第74話 祖国の音色に誘われて(下)

 私たちは葡萄畑の丘を下り、シガンシナ曹長を先頭にレンスターの西門から市街地へ入った。


 この地方の旅人や行商人は、トレンチコート風の外套を羽織っている者が多い。軍から支給された外套を羽織る私たちは、三人ともカラーや形状が異なるため、自然な感じで周囲に溶け込んでいた。


 国防軍で一般的な灰緑のオーバーコートの私。戦車兵のザーラ姉は、私と同じタイプでカラーが黒。シガンシナ曹長の外套は、カーキグリーンの革製のライダーコートだ。


 私たちがレンスターへ入る際、番兵たちから簡単な質問こそされたけれど、すぐに通行が認められた。特に怪しまれることなく、むしろ私の怪我を心配した番兵たちは、治療が受けられるジュダ聖堂までの道を教えてくれる親切な対応だった。


 私たちの服装を見ても、誰もヴァイマル帝国の制服と気がつかない。つまり、まだレンスターが遊撃旅団と接触していないという証拠だ。


「街の中へ入ると、堅固な城塞都市であることがよくわかります。雰囲気も賑やかで、ネオ・バイエルンと全然違いますね……」


 明るい街の雰囲気と街を覆う城郭に見惚れていた私は、大通りを歩きながら思わず率直な感想を漏らした。


「我がドイツが誇るネルトリンゲンやローテンブルグに匹敵する城塞都市だな。まさに難攻不落の城塞都市ってヤツだ」


 シガンシナ曹長が私の言葉に相槌を入れた。


「その割に番兵の検問は粗末に感じたけど……。案外、この地方は平和なのかもしれないね」


「まったくだよ、ザーラちゃん。俺も色々訊かれると思って、設定を用意しておいたんだけどなぁ」


 ザーラ姉の発言に、シガンシナ曹長が残念そうに答えた。


「容易に都市内へ入れたことは、私たちにとって好都合でした。とりあえず今夜は、歩きながら街の様子をうかがってジュダ聖堂で寝床を借りましょう」


 私の発言に二人は頷いて同意してくれた。私たちは、先ほど番兵から教えられた大聖堂までの道を進んでいる。もう二二時を過ぎているというのに、屋台で食事の惣菜を買う人や、大通りに面するバーで食事を摂る商人の姿が見える。


 向かいのバーでは数人の若者が、ジョッキの酒を飲みながら大きな声で何か言っている。親衛隊や秘密警察ゲシュタポの監視下にあったベルリンと比較すると、人の数こそ少ないけど飲食店が多く、レンスターの方が活気があるように感じられる。


「あそこで騒いでる若者たちは、街が賑やかなのは、鉄の竜が民を救った祝いだとか、そんなことを言って盛り上がっているな……。よくわからないけど、この街にとって何かいいことがあったらしい。それにしても、旨そうに酒を飲みやがって羨ましいぜ……」


 シガンシナ曹長は意思伝達の呪法を使ったのだろう。聞こえてくる若者たちの声を、訳して私とザーラ姉に教えてくれた。


「鉄の竜……、何だか気になるね……。ん?」


 ザーラ姉は、不思議そうな顔をして耳を澄ました。


「どうしました、ザーラ姉?」


「しっ! 静かに! キアラ、何かバイオリンのような音が聴こえないか?」


 通信手を担当する彼女の耳の良さは、五小隊でも群を抜いている。私は歩みを止めて目を閉じ、集中して周囲の音を聴いた。たしかにザーラ姉の言うとおり、街の雑音に混ざってバイオリンのような楽器の音色が聴こえてくる。


 アルザルでは、ギターに似た弦楽器は僅かにあるけど、バイオリンのような擦弦楽器は発達しておらず出回っていないはず。


「たしかにザーラちゃんが言うように、何か演奏が聴こえてくるな」


「私にも聴こえました。バイオリンはアルザルにないはず……。少し気になります! 二人は音楽が聴こえてくる方へ、周囲に警戒しつつ急いで向かって下さい! 私もすぐに向かいます」


「「了解!」」


 二人は私の提案に声を合わせて返事をすると、すぐに音が聴こえてくる前方へ向かって走り出した。折れた私の右腕は、揺れると激痛が伴う。そのため、私は自由に動かせる左腕で右腕を抑えながら、早歩きで彼らを追い掛けた。足を引っ張ってしまっていることが本当に申し訳ない。


 どうやらバイオリンの音色は、まだ明かりが灯っている正面のバーを兼ねた宿から聴こえてくるようだ。そして驚いたことに、演奏されているバイオリンの曲は、ドイツ人であれば誰でも知るローレライだった。


「どう……して?」


 ザーラ姉もバイオリンの曲に立ち止まり、声に出して驚いている。バイオリンに合わせるように、女性の歌声も聴こえてくる。その声は、聴くものを虜にするような透き通る奇麗な歌声だ。しかし、歌詞はドイツ語ではない。


 これは……日本語?!


