第136話 血の色に染められた街
ミトラとティシュトリヤから伝えられた西フェルダート地方の現状は、アリゼオの大聖堂に奉納されたアストラを求めるボクたちにとって、あまり
西フェルダート地方に陸路で進軍した主力旅団は、破竹の勢いでアリゼオを始めとする大国を次々と打ち破り、半月も経たないうちに西フェルダート地方一帯を制圧した。その後、主力旅団の
国号を神聖第四帝国と定めた理由は、大天使のラファエルらの加護を賜っていることと、また、第三帝国と規定されたナチス政権下のドイツの系譜を継ぐことを主張しているからに他ならない。
彼らがヴァイマル帝国を脱し、遠征先で新たなる国を起こした経緯。
その表向きの理由は、
それが本当なら、ラファエルたちは、東フェルダート戦線で死天使アズラエルと五柱の属性八柱を失ったとはいえ、アストラを手中に収めるという最低限の目的を達成したことになる。アストラがなければ、ハルが厄災を
つまるところ、彼らの計画は、イレギュラーによる損失を差し引いても、順調そのものといったところだろう。大天使ラファエルの最終目的は、地球でヤハウェを護衛する天使たちに気付かれないようシェムハザたちを妨害し、厄災を利用して創造主であるヤハウェを討ち、自らが
できることなら、戦を避けて話し合いで解決したいところだけれど、ネオナチとパワーズの天使たちに話が通じると思えない。ボクは、また新たな戦が始まることを想像すると、怖くて堪らなかった。
◆
「はぁ……。ミトラの話をまとめると、私たちは、アストラを手にするために、第四帝国の都となったアリゼオに向かわなければならない……。そして、そこは敵陣のど真ん中。そういうことかしら?」
アスリンが深々と溜め息を吐いて、西フェルダート情勢を語ったミトラに質問した。
「簡単に言えば、そういうことだ。俺たちは、犠牲となった属性八柱の
アスリンの質問に答えた陽光の天使ミトラ。ミトラは、長身でイケメンなエルフ族の男性に聖霊を宿しており、威厳のある中にどことなく優しさを感じさせる紳士的な天使だ。ボクは、ミトラの姿が天使を嫌うエルフ族ということに驚かされたけれど、そのこと以上に、ミトラの相方であるティシュトリヤの姿に度肝を抜かれた。
星光の天使ティシュトリヤの姿は、人間の女性を模した精巧なアンドロイドで、水色の髪のウィッグを被った頭部に、端正な顔立ちの仮面が嵌め込まれている。温厚な性格の
「第四帝国の軍隊は、主力旅団を形成していたネオナチの精鋭部隊です。最新鋭の兵器を備えていた彼らが、防衛戦に徹したらと思うと、少々厄介ですね……。その主力旅団のことで、以前から気になっていることがあるのですが、ミトラに質問をしてもよろしいでしょうか?」
ボクが異型な天使に見惚れていると、キアラがミトラを見つめて質問を投げかけた。キアラの声のトーンは、ボクたちと共に厄災に挑む決意を表明してから、彼女らしい芯のある力強さを取り戻していた。キアラは、本当の意味でボクたちに心を開いてくれた。もう心配要らないだろう。
「遠慮はいらない。何でも訊いてくれ。俺とティーが知っていることは、全て答えるつもりだ」
「はい、それでは……。主力旅団が北伐に向け、ネオ・ノイシュタットを発ってから、数日後にクルセード作戦が発動しました。その際、ティルベー川に架かる橋梁が全て破壊され、主力旅団の補給線が絶たれたはずです。ヴァイマル帝国領内から補給が得られない状態で、戦車約五十輌と総勢一万名を超える武装集団が、約千五百マイル離れた西フェルダート地方へ到達できたことが不思議でなりません。国防軍の上層部は、ネオナチの特務機関が、キルシュティ基地のように、極秘裏のうちに油田を掘り当てたのだろうと仰っておりましたが……。」
