第8話 竜との契約(上)
「彩葉! 目を開けろ、彩葉!」
ハルは涙を流しながら彩葉を抱きかかえ、必死に意識がなくなった彩葉の名前を呼び続けている。
彩葉のオーバーブラウスもハルのワイシャツも、彩葉の血液で真っ赤に染まっている。つい先程まで、いつものように元気だった彼女が、まさかこんな事になってしまうなんてボクは思いもしなかった。
「何でだよ! 何しやがるんだよ、……畜生っ!」
ボクは目の前にいる軍人に吐き捨てるように言った。強くて可愛くて意地っ張りなのに根はとても優しくて、幼馴染のハルのことが大好きだけれど素直になれない、そんな彩葉のことがボクは大好きだった。
涙が止まらない。
悲しみより怒りの方が強い。
これほど人を殺してやりたいと思ったことはない。
彩葉をこんな目に遭わせた、目の前にいる二人の軍人が許せない。
絶対に許せない。
でも、それと同じく許せないのは、彩葉が撃たれたのに身動き一つできず、今もこうして殺してやりたいほど憎い敵を目の前にしていながら、立ち向かう勇気すらないボク自身の臆病な心だ。
「別れは済んだか? ならば行くぞ、先程から言っているが時間がない。着いて来い」
片眼鏡の将校らしい制服を着た男が言った。鉤十字の紋章が描かれている赤い腕章は、ハーケンクロイツ。彼らが着る軍服は、ナチスの親衛隊そのものだ。彩葉を撃った機関銃は、殺傷能力の高い本物のMG42だろう。
ボクは、音楽の先進国であるヨーロッパの歴史を勉強する中で、次第に第二次大戦におけるヨーロッパ戦線に興味を持つようになっていた。ミリタリーオタクとまで行かないまでも、この手の知識は普通の人より長けている自信がある。そもそも、なぜこの現代の日本に、旧大戦時代の親衛隊の襟章のを付けたナチスの軍人がいるんだ。
「なぜ彼女を撃った!? ボクたちをどこへ連れて行こうって言うんだよ!?」
何もできずに震えていたボクは、やっとの思いで将校に質問する。本当はまだ足の震えが止まらないくらい怯えていたけれど、彩葉を抱えて肩を震わせているハルを黙って見ているより辛くない。
「これは命令だ。聞こえないのか? お前たちに質問権はない。我々は極秘裏に行動している。情報漏洩は極力防がなければならない」
将校はボクの質問を無視して相変わらず強要してくる。
「この……野郎……」
「貴重なバイオリン奏者であることから、お前には我慢をしていたが、まだ反抗するようなら、その娘が待つ世界へ案内してやるぞ」
将校が左手を真横に伸ばすと背後の兵士がボクに銃を向けて構える。悔しいけれど全く勝ち目がない。
悔しさと怒りで涙が溢れる。
「……してやる」
ハルが何か呟いたけどよく聞き取れない。
「何だ? 早く立て! ん?! ほう……。やっと覚醒したか。ただ、我々に対してお前が魔術を使うというならこちらにも考えがある!」
彩葉を抱えながら何かを呟いたハルに気付き、将校はボクの前からハルの方へと移動する。先ほどからこいつらはハルを魔法使いみたいに言っているけど、そんなおとぎ話かゲームの設定みたいな理由で彩葉は撃たれ、ボクらは拉致されようというのか。
覚醒とかなんだよ?! 理不尽過ぎるだろう、畜生!
