第138話 出会いと別れ

 ミトラとティーに出会ってから、俺たちは休む間もなく、アリゼオに向かう準備に追われていた。


 ミトラたちをレンスター公王陛下に紹介したり、貴族連合のノイラート伯に面会してシェムハザたちの要求を伝えたり。また、その合間に、世話になったレンスターの人たちに別れの挨拶回りをしていたため、二日間という時間が瞬く間に過ぎ去ってしまった。


 俺たちは、明日の正午にレンスターを出発し、ギガントに搭乗するためにキルシュティ基地へ向かう。


 移動にギガントが採用された理由は、ヴィマーナがステルス性能を有するとはいえ、その大きさから容易に発見されてしまうからだ。巨大なヴィマーナは、アスリンの精霊術で隠匿いんとくすることができない。一方、ヴィマーナのステルス製の塗料を塗布したギガントであれば、アスリンの精霊術を併用することで確実な隠密行動が可能となる。


 パワーズの天使たちと第四帝国は、俺たちをアリゼオで待ち伏せているらしい。それ故に、俺たちは、奴らに気付かれることなくアリゼオに潜入しなければならない。それが、アストラを懸けた神器争奪戦の勝利への第一歩となる。


 明日の今頃は、キルシュティ基地へ到着し、ギガントに搭乗するための準備をしている頃だろう。今夜が、最後のレンスターの夜かと思うと、寂しさが込み上げてくる。俺たちの日常を奪った忌々しい惨劇から四カ月。思い返してみると本当に色々なことがあった。


 あの日、俺と幸村は、彩葉の命を救うために黒鋼竜ヴリトラと契約を交わし、シンクホールを使ってアルザルへやってきた。


 そして、偶然出会ったアスリンの導きで訪れたレンスター。この街は、俺たちにとって、第二の故郷と呼べる街になった。レンスターへ来た当初の目的は、彩葉の体に宿るヴリトラの魂を神竜王ミドガルズオルムの元へ届けるために、音楽で旅の資金を稼ぎながら竜族の伝承を調べることだった。


 ところが、これも運命だったのか、彩葉がレンスター公王陛下の従士に登用され、やがてキアラたちと出会い、そして東フェルダート地方の動乱へと巻き込まれた。その中で、俺たちは、天使たちと邂逅し、また、俺に課せられた宿命を知り今に至る。


 そして、俺たちの前に突然現れ、アリゼオ行きを告げてきたミトラたち。本当に彼ら天使は、秘密主義な上に身勝手で、人間の都合など気にも留めない。アスリンが天使たちを嫌っている理由がよくわかる。


 そんな俺も、覚醒したラミエルの聖霊を受け入れることで、アナーヒターのような二次的なアヌンナキとして、自我を失わずに生きることになるらしい。ただし、それは、俺の中に宿るラミエルから伝えられただけだ。俺が俺でいられる確証なんてどこにもない。このことを一人で考え込むと、闇に吸い込まれるような恐怖と不安が襲ってくる。


「おい、ハル! さっきから呼んでいるのに、何をボケっと地面なんて見つめてるんだよ? 彩葉姉ちゃんを心配させるなよ!」


 西風亭のワイナリー前に座っていた俺は、フロルの大きな声に気がついて我に返った。フロルの隣には、心配そうな表情の彩葉がいる。彩葉とフロルは、先ほどまでワイナリー前の空き地で、いつもの自稽古に励んでいたはず。どうやら俺は、過去と自分の状況を思い巡らすうちに、周りが見えなくなっていたらしい。


「ゴメン、色々考えていたせいか、気づかなかったよ」


 俺は、その場で立ち上がり、二人に対して素直に謝った。


「この二日間、忙しかったから……。疲れているのかなって、心配しちゃった」


 彩葉が言った通りに、昨日から公務に追われ、休む間もないくらい忙しかった。その上、夜遅くまでドラゴンズラプソディの西風亭でライブを披露していた。疲れが溜まっていないと言ったら嘘になる。けれども、二人の声に気づかなかったのは、単に俺がぼんやりしていただけに過ぎない。


「多少の疲れはあるけど、大丈夫。レンスターに来て、色々あったなって考えててさ。心配かけてごめん」


 冷静に考えてみると、呼ばれたことに気付かなかったほど呆けていたことが恥ずかしく感じる。俺は、彩葉とフロルを交互に見つめ、笑みを浮かべて誤魔化した。


「オレは、別にハルのことなんて心配してないけどさ。ボケっとしているハルが、彩葉姉ちゃんに迷惑をかけることが嫌なんだよ」


 フロルは、毎度ながら俺に対する当たりが厳しく可愛げがない。生意気なガキに腹立たしさを感じるけれど、こんなやりとりをするのも今日で最後かと思うと寂しくもある。


「悪かったな、フロル。やる時は、ちゃんとやるって約束するから安心してくれ。それよりも、俺たちがいなくなった後も、彩葉に教わった剣術の稽古を怠けるなよ? いざという時に、大切な人を守れるようにしてくれよな」


