第98話 エディス線

 レンスターとグリゴリの戦士を率いる天使シェムハザが盟約を結び、ボクたち特殊魔導隊は、天使シェムハザの支援と警護を担うことになった。


 嘘か本当か知らないけれど、シェムハザが保護しようとしている属性八柱の活躍次第で、世界を救えるかどうかに係わるのだとか。流れでこうなっているとはいえ、何の力も持たないこのボクが、特殊魔導隊なんかにいてもいいのだろうか。ボクの心の中は、正直不安しかない。


 よくあるRPGゲームで喩えるなら、彩葉が前衛を務める鉄壁の剣士。ハルとキアラが高火力を誇る魔法使い。アイシュバッハ大尉は、オールマイティな魔戦士。そして、アスリンが仲間を癒すヒーラーといったところだろう。まぁ、ボクは、ただの村人Aか、パーティの荷物持ちか……。いや、むしろ荷物そのものかもしれない……。


 天使と盟約を結んだ翌朝。シェムハザは、そんなボクの不安なんて気にも留めず、早速活動の支援を特殊魔導隊に求めてきた。それは、グリゴリの戦士の一柱ひとはしら、アナーヒターをレンスターに迎えることだった。


 グリゴリの戦士は、属性八柱とシェムハザを含め、総勢十二柱じゅうふたはしらいる。そのうちの一柱が、フェルダート地方を拠点として活動するアナーヒターというわけだ。この天使は、ヤマネコの姿のシェムハザと異なり、若い人間の女性の姿をしているのだとか。もう、その時点でシェムハザよりも断然好感が持てる。


 アナーヒターは、別名『豊穣の女神』と呼ばれ、フェルダート地方で有名な天使らしい。彼女は、種蒔きの季節になると諸国を巡り豊作祈願の呪法を施したり、薬学や医術の知識を各国のジュダ教会に伝えているのだという。なんでも、フェルダート地方が肥沃な穀倉地帯である理由の一つには、彼女の功績が大きくあるらしい。


 そのアナーヒターがいる場所は、エディス湖北レターケニ山の中腹にある彼女の住居だ。天使たちは、基本的に人間や他の知的生命体と距離を置き、俗世から離れて生活する習性がある。彼女も他の天使と同様に、雨の季節が来ると人里離れた住まいに籠り、山の中で静かに過ごしているのだという。


 とりあえず、シェムハザからの要請を受け入れたボクたちは、公王陛下からの任務も同時に請け負い、一度パッチガーデンのエディス城を経由してから、レターケニ山のアナーヒターの住居へ向かうことになった。


 公王陛下からの任務でエディス城に立ち寄る目的は、レンスター軍の前哨司令部に、昨日の城内戦の詳細とアイシュバッハ大尉が持つ敵軍の情報を伝えるためだ。また、ボクたち特殊魔導隊が、貴重な移動の足を受領する口実も含まれていた。


 ボクたちに与えられた車両は、昨日アイシュバッハ大尉たちがレンスターを訪れた際に乗車してきたオペル社製のブリッツという兵員輸送用のトラックだ。レターケニ山までの道のりが少し遠回りになるけれど、目につきやすいオオヤマネコのシェムハザを隠せることと、雨に濡れずに移動できることは、本当にありがたかった。



 ◆



 ここは、エディス城が建つ丘の麓にある馬留うまとどめ。


 アスリンと彩葉、それからキアラとアイシュバッハ大尉の四人は、馬留めに停車したブリッツを降りて、公王陛下から与えられた任務を果たすべく、レンスター軍の前哨基地エディス城の司令部へと向かっている。もう、かれこれ一時間が経とうとしているから、そろそろ一通りの報告が終わった頃だと思う。


 その一方で、ボクとハルは、ブリッツに残り特殊魔導隊の女性陣が戻るのを待っている。その理由は、ブリッツの荷台で天使シェムハザが眠っているためだ。レンスター軍や訪問騎士団の兵士たちは、シェムハザの存在を知らない。もしも、彼らがブリッツの中で眠る大型の肉食獣を見つけたら、害獣と勘違いして大混乱が生じてしまうからだ。


 コノートヤマネコ自体が夜行性のため、シェムハザも昼間が眠くなるとか……。本当に世話の焼ける天使だ。


 ボクは助手席に座ったまま、ブリッツの窓ガラス越しにエディス城の麓に広がる集落と耕作地を眺めた。ボクとハルが、この地へ足を運ぶのは、これが二度目になる。ここパッチガーデンと呼ばれるエディスの東側に広がる耕作地は、小高い丘から臨むと美しいパッチワーク状のフェルト生地のように見える。それがこの土地の名前の由来だ。


