第75話 青く光る目の少女(上)
レンスターに鋼鉄竜が現れた!
瞬く間にその噂が街中に広まり、昼過ぎのレンスターは大騒ぎになった。レンスターの人たちは、自動車のことを『鋼鉄竜』と呼ぶ。彼らにとって、竜が街へ侵入したのと同じ意味合いなのだから、騒ぎになるのは当然のことだ。
このような事態になることは予測できていた。だから、俺たちは初めてレンスターを訪れる前に、人影のない入江でキューベルワーゲン二号を海中に沈めて処分した。しかし、今日はあの時と状況が異なり、緊急を要していた。
エディス城の戦闘で重傷を負った騎士たち。彼らの命を救うため、負傷者をキューベルワーゲン三号に乗せ、レンスター城に戻ったことは結果的に正解だった。もし、あと少し到着が遅ければ、バッセル卿は失血量が多く助からなかったそうだ。
『鋼鉄竜騒ぎ』の混乱は、市街地だけでなく、三号を停車させたレンスター城内も同じ状況になった。ただ、城内がいつまでも騒然とした状態では埒が明かない。騒ぎを静めるために、三号が竜ではなく、ヴァイマル帝国が開発した人工の乗り物であることを周知させる必要があった。
自動車の動くメカニズムを説明しても、地球とアルザルの文明に差があるため、誰も理解できないと思う。それに、俺自身が自動車に興味を持っていたわけではないので詳しく説明できない。とりあえず、鋼鉄竜は、大型の移動用
三号の動く仕組みは、『燃える水』を媒体として使う錬金術の一種で、これが燃焼した際に発生するエネルギーを推進力に変えるという、半分事実で半分架空の設定だ。錬金術を付呪した様々な魔法の道具があるこの世界では、
魔術師やジュダ教の司祭たちから、時折鋭い質問が投げられた。言葉に詰まる場面もあったけど、真実を知るアスリンや堅牢のロレンスが、その度にフォローしてくれたおかげで彼らを納得させることができた。市街地の騒ぎの方も、夕方頃には『鋼鉄竜が騎士を救った』という噂に変わっていた。その噂が拡散したことで、祭りのような賑わいになったのだという。
鋼鉄竜騒ぎがある程度鎮静化すると、登城した高官たちによって、そのまま臨時の
午前に執り行われた公式尋問で、マグアート家の後ろ盾にエスタリアがいるということが判明した。しかし、実際にエディス城に現れたのは、キューベルワーゲンに乗った帝国の軍人だ。これらの事実から、マグアート家とエスタリアの関係の他に、この一連に帝国が関わっていることは間違いない。
しかし、帝国がどのような手段で海を越えてやって来たのか。また、彼らがどこに拠点を構え、どれほどの戦力を持ち合わせているか全くわからない。いずれにしても、エスタリアの陰でレンスターに揺さぶりを掛けてくる以上、友好的な状態とは言えない。
ヴァイマル帝国とエスタリアを相手に、評定は交戦派と親睦派で別れ平行線のまま進み、今日のところは国境付近の偵察を増やすということで双方が納得して解散となった。
俺とアスリンがレンスター城を後にした時刻は二十二時を過ぎていた。外の空気は、一日中陽射しがなかったせいか、いつもより夜風が冷たく、水分を多く含んでいるように感じる。もう雨の季節がすぐそこまで来ているのだろう。
「アスリン、三号の説明のフォローありがとな。ジュダ教司祭に魔具の媒体の成分を訊かれた時は、さすがにヤバいって思ったよ」
「どういたしまして。ハルはよく機転が利くなぁって感心させられたわよ? さすがアシハラの竜騎士さんね」
結果的に騎士たちを救った鋼鉄竜。それを操縦していた俺のことを、誰かが『アシハラの竜騎士』と呼んだ。耳触りが良かったのか、俺に対する変な呼び名が城内に広まっていた。
「アスリン、その冗談みたいな呼び方はマジでやめろって……。それより、『虚偽を見破る精霊術を使った』なんていう嘘をジュダ教の司祭たちに言ったけど、あれは大丈夫なのか?」
アスリンは俺の話を疑うジュダ教司祭たちに、『私の精霊術を使った結果、彼の発言は真実よ』と言って説得してくれた。もちろん、彼女は実際に精霊術なんて使っていない。彼女が嘘を言ったことが噂が広まれば、信用が失墜してしまう。俺はそれが心配だった。
