第68話 ヴァイマル帝国の鋼鉄竜

 エディス湖の東側一帯は、マグアート家が所有するパッチガーデンと呼ばれる農園と集落がある。そしてエディス湖畔の切り立った丘の上に建つ小さな城が、エリック・マグアート子爵の居城となっているエディス城だ。


 俺と幸村は、堅牢のロレンスの指示でバッセル卿ら四人のレンスターの精鋭騎士たちと共に、エディス城の南東の丘の茂みからマグアート子爵の動きを監視している。


 丘陵地帯の平地に切れ目なく開墾された耕作地が、眺望の良い丘の上から見ると奇麗なパッチワーク状に見える。それがこの集落の名前の由来だという。今日は生憎の曇り空で重苦しい色だけど、晴れた日は最高のロケーションになると思う。


 アスリンにレンスターの街を紹介してもらった時、貴族たちが住むのは旧市街と聞いていたので、隣国のアルスターより遠い郊外まで足を運ぶことになると思わなかった。マグアート子爵がパッチガーデンに住んでいるのは、男爵以上の爵位を持つ貴族に領地と居城が与えられる制度があるためだという。


 パッチガーデンは、馬車で整備された街道をレンスターから約三時間ほど北へ進んだ場所にある。距離にすれば、四十キロメートルくらいだと思う。電車や車で移動すれば、すぐに到着する距離だ。しかし、徒歩で移動するとなると、旅慣れた大人の足で丸一日掛かる。


 街道沿いに見える数件の大きな煉瓦造りの邸宅は、旅人の宿を兼ねた農園を管理する農民の屋敷らしい。一概に農民と言っても、市民権を持つ庶民階級の農民と奴隷階級の農奴では、暮らしに雲泥の差がある。


 農園で実際に労働をするのは、農奴と呼ばれる奴隷階級の人々だ。レンスターの法律では、耕作地の所有権は領主にあるけど、一定の納税さえ行えば、収益はその土地を開墾した者にある。そのため、農奴をたくさん所有する辺境の農民に富裕層が多いのだという。


 奴隷階級の中でも食糧生産に直接関わる農奴は重宝されるため、他の奴隷と比べても、貨幣の所持や農奴同士の婚姻が認められたりと優遇されている。しかし、農奴の間に産まれた子は、所有者が高額な市民権を買い与えない限り、生まれて死ぬまで農奴のままなのだという。


 貴族階級、庶民階級、そして奴隷階級。身分制度が厳しいレムリア大陸の社会では、主に一時産業を支える労働力に奴隷たちの活躍があった。


 人は平等ではない。同じ人間でありながら生きる世界が違う。弱者の犠牲の上で強者が豊かな暮らしをするのはレンスターも例外ではなく、見えない場所で奴隷が貴重な労働力になっているとアスリンから聞かされたことがある。


 鉱山で働く鉱奴や農園で働く農奴の他、レンスター市内で最も活躍しているのは清掃奴だという。街中にたくさん設置されている、公衆トイレや汚水用の地下水路の浄化作業が彼らの仕事だ。レンスターが清潔で奇麗な街を維持できているのは、清掃奴のおかげなのだという。


 俺たちが育った現代社会では馴染みが薄いけど、地球でも近代まで西洋諸国を中心に奴隷制度が存在していた。人が人として扱われず、ただの労働力として商品のように売買される。その労働力は所有者の暮らしを良くする。だから暮らしを豊かにするために他国を侵略した。それが近代まで地球上の人類が繰り返してきた戦争の歴史だ。


 科学と魔法、文明の進化こそ根幹が異なるけれど、地球とアルザルの人類の本質に相違がないように感じた。そう考えると人間というものが寂しい生き物であると感じてしまう。


「監視中だというのに、遠くを見つめながらボーっとするなって」


 俺の右隣で、うつ伏せの状態で並ぶ幸村が俺に話しかけてきた。考え事をしていたせいで、幸村にボーっとしていたように見られたのかもしれない。幸村は、銃剣とスコープがついたライフルを構えている。これはアシハラ製の槍型のとして適当に誤魔化している。