 前回ボクとハルがここへ来た時は、まだ雨の季節の前だった。そのため、丘の上からの眺望は最高だった。けれども、今は生憎の雨の季節。霧状に降り続く雨とエディス湖から立ち上る水蒸気でもやが掛かり、周囲の視界は二キロメートルに満たない。


 しかし、仮に晴天で視界が良好だとしても、もうあの時のような美しい風景を見ることはできない。なぜなら、現在のパッチガーデンは、まるで戦争映画さながらの光景に変わってしまっているから……。


 不法に国境を越えてラムダ街道を南進する、ヴァイマル帝国武装親衛隊とエスタリアの連合軍。戦車を含む敵の大軍勢は、長雨の影響で荒野を進軍できず、広い街道を進まなければならない。


 兵の数が均衡しているとはいえ、兵装が完全に劣るレンスター軍が正面から帝国に挑めば勝利は難しい。レンスター軍が勝利するための条件は、敵の隊列が縦型になりやすい狭隘きょうあいな地形で待ち伏せ、近代戦術を用いた奇襲を仕掛けるしかなかった。パッチガーデンは、その条件に当てはまるため、敵を迎撃する戦場に選ばれた。


 昨日の午後にパッチガーデンに赴任したレンスター軍は、戦闘を有利に導くために夜を徹して作業を続けている。旧大戦時代、陸軍の兵士たちの仕事の八割は、塹壕掘りだったと言われていたように、このパッチガーデンも急ピッチで塹壕が掘り進められていた。


 集落の中心を通るラムダ街道に沿って、ジグザグ状の長い塹壕が二重に掘られ、また、それ以外の耕作地の至る所に、タコツボと呼ばれる一人用の塹壕が掘られていた。また、塹壕を掘った際に出た土は、麻袋に入れられて土嚢となり、塹壕の淵に設置した機関銃の銃座にされたり、主戦力のⅢ号戦車を隠すためのバリケードとして活用されている。


 着々と塹壕線が構築される中、ボクは、パッチガーデンの住民たちが気掛かりだった。兵士たちが作業する片隅で、小さな子供たちが遊んでいたり、家畜を追う老婆の姿もあった。三割くらいの住民は、昨日のうちにレンスター近郊へ避難したらしいけど、まだ多くの住民や農奴がパッチガーデンで生活している状態だ。


 予想では、明日か明後日のうちにここは戦場になる。そうなる前に何とか彼らを避難させないと……。


「おい、どうしたんだ、幸村? 遠くなんて見つめちゃってさ」


 変わり果てたパッチガーデンを見つめるボクを横目に、ハルがニヤニヤしながら冷やかしてきた。


「いや、別に……。前に来た時は、綺麗な景色だったのに変わっちまったなぁって思っていただけだよ」


「おいおい、柄にもないこと言うなって」


 ボクがパッチガーデンを見た感想を伝えると、ハルはクスクスと笑いながらそう言った。こいつは時々、本気で失礼なことを言ってくる。


「はいはい、どうせ柄にもないっスよ、ボクは……」


 ボクは舌打ちをしてから、視線を再び助手席側の窓の外へ向けた。


 先程より雨脚が強くなったのか、フロントガラスに当たる雨の音が、しっかりと聞こえてくる。ガラスに付着した水滴同士がくっつくと、その重さに耐えられなくなった水滴が一筋の流れとなってフロントガラスを滑り落ちた。


「悪かったって……。そう拗ねるなよ……」


 以前と比べて素直になったハルは、少し動揺した様子でボクに謝罪してきた。


「別に拗ねちゃいないさ……。それより、ここが戦場になったら、あそこで遊んでいる子供たちは、どうなっちまうのかな……」


 ボクは、雨を気にせずに屋外で遊ぶ子供たちを見ながらハルに言った。


「それな……。マジで気が重いよ。昨日の軍事評定で、パッチガーデンを戦場候補に推したのは俺だし……、彼らに何て詫びたらいいのか……」


 ハルの言った通り、昨日行われた軍事評定で、敵を迎撃する候補地にパッチガーデンを推奨したのはハルだった。しかし、ここで軍事衝突が起こらずにパッチガーデンが占領されたとしても、住民は口封じに殺害されてしまう気がする。


 何しろ相手は、ユダヤ人というだけで子供すら容赦なく虐殺した、非道なナチどもなのだから。


「ハルがそんなに責任を感じるなよ。最終的に決断したのは、公王陛下と軍師のロレンスさんだぜ? それに敵は生粋のナチだぜ? 戦闘がなくたって、きっと集落の人たちを皆殺しにするだろうさ」


