第131話 フローエ・ヴァイナフテン
帝竜暦六八三年十二月二十四日。
ここが日本なら、クリスマスムードの最盛期を迎える日だ。街は、奇麗なイルミネーションで彩られ、街のいたるところからクリスマスのテーマソングが聞こえてくるだろう。
ボクは、毎年の年末に開催されるバイオリンのコンクールに、欠かさず参加し続けていたため、家族や友達と満足にクリスマスを楽しんだ記憶がない。それでも、故郷の冬の風物詩を思い浮かべると、胸の奥に懐かしさが込み上げてくる。
ここは、地球から遠く離れた惑星アルザル。この星では、大陸南部のヴァイマル帝国領を除いて、イエス・キリストの生誕を祝う風習など存在しない。ところが、今日のレンスターは、雨が降る夕暮れ時と思えないくらいの祝賀モードに包まれていた。
しかも、街はまだ生々しい市街戦の爪痕がたくさん残っている。そのような状況にも拘らず、避難先から戻ったレンスターの国民の盛り上がりは、レンスターを覆う雨雲すら吹き飛ばすのではないかと感じるほどだ。
もちろんレンスターが、訪問騎士団に
その知らせは、レンスターの正規軍を基幹とするフェルダート同盟軍が、抵抗を続けていたヴァイマル帝国の残党を打ち破り、彼らの侵攻拠点であるキルシュティ基地を陥落させたというものだ。これで、東フェルダート地方を混乱に陥れたヴァイマル帝国の遊撃旅団が一掃された。つまり、この戦は、レンスター側が勝利したことになる。
何はともあれ、ボクは、レンスターが滅亡を免れて本当に良かったと思っている。残虐なネオナチの思想を持つ遊撃旅団は、彼らに抵抗を続けた都市国家の王族を、
ボクは、アスリンや世話になっているレンスターの人たちの力になりたいと思いつつも、両軍の圧倒的な戦力差から、絶対にヴァイマル帝国に勝てないと内心諦めていた。ハルと彩葉は、何とかなると思っていたらしいけど、ボクのような何も能力を持たない人間ならば、誰だってそう感じていただろう。
その劣勢が続いていたレンスター軍は、王都防衛戦でハルと彩葉が死天使アズラエルと両軍の指揮官を討ち取ると、積み重ねていた局地戦の勝利が功を奏し、形勢が逆転して一気に優勢に立った。
フェルダート地方の戦争は、地球の中世時代の戦争のように、総大将の戦死で勝敗が決する風習がある。遊撃旅団に従属していたエスタリアは、ハルが呪法で破壊したブリッツに搭乗していた第一公子のニコラス公子が戦死したことで、王都攻略に失敗した十二月二日のうちにレンスターに降伏している。
エスタリアを屈服させて勢いをつけたレンスター軍は、フェルダート同盟に参じたマンスターやグラジアの騎士団と結託し、ヴァイマル帝国の占領下に置かれた都市国家や集落を次々と解放していった。そして、敗走する遊撃旅団をキルシュティ半島の前哨基地へと追い詰め、これを撃破して勝利に至った次第だ。
戦争は、大切なものをたくさん失うばかりで、個人が得られるものなど無いに等しい。それは、頭で理解していたつもりだった。しかし、平和な日本で生まれ育ったボクは、身近な人が戦闘で命を落とすまで、どこか他人事のように感じていた。
死んでしまったリーゼルさんのことを思うと胸が締め付けられる。リーゼルさんだけではない。地球へ帰るためにボクたちに合流しようとしたサラさんは、ボクたちと同じ時代に地球からアルザルへ拉致された被害者だ。さぞかし無念だっただろう……。
戦争の犠牲者は、死者に限られるものではない。生活に支障をきたす深手を負った兵士や、大切な家族や恋人を失い、心に深い傷を負った人は大勢いる。
半月振りに昏睡状態から目覚めたキアラも、そんな犠牲者のうちの一人だ。キアラは、あの日からヴィマーナの治療室に留まり、高度な文明機材を用いたアナーヒターの治療を受け続けている。その容態は、ルーアッハが宿っていた右目を失い、また、『裁きの弾丸』による右脚の銃創が思いのほか
炎天使ラハティの支配からキアラを護るためとはいえ、彼女の右脚を『裁きの弾丸』で撃ったのは、このボクだ。ボクは、目覚めたキアラから礼を述べられたけど、罪悪感に
