第3部 東フェルダート戦線編

第1章 紅蓮の炎と裁きの雷

第73話 祖国の音色に誘われて(上)

 クルセード作戦に参加した昨日の私たちは、フォルダーザイテ島基地の機能を停止させ、遊撃旅団との補給路を絶つことで戦略的勝利を収めた。しかし、第二○二装甲師団の被害は甚大で、実上の戦闘は敗北と言っていい内容だった。


 キルシュティ半島南岸に不時着した私たちの物資は限りがある。節約しても水と食糧は五日が限界だ。また、生き残った兵たちも心身共に疲弊している。この先、私たちが生き抜くには、最寄りの主要国家であるレンスターに保護を求めざるを得ない状況だった。


 もちろん、単にレンスターへ保護を要請するだけではない。私たちは彼らと共に、武装親衛隊二個師団からなる遊撃旅団と交戦する覚悟ができている。


 遊撃旅団が本格的に侵攻を開始すれば、いくら錬金術が盛んな東フェルダート地方とはいえ、近代兵器に苦戦することは必至だ。私たち第二○二装甲師団の残存戦力が加わったところで、戦局が逆転することはないと思う。それでも、私たちが所持する近代兵器とその戦術を伝えることで、被害の軽減や局地戦で勝利を収める可能性は十分ある。


 レンスターと私たち。双方にとって利害は一致するはずだ。


 ところが、今の私たちは情報が乏しく燃料も限りがある。レンスターの状勢はもとより、遊撃旅団の状況すら把握できておらず、不用意に身動きが取れない。また、レムリア大陸北部で使われるシュメル語は、通訳を介さねばならないという言葉の壁もあった。


 そのため、なるべく少人数でレンスターへ赴き、国家の要人と接触して私たちの受け入れを説得する必要があった。その重要な任務の指揮を任されたのが私だった。


 私が選出された理由は二つある。一つは、部隊を直接統率していない士官が私しかいないこと。もう一つは、敢えて負傷した女の私が赴くことで、遊撃旅団の北伐という危機が迫っていることを誇示する目的があった。


 この任務に同行するのは、私と同じ女性であるベーテル一等兵と、意思疎通の呪法を使い、通訳ができる四小隊のシガンシナ曹長が選出された。ラルフ・シガンシナ曹長は、マーギスユーゲント時代の同期なので、私と顔見知りの間柄だ。


 一概に同期と言っても、シガンシナ曹長は、私のような新兵ではない。彼は元々正規の軍人で、ヘニング大尉たちと同じA軍集団に所属し、東部戦線で活躍したベテランの戦車乗りだった。シガンシナ曹長は、アルザルへ移民した際に呪法の素質を見出され、マーギスユーゲントで呪法の訓練を受けて意思疎通の呪法を授かった。


 シガンシナ曹長のように素質を見出されて、マーギスユーゲントで訓練を受けた魔導師は、軍属や民間人を問わず百名を超えた。彼らの多くは、シガンシナ曹長のように天使ラファエルが得意とする意思疎通の呪法を授かった。私が討ち取ったトーチ少佐のように、高い素質を有して魔法兵科へ所属し、戦闘に長けた呪法を習得した者は稀だった。


 私たちが不時着した海岸線から、レンスターまで約四十キロメートルの距離がある。私たちは、シガンシナ曹長の運転で、まず燃費の良い側車付きオートバイR75に乗って海岸伝いに西へ向かった。そして、人の気配がない入江の洞窟にR75を隠し、そこから徒歩でレンスターを目指した。


 夕方レンスター近郊に到着した私たちは、街が一望できる高台の葡萄畑に身を潜め、街の賑わいが静まる夜を待った。陽が沈んだ後も人々が大通りを行き交うなど、大陸南部では考えられない光景だ。眼下に広がるレンスターは、錬金術で精製されたオーブの光で灯されて夜景がとても美しい。


 レンスターは、私が予想していた街の規模より数倍大きな街で、二重の城郭に囲まれた堅固な城塞都市だった。また、街の周囲に広がる耕作地は葡萄畑の割合が多い。これには、毎年夏になると訪れた父の故郷、ラインラント=プファルツ州のオッペンハイムにどこか似ていて懐かしさを感じている。


