を持って欲しい。ヘニング少佐が言ってたぜ? うちのフロイライン少尉は、状況判断能力が高いから指揮官向きだってさ」


 私が正直な気持ちをハロルドさんに伝えると、彼は右手を額に当てて笑いながら私にそう言った。ハロルドさんの笑い声は、張り詰めた緊張感の中ですら、周囲を楽しい気持ちにさせてくれる。


「フフッ……。ハロルドさん、私は、もう少尉ではありませんよ? 戦傷者扱いで軍から除籍された身です。皮肉なことに、未だに前線で戦うことになっていますが……」


 私は、ハロルドさんに釣られ、笑いながら彼に答えた。失ってしまった右目と右足の自由は、もう元に戻ることはない。けれども、それと引き換えに得たものも沢山あった。


「そうだった、今は少尉じゃなくて、シュトラウス・クロンズカーク辺境伯だったよな。昨夜のビールに添えられていた元老院からの書簡の内容が、キアラに与えられた新たな爵位だったことに驚かされたぜ?」


 そう、昨夜の宴席前に、ヘニング少佐が言っていた元老院からの書簡。


 その内容は、私の陞爵しょうしゃくを知らせるものだった。恐らく、ヘニング少佐が、シュトラウス家の家督騒動で帰る場所のない私に気遣い、フェルダート戦線の功績に結び付けて、ノイラート国防軍司令官を通じて根回ししてくれたものだと思う。


 私は、陞爵を賜ったことで、既存のシュトラウス伯爵家から分離独立することになった。私に与えられた領地というのが、レンスターが防衛協力の謝礼にヴァイマル帝国に進呈した、クロンズカーク農園とその一帯の集落だった。これも何かの縁なのだと思うけれど、私が地球へ向かうことになれば、この好意を無駄にしてしまうかもしれない。


「ハロルドさんだけじゃありません。本人ですら、その書簡の内容に驚いたのですから。ただ、有り難いことに、小さな領地と資産を頂くことができました。でも、私が地球から戻らなければ、領地が返上されることになるかもしれませんが……」


「そ、そうか……。ごめん、キアラ。何だかキアラを地球へ誘ったことが、申し訳なく思えてきたよ……。もしも、帰る場所があるなら、無理をせずに……」


「いいえ、ハロルドさん! 私は、皆さんが向かう場所こそが、私の帰る場所だと思っています」


 私は、私を気遣うハロルドさんの言葉を制して、私自身の帰る場所が皆さんと同じであることを伝えた。今の私の夢は、平和になった二十一世紀の地球を見ることだから。


「わかったよ、キアラ。一緒に地球へ帰ろう。でもさ、その爵位って不思議だな。今までの伯爵よりも辺境伯の方が高い地位って、本当なのか?」


「そうですね。中世時代の名残でしょうか。辺境伯は、異民族や敵対勢力と接する領地を所有することから、その地位が高かったと記憶しています」


「神聖ローマ帝国の選帝侯の一人、ブランデンブルグ辺境伯も、そんな感じだったのかな? たしか、ヨーロッパでも北東のスラブ民族と接する土地を所有していたような」


 まさか、極東の日本で生まれ育ったハロルドさんが、ブランデンブルグ辺境伯を知っていると思わなかった。世界中が戦争状態にあった私たちの時代と異なり、二十一世紀の地球は、世界全体が身近になっているという証拠なのかもしれない。


「よくご存じですね、ハロルドさん」


「いや、俺たちの時代では、誰でも世界史を勉強するものだから……。それよりも、キアラは、先ほどと比べてリラックスできている感じだね。緊張が解れたなら良かった」


 私は、いつの間にか不安から解放されていたことを、ハロルドさんに言われて気が付いた。


「そう言われてみれば……。お気遣い、ありがとうございます」


「礼なんていらないさ。どうせ、今更足掻いたところで、なるようにしかならない。シェムハザの指示を待って、焦らず落ち着いて行こう」


 ハロルドさんは、自身の胸に右手を当てながら、深く息を吸い込んでからゆっくりと吐き出した。いつもと変わらない様子に見えるけど、先ほど本人が言っていたように、ハロルドさんも緊張しているのだろう。いつも側にいる彩葉さんと別行動になっていることも、その原因の一つかもしれない。幸村さん曰く、ハロルドさんは、極度の心配性らしいから。


