第67話 炎天使ラハティ

「わかりますか?! 少尉、シュトラウス少尉! 返事をしてください!」


 耳元で私の名前を呼ぶベーテル一等兵の声で私は気がついた。先ほど吹き飛ばされた際に、一時的に気を失っていたらしい。鉄屑や大きな鉄板が私に覆い被さっているため、体が思うように動かない。塗装の色から、この鉄屑はギガントの外壁のように感じる。


 辺りの様子は、隙間からしか見えないので、はっきりとした状況がわからない。大きなエンジン音と機銃を撃つ音が聞こえてくる。


 まだトーチ少佐と交戦中なのだろう。彼に致命傷を与えるためには、背面を狙うか呪法を当てるしかない。それより、負傷者がいないか心配だ。


「ベーテル一等兵、私は大丈夫です! 皆さんは無事ですか?」


 通信コードが切れてしまっているようで、ヘッドセットから皆の声が聞こえてこない。私はできるだけ大きな声で、私を呼びかけるベーテル一等兵に応えた。大きな鉄屑の下敷きになっている右腕を動かそうとすると、吐き気を伴う激痛が走った。


「よかった! 今すぐに助け出します! 伍長っ!少尉は生きてます! 少尉の救助に手を貸してください!」


 私の声を聞いたベーテル一等兵は、すぐにクラッセン伍長に応援を求めた。二人によってすぐに救助が始められ、私の体から圧迫感が徐々になくなってゆくのがわかった。私は救助される鉄屑の中で、『少尉は』と言ったベーテル一等兵の言葉に胸騒ぎを覚えた。


 最後に大きな鉄板が除去されると、心配そうな表情のベーテル一等兵とクラッセン伍長の姿が見えた。二人は私と目が合うと、すぐに表情が明るくなった。


「二人とも、ありがとうございました。他の皆さんに怪我はありませんか?」


 私の質問に二人は黙ったまま答えなかった。右手をついて起き上がろうとすると、再び右腕に激痛が走る。痛む右腕を見ると、私の右腕は変な方向に曲がっていた。これは完全に折れている。


 ベーテル一等兵に介抱されながら、私は何とか上半身を起こす。鳴り続く機銃の音は、後部銃座で応戦しているライ上等兵の機銃の音だった。そして、周囲を見渡すと、トーチ少佐に撃たれた擲弾の被害状況がすぐにわかった。私はその信じられない光景に思わず息を呑んだ。


 右翼側のハッチがあった周辺の壁面に、大きな穴が空いていた。トーチ少佐が放った擲弾は、四番機の右側面に当たり、貫通せずにそこで破裂したようだ。損傷状態から、四番機がまだ飛行できていることが奇跡に感じる。


 丁度着弾した壁面付近の右翼銃座についていた、リンケ二等兵の姿が見当たらない。また、Ⅲ号戦車の脇には、胸部と腹部から激しく出血し、目を固く閉ざしたアンデルセン一等兵が寝かされていた。


 クラッセン伍長は、ベーテル一等兵に何かを告げてから銃座に戻り、再び機銃を構え撃ち始めた。


「ベーテル一等兵、アンデルセン一等兵は……? リンケ二等兵は無事ですか?!」


 私は、付き添ってくれているベーテル一等兵に尋ねると、彼女は首を振りながら私に答えた。


「アンデルセンさんは、先程の擲弾による負傷で出血量が酷く、残念ながら……。リンケの奴は……、行方不明です。恐らく、ギガントの壁面の爆破に巻き込まれ、壁面の穴から……。無念です……」


 私はベーテル一等兵の言葉に衝撃を受けた。つい先程まで一緒に戦ったアンデルセン一等兵は戦死。更にリンケ二等兵の行方不明。ここは高度二百メートルあるように見える。下が海でも落ちたら絶対に助からない。


 ベーテル一等兵は、胸のポケットからハンカチを取り出し、硬直して動けなくなっていた私の額を、そっと拭いてくれた。赤く染まる彼女のハンカチを見て、私は頭部も負傷していることに気づかされた。