 フロルは、毎日のように彩葉に付き添って自稽古に励んでいたため、それなりに剣道の基本型が様になりつつあった。彩葉の教え通り、これを毎日続けていれば、隙のない剣の構えを習得できると思う。その先、さらに剣技に磨きをかけるとしても、構えの基礎が活かされるはずだ。


 ただし、俺は、決してフロルが剣を振るう時が来ることを望むわけではない。けれども、このアルザルは、地球の文明でたとえると中世社会の文明レベルだ。自分の身を自分で守る術を身につけることは、とても重要な生きるためのスキルになる。


「当たり前じゃん! ハルに言われなくても、そうするさ!」


 やっぱり、このガキは可愛くない……。


 彩葉は、俺とフロルがよく似ていると言うけど、ここまで可愛げのない子供だった記憶はない。


「ほら、フロル。そんなに、厳しく当たらないであげて。私がフロルとお別れするのが辛いのと同じように、ハルも同じ気持ちなんだから……」


 彩葉は、少し姿勢を低くしてフロルに視線を合わせ、穏やかな優しい口調でフロルに伝えた。年上ならではの、彩葉のお姉さんらしい行動に思わず見惚れてしまう。ワイナリーを照らす、光のオーブが作り出す彩葉とフロルの影。影だけを見ていると、駄々をこねる子供をあやす母子のように見えなくもない。


「オ、オレだって、それくらい……、わかってるよ……」


 フロルは、彩葉に返事をしながら、目元を一度袖で拭ってた。意地っ張りなフロルも、彩葉に対する態度は、可愛らしい少年そのものだ。幼いフロルなりに、もう再び会うことがないことを理解しているのだと思う。


「そ、そうだ! そろそろ夕食の支度ができたころかな? このいい香りは、地鶏のソテーかな? おなか空いてきたなぁ」


 肩を落としたフロルを見て、彩葉が慌てて今夜の夕食のメニューに話題を変えた。


 今日の西風亭は、夕方になる前に店を閉めているため、一階のレストランに訪れる一般の客が来ていない。それは、ナターシャさんとミハエルさんが、明日レンスターを発つ俺たちの門出を祝うパーティーを準備してくれているからだ。


 得体の知れない俺たちを置いてくれるだけでなく、この世界で生きるためのノウハウまで親切に教えてくれたモロトフ家の人たち。アスリンの導きとはいえ、ドラゴニュートの彩葉を見た時や俺たちが地球から来たことを知った時、きっと凄く恐ろしかったと思う。俺たちが逆の立場なら、人間の姿をした宇宙人と接するようなものだ。


「そうだね、彩葉姉ちゃん。その他にも、彩葉姉ちゃんの好物もあるよ。朝、アーリャがミュルーを漬けていたから、きっと食卓に並ぶと思う」


 ミュルーとは、エスタリア方面で取れる山菜の一種らしく、この辺りでは珍味として塩漬けで食べられる。


「本当?! ちょっと嬉しいかも! 西フェルダートでは、出回ってなさそうだし、食べ納めかなぁ」


 彩葉は、フロルに嬉しそうに返事をした。彩葉は、大の漬物嫌いの俺と違って、漬物を好んで食べる。漬物があれば、それだけでごはんが腹一杯食べられるらしいけど、理解に苦しむ。俺には、あの酸味と口の中に篭る臭いが、どうしても受け付けられない。


