第121話 ドラムダーグ線(上)
ここは、レンスター川に架かるドラムダーグ橋から、約六百メートル南東にある小さな宿場町。
この宿場町は、レンスター川の対岸に布陣する、遊撃旅団
そのため、レンスター軍は、この名もなき宿場町に塹壕を掘ることで要塞化し、第七軍の侵攻を迎え撃つ防衛線を築き上げた。現在、レンスター軍の主力部隊は、王都に僅かな防衛戦力を残して、ドラムダーグ線と名付けられた前線基地に主力部隊を集結させている。
この集落で暮らしていた二十世帯余りの住民は、レンスター公王の勅令を受け、昨日のうちにカルテノス湾に面した海岸に避難を済ませている。住民たちは、急な立ち退きに混乱を見せず、むしろ私たちに国と公王を守るよう懇願しながら避難場所へ向かって行った。この国民の忠義心は、この国で善政が敷かれ、国が豊かであることの現れだ。
レンスター川の対岸に布陣する第七軍の情報は、敵陣地に潜入したリーゼルから定期的に届けられている。地中を自在に移動できるリーゼルの竜の力は、諜報活動という意外な一面で活躍していた。リーゼルが報告した第七軍の戦力は、兵装が豊かな約四百名の歩兵大隊と三輌のⅣ号戦車で構成されている。
一方で、レンスター軍の戦力は、四小隊と五小隊のⅢ号戦車が二輌と、
レンスター軍は、局地戦の連勝で士気が高く、現時点で戦車や兵員の数が第七軍に勝っている。しかし、勝利した局地戦は、いずれも奇襲作戦であり、私を含めて正攻法による実戦を経験したことがない。その上、第七軍が所持する兵装は、レンスター軍よりも新式で性能が高く、一兵士あたりの武装供給が私たちよりも充実している。
いずれにしても、これから始まる戦いは、東フェルダート戦線の命運を懸けた戦いになるだろう。間違いなく、戦力比以上の苦戦を強いられると思う。
数時間後の私は、どうしているだろう。
父の仇を討ち、仲間たちと共に勝利の喜びを噛みしめているだろうか……。
◆
現在の時刻は、|○八四○《まるはちよんまる》。
未明まで星が輝いていた空は、いつの間にか厚い雲に覆われている。
レンスター川右岸に布陣する第七軍は、リーゼルからの報告によると、今から五十分後の|○九三○《まるきゅうさんまる》に、レンスター領へ侵攻を開始する。彼らの最終的な目標は、レンスター総攻撃が開始される|一二○○《ひとふたまるまる》に、レンスターの東側に展開する第九軍と挟撃する形で、王都レンスターを占領することだ。
「シュトラウス少尉。レンスター侵攻が近いせいか、敵兵が続々と集結しつつあります。敵の狙撃兵が、どこから我々を狙っているかわかりません。そろそろ引きましょう」
停車したモトラッドR75の運転席に跨るライ上等兵が、後部シートで双眼鏡を使って敵陣を視認する私に進言してきた。
「そうですね。この場に居続けるのは、得策ではありませんね。リーゼルから伝えられた侵攻予定時刻まで、まだ時間がありますが……。彼らの動きからして、進軍開始時刻が早まっているのかもしれませんね……」
私は、双眼鏡を覗きながらライ上等兵に答えた。
レンスター川の右岸では、ドラムダーグ橋近くの広場に、三輌のⅣ号戦車と歩兵部隊が集結しつつあった。ドラムダーグ橋のすぐ近くに、大きな荷物を背負った工兵の姿が視認できた。
もし、ここに迫撃砲が設置されていれば、彼らを十分標的にできる有効射程距離だ。彼らが危険を冒してまで、予定時刻より五十分も早く橋の袂に集結する理由は、おそらく作戦開始時刻が前倒しになったからだろう。
「自分も少尉と同じ意見です。橋の直近に集まっている敵兵は、兵装からして工兵でしょう。工兵を前線に配備する戦術は、橋頭保の確保に他なりません。万が一、ドラムダーグ橋を渡った敵が、橋頭保を築くようなことがあれば……。アイシュバッハ軍曹たちとの合流が、大幅に遅れてしまいます。我々戦車部隊は、戦車砲を榴弾に換装して、工兵の活動を抑止することを優先するようノイマン中尉に進言しましょう」
私は、双眼鏡を下ろしてライ上等兵に頷いた。ライ上等兵が言った通り、敵が橋頭保を築けば、彼らの防御面が充実するため、わざわざドラッヘリッターのエーベルヴァイン魔導大尉が前線に出向く理由がなくなってしまう。
そうなれば、既に敵陣でエーベルヴァイン魔導大尉とアーレント魔導少尉の両名と接触し、彼らと共に行動しているリーゼルが危険だ。エーベルヴァイン魔導大尉たちの計画では、第七軍の侵攻時に、赤十字の記章が刻印された装甲車に乗って前線に赴き、戦闘の混乱の中をドラムダーグ線を目指して駆け抜け、私たちと合流するつもりらしい。
