第85話 玉座の間にて

 玉座の間にて、陛下の御前に立つ二人のエスタリアからの使者。彼らの背後にはエスタリアの騎士やヴァイマル帝国の兵士が護衛として一列に並んでいる。


 夕刻までにエスタリアからの使者が来なければ、こちらから不法に国境を越えてレンスター領へ侵入したエスタリアの本隊へ出向く予定でいた。しかし、彼らは前触れもなく突然レンスターに現れた。


「お久しぶりです、大叔父上」


 高価な衣装着て長剣を腰から下げる、このふてぶてしい男の名前はトマス・マグアート伯爵。内部からレンスターを崩壊させる計画を企て、陛下の従士であり私の親友でもあるアスリンの命を狙った裏切り者だ。彼の人を不快にさせる笑みは、とても公王陛下の血縁者と思えない下衆な表情をしている。


 そして、もう一人。マグアート伯爵の隣に立つ大柄の将軍は、エンドールと名乗ったエスタリアの代表として訪問した騎士長だ。少し発音が難しかったので、彼のファーストネームは覚えていない。


「トマス。そなたはレンスターで重罪人であることを忘れておらぬだろうな?」


 陛下は怒りに満ちた表情でトマス・マグアート伯爵に怒鳴るように言った。


 公王陛下もこんなに怖い顔をするんだ……。


 陛下の只ならぬ雰囲気は、歴戦の猛者であるエンドール将軍ですら首をすくめる程だ。エンドール将軍は、冒頭の挨拶の口調や節度から、たぶんバッセル卿のような紳士的な騎士長なのだと思う。しかし、この人もレンスター家にとって因縁の相手だった。


 十二年前、エスタリアとの戦争で激戦となったフェルダート川の戦場で、ヘンリー・レンスター公太子を討った敵将がこのエンドール将軍だ。謁見が始まる前に、ロレンスさんが私にそっと教えてくれた。陛下にとって、心の底から憎い仇であることは間違いない。


「大叔父上がお怒りなのは承知の上で参りました。亡き父上のことも含め、積もる話がございますが、まず、エスタリアが固く契りを交わしたヴァイマル帝国の紹介からいたしましょう。世の噂通り、帝国が操る鋼鉄の竜は、大地を走るだけでなく空までも自由に翔ける。彼の国の強さは圧倒的です。そしてそのヴァイマル帝国は、カルテノスの海を越え、現在フェルダート地方を手中に収めようとしております」


「海を越えてだと? 空でも飛んで来たとでもいうのか? そなたの後ろに控える、見慣れぬ装束の者たちがヴァイマル帝国の者たちだと? だとしたら、鋼鉄竜はどこに控えている? 国境の警備隊からそなたらが国境を通過したという連絡は届いておらぬ。この雨の中、徒歩でレンスター入りしたという話を聞いたが、どの街道を使ってレンスターへ来たというのだ?」


 まるでヴァイマル帝国の軍人を初めて見るかのように、陛下は不思議そうな表情をしてマグアート伯爵に尋ねた。もちろん、これは陛下の演技だ。


 その帝国の軍人たちは全員で十名いる。


 中でも目を引くのが、最右翼の長身の男性と、彼の隣に立つ肩がボッコリと盛り上がっている異質な兵士、それから少し小柄の兵士の三人だ。彼らはずっとフードを深く被ったままで素顔を見せていない。私もフードを深く被り、ドラゴニュートであることを隠しているので、人のことは言えないけど……。


 もしかしたら、キアラが言っていた親衛隊の特殊部隊のドラッヘリッターだったりするのだろうか。この三人がドラゴニュートかもしれないと思うと、私の心の中であの感情が沸々と湧いて笑みがこぼれてしまいそうになる。


「大叔父上の推察通り、彼らこそヴァイマル帝国の軍人です。今日この場を指揮するのはエルダー・ダルニエス少佐です」


 名前を呼ばれた最右翼の長身の男性が軽くお辞儀をした。彼がダルニエス少佐なのだろう。少佐はシュメル語をしっかり理解できているようだった。


「彼らの鋼鉄竜は、レンスターより北方で待機しております。さて、今しがた大叔父上は私のことを重罪人と仰いましたが、それはレンスターにとってです。しかし、未来という長い目で見ればいかがでしょうか?」