「シュトラウス少尉。そろそろ見張りを交代しよう。ザーラちゃんが少尉を呼んでいるぞ」


 街の様子を眺めていた私に、シガンシナ曹長が見張りの交代を申し出てきた。


「わかりました、シガンシナ曹長。それでは交代をお願いします」


 私はシガンシナ曹長に見張りを引き継ぐと、地面に座って一服しているベーテル一等兵の元へ向かった。


「見張りお疲れ、少尉。ほら、さっき言ってたコレ。挑戦してみたいんだろう?」


 ベーテル一等兵が言ったとは煙草のことだ。私は彼女に頷くと隣に腰を下ろす。そして早速、彼女に渡された火の点いた煙草を咥え、口の中に煙を含んでから、その煙をゆっくりと肺に入れた。


 ゴボッゴボッ……。


 私は苦しさのあまり思いきり噎せ返した。三角巾で首から吊り下げている骨折した右腕が、咳の衝撃で揺れて痛みを伴った。肺に入った煙草の成分が私の体内を巡っているのか、頭がクラクラして目が回る。アルコールの感覚とは違うフワッとして目が回るような感覚だ。舌や唇の周りに煙草の葉がベタ付いて、少し気持ちが悪い。


「アハハ、少尉。目に涙なんて浮かべちゃって! 未成年なんだし無理することないよ、やめときな」


 ベーテル一等兵は、煙草に噎せる私を見て笑いながら言った。そして彼女は、私が左手に持つ煙草をそっと取り上げ、それを彼女自身が咥えて大きく息を吸い込む。そして、目を閉じてフゥッと気持ち良さそうに煙を吐き出した。彼女は目を開けると再び私を見つめニコッと微笑んだ。


 ベーテル一等兵が煙草を吸う姿はクールで羨ましい。私も経験を積めば、彼女のようにカッコよく煙草が吸えるようになるのだろうか?


「せめて格好だけでも、一人前の兵士のようにと思ったのですが……」


 私はため息混じりにベーテル一等兵に呟いた。彼女の指摘通り、私はまだ十六歳。法律的に未成年者だ。ヴァイマル帝国の法律は、ナチス政権下のドイツと同じで、飲酒は十六歳から認可されているけど、喫煙は認められていない。特にヒトラー総統が大の煙草嫌いだったため、世論は禁煙一色で、愛煙家が悪者扱いされていた。


「シュトラウス少尉は、もう立派な一人前だと思うぞ? 親衛隊竜騎士団ドラッヘリッターのエリート魔導師、ゲオルク・トーチ少佐を討ち取ったんだ。胸を張っていい」


 シガンシナ曹長は、自身の煙草に火を点けながら私に言った。熱心なプロテスタントのライ上等兵を除いて、私の周りは喫煙者ばかりだ。これは嘘か本当か真相はわからないけど、健康促進をスローガンに禁煙を呼びかける親衛隊に反抗する意思の表れなのだとか。


「シガンシナ曹長の言う通りだよ、少尉。もっと胸を張りなって」


 ベーテル一等兵もシガンシナ曹長の言葉に同意するように私に言う。


「私は大切な仲間の命を笑いながら奪った、トーチ少佐がどうしても許せなかった……。もっと早く、呪法の使い方が閃いていればと、後悔の方が大きいです……」


 昨日のフォルダーザイテ島基地攻略は、予測できなかったドラッヘリッターの介入で、私たち第二〇二装甲師団は壊滅的な被害を受けた。指揮官であるスレーゲル中将を含めた行方不明者は、百四十名を超えており、師団の八割以上の兵員を失った。


 その犠牲の中に、参謀を務めていた私の父もいる。父が搭乗したギガントは、岩壁に衝突して爆散した。あの状況で生存は絶望的だ。私が所属する第五魔導戦車部隊からも、歴戦の古参兵であるアンデルセン一等兵とムードメーカーだったリンケ二等兵を失った。思い出すとまた涙が込み上げてくる。


「ユーゲント時代からトーチの野郎は、自分より戦闘能力が劣る相手を馬鹿にしていたからな。俺はあのエリート気取りな野郎のことが大嫌いだったからスッキリしたぜ? さすが、マリョルカの魔女。少尉は色々なことを言われていたけど、本気を出せば天使ラファエルのお墨付き通りの実力だったってわけだ」


「シガンシナ曹長、あまり煽てないでください。恥ずかしくなります」


 私は左腕の裾で目元に溜まった涙を拭いながら、嬉しそうに語るシガンシナ曹長を制した。


「お世辞抜きにして、私たちがこうして生きていられるのは、シュトラウス少尉の活躍があったからだよ。自信持ちな、少尉」


 ベーテル一等兵は、微笑みながら私の頭に手を伸ばす。彼女は私の髪をポンポンと優しく撫でてくれた。


「ありがとうございます、ベーテル一等兵……」


「ちょっと、少尉。私のことは、姉妹だと思って名前で呼ぶと昨夜約束したじゃないか」


 ベーテル一等兵は眉間にしわを寄せ、不満そうに私に言った。


 昨夜、私は家族や仲間を失った悲しさで、なかなか寝つけずに浜辺で泣いていた。そんな私を見かねたベーテル一等兵は、一晩中私の側で故郷の話や身の上話をして、私の気を紛らわせてくれた。その時、姉のように慕って欲しいと彼女に言われ、私はベーテル一等兵のことを名前で呼ぶ約束をして『ザーラ姉』と呼んでいた。