とはいっても、ボクにできることは、たかが知れている。今日もまた、敵から
◆
ガタンッ、カラカラカラ……。
ボクがぼんやりと物思いに
ドアの前に立っているのは、アナーヒターに頼まれた薬用のオーブを買いに行ってくれていたアスリンだった。
アスリンは、少し息を切らしている。この雨の中を急いで戻って来てくれたのだろう。アスリンの奇麗なブロンドの前髪が、雨に濡れて外套に張り付いている。それが妙に艶めかしい。
「ユッキー、遅れてごめんなさい。頼まれたものは、何とか手に入ったのだけど、街がレンスターの勝利を祝う人で溢れていたせいで、思っていたよりも時間が掛かってしまったわ」
「アスリンが謝らないでくれよ。それよりも、知り合いを伝って、希少なオーブを買ってきてくれてありがとう。本当に助かったよ」
薬用のオーブは、戦争で物資が激減しているため、特に希少な品になっていた。
「どういたしまして。それより、キアラの様子は、……どう?」
ボクは、アスリンからオーブを受け取りながら礼を述べた。すると、アスリンは、外套の雨水を手で払いながら、ボクにキアラの様子を心配そうに尋ねてきた。
キアラは、目で見える怪我以上に、心に負った傷が大きいと思う。この一連の戦争で、育ての親である養父と実の姉のように慕っていたリーゼルさんを失っている。心身共にボロボロのはずのキアラは、涙ひとつ流すことなく、いつもと変わらない様子を見せていた。それが逆に痛々しく、キアラの笑顔を見る度にボクの心が痛んだ。
「キアラは、アナーヒターのおかげで、順調に良くなっているよ。ただ、精神面の方が少し心配かな……」
「そうよね……。色々とあったものね……。私もキアラの元へ行ってあげたいのだけど、なかなか時間が取れなくてごめんなさい。ユッキー、私たちの分も、キアラをしっかりと支えてあげてね」
ボクがアナーヒターの助手を勤めているように、特殊魔導隊のみんなもそれぞれの仕事を請け負っていた。王都防衛戦後に前線を退いた彩葉とハルは、公王陛下の護衛が強化されたため、なかなか西風亭に戻れないらしい。レンスター家の従士を務めるアスリンも、王城の仕事の合間に西風亭を手伝うというハードな毎日に追われている。
「もちろんだよ、アスリン。もうじきキアラは、レンスターに戻れると思う。だから、ボクがみんなの分もまとめて、キアラとアナーヒターを支えるつもりさ」
ボクは、アスリンに答えながら、シガンシナ曹長から頂戴したライダー兵用のオーバーコートに袖を通した。このオーバーコートは、見た目もカッコよく、防寒用や雨具にもなる優れ物だ。
R25で急げば、レンスターからヴィマーナまで三十分強で到着できる距離だ。もう少し、アスリンと話をしたいところだけど、早くヴィマーナへ戻らないと辺りが暗くなってしまう。野党化した敗走兵に襲われたり、夜行性の大型リザードに出くわすわけにいかない。
「ユッキー、今日の雨は降りが強いから、転ばないように道中気をつけてね」
「心配してくれてありがとう、アスリン。ナターシャさんたちは、西風亭のお客相手が忙しそうだし、このまま出発するよ。後でナターシャさんとミハエルさんに料理のお礼を伝えて貰っていいかな? それと、ハルと彩葉にもよろしく伝えて欲しい」
ボクを心配してくれるアスリンの言葉が本当に嬉しい。ボクは、アスリンに返事をしながら、彼女が買ってきてくれたオーブをオーバーコートのポケットに入れ、食料と日用品が入れられた大きな麻製のリュックを背負った。
「わかったわ。ちゃんと伝えておくね。それじゃ、ユッキー」
「あぁ」
ボクとアスリンは、互いにグータッチを交わす。一瞬、拳を通して伝わったアスリンの温もりで、胸がドキドキしてしまう。
それからボクは、アスリンに別れを告げ、西風亭の裏路地に停車したR25に乗ってヴィマーナを目指した。
◆
「残さず食べられたみたいだね。体調はどうかな?」
ボクは、キアラが夕食に使用した器を、トレーに乗せながら体調を伺った。キアラは、ボクが運んだ西風亭のパンと特製シチューを残さず食べられたようだ。食事の量も徐々に増えており、キアラの体調は確実に良化しているように思える。