「どういう意味だ、トマス?」


「大叔父上がレンスターに君臨する限り、フェルダート地方を手中に収めようとする帝国に対し、フェルダート同盟が強大な帝国に抗うことでしょう。そうなれば多くの血が無駄に流れる。我らマグアート家は、流れる血を減らす大義を成すため、極秘裏に尽力しておりました。しかし、我らが活動するにあたり少々困ったことがございました。大叔父上に仕えるあのエルフの娘です。風のアトカは諜報に長けるだけでなく、様々なものを見破る術に長けている」


「大儀だと? 笑わせるな、トマス! そのような理由で我が従士、風のアトカを手に掛けようと?」


 陛下は目を細め、睨むようにマグアート伯爵を見つめながら言った。陛下だけじゃなく、私もマグアート伯爵に怒りを覚えた。初対面の人に対して、これだけ短時間で嫌いになったのは初めてかもしれない。


「いかにも! 少しでもレンスターの民の命を守れるのであれば、多少の手を汚すことに躊躇ためらいはありません。しかし、あろうことか計画は全て失敗に終わった。殉死した父上のことは無念でありますが、これも全て……」


「黙れマグアートの小倅め! 言わせておけば頭に乗りおって!」


 雄弁に語るマグアート伯爵をダスター卿が怒鳴り声を上げて制した。ダスター卿の気持ちはわかる。私だって、人を馬鹿にするような笑みを浮かべるこの男の身勝手さに怒りが込み上げている。


「控えよ、ダスター卿。冷静さを欠いては、良き決断もできなくなる。トマス、そなたとの話は平行線だ。もうよい……。エンドール将軍、見苦しい身内の揉め事をお見せして申し訳なかった。単刀直入に、そなたらがレンスターへ赴いた理由を訊かせてくれ」


 ダスター卿をなだめながら、陛下はエスタリアがレンスターへ訪れた理由をエンドール将軍に直接尋ねた。


 耳が痛くなるような、数秒の沈黙が流れる。


 マグアート伯爵と帝国のダルニエス少佐がエンドール将軍に頷いた。二人の合図を確認すると、エンドール将軍は再び口を開いた。


「それでは、陛下。手短にお答えしましょう。我らエスタリアとヴァイマル帝国に降伏されよ。マグアート伯爵が言う通り、戦になればヴァイマル帝国の圧倒的な破壊力の前に無駄な血が流れるでしょう。我らとて、このような手法でレンスターに勝とうなどと思いませんでしたが……。帝国は圧倒的過ぎるのです。これも時の流れというもの」


「その降伏勧告、断ったらどうなる?」


「東フェルダート諸国が、レンスターの二の舞にならぬよう、見せしめとしてヴァイマル帝国の前に倒れていただく。東フェルダートで最も強大なレンスターが一瞬で落とされる姿を見れば、周辺国は迷わずに投降するでしょう。帝国はキルシュティ半島東端に伝わる伝説の黒鋼竜ヴリトラすら討伐した強大な軍事国家です。レンスター公王、もう一度訊かせていただく。速やかに降伏されよ!」


「なるほど、エンドール将軍らしく合理的で無駄がない……それに、黒鋼竜ヴリトラを討伐と……な」


 ヴリトラを討伐した。それは全てが間違いではないけど、ヴリトラの魂は私の中にいる。今の言葉に対して、私自身が怒りを感じたわけじゃないのに、心の奥で何か熱いものが煮えたぎってくる。これは、私の感情ではなくヴリトラの怒りなのかもしれない。


 これは交渉というより、ただの降伏勧告だ。


 彼らの表情は自信に満ち溢れている。私たちを銃で簡単に制圧できると思っているのだろうから当然だ。


 帝国兵の中には、機関銃のような形の銃を持った兵士もいる。こんな至近距離で連射されたら陛下だけじゃなく、玉座の踏段裏で待機しているハルだって危ない。


 玉座の間に来ることはダメだと言ったのに、ハルは私の言うことを聞かずに踏段の裏で有事に備えている。側で私をサポートしたいと言ってくれるのは嬉しいけど、ハルは私と違って銃弾を浴びれば致命傷になってしまう。


 しかし、私たちは銃を所持した帝国兵がこの玉座の間へ現れることを想定していた。


 既に上層の回廊では、アスリンたちと六小隊のコーラー少尉らが帝国兵に向けて機関銃を構えているはずだ。


「エンドール将軍。どうやら、あなた方はそこにいるトマスと同じく我らを見縊みくびっているようだ」


「きっと後悔されるでしょう。お別れです、大叔父上」


 陛下がエンドール将軍の降伏勧告を退けると、マグアート伯爵は不敵な笑みを浮かべながら陛下に捨て台詞を吐いた。一方的なエスタリアからの降伏勧告をレンスターは退けた。第一段階の和平交渉は、レンスター側の意見が出る前に失敗に終わった。ここからは第二段階だ。の捕縛か殲滅。


 私は隣のロレンスさんを見ると、彼は私を見て二度頷いた。これは、上階の回廊で待機するアスリンたちに危機を知らせて、銃撃の準備をさせる合図だった。


 私がみんなを守らなくちゃ!


