第78話 悪魔に魂を売る者たち
キアラたちが天使に伝えられた話によると、惑星アルザルは、ケンタウロス座α星の三重連星のうち、ウルグの第三惑星なのだという。
ケンタウロス座は、地球の南半球から見える星座なので、日本ではあまり馴染みがない。私は実物を見たことはないけど、小学生の頃に父さんが何度も天文台へ連れて行ってくれたので、その星座の名前だけは知っていた。
地球から遠く離れたアルザルは、光の速さで四年以上かかる距離があるという。理系のハルが光の速度を簡単に計算をして『最新鋭のロケットが飛び続けて、二万七千年以上必要な距離だ』と、私にわかりやすく教えてくれた。おかげで数学や物理が苦手な私でも、アルザルと地球の距離が絶望的に遠いということが理解できた。
天使が高度な文明を持つ宇宙人で、キアラたちをアルザルへ導いた。彼女たちがアルザルへ連れて来られた理由は、世界を焼き尽くす大きな戦争で、地球上の人類が滅亡から免れるためと、天使から伝えられたらしい。それが本当かどうかわからない。
しかし、わかっていることは、キアラたちの時代から六十五年経った私たちの時代になっても人類は滅びていない。世界から戦争が根絶したわけじゃないけど、少なくともキアラたちが生きていた時代よりも平和だ。仮に私たちの後の時代で人類が滅亡するのなら、わざわざキアラたちの時代の人をアルザルへ導く必要はない。
天使たちは、ヴァイマル帝国と『堕ちた天使たち』を何かの目的のために利用している。その見解は、キアラたちの話とヴリトラの話、それから私たちの体験をまとめたハルの推測だけど、この部屋にいる全員が納得できる見解だった。そう考えれば、帝国の将校たちが時空を超えて、ハルを狙った理由にも繋がる気がする。
「それにしても、キアラやザーラさんを見ていると、堅苦しい軍人さんのイメージが変わりますね」
私の隣に座るハルが、三人の軍人たちに笑顔でそう言った。それは私も同感だ。あの日、私たちの前に現れた傲慢そうな将校や、荒野で遭遇した殺意を剥き出しにした軍人たちとまるで雰囲気が違う。
「まぁ……、それはこの子たちがいるからだろう。特にエリート上がりのシュトラウス少尉は、真面目で構い甲斐があるからな。地球にいる頃は、正規の女性兵などいなかったのだが、アルザルへ来て人手が足らなくてね。ちなみに、ザーラちゃんは、野戦病院の看護師を経て、衛生兵から戦車乗りに転身した経緯がある変わり者だ」
シガンシナさんの言葉に、ハルとユッキーの口元が緩んだ。
「ザーラさんカッコ良すぎっス! それに、こんな美人で可愛らしい少尉がいたんじゃ、みんなが構うのは仕方ないっスよ!」
「ちょ、ちょっと、何を言い出すんですか、ユッキーさん!?」
またユッキーのいつもの馬鹿が始まった……。突然ユッキーから予想外なことを言われたキアラは、パチパチと瞬きをしながら頬を赤く染めて
彼女の場合、可愛いというよりも、どちらかと言うと上品で凛とした大人の雰囲気を表に出した美人さんだ。それに加えてスラッとした長身。そして、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる、いわゆる整った体型をしている。正直、ちょっと羨ましい。
「キアラ、ユッキーはいつもこうなの。ユッキーの変な発言を気にしていたらキリがないから聞き流してね」
「えぇー……」
アスリンがキアラにアドバイスを送ると、ユッキーは大きな声で残念そうに溜め息をついた。
はぁ……。まったく、いちいち大袈裟なんだから……。
「幸村のどうしようもない発言は、彩葉が叱るよりアスリンが言っくれた方が効果
「そうよ、もっと厳しく言ってやってね、アスリン」
ハルがアスリンに、ユッキーの言動に対する指摘を促した。私もハルに便乗してアスリンにお願いする。初対面とは言え、ユッキーのペースに乗せられたらダメだ。