「大丈夫よ、ハル。レンスターに私以外の風の精霊使いはいないし、私の嘘が見破られるはずないわ」
「そ、それなら、いいけどさ……」
計算高いというか何というか……。俺の心配を尻目にアスリンは余裕の表情だ。
「さぁ、もう少しで西風亭よ。彩葉とユッキーが首を長くして待っていると思うわ。特に彩葉なんて、先に帰る時にブツブツ文句言ってたもの」
「たしかに、『遅い!』とか言って怒りそうだな」
眉を吊り上げた不機嫌そうな彩葉の表情が想像できて、俺は思わず笑ってしまった。
「ハルってば、彩葉の顔を思い浮かべて笑ったわね?」
「え?」
隣を歩くアスリンは、前かがみになり俺を覗き込むような体勢で言ってきた。
なんだよ、お見通しってわけか……。
アスリンのこういう仕草は、反則的に可愛らしい。しかも、俺の目の高さから彼女のその体勢を見ると、ケープとワンピースの隙間から時々見える胸元が気になってくる。俺は目のやり場に困って彼女から視線を逸らした。
「あ! 今、どさくさに紛れて変なところ見たでしょう?」
アスリンはわざわざ目を逸らした俺の前に移動して、茶化すように上目遣いで言ってきた。
「な、何も見てないって!」
俺は必死に誤魔化した。
「彩葉に言いつけちゃおう」
「お、おい! ちょっと待てって……」
焦る俺は、堪らず大きな声で彼女を制した。背中に変な汗が伝って流れる。そんな俺の様子を見たアスリンは、両手を広げてクルクル回りながら笑いだした。
「アハハハハッ! 冗談よ、冗談。ハルってば、すぐ本気になるから可笑しくて」
「まったく、いくつの子の仕草だよ……」
冗談だと言ったアスリンの言葉に安堵し、俺は溜め息交じりに独り言を呟いた。そう言えば、彼女の本当の年齢を直接訊いたことがない。エルフ族とはいえ、アスリンは女性だ。彼女の歳が気になるけど、直接本人に年齢を尋ねるのは失礼なことだと思う。
「ん? 私? こう見えて今年で百八歳よ?」
マジか……。
突然のカミングアウトに、心の準備ができていなかった俺は、驚きで言葉を失ってしまった。
「びっくりした……かな? これでもエルフ族的にまだ未成年なの。そろそろ最後の成長期が来て、成人の容姿になるはずなのだけど……」
「そ、そうなんだ……。予想を超えていたから、さすがに驚いたよ」
肉体的な寿命を持たないエルフ族。今でさえ美人で可愛らしいのに、大人の姿になった彼女は、どれだけ美人になるのだろうか? 一世紀近い年上の女性に対して、表現がおかしいかもしれないけど将来が本当に楽しみだ。
「あれ? 西風亭は誰もいないのかしら?」
雑談をしながら歩いていると、あっという間に西風亭が見えてくる。アスリンは、明かりが点いているのに誰の姿も見えないレストランを、不思議そうに見つめながら言った。
「どうしたんだろう? 普段ならカウンターに、ミハエルさんかナターシャさんがいるのに……。何かあったのかな? アスリン、まだ結界術は作動してるのか?」
「うん、もちろん。結界は継続させているわ。人の気配があって敵意は感じないから大丈夫だと思うけど……」
俺たちがレストランの中に入ると、キャスター付きのトレーに食事を乗せたミハエルさんが厨房から出てきた。
「お、アスリンとハル! 丁度いい所に帰ってきてくれたよ」
どうやらミハエルさんが運んでいる料理は、西風亭の特製シチューのようだ。バスケットに入れられた三本のパンとシチュー皿の数は三枚。
「ごめんね、ミハエル。もしかして用意してくれたのかな? 私たち、夕食は城でいただいちゃったのよ……」
「あー、ちょっと違うんだよ、アスリン。イロハとユッキーが演奏した曲を、外で聴いていた三人組の訪問者が閉店後に現れてな……。ハルたちが帰ってきたら、彼らのことを伝えてから、リビングに入れてとイロハから言われているんだけど」
料理が三人分ということが納得できた。それにしても、ミハエルさんらしくない回りくどい言い方が気になる。訪問者とは誰だろう。
「その三人組って、……誰なんです?」