「ちょっと考え事してた。エディス城を監視中なのにゴメン」


「ははーん、さては昨夜、彩葉とあんなことして楽しんだ妄想だね?」


 わざとらしく声を潜め、幸村はニヤニヤしながら小声で俺に言ってきた。昨夜、寝る前に彩葉と二人で話をしたことは事実だったので、俺は幸村の質問に一瞬ドキッとさせられた。


「はぁ?! 違うっての! 農園で働く農奴たちを見て、奴隷制度について真面目に考えてたんだよっ!」


 乗せられた負けだとわかっていても、ついカッとなって幸村に反論してしまった。


「またまたぁ、それで、ハル。彩葉とはもうヤッたの? ねぇ、どうだった?」


 幸村は両手を前にして何かを揉むようなイヤらしい手つきで俺に訊いてきた。まったく、見てるこっちが恥ずかしくなる。


「や……、ヤッてねぇよ、バカ! お前こそ監視に集中しろっての!」


 彩葉とキスは何度か交わしたことがあるけど、まだそういう行為はしていない。別に興味がないわけじゃない。単純に彼女の気持ちを大切にしたいだけだ。地球へ帰って、ちゃんと家族に報告してからだって遅くはないと思っている。ただ、彩葉がそれを求めるなら……その時は、その限りではない。


「マジでっ?! 同じ屋根の下にこの一ヵ月、ずっと一緒だってのに、ちょっとそりゃないっしょ?! 昨夜だってこっそり部屋を抜け出しておいてさ。ボクはハルが隠し事なんてすると思ってなかったなぁ……。あー、残念だっ!」


 昨夜、なかなか寝付けなかった俺が、寝室を出て行ったことを幸村は知っていた。すっかり眠っていたと思っていたけど、幸村もまだ起きていたらしい。


「本当だって。……ラミエルだの何だのって言われてたら寝付けなくてさ。だから寝酒のワインを頂きに行っただけだ。ミハエルさんに聞いてみろよ? 大体、同じ屋根の下にって言うけど、全員一緒じゃそんなことする時間と場所がないっつーの!」


 完全に幸村のペースだ……。こういう時にアスリンがいてくれたらピシッとたしなめてくれるのだけど、残念ながら今日は彩葉とアスリンは別行動だった。


「そのミハエルさんに聞いたら、『見ているのが恥ずかしくなるほどハルと彩葉がイチャイチャしいてた』って言ってたんだけど?」


「はぁっ?! 何だよ、それはっ!」


 ニヤニヤする幸村の顔が腹立たしい。たしかに昨夜、俺は彩葉と話をする中でいい雰囲気になってキスを交わした。しかもそれをミハエルさんに見られた……。けれど、ミハエルさんは口の堅い人だろうし、こんな口の軽いお調子者の幸村に言うはずがない。きっとこいつの作り話……の、はずだ。何だか……急に自信がなくなってきた。


「おい、そこっ! 精霊使いや魔導師がいる可能性もあるのだから、なるべく気配を消して私語は慎んでくれ!」


 俺と幸村は、隣で共に監視をしているハイマン卿に注意された。彼は、彩葉が従士として登用されるきっかけになった模擬戦で対戦した槍騎士だ。


「「すみません、ハイマン卿……」」


 俺と幸村は口をそろえてハイマン卿に謝罪した。完全に俺たちが悪い。いや、この場合どう考えても幸村が悪い。俺はチラッと幸村を横目で見ると、幸村は左手を俺に向けて立てながら笑って誤魔化し、再びライフルのスコープを覗き込んで監視を再開させた。そんな幸村を見て、俺は思わず溜め息をついた。


 時刻は間もなく十一時になる。そろそろ、一昨日の誘拐未遂事件で捕らえた二名の悪漢の尋問が終わる頃だ。公王陛下の御前で行われる尋問は、俺たちの世界でいうところの裁判に当たる。