 私は身を隠す踏段裏のハルを横目で見つめた。ハルも拳銃を手に持って構えており、私と目が合うとゆっくりと頷いた。いつでも戦える準備ができているといった感じだ。


 お人好しのハルが無理をして飛び出したりしないか心配でならない。ハルが撃たれることを考えるだけで、激しい高揚感に襲われて胸が弾けそうになる。


『ねぇハル、聞こえる? 銃声が止まるまで、何があっても踏台の陰から出てきちゃダメ! これだけは絶対に約束して! 私は大丈夫、信じて!』


 ハルが親指を立てて私の念話に応えると、私は心の底からホッとした。


 何よりも大切なハルが傷つくこと。それが私にとって一番ことだから。


 私は覚悟を決め、陛下を銃弾からいつでもかばえる位置に移動しながら、上階の回廊で玉座の間の様子を伺う仲間たちに念話を送った。



 ★★



 エスタリアの猛将として名高いスヴァンテ・エンドール将軍。そして、エンドール将軍の右後方に控える豪華な衣装の男は、トマス・マグアート伯爵だ。二人のエスタリア空の使者の名は、アスリンからすぐに伝えられた。


 リチャード・レンスター公王陛下の従甥じゅうせいでありながら、祖国をエスタリアに売り、ボクの大切なアスリンの命を狙った一連の事件の黒幕がマグアート伯爵だ。そんな裏切り者が、エスタリアの使者として陛下の御前で堂々としているのだから、玉座の間が重苦しい雰囲気に包まれるのは当然だった。


 エンドール将軍とマグアート伯爵の後方には、彼らに随行する護衛たちが控えている。長槍を持った白い甲冑の六名のエスタリアの騎士の他に、ヴァイマル帝国の黒い制服を着た武装親衛隊SSの十名の軍人たちだ。


 一列に並ぶSSの十名の兵士たちは、当然のように銃を所持している。短機関銃を所持する二名の兵士以外、長銃を右肩に掛けて待機している状態だ。最右翼の将校らしい長身の男は、外套のフードを深く被ったままで、銃器ではなく腰から細身の剣を下げている。


 帯剣した将校のすぐ隣に立つ二人の兵士も将校と同じようにフードを深く被っていた。そのうちの一人は、周囲の兵士たちと比べてかなり小柄な感じがするので女性かもしれない。もう一人は、異様な程に肩が隆起しており不気味な感じがする。


 他国の王と謁見する際、外交官は必ず護衛を随行させる。これはこの世界の常識だ。この度の謁見も例外ではない。銃火器の存在を知らないはずのレンスターが、世界の常識を覆してエスタリアの使者の護衛として随行するSSの入城を拒むわけにいかなかった。


 もちろん、レンスター側も護衛や有事の際に備えた衛兵の配置は完了している。


 踏段の上段の玉座に座る陛下の側には、レンスター家のケープのフードを深く被った彩葉と大盾を所持した堅牢のロレンス、それから長槍を所持するダスター卿の三人が護衛に就いている。また、使者であるエンドール将軍とマグアート伯爵を囲むように、重装の鎧を装着した衛兵が左右対称にそれぞれ八名ずつ大盾を所持して監視している状況だ。


 また、アスリンの警護を主な目的とするボクたち特殊魔導隊は、ボクとキアラでアスリンを守りつつ、六小隊のコーラー少尉らと共に、吹き抜け状になっている玉座の間の上層の回廊で、ギガントから取り外した重機関銃MG34を二基設置して待機していた。


 玉座の間の上層の回廊は、要所に設けられた壁の狭間さまから謁見者の監視をしたり、不審な動きをする者がいれば弓などを用いて阻止するための事実上やぐらだ。コーラー少尉たち六小隊とボクたちの三人は、それぞれ側面の狭間から、機関銃の銃口を玉座の間にいるSSたちに向けて監視を続けている。


 僅か約四十メートル四方の玉座の間。そんな場所で銃火器を所持するSSの軍人たち。先制射撃をされたらひとたまりもないのは明白だ。ギリギリのタイミングまで交渉を進め、万一武力衝突になりそうなら、やられる前にやるしかない。