たしかにキアラの言う通りだ。第二次大戦中の戦車や車両の燃費は、お世辞にも良くない。この時代の軍用車両の長距離移動は、鉄道の利用がセオリーだ。
そもそも、街道すらない砂漠地帯の海岸線を、補給なしで約二千キロメートル以上行軍できるはずがない。国防軍の上層部が言うように、ネオナチの技術者たちが、人知れず油田を開発していた可能性も否定できない。けれども、現時点で可能性的に一番考えられることは、ラファエルたちパワーズの天使たちの介入だろう。
「実は、天使たちがその行軍に関わっているとか……?」
ボクは、ミトラとティシュトリヤが答えるよりも早く、キアラの疑問に続いた。
「ユッキー、あなたのお見込みの通りです。神聖第四帝国の軍隊は、移動にパワーズが所持するヴィマーナを使用したそうです。私たちのヴィマーナは、アナが管理する一隻のみですが、パワーズはヴィマーナを三隻所持しています。車両と兵員の輸送は、ヴィマーナの輸送力を存分に活用すれば、全軍がエルスクリッド砂漠を越えるのに、二日もあれば十分でしょう」
出た、この独特の流暢なマシンボイス。
ティシュトリヤの
しかし、ボクは、そのティシュトリヤの声に聞き入っている状況ではなかった。ボクの予感は、どうやら的中していたらしい。しかも、パワーズは、ヴィマーナを複数所持しており、それを使った輸送をしていただなんて……。
「そういうことか……。こんな高度文明の産物を、三隻も……」
ハルが、右手の握り拳を震わせながら悔しそうに呟いた。最近、握り拳を震わせるハルの仕草をよく目にする。ハルは、平常心のように見えるけど、アストラ・ヒアになるというプレッシャーに、押し潰されそうなのだと思う。アストラ・ヒアになるためには、ルーアッハの聖霊と魂を融合させなければならない。
かつて属性八柱だったアナーヒターは、聖霊との魂の融合で、自我が失われることはないと言っていたけれど……。ハルだけじゃなく、ボクだって心配で堪らない。もちろん、ボク以上にハルのことを心配しているのは彩葉だ。その彩葉は、ハルの震える右手をそっと両手で包み込み、ハルの右腕に寄り添った。
彩葉は、ハルを安心させようとしている。その気持ちは、すごくよくわかる。けれども、ボクは、できた人間ではない。人目を憚らず大胆に寄り添う二人の姿を見ていると、二人がどこか遠くへ行ってしまったみたいで、寂しさと腹立たしさが込み上げてくる。
「シェムハザ、あなたたちアヌンナキは、人に深く関わることを禁じられているはずじゃなかったの? そもそも、パワーズの天使たちは、人間の社会でいう憲兵のような存在よね?自分たちは、何食わぬ顔をして禁忌を破っているということ?」
アスリンは、パワーズの行為を軽蔑し、目を細めてシェムハザに問い質した。
「結果的に、そういうことになるのかのぅ」
シェムハザが、二本の長い髭をうねらせながらアスリンに答えた。
「ひでぇ……。絶対的な権力を持つ天使が、職権を乱用して好き勝手していたら、世界が滅びちまいますって……」
ボクは、思ったままのことを声に出していた。
「まったくだよ。天使の社会に口出しするつもりはありませんけど、組織構成と役割が偏り過ぎているから、このような事態を招くのではないですかね?」
ハルも同じ気持ちだったようで、四柱の天使たちを見つめながら、ボクの言葉に相槌を入れた。
「その意見は、さすがに否めない。ただ、ヤハウェもアヌンナキの監視を全てパワーズに任せているわけではない。テルースでヤハウェを護るケルビムという集団を率いる大天使ウリエルが、監視者ザフキエルを遣わして、パワーズの動向を監視している。だから、奴らは、派手に直接手を下すような行動を慎み、コソコソと動き回っているというわけだ」