 私が通っていたベルリン郊外のギムナジウムで専攻した、同盟国である大日本帝国の言語で間違いない。


 君主に忠実で、男女平等に学問に励む、美しい海洋国家の大日本帝国。私は日本語を勉強する過程で、彼らの文化や歴史に触れ、次第に日本が好きになった。


 将来は軍人ではなく外交官になり、日本で仕事をしたいと夢を抱いた時期もあった。本格的に日本語を勉強していた私は、大使館へ頻繁に通い、日本人の職員と不自由なく日常会話ができる程度に日本語が話せるようになった。


「ローレライだと? 番兵の様子を見た限り、我々のことをまだ知らないと思っていたが……。どうなってるんだ?!」


 シガンシナ曹長も動転しているようだ。


「二人とも落ち着いてください! 演奏者は遊撃旅団と関係ない可能性が高いと思まいす!」


「キアラ、何かわかるのか?」


 ザーラ姉が不安そうな顔つきで私に質問した。


「はい、歌っている女性の声ですが、彼女の言葉は日本語です」


「なんだって?!」


 私の返答にザーラ姉は更に驚いた様子だ。


「ほ、本当だ! ドイツ語じゃない! 意思疎通の呪法をずっと使い続けていたせいで気づかなかったな……」


 シガンシナ曹長は意思疎通の呪法を解除したのか、女性の歌声がドイツ語ではないことを確認したようだ。


「キアラ、歌い手は日本人ヤーパンってことなの?」


「それはわかりません。でも……、会ってみる価値はあると思います」


 私の意見にザーラ姉とシガンシナ曹長は同意した。女性の歌声は美しく、バイオリンの音色も素人とは思えないハイレベルだった。それなのに、ローレライの演奏が終わっても、宿から拍手や歓声が起こらなかった。仲間内やお客相手に披露した曲ではなかったのだろうか。


 私たちは祖国の音色に誘われて、恐るおそる宿の入口から中の様子をうかがった。通りに面した宿の一階は、外観から想像した通りバーになっていた。しかし、店内はカウンターで皿を拭く青年と飲み客が一人いるだけだ。


「シュトラウス少尉、それからザーラちゃん。二人は、店の奥まで入らずに店頭で待っていてくれ。まず俺がカウンターの青年と話してみる」


「わかりました。店頭で一緒に待ちましょう、ザーラ姉」


「え、えぇ……」


 私たちは、シガンシナ曹長を先頭にバーの中へと入った。皿を拭いていた青年が、私たちに気がついて声を掛けてくる。彼の言葉はわからないので、シガンシナ曹長が一人前に進み青年と交渉を始めた。


 しばらく話をしたのちに、青年はシガンシナ曹長に何度か頷く。それからやや困惑した様子で一度こちらを見つめ、通路の奥にある扉を開けて中に入った。


 シガンシナ曹長は、こちらに振り向いて親指を立てた。どうやらローレライが演奏された場所はここで間違いなさそうだ。そして、あの部屋にバイオリン奏者とローレライを歌った女性がいるのだと思う。


 その後、青年が扉の奥からまた姿を現し、シガンシナ曹長と二言三言交わすと、青年は再び扉の先へと向かった。私とザーラ姉は、固唾を飲んで行く末を見守った。


 二、三分が経過しただろうか。奥の扉が開いて姿を現したのは、先ほどの青年ではなかった。黒ずくめの衣装でケープのフードを深く被った小柄な人と、中肉中背の黒髪の少年だ。


 黒ずくめの人の後ろに立つ少年は、明らかに東洋人だ。きっと日本人なのだと思う。ただ、少年が私たちを見る目つきは鋭い。あの目は修羅場を経験している目つきだ。黒ずくめの人は左腰に右手を、少年はトレンチコートの懐に右手を忍ばせている。剣や銃を隠し持っている可能性が高い。


「シガンシナ曹長、彼らに日本語が通じるかもしれません。私が彼らに話を訊いてみます」


「了解。演奏した曲名を訊かれたので、ローレライと答えたら彼らが現れた。後は少尉に任せた」


「キアラ、あの二人は武器を持っているよ。今のところ敵意はないようだけど……、気をつけな」


 私はシガンシナ曹長とザーラ姉に頷いて答えた。それから私は彼らと話をするために、シガンシナ曹長の隣にゆっくりと進み、黒ずくめの人と向かい合う形になった。フードの隙間から見える顔の輪郭や唇から、黒ずくめの人が女性だとすぐにわかった。彼女がローレライを歌った女性なのだろう。


 私が近づいたことで、黒ずくめの女性が腰に帯剣した剣を鞘から半身抜いた。シャーという鞘から剣を抜く金属音が店の中に響く。それ以上近づくなという威嚇だ。彼らが警戒する様子から、彼らは私たちについて何か知っている。そして、明らかに良い印象を持っていない。


「キアラ?!」


 心配そうな声でザーラ姉が背後から私の名を呼んだ。


「ザーラ姉、大丈夫です!」


 私は黒ずくめの女性から目を逸らさずに、左手を上げてザーラ姉を制した。


 理由はわからないけど、まず誤解から解かなくてはダメだ。私は一度深呼吸してから、この重く緊張した空気を振り払うために彼らに語りかけた。彼らの言語であろう、日本語で。