「何だかボク、悪者にされてない?」
「わかったわ」
アスリンは、ユッキーの呟きを無視して、軽く笑みを浮かべてハルと私に頷いた。そんなアスリンは、先ほどから口数が少ないし顔色もあまり良くない。昨日の朝から働き尽くめなので、疲労がピークに達しているのは間違いないと思う。先ほど、アスリンは大丈夫だと言ったけど、私が見る限り心配だ。
「何だか、ユッキーを見ているとリンケの奴が帰ってきたみたいだな……」
「本当ですね、ザーラ姉……」
ザーラさんの言葉に同意するキアラ。二人の表情が一瞬曇ったように見えた。昨日激しい戦闘があったと言っていたし、きっと失ってしまった大切な仲間なのだろう。
「リンケ……さん? 部隊の仲間ですか?」
こう言う時に空気が読めないユッキーは、直接二人に質問してしまう。ハルが額に手を当てて、呆れるように首を左右に振った。
「あぁ、昨日のフォルダーザイテ島基地でね……。私たちが搭乗していたギガントの側面が撃ち抜かれて……。気がつくと、リンケの奴は機内にいなかった。戦闘中行方不明ってヤツさ」
ザーラさんの言葉にキアラは俯き目元を拭った。また空気が重くなる。キアラたちの昨日の戦闘は、作戦の成功と引き換えに、部隊の八割の戦力を失ったと言っていた。その中に、キアラのお父さんもいたそうだ。家族を失った彼女は、まだ心の整理もできていないだろうし、とても辛いはずだ。
そんな精神状態でも、前を向いて気高く振る舞うキアラを見ると、少しでも力になれればと応援したくなる。軍隊という男性社会の中で、彼女が年上の部下たちから慕われている理由がわかる気がする。
ただ、そんなキアラに対して、私は一つだけ気に入らないことがある。それは、ハルを見る時の彼女の目が輝いて見えることだ。ハルが彼女と同じ、天使の末裔だから好意を持っているのかもしれない。ハルもハルだ。彼女に微笑み返す時の優しい眼差しは、私にだってなかなか向けてくれないのに……。何だか無性にイライラする。
「そ、そうでしたか……。激しい空中戦だったのですね……。なんだか思い出させてしまったみたいですみません」
しばらく続いた沈黙の後、ユッキーがキアラたちに詫びた。
「いえ、ユッキーさんが謝ることはありません。こうして、突然訪問した私たちの話を聞いて下さるだけで感謝しなければなりません。あの時、私たちの機体を襲ったのは、航空機ではなく、
キアラは、彼女たちを襲った敵の正体を語った。航空機ではなく魔導師? ドラッヘリッターは何者なのだろう。
「ドラッヘ……リッター?」
ユッキーがキアラに質問する。キアラは、意味深長に私を一度見つめ、シガンシナさんに頷いた。すると、キアラの代りにシガンシナさんがゆっくりと語りだした。
「イロハさんは気を悪くしないで聞いてもらいたい。ドラッヘリッターというのは、アーネンエルベに巣食うネオナチの幹部たちが作り出した精鋭の魔導師のことを言う。自分やシュトラウス少尉がマーギスユーゲントで訓練を積んでいた際、選抜された有能な魔導師が集められた。そして、彼らに竜の血を与え、人工的に意思のあるドラゴニュートを作り出したんだ。ドラゴニュートの彼らはとんでもない生体兵器だよ……」
「「なんですって?!」」
「「なんだって!」」
私だけじゃなく、ハルとユッキー、それからアスリンも声を揃えてシガンシナさんの言葉に驚いた。人工的にドラゴニュートを兵器として生みだすなんて……。天使たちが帝国に伝えた竜の力を用いる方法は、人道的なものと程遠かった。
「奴らの強さは異常だよ……。昨日フォルダーザイテ基地上空で、私たちを急襲した翼を持つドラッヘリッターはたったの一人だ。天空竜族のドラゴニュートなんだそうだ。奴に一機が撃墜されて、私たちの機を含む三機が大破させられた。キアラが火炎の呪法で討ち取ってくれなければ、私たちは全滅していただろう」