「そう言われたら、そうかもしれないけど……」


 ボクの言葉にハルは頷いた。しかし、ハルの心は、今日の空模様と同じ厚い雲に覆われている感じだ。ほんの少しの間、重たい沈黙が続いた。


 沈黙が続く中、ブリッツの窓の外から軽快な単気筒のエンジン音と共に、こちらに近づいてくる側車付きのオートバイが視界に入った。


「あれ……? R75がこっち来るのかな?」


「知っている人かな?」


 ボクはそう言いながら、エディス城の丘に近づいてくるバイクをジッと見つめた。ハルも運転席から身を乗り出して、こちらに近づいてくるR75を見つめた。どうやら、オートバイに乗っているのは一人のようだ。ダークグリーンのライダーコートで身を包み、ライフルを担いだ男性が操縦している。


 やがて、R75は、ボクたちが乗るブリッツのキャビンの前で停車し、操縦していた男性がゴーグルをヘルメットの上にずらし、ブリッツのキャビンを見つめて挙手してきた。R75を操縦していたのは、四小隊のシガンシナ曹長だった。ボクは、急いでブリッツの助手席側の窓を手動で開けて彼の挨拶に応えた。


「お疲れ様です、シガンシナ曹長」

「お疲れ様です」


 ボクの挨拶に続くように、ハルもシガンシナ曹長に挨拶をした。窓を開けていると、R75の単気筒エンジンのリズムが心地よく響いてくる。


鍵十字ハーケンクロイツのデカール入りのブリッツが来たと言うから、誰かと思ったらハロルドとユッキーだったか。フロイラインたちがいないようだが……、エディス城で報告中ってことかな? それより、昨日の城内戦の話は伝令から聞いたぞ? 二人とも大活躍だったそうじゃないか!」


 シガンシナ曹長は、ボクたちの姿を確認するなり嬉しそうに声を掛けてきた。シガンシナ曹長に会うのは、海岸で行った演習以来になる。相変わらずの強面だけど、話をすると優しい口調で親しみやすい。


「いえ、それでも大勢の犠牲が出てしまいました……。六小隊からも二名、コーラー少尉とグロム一等兵が……」


「我々は軍人。戦闘で命を落とすことは道理だ。君が悔やむことじゃない、ハロルド」


 悔しそうに答えるハルに、シガンシナ曹長は笑顔でハルにそう言った。また、重い空気になってしまいそうだったので、ボクは話題を変えた。


「それにしても、塹壕の準備が凄いっスね……。たった一日で掘っただなんて思えないですよ」


 ボクが塹壕について感想を口にすると、シガンシナ曹長は少し得意げな表情になった。


「まぁ、雨水が滲み込んでいるせいで少々厄介だったが……。二千人のレンスター兵が夜通しで続けてくれたからな。この功績は、レンスター軍の士気の高さだと言っていい。エディス線と名付けたこの塹壕線は、もう完成と言っていい状態だ」


「シガンシナ曹長、戦が近いのに、まだパッチガーデンに多くの住民が残っているようですが……」


 ボクがシガンシナ曹長の説明に頷いていると、ハルが先程から気にしていたパッチガーデンの住民について尋ねた。


「避難しない住民が出ることは想定内だ。だが、我々は十分配慮するつもりでいる。戦が近づいたら非戦闘員は、堅固なエディス城に優先して避難させるつもりでいる」


「そうですか。まだ小さい子供たちもいたので、少し気になっていて……。余計なことを言ってすみません」


 非戦闘員の避難を考えていたことに安心したのか、ハルがシガンシナ曹長に詫びを入れた。その時、ボクの背後に大きな影が乗り出して来たのがわかった。この隙間風のような呼吸音は、シェムハザだ。後部の荷台で眠っていたシェムハザが、R75のエンジン音とボクたちの会話で目を覚ましてしまったようだ。