「あの……。私の言葉がわかりますか? 先程のローレライ、あれは日本語の歌詞でした。あなたたちは日本人ですか?」


 黒ずくめの女性と少年は、驚いた顔つきで私から目を逸らし、互いに顔を見合わせている。私が日本語で語りかけたことに驚いたのだと思う。彼らに日本語が通じたのは間違いない。私は更に続けた。


「突然訪問して驚かせて申し訳ありません。ヴァイマル帝国と国号を変えていますが、お察しの通り、私たちの祖国はドイツです。こんな遠い星で、同盟国の人に会えるとは思っていませんでした。私の名前は、ジークリンデ・キアラ・フォン・シュトラウス。ヴァイマル帝国国防軍、第二○二装甲師団第五魔導戦車部隊に所属する魔導少尉です。私たちは、あなた方に危害を加えたりするつもりはありません。どうか、信じてください!」


 しばらくの沈黙の後、黒髪の少年が口を開いた。


「色々と突然過ぎて驚くことばかりなんだけど……。ここが遠い星だと言った。ボクたちだけじゃなく、あんたらも訳ありってことだね、少尉さん?」


「えぇ……、そうですね。私たちに複雑な事情があるのは事実です。とりあえず、紹介させてください。こちらの男性はシガンシナ曹長。通訳の呪法が使えます。そしてあちらの女性はベーテル一等兵。私の直属の部下です。こちらの女性の方が、先程の歌い手さんですか?」


 私が黒ずくめの女性を見ながら黒髪の少年に質問すると、彼に代わって黒ずくめの女性がコクリと頷いた。


「ねぇ、彩葉。この人たちは、ボクたちがこれまで見てきた奴らと雰囲気が違う。鍵十字の腕章も付けていない。それにこの少尉さん、クールで奇麗だしボクはけっこう好みかも!」


 黒髪の少年は、私をまじまじと見つめながらそう言った。意表を突く少年の言葉に、私は恥ずかしくなって頬が熱くなった。大日本帝国の男性は、もっと紳士的で厳粛だと思っていた。少なくとも、私が知っている日本人男性は誰もが紳士的だった。それなのにこの少年は……。私は対応に困り、少年から目を逸らしてジッと床を見つめた。


 しかし、彼は『これまで見てきた奴ら』と言った。鍵十字の腕章、ナチ党のシンボルであるハーケンクロイツのことも知っているようだ。彼なら私たちの理解者になってくれるかもしれない。


「はぁ? ユッキー、こんな時に何を言ってんのよ?! ほら、少尉さんだって困って俯いちゃったじゃない!」


 イロハと呼ばれた黒ずくめの女性は、黒髪の少年の対応が気に入らなかったようで、脛を蹴り飛ばしながら怒っている。少年はユッキーと呼ばれていたけど、日本人らしい名前ではないので本名なのかかわからない。


「イデッ!」


 ユッキー少年は、蹴られた膝を抑えて片足で跳ねている。何だか調子が狂う……。


「この変態がバカなことを言ってごめんなさい、少尉さん。気を悪くしないでくださいね」


「い、いえ……。軍でもよく可愛がられていますから大丈夫です。気にしないでください」


 私がそう答えると、イロハと呼ばれた女性の口元が緩んだ。私も彼女に笑顔を返した。彼女は半身抜いたままの剣を鞘に収めた。緊張した空気が和んだ気がする。


『それから、皆さん。私がフードを外しても驚かないでくださいね。私、人間ではなくドラゴニュートなので……』


 イロハさんは喋っていなかった。これは言葉ではない。トーチ少佐の時と同じ、直接あまたの中に言葉が伝わってくる念話だ。


 私が驚いているその間に、彼女は被っていたフードを取り外した。ショートヘアが良く似合う、黒髪の可愛らしい少女だった。しかし、彼女は耳の前の頬から首筋にかけて鱗で覆われ、頭部に左右対称の二本の角があった。そして、両目がクランベリーのように紅に輝いている。


 念話の中で彼女自身がそう言ったように、目の前の少女は紛れもなくドラゴニュートだ。この状況で驚かない方がおかしい。私だけでなく、ザーラ姉とシガンシナ曹長も驚きで言葉を失っている。


 意思を持つドラゴニュートを見るのは、トーチ少佐に次ぐ二人目だ。でも、どうやってイロハさんはドラゴニュートになる術を知っていたのだろう?


「ドラゴニュートの彩葉を見た時の反応、アルザルの人と驚き方が少し違うね。どうやら、ボクたちはお互いに色々と話をしなければならないようだね。皆さんさえよければ、あちらの奥で……話しませんか?」


 成り行きとはいえ、私たちは彼らの素性を知っておく必要がある。そして、私はこの人たちとの出会いに、運命的なものを直感的に感じていた。


 私はシガンシナ曹長とザーラ姉に頷くと、二人も私に頷いて返した。私たちは、日本の少年とドラゴニュートの少女の案内に従って、宿の奥の部屋へと向かった。

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