「あ、はい……。あの約束は、プライベートに限ってのことだと思っていたので……。すみません、ザーラ姉……」


「フフッ、よろしい、少尉」


 ベーテル一等兵……ではなく、ザーラ姉は満足気な表情で私に頷いた。けれど、彼女は私のことをまだ階級で呼んでいる。昨夜は気にならなかったけど、冷静に考えてみると少し不公平だ。


「ザーラ姉。私に名前で呼ぶよう言っておいて、自分だけ階級で呼ぶなんてずるくないですか?」


 ザーラ姉は、目を丸くして驚いた様子だった。


「それは……。仮にも少尉は、私の上官だし。さすがに周囲の目があるだろう?」


「これまでの言動や態度、既に上官に対する姿勢を逸脱しているように感じますけど?」


 私は弁明するザーラ姉に追い打ちを掛けた。


「俺も人のことを言えた口じゃないが、たしかに少尉の言い分はもっともだ。ザーラちゃん、諦めて名前で呼んでやりなよ」


 シガンシナ曹長が私の発言を後押ししてくれた。私は彼に感謝の意を込めて頷いた。


「そ、それでは……、どちらの名前で呼べば?」


 ザーラ姉が言うどちらというのは、複合名となっている私のファーストネームのジークリンデ・キアラのことだ。爵位を持つ貴族諸侯間では、氏族内の近親から名前を譲り受ける風習があるため、書類や家系図上で人物を見極めるために複合名が使われるケースが多い。


 私の場合、養女として引き取られた際に、父の伯母の名であるジークリンデという名が与えられた。そこで伯母と私を区別するために、本来の名前だったキアラが複合名でそのまま使われている。


「それでは、キアラでお願いします。この名前で呼んでくれていたのは、父と一部の友人だけでしたので……」


 キアラという名前は、私の本当の両親が残してくれた数少ない思い出の一つだ。


「わかったよ、キアラ……」


 ザーラ姉は少し照れくさそうに私の名前を呼んだ。


「ありがとう、ザーラ姉」


「辛いことや泣きたくなることがあったら、いつでもここにおいで!」


 吸っていた煙草を地面で踏み消したザーラ姉は、勢いよく私の顔を彼女の胸元に寄せて、優しく包んでくれた。


「はい……」


 少し煙草臭いけど、ザーラ姉の温もりは本当に安心できる。以前からザーラ姉は、私のことをよく気に掛けてくれていた。けれど、互いの名を呼び合うようになったことで、今まで以上に親しみを感じる。ユーゲント時代の私とリーゼルの関係によく似ている。


 リーゼルはかつて一緒に生活を共にしていた私の親友だ。そんな彼女は、恐らく昨日のフォルダーザイテ島の戦いに参加していたはず。地上戦で使われていた水素粒子を集めて爆発させる光属性の呪法は、彼女にしか使えないのだから……。地上戦の行く末以上に彼女の安否が気遣われる。


「さて、お取り込み中のところ申し訳ないが……。街の人通りもだいぶ減ってきたし、ぼちぼち行きますかね、お嬢さん方」


「そ、そうですね、シガンシナ曹長。レンスター市街に入れたら周囲の様子を伺いつつ、とりあえずジュダ教の聖堂を目指して、そこで朝を待ちましょう。明日、お金になりそうな物を換金して、情報収集はそれからです」


 私はザーラ姉の懐から離れ、シガンシナ曹長に答えた。私たちは、大陸北部の通貨を持ち合わせていないため、宿泊できる場所が限られている。それに、街へ入るために検問だってあるはずだ。時間も限られているし失敗は許されない。


「了解だ! 少尉とザーラちゃんはシュメル語が話せないから、私語は極力慎むように」


「「はいっ!」」


 私とザーラ姉の返事が重なった。私とザーラ姉は互いの顔を見つめ思わず笑ってしまった。そんな私たちの様子を横目で見るシガンシナ曹長も、肩を竦めながら笑っていた。


 それから私たちは、レンスターの街を目指して葡萄畑の丘を下り始めた。

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