 根が優しく物静かで冷静なアンデルセン一等兵。いつもふざけたことばかり言うくせに、仲間思いで温かいリンケ二等兵。父だけでなく、家族のように大切な五小隊の仲間まで失ってしまった。ギガントの格納庫内に響く風を切る音が、誰かが泣き叫ぶ悲痛な声に聞こえて耳が痛い。


 その時、フォルダーザイテ島の地上で、数回の閃光を発した後に大きな爆発が起こった。爆発の煙がないことから、弾薬によるものではなく呪法によるものだとすぐにわかった。


 私はその呪法を知っていた。空気中の水素粒子を集めて爆発させる光属性の呪法。私が知る限り、その呪法が使える魔導師は、マーギスユーゲントの寄宿舎で同室だったリーゼルしかいない。


 リーゼル・アイシュバッハ。オーストリア出身の彼女は、いつでも一緒に行動を共にしていた私の親友だ。彼女もまた、天使ラファエルから堕ちた天使の末裔と言われた、強力な呪法を操る魔術師だった。


 ドイツに併合され、祖国をナチスに奪われた彼女は、SSのことを恨んでいた。しかし、病弱な母親と妹たちを養うためと、彼女はユーゲントの魔法兵科修了後、ドラッヘリッターへ所属する道を選んでいた。


 地上には恐らくリーゼルがいる。優しくて思いやりがある彼女と、命を懸けた戦いなんてできる自信がない。ドラッヘリッターに所属した全員がドラゴニュートになるわけではないらしいけど、彼女もトーチ少佐のようにドラゴニュートになっているのだろうか?


「少尉、今の爆発は……強力な呪法か何かですか?!」


 リーゼルの呪法を知らないベーテル一等兵は、驚いた形相で地上を見つめながら私の耳元で呟いた。


「あれは光属性の高度な呪法です。地上にもドラッヘリッターの魔導師がいます。ベーテル一等兵、空中で私たちを狙うドラゴニュートの呪法は、正面に空気の壁を作り出し、物理的な攻撃を吸収します。背面を狙うよう、皆に指示して下さい」


「わ、わかりました、少尉」


 二番機の左翼から炎が立ち上がった。あれはトーチ少佐の攻撃を受けたものだ。このままでは、六小隊が搭乗した五番機のようにやられてしまう。もうこれ以上の犠牲は出て欲しくない。


 悲しさと悔しさと怒りで、また涙が込み上げてくる。これはもう憎悪に近い感情かもしれない。その感情の対象は、仲間を殺めた目にいるトーチ少佐と父を殺した土属性の呪法を操る魔導師。そして、何もできない無力な自分自身に対してだ。


 更に心の奥には、燃えるようなが湧き上がってくる。そして不思議と体中の痛みが全く感じられなくなった。この感覚は、スペイン動乱で本当の家族を失ったマリョルカの惨劇の時によく似ていた。私は立ち上がり、飛行を続けるドラゴニュートを目で追った。


「少尉、まだ立ってはダメだっ! 今は休んでいなさいっ!」


 大きな声で姉のように私を叱るベーテル一等兵が、私の左手を掴んで押さえようとした。


「大丈夫です、ベーテル一等兵。父と……、二人の仲間の仇を討たせてください! 私がドラゴニュートを……、トーチ少佐を仕留めます!」


 込み上げる感情を抑えながら、私はベーテル一等兵にそう告げて彼女の手を振り解いた。


「し、少尉……?」


 私を見つめるベーテル一等兵は、少し怯えるような表情で私から半歩退いた。


 トーチ少佐さえ討ち取れば、四機のギガントはこの空域から離脱できると思う。もし、リーゼルを含め、他に天空竜属のドラゴニュートがいるなら、トーチ少佐に加勢して離脱しようとする私たちのギガントを優先的に攻撃してくるはずだ。