言葉を失って驚く私たちに、ザーラさんが昨日の戦闘の様子を語った。
「どのようにして竜の血を投与したか、残念ながら私たちはわかりません。ただ、体質に合わず、暴走してしまう人もいたそうです。そんな人は、すぐに殺処分されたとか……。それに、ドラッヘリッターに選ばれた人の中には、私やハロルドさんのような天使の末裔と呼ばれた人も、私が知る限り三人いました。私の親友、リーゼルもきっと……」
シガンシナさんの説明を補填するようにキアラが言った。堕ちた天使の末裔という、ハルやキアラのような、強力な呪法を使うドラゴニュートがいるとしたら……。ネオナチを操る天使たちは、本当は悪魔なのではないかと思えてくる。そして、そのネオナチは、悪魔に魂を売る者たちだ。
体の底から高揚感が
優しくて温かい大きな手だ。私がハルの横顔を見つめると、彼は黙って頷いてくれた。彼の温かさに包まれると本当に安心する。こんな時に変かもしれないけれど、私はやっぱりハルが好き。いつまでもずっと一緒にいたい。心の底からそう思える大切な人だ。
『ありがとう、ハル』
私がハルに念話で礼を伝えると彼は頷いた。ただ、彼の横顔はいつになく険しい表情で笑顔は一切なかった。
「な、なぁ……ハル。アーネンエルベって……」
「あぁ、幸村。きっとアイツらのことだ! そうだっ!」
ハルは何か思いついたのか、席を立ち急いでクローゼットへ向かい、ギターケースを取りだして開けた。そして、中から一枚の紙切れを取りだした。あれは、たしか私たちが全滅させた戦車小隊の集合写真。
「皆さん、この集合写真は、俺たちが地球からアルザルへ来て最初に接触した帝国の小隊の人たちです。俺が破壊したⅣ号戦車は彼らのもので、そのギターも彼らの持ち物でした。この写真は、そのギターケースに収められていたので……」
ハルがシガンシナさんに説明しながら写真を手渡した。シガンシナさんは、ハルから写真を受け取ると真剣にそれを見つめる。キアラとザーラも席を立って、シガンシナさんの周りから写真を覗き込んだ。
「こ、この人は……!」
キアラが目を見開いて驚いた。写真の中に知っている顔がいるようだ。
「先月から行方がわからなくなっているという、リヒトホーフェンSS上級大将で間違いないな……」
シガンシナさんが、忘れもしないヴァイマル帝国の傲慢な将校を指差して、その男の名前を呼んだ。軍の階級のことは知らないけど、大将に上級がついているのだから、相当偉い人なのだと思う。
「ハロルド、あんたたちは……この男の行方を知っているのか?」
ザーラさんもすぐに上級大将のことがわかったようで、私たちを襲った将校の行方をハルに質問した。
「俺が……殺めました……」
色々な感情が交錯しているのだと思う。ハルの声のトーンは低く、ユッキーも俯いてしまっている。私自身も、悲しみとやり場のない怒りが心の中に込み上げてくる。
「ハロルド君。ユッキー君。それからイロハさん。君たちの行為が良かったかどうか、それは自分たちから言うことはできない。ただ、銃を向けて襲ってきた相手を殺めたからと言って、悔やまないで欲しい。結果的に今こうして生きているのだから胸を張りなさい。君たちが討ったリヒトホーフェン上級大将は、現在のアーネンエルベの組織を統べる狂信的なネオナチの幹部だ。しかも、彼はドラッヘリッターの指揮官でもあった。我々としては、君たちに感謝しなければならないくらいだ」
「そうでしたか……。皆さんにとって都合が良かったのなら、俺たちの理不尽な思いも、少し浮かばれます」
シガンシナさんの言葉に、ハルが拳を握りしめたまま立ち竦んで答えた。
「ハル……。その上級大将は、ハルのことを知っていただろ? アーネンエルベがどうとか言っていたし、ドラッヘリッターについても詳しいはずだ。もしかして、だけどさ……。ハルにヴリトラの血を飲ませてドラゴニュートにしようとしたんじゃないか? そして、ハルをドラッヘリッターに……」