ミトラは、ボクたちの発言に納得しながらも、他の天使の組織がパワーズの行動を監視していることを伝えてきた。天使たちは、それぞれが所属する集団に分かれ、ヤハウェから与えられた使命を果たすために地球とアルザルで行動している。彼らは、どれほどの集団に分かれ、どれだけの数がいるのだろう……。
「監視者と呼ばれる天使は、パワーズのラグエルだけでなく、他にもいるということでしょうか?」
キアラが、ミトラを見つめて質問した。
「その通りだ、キアラ。だが、今のパワーズを監視するには、ザフキエル一柱だけでは間に合っていない状況が現実というわけだ……」
パワーズでもグリゴリでもない、ヤハウェを護るケルビムという集団の天使である監視者ザフキエル。ケルビムとグリゴリの共通点は、巨大宇宙母船ヤハウェを護ること。だとしたら、厄災からヤハウェを護るグリゴリの天使たちに、ザフキエルが力を貸してくれるのではないだろうか。ボクは、率直に思ったことを質問した。
「これまでの一連の流れを監視者ザフキエルに報告すれば、ケルビムが味方になってくれませんかね?」
「それは、ちと無理があるのぅ。監視者は、直接見て聞いたこと以外信じぬからの」
シェムハザが、残念そうにボクに答えた。
「それができていたなら、アタシらだってザフキエルに報告くらいしていたさ。監視者なんて奴らは、ラグエルを含めて偏屈で頭のおかしな連中なのさ」
アナーヒターは、監視者という天使が好きではないらしい。思い返してみると、アナーヒターは、レンスター大聖堂でラグエルと遭遇した時も、最初から友好的な態度ではなかった気がする。
「それにしても、誰かの目を盗んで行動するなんて……。ラファエルたちは、天使とは名ばかりで、まるでコソ泥のような連中ね。そんな、卑怯な天使と、残虐非道な第四帝国に支配されてしまった西フェルダートの人たちが可哀想……」
彩葉が床を見つめながら、悔しそうに呟いた。
「それが、そういう訳でもなくてですね……」
「どういうことなの?」
彩葉の言葉を否定したティシュトリヤに、アスリンが怪訝な面持ちで質問した。
「俺たちが現地で見た限り、西フェルダートの民衆は、新たな統治者となった第四帝国を歓迎していてね……。キアラ、君ならば、その理由がわかるな?」
キアラは、ティシュトリヤに代わって答えたミトラに頷いた。
「はい。奴隷制度を撤廃し、全ての領民に平等権を与えることで、民衆の心を掴んだのだと思います。私たちがアルザルへ集団移民し、カルテノスの地で領土を得た時もそうでしたから」
「なるほど……。圧倒的な武力を見せつけ、これまで支配していた王を追放して封建社会を討ち砕く。それから、絶対王政下で、重税や身分という壁に苦しんでいた人々に、理想のようなネオナチの社会主義体制を見せつける。その結果、ネオナチは、大多数を占めるヒエラルキー下層の人々からの支持が得られたってことか。実に、合理的な戦術だな……」
キアラの説明を聞いたハルは、納得したように頷きながらブツブツと呟いた。
「おいおい、今は感心している場合じゃないだろう……」
ボクは、まだ彩葉と手を繋いだまま、第四帝国の政略に感心するハルを指摘した。
「ユッキーの言う通りだよ、ハル」
彩葉がハルに寄り添ったまま、ハルを見つめてボクの指摘に相槌を入れた。
そこで相槌を入れるなら、せめてボクに気を遣ってハルから離れてくれませんかね、彩葉さん……。
「いや、単に感心しているっていう訳じゃなくてさ。俺が言いたいことは、もし俺たちが、ヴァイマル帝国の国防軍の手を借りてアストラを奪還しようとするなら、第四帝国を支持する民衆まで敵に回すってことだろう?」