 夜明けが近づいていることで、東の空が明るくなってきている。そのため、空を舞うドラゴニュートを見つけることは比較的容易だった。空を舞う敵は、今度は三番機に張り付いて攻撃していた。三番機のコクピット付近に擲弾が命中して炎を上げた。


 私は左手に火球を作り出し、敵の注意を引くために、わざと彼の目に着く離れた場所に火球を撃ち放った。火球の飛来に気がついた敵は、次弾を装填しながら四番機を目掛けて凄い速さで飛んでくる。


『シュトラウスか? あの爆発の中よく生きていられたな。だが、その機体はもう持つまい。せめてもの情けだ。すぐに楽にしてやる、この叛逆者め!』


 頭の中に直接トーチ少佐の声が聞こえて来る。これが念話だろうか? 私は直接竜に会ったことがないけど、言葉を持たない竜属は、念話でコミュニケーションを図ると聞いていた。意思を持つドラゴニュートもその技が使えるのだろうか?


 空を舞う敵が私を目掛けて銃を構える。クラッセン伍長とライ上等兵が、機銃でドラゴニュートに応戦する。しかし、正面からの銃弾は彼の物理緩和の呪法で効果が与えられない。私は再度、火球を作り出して目標に放った。しかし、簡単に避けられてしまう。


『フハハハハハッ! 笑わせるな、シュトラウス! 至近距離ですら標的に当てられないお前のようなクズ魔導師が、俺に一発かまそうってのか?! スタイルのいいその体と可愛い顔がもったいねぇけど、悪く思うなよ?!』


「黙れ、下衆めっ! あなたは皆の仇だっ!」


 不敵な笑みを浮かべ、念話で私を侮辱してくるトーチ少佐。私の言葉が敵に届くかわからなかったけど、私は言い返さずにいられなかった。人間である頃と変わらない嫌な性格のままだ。


 先程から湧き上がる一つののような感覚は、新たな火炎を操るイメージを私の脳内に与えてきた。火球を目標に投げつけるのではなく、目標の中心に直接火球を作り出して爆散させるというものだ。


 この意思のような感覚は、私の血筋に流れるという炎天使ラハティの存在なのかもしれない。私はラハティの意思に従い、目標であるトーチ少佐の背面に火球を作り出すイメージを念じた。


 すると、一瞬で二十メートルほど離れた敵の背面に、直径五十センチメートルほどの火球を作り出すことができた。背面に突然出現した火球に気がついた敵は、急降下で火球から逃れようとする。しかし、その移動に合わせて火球も目標との距離を保ったまま追従する。


『シュトラウス、貴様……!』


 私は、仲間を殺した敵を追従する火球に爆発を念じた。すると、敵の背面の火球は膨れ上がり、そのまま敵を飲み込みながら、砕け散るように音を立てて爆発した。


 燃えながら落下してゆくドラゴニュートの残骸から、光の粒子が蒸発するように立ち昇る。そして、それは海面に落ちる手前で跡形もなく消え去った。


「さよなら、ゲオルク・トーチ……」


 私は落下しながら消えてゆく、かつての同僚に別れの言葉を送った。同時に、私の体から力がどんどん抜けてゆく。私は立っていることさえ辛くなり、ワイヤーで固定されたⅢ号戦車に掴まり、もたれるように寄りかかった。負傷による肉体的なダメージと、強力な呪法を放った精神疲労で、体力の限界を迎えたのだと思う。


 崩れる私に気がついたベーテル一等兵が駆け寄ってくれた。折れた右腕が再び激しく痛み始める。急激な眠気に襲われ、意識がだんだん薄れてゆく。


「ありがとう……ございます、ベーテル……一等兵……」


 彼女の耳に届くように、私は痛みを堪えながら大きな声で礼を言った。揺れるギガントの振動が、私の右腕の痛みを促進させる。


「しゃべらなくていい、少尉。皆を守ってくれて……、アンデルセンさんとリンケの奴の仇を討ってくれて……、ありがとうございました」


 私を支えてくれるベーテル一等兵は泣いていた。彼女に釣られ、私も堪えていた涙がまた溢れてきた。


 そのまま目を閉じると、リンケ二等兵の悪戯染みた笑顔が蘇ってくる。腹立たしいこともあったけど、私は彼がいつも側にいてくれることや、彼の笑顔に安らぎを感じていたことを実感した。