「はい! 今は、とにかく身を隠して、魔法感知能力の高いサンダルフォンに見つからないように待機、ですね!」


 私がハロルドさんに相槌を打つと、彼は笑みを浮かべて私に頷いた。


「そうだね。油田を警備する敵は、見ての通り油断している。奴らが占領したアリゼオの王都は、王都の鷹などのレジスタンス組織が抵抗活動を続けている。それは、ここにいるネオナチの連中だって知っているはずだ。なのに、連中は、外壁どころかバリケードや塹壕すら準備していない。きっと、自分たちがパワーズの天使に守られていることと、文明兵器の力の差に自惚れているのだと思う」


「そこまで分析されているのですね……。天使シェムハザに、そのことを報告しますか?」


 私は、ハロルドさんの情報分析能力に今回も驚かされた。もしも、彼が学生ではなく、軍人の道を目指して士官学校へ入れば、きっと幕僚まで上り詰めるエリート将校になれると思う。


「あぁ、もちろん。その情報は、既にアートマで伝えてあるよ。アートマの使用感って、彩葉の念話に近い感じなんだよな。電話や無線みたいに、言葉を発しなくても、相手に直接意思が伝わる仕組みだから、使用者以外の人だと、わかりづらいと思う」


「複雑な仕組みなのですね……」


 私がハロルドさんからアートマの説明を聞いていたその時、シトリア油田の正面の茂みが発光した。その直後に、地面が短く揺れて、爆音と共に燃料貯蔵タンクが炎と真っ黒な黒煙を上げて吹き飛んだ。


 噴き上がる炎は、直径百メートル以上あろうかという火球となり、燃料タンクの真上に向かってぐんぐんと上昇してゆく。五百メートル以上離れたこの場所まで、上昇する火球の輻射熱が伝わってくる。


 製油プラントで火災が発生すると、爆発的な燃焼に発展すると聞いていたけれど、これほど凄いだなんて……。


 私は、衝撃的な光景に目を奪われ、その場で立ち尽くしたまま動けずにいた。


「危ない、キアラ! 爆発の衝撃波が来る! 岩陰に早くっ!」


「……!」


 私は、ハロルドさんに呼びかけられたことで我に返り、すぐに姿勢を低くして岩陰に身を隠した。


 私が岩陰に隠れると同時に、私たちの周りを爆発の衝撃波が吹き抜け、周囲の木々を激しく揺らした。もの凄い衝撃波だ。身を隠さなければ、吹き飛ばされて転倒していたに違いない。


「助かりました、ハロルドさん」


「爆発が予想以上に大きかったけど、前線のみんなも無事みたいだ……。今、シェムハザから連絡が来たよ。予定通り、これから彩葉たちと製油プラントにいる民間人の救出に向かうって」


 ハロルドさんは、大量の黒煙を噴き上げる製油プラントを見つめたまま、不安に満ちた表情で私に言った。ここでジッと待機などしていられないと言わんばかりに、彩葉さんを心配しているのが伝わってくる。


「いよいよ、戦が始まりましたね。ハロルドさん、皆さんのことが心配でしょうけど、天使シェムハザの言葉を信じて、私たちにしかできないことをやり遂げましょう!」


 私は、今にも飛び出して行きそうなハロルドさんの気持ちが落ち着くように、右手で握り拳を作って彼の前に突き出した。いつも皆さんがしている、景気づけのグータッチを交わすために。


 ハロルドさんは、私の握り拳に気がつくと、私を見つめて笑顔で頷いた。私もハロルドさんを見つめて頷き返した。


「あぁ、そうだよな。悔しいけれど、今は、みんなを信じて、二柱の天使の登場を待つしかないな。キアラ、絶対にサンダルフォンとバラクエルをやってやろうぜ!」


「はい!」


 私の返事と共に、二人の右手の拳が軽く触れ合う。そして、戦勝の誓いを込めて、互いに目を合わせ、もう一度頷いた。


 こうして、私たちの奇襲攻撃によって、シトリア油田強襲作戦が始まった。


 ネオナチが統べる第四帝国の思惑。意思を持つ宇宙母船ヤハウェに対する、パワーズの天使たちの離反。そして、迫り来る厄災の影。私たちは、何と戦い、どこへ向かおうとしているのだろう。


 一つだけわかっていることは、決して立ち止まってはいけないということ。たとえ、敵が天使や神であろうと、私たちは、仲間と未来を信じて前に進むしかないのだから。

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