「ハロルドさんが仰った通りです。特に奴隷や貧困層の人々は、率先してネオナチと共に戦おうとするでしょう。私たちヴァイマル帝国が、カルテノスとサザーランドの領民たちに対して、そうしたように……」
ハルの発言をキアラが肯定した。ヴァイマル帝国の元軍人のキアラが言うのだから信憑性が高い。
「そ、それじゃ、国防軍と一緒に西フェルダートの奪還をしようとすれば、今度はボクたちが侵略する側になってしまうということか?! それじゃ、どうすりゃいいんだよ?!」
ボクは、焦る気持ちを抑えられずに、思わず大きな声を出してしまった。
アストラを奪還するために正面から立ち向かえば、ボクたちが侵略者になってしまう。犠牲を顧みずに信念を貫くことは、ナチのやり方と何も変わらない。しかし、覚醒した聖霊が宿るルーアッハはリミットがある。そのリミットを越えれば、世界は厄災に見舞われ、多くの生命が失われてしまう。
これでは、八方塞がりだ。
「落ちつきな、ユッキー。焦ったところで、状況は変わらないだろう? ミトラとティーは、こう見えて戦に特化したアヌンナキだからね。アタシには、戦術なんてよくわからないことだけど、既に策を用意してあるだろうさ」
ボクは、ソファに座ったまま不敵な笑みを浮かべるアナーヒターに指摘された。彼女は、『わからない』という割に、いつものように右手に煙管を持った状態で余裕そのものだ。
「すみません、アナーヒターさん……」
「アナ、そうユッキーを責めるな。ユッキーが懸念している通り、俺たちが正面から神聖第四帝国とラファエルらに挑めば、俺たちが侵略する側になってしまうからな」
「むしろ、謝らなければならないのは、ユッキーではなく私たちの方です。私たちの調査が遅れたことは、謝罪しなければなりませんね。私たちは、目に付きやすいサウバブラをカルテノス湾の海中に隠し、ラファエルらに感知されぬようアートマを装着せず、小舟と徒歩でアリゼオまで赴いていましたので……」
ミトラとティシュトリヤが、アナーヒターに謝罪したボクをフォローしてくれた。それどころか、ティシュトリヤは、威力偵察からの帰還が遅れたことを、ボクたちに詫びてきた。
「それは、ティーが謝ることではありません。俺たちは、あなたたちの情報なくして、厄災から世界を救うことなんてできません」
「ハロルド、そう言ってもらえると、俺たちも救われる。キアラの質問に答えてから、だいぶ話が逸れてしまったが、他に質問があれば遠慮なく言って欲しい」
ミトラは、ティシュトリヤを宥めるハルに礼を述べ、ボクたちに更なる質問を求めてきた。
「それでは、ミトラ。西フェルダート地方に展開する第四帝国の兵力と、ラファエルたちパワーズの天使について、俺たちに教示願えますか?」
ミトラの要求に応えたのは、左手を真っ直ぐ挙げたハルだった。挙手した左手と反対の右手は、相変わらず彩葉の左手を握ったままだ。彩葉は、そんなハルを見つめて、優しく微笑んでいる。二人は、互いを信頼して支え合っている。それがわかった途端に、ボクの
「もちろんだ。君たちが俺たちに尋ねなくても、そのことを伝えるつもりでいたからな。アナ、床のパネルにアリゼオの状況を映し出してくれ」
「はいよ。こんな感じでいいかねぇ」
アナーヒターがミトラに返事をした直後に、広間の床が一瞬輝き、床面のパネルから立体的に浮かび上がる、大都市の映像が表示された。
「こ、これは……」
ボクは、その映像を見て言葉を失った。
ヴィマーナの高度な科学技術に驚かされたわけではない。映し出されたアリゼオの様子に衝撃を受けたからだ。
市街地の中央の丘に
その光景は、まるで血の色に染められた街を見ているようだった。
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