「ほう……。変わった形状だが、それも車両のようだのぅ」


 突然、ボクの背後に獰猛な肉食獣の顔が現れたことで、シェムハザの存在を知らないシガンシナ曹長の顔つきが一気に変わり、懐から拳銃を取り出して構えた。


「ユッキー、後ろを振り向かず、すぐに窓から飛び出せ! ハロルドも早く脱出しろっ!」


 シガンシナ曹長がボクたちに向かって叫んだ。


「あ、シガンシナ曹長。このヤマネコは大丈夫っス……。実は、こう見えて天使ラファエルたちと同じ天使なんですよ」


「は?!」


 ボクが慌てて説明すると、シガンシナ曹長は、銃を構えたまま呆気にとられているようだ。ブリッツに残留しておいて本当に良かったと、ボクは心から思った。


「本当なんです、曹長。この天使の名はシェムハザ。少なくとも俺たちの味方です」


 まだ動揺して状況がつかめていないシガンシナ曹長に、ハルが補足を入れてくれた。


「ワシを初めて見る人間は、誰もが驚くからの。ワシは、グリゴリの戦士を率いるシェムハザといっての。縁あって、今はこの者たちと同行しておる」


 さすがにオオヤマネコに話しかけられ、我に返ったシガンシナ曹長は、慌てて拳銃を下ろして深く頭を下げた。


「天使様と知らず、ご無礼をお許しください!」


 深く頭を下げたまま謝罪するシガンシナ曹長。ヴァイマル帝国民が、天使に畏怖の念を抱くことは本当らしい。ネコに謝るシガンシナ曹長を見て、何だかボクの方が申し訳ない気持ちになってくる。


「曹長、気にしないでください! シェムハザは、この見た目ですから誰も天使だなんてわかりませんって! ボクたちがここに残っていたのは、このネコがいたからですし」


 ボクは、頭を下げたままのシガンシナ曹長に慌ててそう伝えた。


「そう畏まらんでよい、帝国の軍人よ。ワシは、高慢なラファエルらと違うからの」


 シェムハザがそう声を掛けると、シガンシナ曹長は、ようやく頭を上げた。


「ですが、いずれにしてもあなたを起こしてしまったのは、自分の不手際。立ち話をするなら動力を停止させるべきでした」


 シガンシナ曹長は、シェムハザに起こしたことを詫びながら、慌ててR75のエンジンを停止させた。


「いや、ワシが目を覚ましたのは、汝の車両の音ではないがの。まだ随分と遠くではあるが……。相当数の車両がこちらへ向かっているようだの」


 相当数の車両?! まさか、もう帝国軍がこちらへ来ているというのだろうか?!


「なんだって?!」


 大きな声でシェムハザに問いただしたのはハルだ。


「そう耳元で大声を出すでない、ハロルド……。ワシが思うに、汝らが警戒するが来ておるのではないかの? ワシはこの通り、五感が鋭い。特に聴覚には自信があっての。十分も経たぬうちに、がここへ到達するのではないかの?」


 ハルの大きな声に驚いたのか、シェムハザは全身の毛を逆立てながらそう言った。しかし、ボクたちこそシェムハザの言葉に驚かされた。予定では敵と遭遇するまでに、もう少し時間があったはず。その敵がもう目の前にいるだなんて……。


「二人とも、ヘニング大尉と総大将にこのことを伝えてくれ! 俺は前線に戻って各小隊と騎士団に周知する!」


「了解です、曹長!」


 ボクがシガンシナ曹長に返事をすると、ハルは急いで運転席のドアを開け、ブリッツを飛び降りた。そして、ハルは、大きな声でボクに指示をしてきた。


「幸村! 頼む、お前がシェムハザを連れてエディス城へ向かってくれ!」


「ちょっと待てよ、ハル! シェムハザを連れてって……。だいたい、ハルは何をするつもりなんだよ?」


 ボクは、ブリッツの窓から体を乗り出して、R75の側車に乗り込もうとしているハルに尋ねた。


「俺は、集落の人に避難を呼び掛けてから、すぐにエディス城へ向かう! 勝手に戦ったりしないから心配しないでくれって彩葉に伝えてくれ! できるだけ多くの人を避難させたいんだ! シガンシナ曹長、俺を途中まで乗せてください!」


 それが勝手だというのに、ハルは、言いだしたら聞かない性格だから、ボクが止めても無駄なことくらいわかっている。ここはハルを信じて彩葉たちの元へ向かった方が良さそうだ。シガンシナ曹長は、少し悩んだようだったけど、ハルに側車に乗るよう指示をした。


「無理するなよ、ハル?! 絶対だぜ?!」


「あぁ、わかってる!」


 ハルが右手を上げながらボクに答えた。そして、ハルを乗せたR75は、エンジンを吹かして前線に向かって走り始めた。


「汝らは元気があるのぅ……」


 取り残されたボクとシェムハザ。シェムハザは、ボクに聞こえるようにボソッと呟いた。


「そういう問題じゃないでしょうに……。さぁ、行こうぜ、ネコの天使さん」


 ボクが助手席のドアからブリッツを降りると、シェムハザも後部の開口部から飛び降りた。


 ボクには、みんなと違って特別な力がない。でも、大切な仲間を守りたいという気持ちは、ハルや彩葉にだって負けていないつもりだ。自分で言うのもおかしな話だけど、もう逃げ出すことしか考えていなかった以前のボクではないのだから。

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