「そう考えれば、そう思えてくるけど……」
ユッキーが推論を口にした。ハルは肯定も否定もせず、困惑した表情でユッキーに答えた。でも、そんなことって……。ユッキーの推測が正しいかどうかわからない。でも、ハルの存在を知っていたのは事実だ。やっぱり、それも天使の差し金なのだろうか……。
俯くハルの心の痛みが伝わってくる。きっとまた、自責の念にかられているに違いない。私たちの会話や表情から、キアラたちは黙って私たちの話を聞いていた。
『ハル、私なら大丈夫。姿は少し変わってしまったけれど、こうしてハルと一緒にいられるだけで、私は幸せだから……。だから一人で背負い込まないで。ハルが私にそうしてくれるように、私はいつでもハルの味方。こう言うこと、直接言えずに念話でごめんね……』
俯いていたハルが顔を上げ、私をジッと見つめた。表情が先ほどより少し明るくなった。ハルは、私の隣の席に戻りながら小さく左手の拳を私に突き出す。私は彼に頷いて自分の左手の拳を彼の拳に軽く当ててグータッチを交わした。以前ならこれでよく静電気が飛んで来たっけ。今思うと、あの静電気も魔法の一種だったのかもしれない。
「さて、そろそろ夜明けが近づいている。我々は徹夜の行軍訓練を何度も行っているから問題ないが、皆さんにこれ以上迷惑を掛けるわけにいかない。こうして話をして朝を待つのも悪くないが、いつまでも話題は尽きないだろう。重要なことは互いに伝えられたと思うし、少しでも休まれてはどうだろうか?」
シガンシナさんの言う通り、重要な話はお互いにできたと思う。まだまだ話をすれば話題は尽きないだろうけど、先ほどから顔色が悪いアスリンの体調が心配だ。ドラゴニュートの私は問題ないけど、ハルとユッキーだって眠そうな目をしている。
「そうね。少しでも横になれば体の負担も違うでしょうし、シガンシナ曹長さんの意見に私も賛成よ。彩葉、時間になったら起こしてもらってもいいかしら?」
私はアスリンから時間になったら起こすよう頼まれた。
「もちろん! 私はこの通りドラゴニュートなので、眠らなくても疲労が回復する体質です。皆さんは徹夜の訓練も受けていると仰ってましたけど……、私がちゃんと起こしますので、少しでも休んでください」
私はキアラたち三人も仮眠を取るように勧めた。彼らはこれに同意して、私たちのリビングでの会合は一旦解散になった。もう空は明るくなっているけど、今からでもまだ二時間ほど眠れると思う。
そろそろフロルが起きてきて、毎朝の稽古を始める頃だ。私はいつものように朝の自稽古をして、皆を起こす時間を待つことにした。
キアラたちの話を聞いて、何よりも不安なことは目前に迫っているネオナチによる北伐だ。彼女たちは、レンスターと共に戦うと言っている。私は、まさか自分が戦争に巻き込まれるだなんて考えてもみなかった。
今からもう逃げることはできない。雨が降りだせば、四ヶ月間降り続くと言っていた。水が引けるまで、半年ほど山岳地帯や大河を越えられない。だから、私たちはレンスターに留まっている。それに、公王陛下はこんな私を人として扱い、従士という地位まで与えて側に置いてくださった。私はそんな陛下に少しでも報いたい。
大好きなハル。それからユッキーとアスリン。公王陛下や西風亭の人たち。戦争が始まったら、また誰かを殺めることになってしまうかもしれない。
バケモノと蔑まされるかもしれない。
それでも、大切な人や私を受け入れてくれたレンスターの人たちを守るためなら何だってできる。いや、やってみせる。
きっと、これも運命なのだと思うから……。
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