 また、煙草を吸いながら黙々と作業をする、アンデルセン一等兵のいつもの後ろ姿が脳裏に浮かぶ。口数こそ少なかったけど、面倒見が良い頼れる歴戦の戦士だった。エミールを撃破する時も、父が搭乗するギガントが墜落した時も、彼はずっと私を励ましてくれた。


 もし、私の右腕に固定した照準を外す作業がなければ、彼は爆発に巻き込まれなかったかもしれない。そもそも、私の火球の命中精度が人並みにあれば、彼は最初から別の場所で銃座についていたはずだ。そのことを思うと悔やんでも悔やみきれない。


 私にとって初の対人戦となるこの作戦は、失ったものがあまりにも多すぎた。私はまた家族を失い、一人ぼっちになってしまった。もっとたくさん、父と話をしておけばよかった……。


 クルセード作戦は、本当に戦いを終わらせるための戦いになるのだろうか? もし、リーゼルが再び私たちの前に現れたら、私は彼女と戦わなければならないのだろうか?


 不安と悲しみと後悔に押し潰されそうになりながら、私はベーテル一等兵の腕の中でそのまま意識を失った。



 ◆



 北伐の中継基地としての機能は壊滅させたものの、フォルダーザイテ島基地占領戦は、ドラッヘリッターの介入により失敗に終わった。


 あの空域から脱出できた四機のギガントのうち、無傷だった六番機を除いた三機は、機体の損傷が激しく、ネオ・バイエルンまで引き返すだけの飛行能力が失われていた。そのため、私たちはネオ・バイエルンではなく、安全に不時着が可能な直近のキルシュティ半島南岸の海岸に着陸することになった。


 長く平坦なこの海岸線は、天然の滑走路となっている。親衛隊の石油技術者が東フェルダート地方の地質調査を行った際に、仮設の拠点として利用していたものだ。


 現在は、キルシュティ半島北岸で発見した油田地帯に、製油所を有するキルシュティ基地が建設されたため、この海岸線の仮設の拠点は廃棄されている。


 ここは大陸南部のサザーランドと異なり、温暖な気候で海がとても綺麗な場所だった。しかし、妖魔族のトロルが出没や、ロック鳥と呼ばれる肉食巨鳥の腐敗した死骸が転がっていたりと、あまり環境が良い場所とは言えなかった。


 キルシュティ山を挟んだ半島の北岸にあるキルシュティ基地の航空燃料を確保できれば、私たちは再びネオ・バイエルンまで戻ることができる。しかし、このキルシュティ基地を守備している部隊は、元々の守備隊に加え、北伐へ向かった武装親衛隊の二個師団で編制される遊撃旅団だ。


 私たち第二○二装甲師団の残存兵力は、ギガントの搭乗員と負傷兵を含め、僅か二十八名。稼働できる戦闘車両は、Ⅲ号戦車が二輌とⅡ号戦車が一輌。輸送用の半装軌車マウルティアと側車付きオートバイR75を含めても、私たちの戦力で正攻法の攻略は不可能だ。


 遊撃旅団との戦力差は、兵員の数で二十倍以上あり、また、戦車の数も約八倍と歴然の差がある。仮に投降しても、すぐに銃殺刑に処されるだろう。残りの食糧や燃料弾薬も乏しい。歩兵連隊とはぐれ、多くの兵を失ったことで士気も低下しており、状況は極めて深刻だった。


 しかし、私たちに残された道は、東フェルダート地方の国家や現地民と結託し、遊撃旅団の武装親衛隊と徹底交戦する以外残されていなかった。


 私にとって『戦いを終わらせるための戦い』は、本当の意味でここから始まってゆくことになる。

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