 第一目標である和平交渉が決裂した場合、第二目標は、使者と護衛全員の捕縛、または、殺害だ。エスタリアの本隊をパッチガーデンで迎え討つ奇襲作戦のために、一人も城外へ出すわけにいかない。


 ハルもボクたちと一緒に行動するはずだったけど、どうしても彩葉の背後から支援をしたいと言い張った。たしかに自分で主張していたように、ハルの雷撃の呪法は小さな弓矢用の狭間から狙えるようなものではない。


 結局ハルは、彩葉の反対を押し切って、玉座の踏段の裏に身を潜めて待機することになった。ハルの性格上、彩葉のことになると無茶ばかりする。ボクは本気でそれが心配だった。


 どうやら公王陛下がエスタリアの使者と話を始めたようだ。


 少し距離が離れているので、何を言っているか聴きとれない。


 万一決裂したら……。その時は、彩葉が合図を送ってくれる手筈になっている。そうならないことを願いつつも、ボクは覚悟を決めて機関銃のセーフティーバーを解除した。


「いよいよ話が始まったようですね……。緊張します……」


 キアラは自分の胸に手を当て、深呼吸しながらボクとアスリンに聞こえるように言った。


「いざとなったら先手必勝だぜ、キアラ。落ち着いてやれば大丈夫。キアラは、銃弾の補充をお願いね」


「はい、幸村さん! 頑張りますね」


 ボクはキアラがリラックスできるように、笑顔を作って親指を立てると、彼女も笑顔でボクに頷いた。キアラは本当に素直でいい子だ。ルックスも文句ないし胸も大きい。


「まだ始まったばかりだけど、余り空気が思わしくなさそうね……。既に周囲の風が殺意で溢れているわ」


 アスリンは、カラビナー98kのスコープから目を離さずにボクとキアラに言った。真剣な彼女の眼差しも凄くいい。そんな彼女の命を狙ったマグアート伯爵がボクは許せなかった。


 最前列にいる重装の衛兵たちも叛逆者であるマグアート伯爵に向けて、今にも剣を抜く構えを見せている。どうやらアスリンが言ったように、本当に雲行きが悪そうだ。


「もし、戦闘になったら……。あのフード付きたち……特にあの肩でかい奴が気になるけど……。まずは中央の短機関銃持ってる二人を優先させるよ」


「わかったわ、ユッキー。私は左の機関銃を確実に狙うわね」


「了解。じゃ、ボクは右の奴を狙って、そのままSSの兵たちを狙う。アスリンは、左の奴をやったらをお願い」


「わかったわ。何だか本当にフードの三人が気になるわね……。キアラ、あれがドラッヘリッターだっていう可能性はあるの?」


 ボクも何となく感じていたけど、敢えて黙っていた。そうあって欲しくないことを言うと、大抵そうなってしまうから……。


「フード付きがドラッヘリッターだという可能性はゼロではないと思います。すみません、私も実際に見たことがあるのは一人だけなので……」


 こちらからだと背面しかわからないけど、彩葉もあの三人のフード付きと同じようにレンスター家のケープのフードを深く被っている。お互い訳ありってことだろう。アスリンが言ったように、最悪を想定した方が良さそうだ。


 ただ、レンスターの主力がパッチガーデンに向かっているため、有事の際は僅かなレンスターの兵と共に、六小隊とボクたちで何とかするしかない。


 その時、陛下のすぐ隣に移動した彩葉から念話がボクたちに届けられた。


『緊急連絡です! 皆さん、落ち着いて聞いてください。エスタリアの目的は、レンスターの一方的な降伏勧告でした。もちろん、陛下はそれを拒みました! 残念ながら交渉決裂です。帝国兵が銃を構えたら、その時が合図です! 躊躇ためらわず先制攻撃をお願いします!』


 了解だぜ、彩葉。彩葉は前線なんだ。彩葉こそ無理しないでくれよ……。


 それにしても、レンスター城にまで乗り込んで降伏勧告をしてくるだなんて、SSの連中は完全に舐めている……。虎の威を借る狐のエスタリアだってそうだ。だが、それはが、キアラたち国防軍の存在に気が付いていない証拠だった。


 やがて、ヴァイマル帝国の将校がゆっくりと玉座の方へ向かって歩き出す。そして、一列に並んだ兵士が、一斉に銃を玉座のレンスター公王陛下に向けて構えた。


 そして、いよいよその時はやってきた……。

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