 通常であれば、容疑者が拘束されてから尋問を受けるまで十日前後の間を空けるらしい。今回のように拘束から僅か二日で尋問を受けるのは異例なのだという。


 アスリンの精霊術の前では、どのような嘘でも簡単に見破られる。ロレンスさんの推測では、アスリンの命が狙われたのは、マグアート子爵がアスリンの精霊術を恐れてのことだと言っていた。いずれにしても事件の真相にマグアート家が関わっているかどうか間もなく答えは出る。


 その結果は、アスリンから風の精霊術による伝達で、馬車に積んだ彼女の短剣を目標に届くことになっている。マグアート子爵が黒だとわかれば、バッセル卿を含めた四名の騎士たちがエディス城に突入して容疑者を拘束するという手筈だ。


 バッセル卿と共に突入する騎士たちは、若手のリーダー格であるゴードン卿、それから槍騎士のハイマン卿。後の一人は、庶民階級出身でありながら、若くして武勲と品位を買われ騎士になったレンダー卿だ。若手と言っても姉貴よりも少し年上だと思う。彼は弓の名手でもありながら、バッセル卿以上の両手剣の腕の持ち主だと彩葉が絶賛していた。


 一昨日の誘拐未遂事件が未遂で終わった理由に、レンダー卿が誘拐犯の主犯格である『疾風のファング』を討ち取ったことにあった。この事件の被害者は、レンダー卿の父で、俺たちが衣類を購入する際に世話になったジェームズ商会のジェームズ・レンダー会長だ。誘拐の目的は、ファルランさんの時と同じように家族を監禁し、レンダー卿を手駒にしようとしたのだろう。


「なんだ、あれ?!」


「今度はどうしたんだ、幸村?」


 また何か変なことを言い出すのではないかと、俺は少し冷ややかな目で幸村を見つめた。


「エディス城の丘の麓にある林の向こうに砂煙が見えたんだ。少ししか見えなかったけど、何かが走っていたような……。」


 俺は幸村が言うエディス城がある丘とその周囲をジッと見つめた。エディス城の丘まで距離にして約四百メートル強。その向こうの林となると、八百メートルくらい先だろうか。幸村のライフルについている四倍望遠のスコープで何かを捉えたのかもしれない。俺は視力に自信はあるけど、幸村の言うは見つけられなかった。


「ユッキー君、何か発見したのか?」


 ゴードン卿が幸村に尋ねた。


「はい、丘の裏の林の辺りに砂煙が見えました。あ、また! ……って、あれは……」


 今度は姿を捉えたのか、幸村は覗き込むスコープから一旦離れ、俺をジッと見つめた。いつになく真顔で緊張している様子だ。悪ふざけではないらしい。


「何が見えた、幸村?」


「キューベル……ワーゲンだよ、ハル……」


「何だって?!」


 幸村が見つけた移動するの正体に俺は言葉を失った。


 どうしてヴァイマル帝国がここに?!


 俺たちが壊滅させた奴らの生き残りだろうか? それとも別の部隊だろうか? 帝国とマグアート子爵に何らかの関係があるのか? 考えれば考えるほど色々な可能性が湧いて来て、焦りと不安で俺の思考は混乱してゆく。


 徐々に近づいて来ているのか、それは肉眼でも見えるようになってきた。間違いなくあれはキューベルワーゲンだ。


「ハロルド君、ユッキー君。エディス城に近づいているアレを知っているのか?」


 バッセル卿が身を屈めながら俺たちに尋ねてきた。他の三人の騎士も身を屈めるように茂みに身を伏せた。俺と幸村は互いに頷く。騎士たちに敵の正体と銃火器の存在を伝えなければ危険だ。