「おかげ様で、だいぶ良くなっています。まだ、完璧とは言えませんけど……」
キアラは、ベッドの上で半身を起こしたままボクに答えた。
本来、ヴィマーナ内における身の回りの世話は、オートマタのうちリグと呼ばれる従者ロボットの仕事だ。けれども、キアラの精神面を会話でフォローするために、ボクの担当にさせてもらっている。
「焦ることないさ。年が明ければ、レンスターに戻れるって、さっきアナーヒターが言ってたよ」
「良かった。また皆さんに会える日が楽しみです」
笑顔でボクに返事をしたキアラの右目は、まだ包帯で覆われたままだ。彼女の奇麗な青い右目は、覚醒した炎天使ラハティのルーアッハを取り出す際に、ルーアッハと共に失われてしまった。今は、機械仕掛けの義眼が入っているらしい。体に馴染むまで時間を要するらしいけど、高機能な能力を備えた視覚を取り戻せるのだとか。
ボクは、キアラの笑顔から思わず目を逸らして天井を見つめた。
居室の天井部にある採光用の窓の外に、相変わらずヴィマーナの上甲板に留まり続けている氷雪竜アスディーグが見えた。何万年も生き続ける太古の竜は、その白い巨体を雨に晒しながら、ジッと虚空を見つめている。
レンスターを帝国の空襲から護ったアスディーグは、報酬として長年求め続けていた『豊穣の実』をアナーヒターから受け取ったはず。しかし、契約を果たした後も、以前と変わることなく、アナーヒターのヴィマーナに居座り続けているのだとか。アスディーグの新たな目的は、まだわかっていない。
「どうされました、幸村さん?」
ボクの視線が気になったのか、キアラが怪訝そうな表情でボクに尋ねた。
「べ、別に何ってわけじゃないんだけど……。天窓越しに見える氷雪竜アスディーグは、何を考えて空を見つめているのだろうって……」
「幸村さん、今日は随分と哲学的なんですね……。もしかしたら、アスディーグは、密かに生誕祭を祝っているのかもしれません」
キアラは、口元を緩ませながらボクにそう言ってきた。
「いやいや、そんなわけないっしょ……」
「もちろん、冗談です……。ただ、今日が生誕祭の前日だったことを思い出しまして。そんな日に、戦争が終わる知らせが届いたことは、運命なのかもしれませんね。彩葉さんたちや西風亭の皆さんに、お変わりありませんか?」
キアラが言った通り、今日はクリスマスイブだ。今更ながら、レンスターへ寄った時に、何か気の利いたプレゼントになるものを買えばよかったと後悔している。ボクは、クリスマスに無縁過ぎたせいで、プレゼントのことをすっかり忘れていた。
「みんな相変わらず元気だよ。彩葉とハルは、王家の護衛であまり西風亭に戻ってないけど、あの二人なら心配いらないさ。アスリンも王城内の執務が忙しいらしくて、キアラを見舞えないことを謝っていたよ。それに、これは個人的なことなのだけど……。イブだというのに、何もプレゼント用意できずにゴメン……」
「ち、ちょっと、幸村さん! そんな意味で言ったのではありません! そもそも、レンスターは、戦後の混乱で物資が出回っていないというじゃありませんか……。それに、謝らなければいけないのは、この大事な時に何も役に立てない私の方です……。幸村さんだけじゃなく、本当に皆さんに、迷惑を掛けてばかりで……」
キアラは、申し訳なさそうに俯いて謝罪した。羽毛布団の裾を握りしめたキアラの手が、小刻みに震えている。悔しさ、怒り、そして悲しみ。キアラの気持ちを思うと胸が痛い。
「迷惑だなんて言わないでくれよ。早く元気になって、いつものキミに戻ってくれればそれでいいから……。あ、そうだ! キアラ、メリークリスマスってドイツ語で何て言うんだい?」
ボクは、キアラの表情が曇ってしまったので、思い切って話題をクリスマスに変えることにした。
“
「フローエ・ヴァイナフテン……。やっぱり、ドイツ語ってカッコいいな」
「そ、そうでしょうか……? 因みに、ドイツでは、生誕祭を当日よりも、前日の夜に家族と共に祝う傾向があるんです。きっと、せっかちな国民性が表に出ているのだと思います……」