ただ、第七軍に従軍するドラッヘリッターは、エーベルヴァイン魔導大尉とアーレント魔導少尉だけではないため、慎重に行動しなければならない。リーゼルの話によれば、彼女の元同僚のマイラ先輩たちが第八軍から編入されたのだとか。その上、背後にドラッヘリッターを率いるリヒトホーフェンSS少将と死天使アズラエルの存在もある。
「承知しました、ライ上等兵! 偵察を切り上げ、状況をノイマン中尉に報告しましょう」
「了解です、シュトラウス少尉。少し飛ばして戻りますから、しっかり自分に掴まっていてください! 地雷原があるので街道が通れません。少し揺れますよ」
「はい!」
私が返事をすると、ライ上等兵は、スロットルを回してエンジンを吹かし、地面を蹴ってモトラッドを発進させた。
私は、悪路を走行するモトラッドから振り落とされないように、しっかりとライ上等兵の腹部に両腕を回した。ライ上等兵の背中越しに、単気筒のエンジンの軽快なモトラッドのエンジン音が伝わって来る。
そして、モトラッドがドラムダーグ線に戻り、積み上げられた土嚢のバリケードを通過した時、自陣内が何やら騒がしいことに気が付いた。兵士たちは、空を見上げて走りまわっている。
何が起きているのだろう……。
「何だか様子がおかしいですね……」
ライ上等兵も異変に気がついたらしく、彼は独り言を呟きながら、私たち五小隊のⅢ号戦車、通称クランプスの前でモトラッドを停車させた。モトラッドのエンジンが停止すると、周囲の音が聞こえてくる。周囲の音が聞こえたことで、すぐに自陣内の異変の正体がわかった。
空一帯に鳴り響く重低音。これは、航空機のエンジン音だ!
そう思うや否や、航空機のエンジン音に紛れ、耳を突き破るような大きなサイレンの音が加わってきた。
「敵襲です! スツーカが急降下してきます! 少尉、早くクランプスの陰へ!」
ライ上等兵が、私に叫ぶように避難を促した。
私は、ライ上等兵に頷き、すぐにモトラッドから飛び降りた。
着地と同時に空を見上げると、雲の陰から二機の航空機が急降下してくるのがはっきりと見えた。尾翼に掲げられたハーケンクロイツ。キルシュティ基地の航空隊で間違いない。この機体は、Ju87。愛称はスツーカ。ドイツ空軍が誇るユンカース社製の急降下爆撃機だ。
私は、転がり込むように、クランプスの無限軌道と地面の隙間に身を伏せた。
体の芯まで響く、恐怖を煽るサイレンの嫌な音が空から迫って来る。
「敵機直上! 総員、爆撃の衝撃に備えよ!!」
サイレンが地上に迫る中、ノイマン中尉が、周囲の兵士たちに向かって叫ぶように危険を知らせた。
そして、二機のスツーカから切り離された爆弾が、甲高い風切り音と共に地上へ落下してくるのがわかった。
数秒置いて、二度の激しい爆発音と凄まじい衝撃が伝わって来る。
爆発で吹き飛ばされた泥状の土や小石が、クランプスの側面に当たり、地面に積もるように落下する。
クランプスの軌道部に、潜り込んでいた私も、全身に泥を浴びてしまった。土の香りに火薬の臭いが混ざっている。とても嫌な臭いだ。
私たちが予想していなかった敵の航空支援。スツーカの爆撃により、レンスター軍は、一瞬のうちに大混乱に陥った。
騎兵の軍馬たちが怯えて
周囲は、まだ黒煙が充満しており事態が把握できない。しかし、人的被害が出ていることは間違いなさそうだ。
いつまでも隠れている場合ではない。私は、急いで身を起こして立ち上がった。
「シュトラウス少尉! ご無事ですか?!」
私と同じく、全身泥まみれのライ上等兵が、すぐに私に気づいて駆け寄ってきた。
「私は大丈夫です。ライ上等兵こそ、怪我はありませんか?」
私は、自分の顔に付いた泥を袖で拭いながら、ライ上等兵の無事を確かめた。
「自分も大丈夫です。どうやら、爆撃の直撃は免れたようですが……。とりあえず、急いでクランプスに搭乗し、無線で状況を確かめましょう!」
「承知しました」
ライ上等兵は、そう言うとクランプスの車体の上に飛び乗って私に手を差しだした。私は、ライ上等兵に頷き、彼の介添えを受けて、クランプスの上部の開口部へと移動する。爆撃で立ち上った土埃が風に流されて、視界がある程度回復していた。そのため、見通しの良い戦車の上部から、爆撃の被害状況が視界に飛び込んで来る。
落とされた爆弾のうち、一発は、戦車を狙ったものだった。Ⅲ号突撃砲が一輌、炎を吹き上げて炎上している。また、もう一発の爆弾は、後方の騎兵隊の中心に落とされたらしく、大勢の騎士や兵士と彼らの軍馬が、変わり果てた姿で地面に倒れていた。
「これは、酷い……」
ライ上等兵が、思わず言葉を漏らした。私は、目の前の惨状に言葉を失い、ただ呆然と被害を見つめることしかできなかった。
