第142話 魔法の秘薬

 幸村のバイオリン、俺のアコギ、そして、彩葉のベースと透き通る歌声。


 夕食後のエンターテイメントとして定着した、俺たちドラゴンズラプソディのミニライブ。ノスタルジックな旋律のスパンシルヒルが、厳しく冷え込んだ粗末なネオ・ノイシュタット基地の営所内に響き渡る。


 今夜の締めを飾るこの曲は、アイリッシュ・フォークソングを気に入ってくれたクラッセン軍曹が、俺たちにリクエストしてくれたものだ。


 俺たちを見つめ、音を立てずに小さく手拍子をとるアスリンとキアラ。カップに淹れられたセレン茶を啜るヘニング少佐やオートマタに聖霊を宿すティシュトリヤも、俺たちの演奏を楽しそうに聴いてくれている。


 空路で移動を続ける俺たちが、こうして地上で夜を迎えている理由。


 それは、ヴァイマル帝国の航空機が、夜間に着陸することができないからだ。キアラたちの時代である、第二次大戦前期の科学技術は、高度な管制システムや滑走路の電子制御装置が存在しない。そのため、視界が制限される夜間の着陸は、大きなリスクを伴うことから緊急時を除いて実施されることがなかった。


 レンスターを発ってから、今日で四日。俺たちの移動生活は、ギガントの乗り心地の悪さを差し引いても、夜に自由な時間が得られていたため、それなりに充実していた。


 しかし、それも今夜が最後。俺たちは、明日の午後に第四帝国の領土であるカルテノス湾岸に着陸し、再び戦場に身を投じることになるからだ。


 飛び交う銃弾。ドラゴニュートの肉体に聖霊を宿した、氷と闇の属性八柱。そして、狂信的なネオナチを従えるパワーズの天使たち。

 

 いくらシェムハザが俺たちの安全を保証してくれても、危険が伴わない戦場など存在しないだろう。一歩間違えれば、すぐに取り返しがつかない結果に繋がってしまう。


 明日の今頃、俺たちは、何をしているだろう。無事にシトリア油田を制圧し、皆で勝利を祝えているだろうか?


 明日の戦いを想像すると、俺の心に不安が募る。


 集中力を欠いていた俺は、危うく彩葉のベースのリズムから後れを取るところだった。


 今は、演奏に集中しないと……。


 演奏が続くスパンシルヒルは、幸村のバイオリンによる間奏を挟んで、後半のフレーズに移行した。


 ベースを奏でながら、Bメロを歌う彩葉の艶やかな黒髪がリズミカルに踊る。それと対照的に、ブレスに合わせて広がる彩葉の白い吐息。俺は、弦を押さえる指先を意識しつつ、その美しいコントラストに見惚れていた。


 彩葉は、俺の視線に気が付いたのか、演奏しながら横目で俺に微笑み掛けてきた。キラリと光る赤い瞳と口元の長く鋭い犬歯。彩葉の可愛らしい笑顔は、ドラゴニュートになってしまった今でも、俺の心に安らぎと幸せを運んでくれる魔法の秘薬だ。


 スパンシルヒルの演奏は、ラストのサビのフレーズを二度繰り返し、静かにエンディングを迎え、そして終了した。


 ピューウッ!


「ブラボー! 三人とも、相変わらず見事な演奏だ! 特にイロハ、今日も君の歌声に癒されたぜ」


 指笛を鳴らしたクラッセン軍曹が、その場で立ち上がり、俺たちの演奏を讃えてくれた。クラッセン軍曹の賞賛を皮切りに、アスリン、キアラ、そして、エーゲス隊に選抜された隊員たちが席を立ち、俺たちに向けて暖かい拍手を送ってくれた。達成感と感謝の気持ちで胸が熱くなる。


「そう言って頂けると、本当に嬉しいです。皆さん、今夜も演奏を聴いてくださって、ありがとうございました!」


 彩葉は、礼の言葉と共に、ベースギターを抱えたまま丁寧にお辞儀をした。俺と幸村も、彩葉に倣って頭を下げる。


「もしも君たちが、我々の時代で本格的な音楽活動をしていたら、ララ・アンデルセンに引けを取らない大物になっていただろうな」


 シガンシナ少尉が口にした歌手の名前は、残念ながらわからない。けれども、それが最上級の褒め言葉だということは伝わってきた。ただ、あまり褒められると、お調子者の幸村が付け上がらないか不安になる。