俺は妙に緊張した面持ちのミハエルさんに質問した。
「実は……。ヴァイマル帝国の兵隊らしい。でも彼らは………」
俺は、ミハエルさんが言いかけた訪問者の名前に衝撃が走った。彩葉たちが危ない! もう何もせずに後悔することだけは、絶対にしないと決めている。俺は即座に、右手にバスケットボール大の雷の塊を作り出した。青白い電撃の塊は、バチバチと音を立てながら周囲に放電し始めた。
「ちょっと、待ってハル! 不安なのはわかるけど、ミハエルの話を最後まで聴きましょ?」
リビングに向かおうとした俺の前に、アスリンが立ちはだかる。その先へ進ませまいと、両手を広げた彼女の真剣な表情を見て俺は我に返った。
「あ、あぁ……。ごめん……、アスリン。すみませんでした、ミハエルさん……」
俺は冷静さを欠いていた。そして、右手に準備した雷の塊を消去して二人に謝る。結界を張り続けているアスリンは危険を感知していないと言っていた。それに、彩葉がミハエルさんに伝言を頼んだ上で、リビングにいるということは、帝国の軍人たちと対話できているということだ。
「俺のことは気にしないでくれ。しかし、ハルの呪法は初めて見たけど、こりゃアスリンが驚くわけだぜ……」
ミハエルさんは俺が準備した雷の塊に感心した様子だった。
「まったく、ハルは彩葉のことになると、すぐ見失っちゃうんだから……」
「う……」
笑みを浮かべ、俺をからかうアスリンに返す言葉がない。
「あ、そうそう。リビングにいる帝国の兵隊たちなんだけど、何があったか知らないけど憔悴している様子だぞ? 通訳の呪法が使える男が一人と、女兵士が二人。そのうち、腕に大怪我をしている赤髪の女の子は、ハルたちの国の言葉が話せるみたいなんだ。イロハとユッキーが、彼女から聴き出した情報によれば、帝国は内部で分裂して内戦になっているらしい」
「内戦ですって?!」
俺は帝国で内戦が起きていることに驚いた。史実映画にもある、ワルキューレ作戦のようなクーデターが発生したのだろうか。俺たちを襲った帝国の将校も、流暢とは言い難かったけど日本語を話していた。赤髪の女の子が日本語を話せても不思議はない。
「赤毛の子は、丁度ハルたちくらいの年齢じゃないかな。もう一人の女兵士は、俺より少し年下って感じだ。まぁ、どちらの子も美人さんだったぜ?」
「何だか、ユッキーが喜びそうな展開ね……」
アスリンが笑顔を作って俺に言った。彼女なりに、俺の緊張を解してくれているのだと思う。
「彩葉に蹴りでも入れられていなけりゃいいけど」
俺はアスリンに頷いて答えた。俺の言葉を聞いたアスリンは、口元に手を当ててクスクスと笑い出す。彼女の脳内で、彩葉に蹴られて飛び跳ねる幸村のイメージが再生されたのだろう。
「さすがだよ、ハル。ユッキーはイロハに脛を蹴られて飛び跳ねてたぜ?」
既に事後かよ……。
「んじゃ、兵隊さんたちが腹減らして待っているから中に入るぞ? 俺が先に入るから後からついて来てくれ」
「わかりました、ミハエルさん。アスリン、中に入ったら彼らと対話ができるように、俺たちに使ってくれた精霊術を彼らに掛けてもらえるかな? シュメル語と彼らの言葉を置き換える感じで」
「わかったわ。マナストーンのマナはまだ十分残っているから、怪我をしている人もいるみたいだし、治癒の精霊術と虚偽の見破りを合わせてやってみるわね」
「悪いな。ありがとう、アスリン」
「どういたしまして」
アスリンは快く承諾してくれた。曇り続きで彼女はこの数日、早朝にセレンの光を浴びてマナを蓄積できていない。体内のマナに限りがあるため、彼女はマナストーンと呼ばれる高価なマナの結晶を用いて精霊術を使っている。
ミハエルさんがリビングの扉をノックしてドアノブを回して開けた。そして、食事が載せられたキャスター付きのトレーを先頭にリビングへと入って行く。
「じゃ、アスリン。俺たちも行こう」
「うん」
俺たちはミハエルさんに続いてリビングへと入った。
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