私がクランプスの上部で立ち尽くしていると、砲塔上部の出入口のハッチが内部から開けられ、不安そうな表情のヘルマン一等兵が顔を出した。
「シュトラウス少尉、ライ上等兵! 無事でよかった……」
ヘルマン一等兵は、私とライ上等兵の姿を見るなり表情が明るくなった。
「はい、どうにか……。クランプスに搭乗していた皆さんは無事ですか?」
「えぇ、みんな無事です! 敵さんの爆撃は、予定になかったのに……。作戦を変えて来たんスかね……?」
「確定ではありませんが、恐らく……。ヘルマン一等兵、すぐに敵が攻撃を仕掛けて来るはずです! 今は、クランプスの機動を優先しましょう!」
「了解です!」
ヘルマン一等兵は、私に敬礼して答えた。
その時、再び上空でサイレンの音が鳴り響き始めた。この音の正体は、先ほどと同じく、上空から急降下してくるスツーカが発する急降下時のサイレンだ。
「もう一機いたのか……」
「ヘルマン、少尉を早く中へ!」
ライ上等兵は、空を見上げて動揺するヘルマン一等兵にそう言うと、側面の開口部を開けてクランプスに乗り込んだ。
「はい!」
私は、ヘルマン一等兵の手を借りて砲塔の中へ入った。そして、すぐに上部の開口部のハッチを閉めた。それと同時に、着弾した爆弾の爆発音とその衝撃がクランプスに伝わってきた。爆発の衝撃の度合いから、第二波の着弾は、ここから少し離れた場所に落とされたらしい。
ただ、安心している場合ではない。第七軍との戦闘は、予想外の展開で始まったばかりだ。私は、気持ちを落ち着かせるために大きく深呼吸し、スロートマイクを首に巻いてからフンクハオベを耳に当てた。
『くそっ! まさかの航空支援かよ?! そんな話、聞いてないぜ? エンジンは始動したけど、爆撃の衝撃で、計器がいくつかやられちまっているな……。ザーラちゃん、通信で
『はい、伍長。それが……、副騎士長のゴードン卿が搭乗するⅢ号突撃砲
『まずいことに、なってるじゃないの……』
下の階層の操縦室にいる、操縦手のクラッセン伍長と通信手のザーラ姉の会話が、フンクハオベを通して伝わってくる。
「ザーラ姉、クラッセン伍長、聞こえますか? 私とライ上等兵は、どうにか無事にクランプスに戻りました」
『よかった、キアラ! 無事だったんだね?! まったく、何がどうなっちまってるんだ?!』
私がザーラ姉に呼びかけると、彼女は一瞬喜んだ後に、動揺した様子で私に問い質してきた。
『まぁ、落ちつけって、ザーラちゃん。とりあえず、フロイライン少尉たちの無事がわかっただけ上出来だ。これで、クランプスは戦える。敵さんだって、爆撃を見守っているだけじゃないはずだ。今は、目の前のことに集中しようぜ? フロイライン少尉、俺たちに指示を出してくれ!』
クラッセン伍長が、ザーラ姉を宥めつつ、私に指示を求めてきた。
古参兵のクラッセン伍長から見れば、私など新兵同然なのに……。むしろ、今すぐにでも、クラッセン伍長に指揮を交代して貰いたいくらいだ。
「皆さん、聞いてください。先ほど偵察した際、敵は、ドラムダーグ線を突破するために、橋の袂に部隊を集結させていました。彼らは、橋頭保を築くための工兵を前線に配備させています。敵の航空支援は、想定外でしたが……。いずれにしても、今の爆撃を合図に、SS第七軍の侵攻が開始されるでしょう。クラッセン伍長は、もう一度クランプスの作動状況のチェックを。ザーラ姉は、四小隊のノイマン中尉に、敵の工兵部隊が橋頭保を築こうとしていることと、それを阻止するために、戦車砲を榴弾に変えて砲撃するよう無線で伝えてください!」
『『了解!』』
私は、スロートマイクを通して隊員たちに状況を伝えてから、クラッセン伍長とザーラ姉に指示を出した。二人は、声を揃えて快く承諾してくれた。
「ヘルマン一等兵、榴弾を装填しつつ、機銃掃射の準備を! ライ上等兵、狙いは工兵です! いつでも砲撃できる体勢を!」
『『了解!』』
続けて砲塔内のライ上等兵とヘルマン一等兵に指示を出した。二人は、私を見て頷き、声を揃えて承諾してくれた。
人員の不足と階級の都合上、私がヘニング大尉の代行を務め、五小隊の戦車長を担当することになったけれど、大尉のようにクランプスを操れるか不安だ。けれど、もう敵はすぐ目の前に迫っている。歴戦の仲間たちを信じて、やれるだけのことをやるしかない。
父が果たせなかった、本当の平和と世界の秩序を取り戻すために……。
狭くて暗い戦車の中。激しい揺れとエンジン音が、戦いの恐怖を駆り立てる。
覚悟を決めていたつもりだったのに、私の手足がガクガクと震え始めた。
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