「あれはヴァイマル帝国の鋼鉄竜です!」


 俺は近づいてくるキューベルワーゲンの正体を騎士たちに告げた。


「なんだとっ?!」


 バッセル卿だけでなく、騎士たちの誰もが驚いた。それと同時に、皆が揃って武器を手に取り、鞘や槍の当て布を外して地面に投げ捨てた。


「騎士長殿、マグアート子爵は、ヴァイマル帝国に通じていた……ということでしょうか?! あれが鋼鉄竜……、なんて速さだ……」


 ゴードン卿がバッセル卿に尋ねた。俺たちがこうして話をしているうちに、キューベルワーゲンは丘を上りエディス城の間近まで来ていた。幌は外されており、兵士が二名乗っていることがわかった。やがて、キューベルワーゲンはエディス城の前で停止した。


「マグアート子爵が、帝国と通じていることは、確実と言えよう。子爵は帝国のことを存じてたにもかかわらず陛下に報告していない。これはもはや反逆行為に等しい! そして鋼鉄竜に人が乗れるというのも事実らしい。あれに乗って逃走されたら終わりだ!」


「バッセル卿! アスリンからの報告は待たないんですか?!」


 幸村がバッセル卿に質問した。バッセル卿の口調から、アスリンの報告を待たずに、すぐにでもエディス城へ突入しようとしているのがわかる。


「残念ながら、アトカの報告を待つだけの時間がないと判断した。ハイマン卿とレンダー卿は馬車を牽く馬に鞍を着けてから私たちに続け! 私とゴードン卿は先行する。」


「「了解!」」


 騎士たちはバッセル卿の指示に返事をし、それぞれの持ち場へと向かい始めた。ハイマン卿とレンダー卿は、エディス城から死角となる位置に停めた馬車へ向かって走ってゆく。バッセル卿とゴードン卿は、丘の中腹で待機する軍馬にまたがろうとしている。決断と行動が早い。しかし、銃を知らない彼らを止めないと危険だ。


「待って下さい、皆さん! 彼ら帝国兵の武器は、もの凄く正確で射速の早い魔法のような飛び道具です。黒鋼竜ヴリトラですら討たれた威力があります!」


 散開して持ち場へ向かった騎士たちに届くように、俺はできる限り大きな声で伝えた。


「ハロルド君、私は直接帝国の攻撃を見たわけではないが、当たらなければ済む話だろう? 騎士長を始め、我々レンスター騎士団を信用してくれていい。たか、忠告はありがたく受け取っておくよ」


 軍馬にまたがりながら、ゴードン卿がバッセル卿に代わって俺に答えた。銃を知らない彼らに、いきなり口で説明しようとしてもうまく伝わらない。それどころか、俺たちの心配は、逆に騎士たちの誇りを傷つけてしまっているようにすら感じた。


「ダメだ、ハル。騎士さんたち、こっちの話を聞いてくれそうにないな……」


 バッセル卿とゴードン卿は軍馬に乗ってエディス城を目掛けて駆け始めた。俺の呪法は、せいぜい届いても二百メートルくらいが限度だと思う。それ以上離れると当てる自信がない。


「だけどこのままじゃ危ない。やれるだけ支援しよう。幸村、ここから帝国兵を狙撃できるか?」


「射程距離としては十分だ。スコープ付きで狙撃をすると連射できないけど……、やってみるよ」


「頼んだぜ、幸村! 気づかれてやられる前にやってやろうぜ!これは戦いだし恨みっこなしだ」


 そうだ。あの時みたいにやられるまで待つわけにはいかない。やられる前にやる。結果はどうあれ、やられてから後悔するより余程いい。それに相手は憎たらしい帝国だ。


「もちろん、そのつもりさ。帝国兵はボクが撃ち抜いてやる!」


「間に合うかわからないけど、俺は走って騎士たちの支援に向かうよ。レンスター城の尋問が終われば、アスリンが風の精霊術で伝達してくるはずだ。何か情報が入ったら頼んだ」


「わかった。ハルも気をつけろよ!」


「あぁ! もちろんだ!」


 俺たちは互いに頷き互いの無事を祈ってグータッチを交わした。そして、俺は軍馬に乗ってエディス城へ向かって行く騎士たちを追いかけるように丘を駆け降りた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る