「いやぁ、そう言ってくれると思っていましたよ! でも、実際にそこまで褒められると、けっこう照れますねぇ」


 あぁ、心配した矢先にこれかよ……。


「こら、ユッキー! そうやってすぐに調子に乗らない!」


「す、すんません……」


 眉を吊り上げて幸村を指摘する彩葉と、言葉を詰まらせながら謝罪する幸村。このいつもの茶番劇の始まりに、アスリンとキアラは、顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。


 幸村は、もう少し緊張感を持つべきだ。こんな調子で明日を迎えれば、その油断や慢心が、命取りになるアクシデントを生み出しかねない。彩葉も、いつもの調子で幸村を相手にしてはダメだ。


「ハハハ……。君たちは、本当に仲が良くて羨ましい」


 ヘニング少佐は、彩葉と幸村のやりとりを見て、俺たちの前に移動しながら声に出して笑い始めた。それに釣られ、他のエーギス隊の隊員たちも笑い始める。


「毎度の茶番で騒がせてすみません……」


 俺は、二人のマイペースな態度が、なんだか無性に申し訳なくなって、目の前に来たヘニング少佐に謝罪した。


「いや、気にしないでくれ、ハロルド。皆、明日の上陸を前に、いつも以上に緊張している。二人は、そんな重い空気を和ませようと、笑いを提供してくれたのではないだろうか? そうだろう、ユッキー?」


「も……、もちろんですよ、少佐! そうに決まっているじゃないっスか!」


 ヘニング少佐に話を振られた幸村は、露骨な虚偽の相槌を入れて誤魔化した。こいつは、本当に調子がいい。この際だから、幸村にアスリンの虚偽を見破る精霊術を掛けてもらい、皆の前で反省してもらいたいところだ。


 一方で彩葉は、幸村と対称的に無言のまま地面を見つめて俯いた。前髪の隙間から見える耳が少し赤い。ヘニング少佐に揶揄されたことに、恥ずかしくなったのだろう。


「まぁ、冗談はこれくらいにしておくとして……。さて、この場を借りて、私から皆に提案があるのだが……」


 ヘニング少佐は、皆が見えるように向き直り話題を切り替えた。この場にいる全員が、ヘニング少佐に注目する。


「皆も十分承知していると思うが、安全な夜は、今夜が最後となる。本来なら、作戦行動中の飲酒は、軍規で固く禁じられているところであるが……。今夜は、士気を高めるためにも、特別に酒の席を設けたいと思うがいかがだろう? 実は、帝都の元老院から届いた書簡に、極上の酒が添えられていてね」


「さすがです、少佐! その言葉を待っておりました! しかし、レンスター騎士たちに振舞うための酒を用意するなど、元老院も粋な計らいをしてくれますね!」


 クラッセン軍曹が、いち早くヘニング少佐に喜びを伝えた。


「少佐、その書簡に添えられていた酒ってのが、格納庫の隅にある木箱のことですね?」


「フランク。お前は、昔から在処ありかを嗅ぎつけるのが早いな」


「そりゃもう! ガキの頃から、それを用意するのが自分の役割でしたからね。早速、木箱を開けてもよろしいでしょうか?」


 ヘニング少佐と幼馴染のハイネ大尉が、早くも『極上の酒』を見つけたようだ。


「あぁ、そうしてくれ。ただ、落胆するなよ、フランク? この話を就寝前にさせてもらった訳は、酒好きのお前とクラッセンが、満足できる量ではなかったからだ。私の我儘わがままを許してくれ」


「我儘など、滅相もないです! それでは、早速」


 ハイネ大尉は、ヘニング少佐の許可が下りると、大きな木箱へ向かった。そして、大型のナイフを木箱に突き立て、木箱の側面を剥がしてゆく。


 その作業にシガンシナ少尉が加勢し、クラッセン軍曹は、どこから運んで来たのか、ガラス製のジョッキをテーブルに並べ始めた。


『うわぁ……。なんていうか、見事な連携プレーね……』


 彩葉が、彼らの行動に呆れた様子で、俺に思ったことを念話で伝えてきた。その意見に同意した俺は、彩葉を見て頷いた。まぁ、国防軍のエーギス隊の連携は、日頃から互いの意思疎通ができている証拠……、ということにしようと思う。


「少佐! 樽のロゴが、シュナイダーヴァイセじゃないですか!」


 木箱の中から姿を現した酒樽の刻印を見て、シガンシナ少尉が歓喜した。


「シュナイダ―……、ヴァ……?」


 アスリンが、アクセントが難しいドイツ語の酒の銘柄に、口ごもり首を傾げた。アスリンのサラサラな前髪が、彼女の肩からゆっくりと滑り落ちる。エルフ族の美少女は、何気ない日常のワンシーンでさえ、絵になる気品を持ち合わせている。


 そんなアスリンに見惚れていた俺は、視界の片隅から鋭い視線を感じて我に返った。しかし、俺は、敢えてその視線に気が付かないフリをした。目を合わせたら、確実に面倒くさいことになるのがわかっていたから。


「シュナイダーヴァイセは、『ビール』と呼ばれる麦を原料とした発泡性の強いお酒で、私の出身国の伝統ある銘柄です。アルザルへ移民した者の中に、醸造元の職人がいたらしく、その方がアルザルの素材で復元し、今もこうして味が引き継がれているそうです。ビールは、独特な苦みがありますが、私たちの国でワインよりも親しまれているお酒なのです」


 キアラが宙に浮くシャリオに座ったまま、酒好きなアスリンの前に移動して酒樽の中身を説明した。アスリンは、キアラの話に興味津々な様子で目を輝かせている。


 なるほど、極上の酒がビールだなんて、実にドイツらしい。


「へぇ……。すごく美味しそうね! えーと、彩葉たちの国の諺にあるやつ……。善は急げだっけ? さぁ、みんなも早く頂きましょ!」


 アスリンは、そう言うや否や、ハイネ大尉たちが準備している酒樽の元へ向かって行った。


「諺の意味、間違っていないと思うけど……」


 彩葉が、苦笑いを浮かべながら、アスリンの背中に呟いた。


「ちょ、ちょっと待ってよ、アスリン。キアラ、ボクたちも行こう! ライブの最中に仲睦まじく見つめ合っていたハルと彩葉は、後から


 幸村は、わざとらしく語尾を強めて俺たちに嫌味を言い放ち、舌を出してからアスリンを追い掛けてゆく。


「「なっ……」」


 突然の不意打ちに、彩葉と俺の声が同調する。どうやら幸村は、ライブ中に交わしていた俺たちのアイコンタクトを見ており、それが気に入らないらしい。


 まったく、幸村は、彩葉と俺を応援すると言っていたくせに口だけかよ。僻む暇があるなら、思い切って想いを寄せているアスリンに告白すればいいのに……。


「ま、待って下さい、幸村さん! お二人に、そのような言い方をしなくても……」


 キアラは、俺たちに軽く頭を下げてから、シャリオを巧みに操って幸村の後に続いて行く。


 今はこうして、しっかり者のキアラが、幸村の面倒を見てくれるからいいけど……。いつまでも、何も行動しなければ、アスリンに逃げられちまうぞ、まったく……。


 幸村を追い掛けるキアラを見ていたその時、これまで俺たちの足元で丸くなって寝ていたシェムハザが、ゆっくりと立ち上がり、二本の長い髭と尾を震わせながら大きく伸びをした。


「さて、ティーよ。ワシらは、酒を味わえぬ体質だからのぅ。楼へと上がり、周囲の監視でもするとしようかの」


 シェムハザは、柄にもなくティシュトリヤに見張りを呼びかけた。眠ったフリをして、これまでの話を聞いていたのだろう。たしかに、アナーヒターとミトラは、毎晩のように酒を飲んでいたけれど、ヤマネコのシェムハザと人型のオートマタであるティシュトリヤが酒を飲んでいるところを見たことがなかった。


「そうね、シェミー。ヘニング少佐、シェミーが述べたように、私とシェミーが夜通しで見張りを致します。ゆっくりと宴席を楽しみ、英気を養うと良いでしょう」


「シェムハザ猊下、それからティシュトリヤ猊下。両猊下のお心遣い、有り難く頂戴いたします」


 ヘニング少佐は、深々と頭を下げて、二柱の天使に感謝を伝えた。


「本来、礼をしなければならぬのは、ワシらの方だからのぅ。汝らは、危険を顧みず、厄災に挑むワシらを支援しておる。ワシとティーは、その恩義に報いなければならぬからのぅ」


 シェムハザは、ヘニング少佐に返事をするとそのまま向きを変え、デニス卿が見張りに就いている監視塔へ、ティシュトリヤを連れて歩き始めた。ヘニング少佐も、アーロン卿とレンダー卿を連れて、ビアジョッキにビールを注ぐクラッセン軍曹の元へ向かって行った。


 シェムハザの奴、案外義理堅い奴だな……。


「ねぇ、ハル。ヘニング少佐とシェムハザたちの好意、折角だから私たちも頂こう?」


 二柱の天使たちを見送る俺に、彩葉が声を掛けてきた。


「あぁ、そうだな……。ビールなんて初めてだけど、俺たちもみんなのところへ行こうか。だけどさ、彩葉。そんなのを飲んだら、すぐに眠くなっちまうんじゃないか?」


 竜族やドラゴニュートは、アルコールを摂取することで、急激に眠気を催す特徴がある。特に彩葉は、その効果が強いらしく、ワインを一口飲むだけで、いつも数分以内に眠りに就いていた。


「うーん……。ワインよりも長く起きていられると思うよ? 父さんが言っていた気がするの。たしかビールは、ワインよりもアルコールの度合いが低いって」


 そこは、アルコールの度数の問題なのか……?


「まぁ……、ビールのCMとか思い出すと、ワインよりもビールの方が、ぐいぐい飲んでいたイメージが強いな……。日本で生活していた頃は、酒に全く関心がなかったから、正直よくわからないけどさ……」


「だよね。地球へ帰ったら、日常の習慣を見直さないと。私たち、法律で罰せられちゃうね」


「プッ……。アハハ……。まったくだよ、彩葉。帰った途端に勝彦さんに逮捕されたら、洒落にならないって」


 俺は、彩葉の発言が可笑しくて思わず吹き出してしまった。彩葉の父親である勝彦さんは、長野県警の警察官だ。うっかり勝彦さんの目の前で酒なんて飲んだら、大目玉じゃ済まされないだろう。


「アハハ……。ちょっとハル、笑わせないでよ。たしかに、父さんにバレたらヤバいね……」


 彩葉も俺に釣られ、大きな声で笑い始めた。


 今日の彩葉は、いつもと様子が少し違う。ただ、悪い意味ではなく良い意味で。


 彩葉は、故郷の話をする時、どこか寂しそうな表情をすることが多かった。けれども、今日の彩葉は、地球や家族の話を笑顔で楽しそうにしている。


「ヤバいどころじゃ、済まされないと思うぜ? でもさ、もう少し先のことになりそうだし、今日はみんなと一緒に楽しく飲もうぜ」


「うん! そうだね」


 力強く笑顔で頷く彩葉。


 やっぱり、彩葉は嬉しそうだ。嬉しそうな彩葉を見ると俺も嬉しい。戦いが始まる直前だけど、また夢の中でヴリトラに会って、プラスになることが得られたのかもしれない。


 俺は、思い切って彩葉に直接訊いてみることにした。


「なぁ、彩葉、何かいいことあった? もし、嬉しいことがあったなら、俺も彩葉と一緒にそれを喜びたい。もし良ければ、教えてくれないかな?」


 彩葉は、俺の質問が意外だったのか、俺を見つめて瞬きを繰り返した。


「へぇ……。気付いて……、くれてたんだ? ハルは、鈍感だから気付かないと思ってた」


 彩葉は、照れ臭そうに俺から目を逸らし、小さな声でそう言った。


「ま、まぁ……、な」


 俺は、彩葉の指摘通り、あまり勘が鋭い方ではない。そのことは、姉貴にも小さい頃からよく言われていた。


「でもね、ハル。これは、ハルにとって、いいことじゃないかもしれないから……」


「なんだよ、それ……。そう言われたら、余計気になるじゃないか」


「うーん……。そうだ! これからビールを飲んでみて、私が長く起きていられたら教えてあげる!」


「えぇ……」


 彩葉は、返答に困惑する俺に対して無邪気に笑い、ビールが注がれたビアジョッキを机に並べるクラッセン軍曹の元へ走ってゆく。


 まったく、誰が得する賭けなんだよ、それ……。


 俺は、彩葉の可笑しな賭けに呆れながらも、彼女の笑顔に癒されていた。はぐらかされた質問の答えは、また後で訊けばいい。


 やっぱり、彩葉の笑顔は、俺にとって魔法の秘薬だ。明日のことで、モヤモヤしていた俺の心に勇気が沸いてくる。俺は、あの笑顔を守るためなら何でもできる。たとえ明日、どんな強敵が現れたとしても、必ずそいつを討ち倒してやる。


 俺は、高ぶる気持ちを抑えるために、天井に吊るされたランタンの中の光のオーブを見つめて深く息を吐いた。


 明日の晩も、こうして彩葉と笑顔で話せることを願いながら。

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