「へぇ、意外だな……。実は、日本もクリスマスの当日よりも、イブの方が……」
ボクは、キアラの様子が変わったことに気がついて言葉を止めた。肩を震わせるキアラは、左目に大粒の涙を浮かべていた。
「ご、ごめんなさい、幸村さん……。泣くつもりなど、なかったのですが……」
キアラは、左腕のガウンの裾で、涙を拭いながらボクに謝罪してきた。露骨に謝られると、ボクまで辛い気持ちになる。きっと、家族で祝った過去のクリスマスを思い出したのだろう。
「キアラ、我慢することないよ。辛い時は、思い切り泣くといい。キミは、涙ひとつ見せずに、ずっと我慢していた。それがわかっていたから、ボクは心配していたんだ。いつか、溜め込んだものが爆発して、キミが壊れてしまうんじゃないかって……。ボクには、話を聞いてあげることくらいしかできないけど、それでもキミの支えになるつもりだから」
ボクがキアラにそう言うと、キアラは俯いていた顔を上げてボクを見つめた。そして、黙ったままベッドから立ち上がり、ボクの胸に顔を埋め、声を上げて泣き始めた。
ボクは、突然の展開に動揺していた。ボクの心臓が、異常な早さで脈を打ち始める。
こういう時は、キアラの肩に手を回して宥めた方がいいのだろうか……。
彩葉とハルの熱い話を聞くのが嫌だったけど、もう少しハルと色恋沙汰の話をしておけば良かったと後悔している。
ボクは、生唾を飲み込みながら、思い切ってキアラの肩に腕を回した。キアラは、抵抗したり戸惑う仕草を見せなかった。キアラの体は、ボクが思ってた以上に華奢で、そして温かい。ボクは、キアラの背に腕を回してみたものの、この先どうすればよいのかわからず、とりあえず子供をあやすように、キアラの背中を撫でることにした。
しばらく、そのまま沈黙が続く。思い返してみても、母親以外の女性と長い時間触れ合ったのは、これが初めてになる。何とも言えない緊張感と裏腹に、頼られている感じがして悪い気はしない。男冥利に尽きるとは、こういうことを言うのだと思う。
やがて、落ち着きを取り戻して泣き止んだキアラが、ボクから離れて沈黙を破った。
「幸村さん……。ありがとうございました。おかげで、少しスッキリしました……」
「役に立てて嬉しいよ、キアラ」
キアラは、ベッドに腰を下ろし、再び左目の涙を拭った。キアラの右目の包帯は、涙で滲みている様子はなかった。キアラの右目は、涙腺ごと切除されているのかもしれない。
「私は、産みの親と育ての親という、大切な家族を二度も失いました……。きっと、呪われているのでしょうね……。二度あることは、三度あるといいますし……」
キアラは、ボクを見つめ、自嘲的な笑みを浮かべて呟いた。
「呪いなんて、迷信さ。ボクは、三度目の正直という言葉の方を信じるね。ほら、ボクたちは、既にこうして家族みたいなもんだろう? だから、三度目なんてないさ! そこは、キアラも信じて欲しい」
キアラを慰めるつもりで言ったけど、自分で言っておきながら、的を射ない発言だったことに気が付いた。キアラも不思議そうな面持ちでボクを見つめている。なんだか無性に恥ずかしい……。
「あー、家族ってのは、変な意味じゃなくて……。ほら、ボクたち特殊魔導隊は、運命共同体だろう? 言ってみれば家族みたいなもんじゃないかな……。と、いう意味だったんだけど……」
キアラは、口元を押さえてクスクスと笑い始めた。
「わかってます。ありがとうございました、幸村さん」
笑いを堪えながら、ボクに礼を言うキアラ。
締めるべきところが締まらず、グズグズだ。
けれども、今はそれでいいのかもしれない。キアラが笑ってくれたのだから。
◆
それから、約一ヵ月が経過し、年が明けた帝竜暦六八四年一月三十日。
フェルダート同盟とエスタリアの終戦条約が締結し、捕虜となっていたヴァイマル帝国遊撃旅団の戦犯将校が処され、東フェルダート地方の動乱が幕を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます