第126話 七柱の属性を束ねる者

 ヴァイマル帝国武装親衛隊第七軍は、キアラの体に憑依した炎天使ラハティの業火の呪法で一掃された。第七軍は、ラハティの強力な炎の呪法で、二輌の戦車と約半数の歩兵を失い、現在レンスター川を越えて対岸の旧アルスター領まで撤退している。


 炎天使ラハティの行動は、土天使タミエルたちの手駒の帝国軍を排除するための自衛行為であり、決してレンスター側に付いて加勢したわけではない。覚醒した属性八柱の聖霊たちは、長い眠りから覚醒すると互いのルーアッハを奪い合う習性があることが原因だった。


 彼らが互いに争う理由は、自己以外のルーアッハを集めることで、一枠しかないアストラ・ヒアの座に就くためだ。彗星ニビルがもたらす厄災を防いだアストラ・ヒアは、その見返りとして属性八柱の呪縛から解放されるのだとか。


 豊穣の天使と謳われる、アナーヒターのように。


 いずれにしても第七軍が後退してくれたおかげで、私とユッキーは、ノイマン中尉から借り受けたブリッツに乗り、アナーヒターと共に彩葉たちのもとへ駆けつけることができた。私たちの目的は、私の精霊術とアナーヒターの呪法で、戦闘で傷ついたキアラたちを治療するためだ。





「アスリン、アタシは、サラから手が離せそうにない。キアラの右脚の怪我は、アンタの精霊術で何とかなるね?」


「えぇ、目に見えている外傷なら癒せるわ。私の『癒しの風』は、あなたの呪法と違って、失った血液や生命力まで癒せないけれど……。それでもいいのかしら?」


 私が正直にアナーヒターに答えると、彼女は満足そうに頷いた。ブリッツの荷台に寝かされたキアラの顔色は、失血の影響から血の気がなく、唇の色も紫色に変わっている。


「今は、それ以上の出血が抑えられれば十分さ」


「わかったわ」


 私は、アナーヒターの指示に頷き、キアラの傷口を塞ぐために、精神を集中させて風の精霊と『癒しの風』の契約を交わした。私の契約に応じた風の精霊が、キアラの右脚の傷口に螺旋を描きながら舞い降り、彼女の患部を優しい緑色の光で包み込んだ。


 よし、これでしばらく時間を置けば大丈夫。


「いい感じじゃないか、アスリン。その様子なら、ヴィマーナに戻って本格的な処置をするまで、キアラが重篤化することはないはずさ。もっとも、ここでキアラに完治されちまうと、折角ルーアッハに封じたラハティの聖霊まで元気になっちまうからねぇ」


 アナーヒターは、昏睡状態のサラに治癒の呪法を施しながら、私を見つめてそう言った。


 サラの状態は、極めて深刻だということが誰の目にも明らかだ。彼女の左半身は、大部分が酷い熱傷でただれており、また、左手の手首から先と左足の膝から下を失っていた。これは、私の『癒しの風』で賄える次元ではない。治療の呪法を専門とするアナーヒターに任せるしかない。


「それって、キアラを支配していたラハティが、ちゃんと封じられていないということなの?!」


 彩葉は、顔を上げて、アナーヒターをジッと見つめて問い質した。彩葉のその目は、彼女の瞳の色と同じくらい赤く充血していた。


「まぁ、完全に封じたわけじゃないからねぇ。だけど、安心しな、彩葉。ラハティが完全に目覚める前に、キアラの体からルーアッハを取り出しちまえば、この子はラハティの束縛から解放されるよ」


「良かった……。それを聞いて少し安心したよ……。ごめんよ、キアラ……。ボクのせいで、辛いだろう……」


 意識がないキアラの手を取り、ユッキーが申し訳なさそうに謝った。ユッキーが責任を感じているのは、アナーヒターが錬金術で加工した『裁きの弾丸』で、キアラの右脚を狙撃したのが彼だから。


「ユッキーは、よくやったと思うわよ。もし、ユッキーが撃っていなければ、私がキアラを撃っていた。もし、私がキアラを狙撃していれば、キアラを殺めてしまったかもしれない……。大怪我をしてしまったけど、こうしてキアラが生きているのは、ユッキーの射撃技術が高かったからよ? だから、ユッキー。一人で抱え込まないでね?」


 私は、一人で背負い込もうとしているユッキーを励ました。


「ありがとう、アスリン。キミがそう言ってくれると、少し気が晴れるよ……」


 私に作り笑いをして答えるユッキーの声のトーンは、いつもの彼の調子と比べ物にならないほど弱々しかった。


 ユッキーの心の傷が心配だ。早く立ち直ってくれればいいのだけど……。


「そう、自分を責めるなよ、幸村。俺もアスリンの言う通りだと思う。ヴィマーナに戻ってから、アナーヒターが、キアラの処置をしてくれれば、きっといつもの元気なキアラに戻るさ」


「そうだといいけど……。リーゼルさんのことだってあるし……」


 ユッキーは、ハルにそう答えると、再び俯いて黙り込んでしまった。


「ねぇ、アナーヒター。あなたの呪法で、リーゼルさんを蘇生できないの?」


 彩葉が禁呪とされる死霊術の領域について、アナーヒターに質問した。


「肉体の損傷状況にもよるけど、幽世かくりよへ旅立つ前のアニマなら、それも可能だよ。ただし、人間の魂は、肉体の死から僅か数分で幽世へ旅立っちまう。もし、魂が幽世へ旅立った後になれば、アタシの癒しの呪法の範疇はんちゅうではなく、禁呪とされている死霊術になっちまう。死霊術のことは、後でゆっくり説明するとして……。アタシの呪法にとって重要なことは、魂が幽世へ旅立つ前か後かということさ。黒鋼竜ヴリトラの血をすすったことで、幽世へ向かわずに済んだアンタなら、この意味が少しくらいわかるね?」


 彩葉は、黙ったままアナーヒターに頷き、そのまま床を見つめて黙り込んでしまった。ハルとユッキーも、リーゼルを想ってか、彩葉に釣られて俯いている。かくいう私自身も、目を閉じると瞼の裏にリーゼルとの思い出が次々と蘇ってくる。


 不幸が重なり心を閉ざしていたリーゼルは、キアラと運命的な出会いを果たし、私たちと共に生活する過程で、徐々に人間らしさを取り戻しつつあった。リーゼルのルーアッハを取り除き、呪われた属性八柱の運命から解放されれば、これから沢山の幸せが彼女を待っていたはずだったのに……。


 リーゼルの無念を思うと胸が締め付けられ、私の目の奥が熱くなってくる。


 ドラゴニュートの死は、竜族の滅びと同じ。身に着けていたもの以外、大気に溶け込むように跡形もなく消えてしまう。まるで、生きていたことまで否定されているかのように……。


「アンタたち、いつまでも辛気臭い顔してるんじゃないよ……。リーゼルを失って辛いのは、アンタらだけじゃない。あの子を守れなかった、アタシだって同じ気持ちさ。だけど、これは、シェミーが導いた結果だからねぇ……。いくらアタシらがここで嘆いても、あの子はもう帰ってこない。あのヤマネコは、秘密主義で口数が少ない。アンタらが、そんなシェミーをよく思っていないことはわかる。それでも、これがアンタらの犠牲を最も抑えるやり方だったはずさ……。だから、あまりシェミーを悪く言わないでやっておくれ」


 アナーヒターは、黙り込んでしまった私たちを見つめてシェムハザを庇護した。


「そうは言いますけど……。正直、シェムハザを信用するのが怖いです。これからどうしたらいいのか、わからなくなりました……」


 ハルは、ブリッツの床を見つめたままアナーヒターに答えた。


「はぁ……。そいつは困ったねぇ……。アンタらの戦は、まだ終わってないんだろう? しっかりと気を保ちな。そうでなけりゃ、守れるものも守れなくなるよ?」


 溜め息混じりに三人を叱咤するアナーヒターは、少々困惑している様子だ。そんなアナーヒターの背後のブリッツの幌の隙間に、コノートヤマネコの姿が垣間見えた。どうやら、前線に何かを探しに向かっていたシェムハザが戻って来たらしい。


 ただ、なかなかいつものようにブリッツの荷台に飛び乗ってくる様子がない。シェムハザなりに、重苦しい空気を感じ取っているのだと思う。向こうから来られないなら、こちらから呼ぶまで。私は、シェムハザに声を掛けることにした。


「さて、シェムハザ。そこにいるわね? この先、私たちが取るべき行動を教えて欲しいのだけど?」


 私がブリッツの幌の外側にいるシェムハザに声を掛けると、皆が一斉に後部の出入口を見つめた。


「気がついておったか。そうだのぅ……。汝らは、まだ敵の半分を撃退しただけに過ぎぬ。彩葉とハロルドは、急ぎワシと共にレンスターへ戻ることを優先させた方が良いようだのぅ」


 私の呼び掛けに応じたシェムハザは、彩葉とハルの行動を指示しながら、後部の幌の切れ目からブリッツに飛び乗ってきた。シェムハザの口元に、何かが包まれた麻袋が咥えられている。


「それから、ユッキーとアスリンは、このままアナーヒターを連れてヴィマーナへ向かい、キアラと水天使アープの聖霊のを治療するがよい」


 シェムハザは、口に咥えた麻袋をアナーヒターに渡すと、私とユッキーが取るべき行動を伝えてきた。


「天使シェムハザ! 指示を出す前に、もうこれ以上、ボクたちの中から犠牲が出ないことを約束してください! ボクは、それが不安で……」


「俺からも頼むよ、シェムハザ。俺たちは、あんたを信頼していないわけじゃない。頭で理解しているつもりだけど、安心感が欲しいんだ。だから、どうか教えて欲しい。それくらいの未来の結末なら、俺たちに伝えてくれてもいいだろう?」


 シェムハザは、ユッキーの発言を後押ししたハルを見つめ、長い二本の髭をビクビクと揺らした。恐らく、星読みの呪法を使い、どのように答えるべきか、未来の分岐を見つめているのだと思う。


「そうだのぅ……。ワシは、汝らの犠牲が最小限で済むよう、およそ五千通りの選択肢の結果を見て、現在の状況となるよう導いておる。ワシがこれまでに見た、汝らの選択肢の結末は、汝ら全員が生還できる結末が存在しなくてのぅ。むしろ、その殆どが、汝らの全滅というものでの……。」


 シェムハザは、『全滅』という言葉を強調して、少し重い口調でそのまま言葉を続けた。


「ワシは、アナーヒターと同じく、汝ら全員を救いたいと考えておる。しかし、ワシには、それよりも優先せねばならぬことがあってのぅ。それは、汝らも存じておる通り、厄災を阻止するために、アストラ・ヒアを選び、異界の門カタストロフを撃破することでのぅ」


「それは、わかってるっス。ボクたちが知りたいのは、これ以上の犠牲が出るか出ないかです、シェムハザ」


 ユッキーは、キアラの手をそっとブリッツの床に置くと、その場で立ち上がってシェムハザに質問した。


「結論から言ってしまえば、汝ら特殊魔導隊からの犠牲はないのぅ。しかし、残念ながら、水天使アープの聖霊のである、その娘の命は助からぬ……」


 シェムハザは、つい先ほどヴィマーナに戻ってキアラとサラを手当するよう、私とユッキーに指示してきたばかりだ。だから私は、サラも助かるものだと思っていた。アナーヒターが懸命にサラに呪法を施し続けているというのに、彼女が助からないだなんて……。


「そ、それじゃ、アナーヒターがこれまでサラに使い続けた呪法が無意味だったり、ヴィマーナに戻ってサラの治療をしろと言ったことが嘘だというの?!」


 矛盾を感じた私は、シェムハザに問い質した。


「無駄や嘘ではないのぅ。少しでも長くの生命を維持することで、ルーアッハの聖霊の消失を避けられるからのぅ。汝が、ヴィマーナですべきことは、アナーヒターを補助し、キアラとその娘の眼窩からルーアッハを取り除くことだの」


「ルーアッハの回収、そういうことだったのかい……。シェミー、アンタがアタシに渡したこの麻袋の中身は、今しがたアンタが荒野から回収してきたアグニ、タミエル、そしてアザゼルのルーアッハだね?」


 アナーヒターは、左手に持った麻袋を逆さにし、袋の中身をブリッツの荷台にばら撒いた。カラカラと音を立てて転がるルーアッハは、ドワーフ族の親指くらいの太さの円柱状の宝石だった。


「これが、ルーアッハなの……?」


「いかにも。ドラゴニュートの体は、命が尽きると光の粒子となる性質があるからのぅ。そのおかげで、三柱の聖霊が封じられたルーアッハを、容易に回収できたというわけだの」


 ルーアッハを見つめて呟く彩葉に、シェムハザが得意気に答えた。


「ルーアッハを物理的に眼窩から取り出さなくていいからっスか?」


「その通りだのぅ。これに、炎天使ラハティと水天使アープのルーアッハが加われば、残りのルーアッハは、氷天使クロセルと闇天使バラクエルだけになるからのぅ。そうなると、ハロルド。五年後の厄災で七柱の属性を束ねる者として、アストラ・ヒアになるのは、汝しかおらぬ」


「やっぱり、そうなるのか……」


「消去法で行くと、そうなっちまうのさ……。この場にいない、クロセルとバラクエルも、アンタらが討ったドラッヘリッターとやらの一員なわけだ。つまり奴らは、大天使ラファエルや監視者ラグエルと共にいる限り、テルースを厄災で荒廃させ、ヤハウェを討って世界の秩序を変えようとしている。そんな連中にアストラ・ヒアになられたら困るってわけさ」


「アナーヒターの言った通りだの。サウバブラに乗って長距離偵察に出ているミトラからの報告によれば、北伐を開始したヴァイマル帝国の主力部隊は、西フェルダートのアリゼオを落とし、既にアストラを手中に収めておる。から取り出したルーアッハの聖霊は、大凡おおよそ半年程度しか持たぬ。故に汝らは、この戦を終結させ、急ぎアリゼオへ向かわねばならぬのぅ」


 ハルたちは、東フェルダート戦線を平定したとしても、また新たな戦に巻き込まれてしまうのだと思う。


「ちょっと待ってください、シェムハザさん! 勝手に話が進んでませんか?! もしも、ハルがアストラ・ヒアを断ったらどうなるんスか?!」


「そ、そうよ。まだハルは、承諾してないわよ?」


 話を進める天使たちに、ユッキーと彩葉が食い下がった。


「ハロルドがそれを拒めば、厄災による壊滅的な打撃は避けられぬ。テルースは死の星と化し、アルザルの大多数の生命が失われることになってしまうのぅ」


「俺に選択肢なんて、ないってことか……。いいさ、やってやる」


「ハル?! ハルがハルでなくなってしまうかもしれないのよ?」


「わかってるよ、彩葉。でも、このまま地球が滅びてしまうだなんて、俺には耐えられない。それに、アナーヒターを見る限り、完全にルーアッハの聖霊が支配されているわけでもなさそうだしさ。少なくとも、俺の中にいるラミエルは、俺たちにとって敵じゃないと思う。ラミエルが俺にアドバイスをくれた時、そのは女性的で温かみがあったんだ」


「でも……」


 ハルは、まだ否定的な彩葉の肩に手を置いて、大丈夫だと言わんばかりに笑顔で頷いてみせた。


「汝ら、今はそのことについて語り合っている時間ではないのぅ。もう間もなく、レンスターが攻撃を受けるはずでのぅ。ユッキーよ、汝がこの車両を運転し、急ぎレンスターに向けて発って欲しいのだがのぅ」


「わ、わかりました……。みんな、とりあえず、急いでレンスターへ戻ろう」


「あ、あぁ。頼むよ、幸村」


「私からもお願いするね。今は、目の前の敵からレンスターを守らなくちゃ」


「もちろん、私も賛成よ。ユッキー、お願いします」


 私たちは、ユッキーに揃って返事をした。


「了解! 急ごう、レンスターへ!」


 ユッキーは、自分に言い聞かせるように大きな声を出して、運転席へと向かい座椅子に腰を下ろした。


 私たちが乗ったブリッツは、それからすぐにレンスター経由でヴィマーナを目指して走り始めた。


 ハルが、七柱の属性を束ねる者とされるアストラ・ヒアになる。


 果たして、その選択肢は、みんなが笑って過ごせる未来に繋がるのだろうか……。


 私は、シェムハザの『星読みの旅』で、今から何十年も先の未来を見たことがある。


 私が見たその未来は……。


 その未来の世界に、リーゼルとハルの姿がなかった。もしかしたら、ハルもリーゼルのように、いなくなってしまうのではと不安に襲われる……。


 けれども、あの時に見た未来の私たちは、屋外でセレン茶を飲みながら、とても幸せそうな笑顔で団欒しているように思えた。


 この嫌な予感は、私の思い過ごしなのだと思う。だからきっと、大丈夫。


 ガタガタと揺れるブリッツの中で、私は自分にそう言い聞かせた。

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