「ハルは、どうせミュルーが食べられないだろう? ハルの分を、オレが貰っていいかな?」


「あぁ、喜んでフロルにやるよ。準備してくれるアーリャに申し訳ないけど……」


 俺は、彩葉と同じくミュルーが好物なフロルの申し出を快く承諾した。


「ありがとな、ハル!」


 フロルは、満面の笑みを浮かべて感謝を伝えてきた。


「どういたしまして」


 交渉成立だ。こうして笑顔でいれば、フロルも可愛らしい少年なのに。


「まったく、子供の前で恥ずかしげもなく好き嫌いをするなんて……。どうかと思うよ、ハル?」


 彩葉は、浮かない顔で俺を見つめながら指摘してきた。好みの問題は、仕方がないだろうに……。


「彩葉だって、辛いものが苦手じゃないか。人のこと言えないだろう?」


 理不尽に感じた俺は、彩葉の苦手なものを挙げて反論した。


「ああ言えばこう言う、そういうところ。本当にそっくりだと思うよ、二人とも」


 それを言うために、わざわざ俺を誘導したのか。それとも、単に誤魔化しただけなのか。彩葉は、俺とフロルを見比べながらそう言った。


「「どこがだよ!」」


 俺とフロルの否定が調和する。


「あははははは……。さ、二人とも、早く帰ろうか」


 彩葉は、大きな声で笑いながら、西風亭に向かって歩き始めた。俺とフロルは、顔を見合わせ肩をすくめた。そして、先頭を歩く彩葉の後を追いかけた。





 夜も更け日付が変わり、西風亭で開かれたパーティは、名残惜しさが残る中で幕を閉じた。小さなフロルと朝から働き尽くめのアーリャは、テーブルに伏せて眠ってしまっている。


 楽しく有意義な時間は、あっという間に過ぎ去ってしまう。旅立ちの前日に『お別れ会』まで用意してくれたモロトフ家の人たちの心温まる対応に、俺の目と胸の奥から熱いものが込み上げてくる。


「ナターシャさん、ミハエルさん。本当にお世話になりました。皆さんと出会えていなければ、俺たちはどうなっていたことか……」


 俺と彩葉と幸村は、ナターシャさんとミハエルさんの前に移動して深く頭を下げた。


「私からも、改めてお礼を言わせてください! 私のような流れ者まで庇護してくださり、本当にありがとうございました」


 俺たちに続いて、キアラも杖を使って席を立ち、その場で深く頭を下げた。


「みんな、そんな改まった礼なんて要らないから。私がバルザと宿の経営を始めた動機は、旅人や流れ者の傭兵稼業の連中に手助けをしたかったからよ。私たちも若かった頃、たくさんの人たちの世話になったからね。だから、私たちが、みんなの力になれているなら本望なの」


「母さんの言う通りだ。旅人をもてなし、旨い飯を提供する。これが俺たち宿を経営する者の誇りだ。むしろ、礼をしなくちゃいけないのは、俺たちの方だぜ? みんなが演奏するテルースの音楽のおかげで、西風亭は連日大繁盛だった。それに、みんなは、この動乱で命を懸けてレンスターを守ってくれた。本当にありがとう」


「そ、そんな……。俺たちは、当然のことをしただけです。運命だとか……、そんなことよりも、世話になったレンスターを守りたい。それに尽きます」


 まさか、謝礼に対して礼で返されると思わなかったので動揺して上手く言葉が出ない。


「私の場合、従士として登用して下さった公王陛下への恩義もありました。けれども、お世話になったレンスターを守りたいと言った、ハルの意見と同じです」


「ボクもそうです。みんなと違って、ボクに何か能力があるわけじゃないっスけど……」


 彩葉と幸村が、俺の発言をフォローしてくれた。


「これも全て、私がキルシュティ半島の果てで、彩葉たちに出会ったことから始まった奇跡ね。運命……、とでも言うべきかな」


 アスリンは、自分の胸に手を当てて、ナターシャさんとミハエルさんに得意そうな表情で言った。


「それを言うなら、アスリンを追い掛けたトロルって怪物。ボクたちがアスリンと出会えた切っ掛けを作った、あいつらにも感謝だね」


「ちょ、ちょっとユッキー……。トロルのことは……、思い出したくないのだけど……」


 アスリンは、幸村の口からトロルの名前が出た途端、トロルに襲われた時のことを思い出してしまったらしい。急に顔が青ざめ、耳が垂れ下り、トロルの話をしないよう懇願した。


「あはは……。アスリンは、本当にトロルの話が苦手だよなぁ……。トロルに感謝をするなら、アスリンがキルシュティ半島の偵察へ向かうことになった、鋼鉄竜騒ぎのヴァイマル帝国に感謝しなくちゃいけないぞ? 更に遡れば、ヴァイマル帝国を連れてきた天使たちにも感謝ってことになるな」


 ミハエルさんは、困惑するアスリンを笑いながら、俺たちがここに行き着いた経緯を辿るように語った。俺たちは、本当にいくつもの奇跡と出会いを繰り返してこの場にいる。


 俺たちがアルザルへ来ることになった直接的な原因。それは、俺の中に宿るラミエルのルーアッハを狙った、ラファエルにくみするネオナチの襲撃だった。しかし、奴らが来なくても、いつかシェムハザたちが俺を迎えに来たはずだ。必ず訪れる厄災を防ぐために。だから、俺の運命は、遅かれ早かれアルザルへ来ることが決まっていたのだと思う。


 もしも、俺がシェムハザたちに従って、地球からアルザルへ来ていたとするなら……。


 その時は、たった一つの席しかないアストラ・ヒアを懸け、キアラやリーゼルさんたちと命の奪い合いをしていたかもしれない。そうなれば、俺は、ラファエルたちではなく、シェムハザたちグリゴリの戦士を恨んでいただろう。


「どうしたの、ハル? 顔が怖いよ? ワイナリーの前でもボーっとしていたし、疲れが溜まっているなら、休める時に早く休もう?」


 俺は、彩葉が言ったように、疲れが溜まっているのかもしれない。気を許すと、つい色々な妄想が頭の中を巡り出してしまう。


「ゴメン、彩葉の言う通りだよな。この先ゆっくり寝られる日が少なくなるだろうし、今夜はもう、休ませてもらおうかな」


 俺は素直に彩葉の意見に従うことにした。余り彩葉に心配を掛けると、たぶん怒りだすから。それに、いつ、また戦いが始まるかわからない。休める時に、しっかりと休んでおく必要がある。それは、戦いの中で得た教訓だ。


「それがいいわね。アーリャとフロルは、テーブルに伏して眠ってしまっているし。ミハエル、アーリャを抱えて寝室に連れて行ってあげて。私はフロルを連れて行くから」


「了解だ、母さん。明日、みんながレンスターを発つ時、俺たちも見送りに行くよ。だから、まだサヨナラは言わないぜ?」


 ミハエルさんは、眠ってしまったアーリャを抱えながら、まださよならは言わないと言った。けれども、別れは、確実に近い。


「わかりました、ミハエルさん。また明日、よろしくお願いします」


 俺は、込み上げてくる涙をグッと堪え、ミハエルさんに返事をした。感情が豊かな彩葉は、誰よりも先に目に涙を浮かべていた。俺と彩葉だけじゃなく、幸村とキアラも涙を堪えるのに必死な様子だった。


「みんな、そう時化た顔するなよ……。こっちまで辛くなるじゃないか。出会いは、人を豊かにする。別れは、人を強くする。人生ってのは、出会いと別れを繰り返す旅の物語だ」


「出会いと別れの旅……。心に沁みます……」


 キアラは、ミハエルさんの言葉に感銘を受けたようだ。それは、俺も同じだった。ミハエルさんの言葉は、俺の心にしっかりと突き刺さった。


「まぁ、今のは、バルザの格言だけどね」


 静まり返る西風亭のレストランで、ナターシャさんがボソッと呟いた。


「ちょっと母さん……。せっかくいい感じの締めになったと思ったのに、無駄にバラさなくても……」


「フフフ……。ミハエル、いつまでそこでアーリャを抱えたまま立っているの?」


「あ、あぁ……。まったく、すぐ余計なことを言うんだから……」


 ミハエルさんは、バツが悪そうにアーリャを抱え、ブツブツ言いながら階段を上り居室へ向かって行く。


 俺たちは、そんなモロトフ親子のやり取りを見て、思わず吹き出してしまった。


「ねぇ、アスリン。私がフロルを部屋に連れて行って戻ったら、今夜は少し付き合って貰えるかしら?」


「ええ、いいわよ、ナターシャ。今夜が、最後になるかもしれないものね……」


 アスリンは、ナターシャさんの誘いに即答で応じた。


「ありがとう。それじゃ、私もフロルを寝かせてくるわね」


「わかったわ、ナターシャ」


 ナターシャさんに返事をしたアスリンの横顔が、どこか寂しそうに映る。それは、彼女が俺たち以上にレンスターに思い入れがあるから。アスリンは、もうここへ戻れないことを承知で、俺たちと共に地球を目指すことを決意した。アスリンが一緒に来てくれることは嬉しい。けれども、今更ながら、俺の中に疑問が湧いてくる。


 アスリンは、本当にこれでいいのだろうか……。





 それから俺たちは、それぞれの思いを胸に秘め、最後のレンスターの夜を過ごした。


 レンスター公国。俺にとって第二の故郷。


 俺は、この国へ来て本当に良かったと思っている。


 世話になった西風亭のモロトフ家の皆さん。レンスター公王陛下や堅牢のロレンス。それから、この先も共に旅をするアスリンとキアラ。俺は、彼らとの出会いに感謝している。そして、俺たちと関わり、支えてくれたすべての人たちに伝えたい。


 心からありがとう、と……。

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