せっかく、先程そこに倒れている竜がボクらに注告してくれたというのに、何もかもが遅かったみたいだ。きっとあの竜も、こいつらにやられたのだろう。あんなでかい竜ですら勝てない連中なんだ。武器も持たないボクらがどうしろと言うんだ。
「ダメだ……ハル、助かる機会は……必ずくる。だから、今は悔しいけれど……こいつらに……従おう。ハルまで殺されてたまるかよ!」
ボクはハルにそう告げた。悔しさと悲しみで声が上手く出せない。
ハルはそっと地面に彩葉を寝かせ、ゆっくりと立ち上がった。ボクがハルの涙を見たのは、初めてだった。そして、ハルの瞳は怒りに満ち溢れていた。こんなハルを見るのも初めてだ。地面に寝かされた彩葉の胸部は、真っ赤に血で染まっていて、いつも元気一杯だったその顔色は、血の気が引いてまるでマネキンのように真っ白だ。
こんなの嘘だ……。納得いかねぇ……。
「なぁ、幸村。彩葉を頼む。少しそばにいてやってくれないか?」
ハルは静かにそう言って将校に向かって歩み始める。
「おい、ちょっと……ハル?」
「何をしている! いい加減にしろっ!」
将校が青白く光る片眼鏡を外して、右手の拳を振り上げてハルに殴りかかろうとする。しかし、その将校の右腕をハルは両手でがっちりと掴んだ。
「殺してやるっ!!」
将校の耳元で怒鳴るようにハルはそう言うと、ハルは将校の右腕を掴んだまま、将校の右脇の下をくぐり抜けて背後に回り込む。兵士が銃をボクからハルに向けたけど、腕の関節をハルに抑えられて身動きが取れなくなった将校は、背後からハルに盾にされるような形になる。
そしてハルは、右手で将校を抑えたまま機関銃を構えた兵士に左手の中指と人差し指を合わせるようにして向けた。次の瞬間、ハルの左手が輝いて、凄まじい速度の青い稲妻が兵士の顔を目掛けて飛んで行った。
「なっ!」
ボクの叫び声は、驚きで声にならなかった。
ハルの左手から飛び出した稲妻は、兵士の顔に当たると兵士の首は吹き飛んだ。兵士は声をあげることもできず、頭のない首から血を吹き上げながらその場に倒れた。
ハルが……殺した? 何だよ、ハルは本気で魔法使えるのかよ!
将校は何かドイツ語のような言葉で喚きながら、ハルに抑えらつけられていない左手で腰に下げているピストルに手を伸ばそうとする。
「ハル、危ない!」
ボクの声に反応したハルは、将校を掴んでいる右手から、将校に対して思い切り電流のようなものを流し始める。青白い閃光がハルを中心にバチバチと音を立てて輝き始め、その電流が将校の体を巻き込んで焼き始める。
「グアァァァァ!!」
「くたばりやがれっ!!」
どれほどの電圧があるのだろうか。将校は苦闘の形相で白目を剥いて、体全体が痙攣しているような感じになる。ボクは思わず目を逸らし、ハルに言われた通り彩葉に寄り添い彼女の手を握る。まだ彩葉の手は暖かかった。
ハルはまだ電撃を止めようとしない。肉や髪の毛が焼けるような嫌な匂いが漂ってくる。
「彩葉、ハルが仇を討ってくれたぜ。あいつ……何だか知らないけどすげーよ。ハルが本当に魔法使いだったとか信じられるか?」
彩葉がもう何も聞こえていないことは知っていた。それでも、ボクは今起こっていることを彩葉に伝えずにいられなかった。ハルに電流を浴びせ続けられた将校の軍服は熱で燃え始め、皮膚は炭化しつつあった。
そして、ハルが絶命した将校の腕を離して、背中を蹴り飛ばす。地面に転がった将校の体は、真っ黒に焦げて痙攣し、やがて痙攣が止まって動かなくなった。
「幸村、彩葉のそばにいてくれてありがとうな」
ハルは立ったままボクの方を向き、俯いてまた肩を震わせ始める。
「ハル、お前……」
ボクは親友が目の前で人を殺めた光景に少し動揺したけれど、ハルの力がボクにあれば間違いなく同じことをしていただろう。これは立派な正当防衛だ。ボクもハルにつられて涙が止まらなくなった。
仇を討っても彩葉は動かない。もう笑ってくれない。怒りと悔しさと悲しさがボクたちを包んだ。ボクはまだ温かい彩葉の手をそっと地面に起いて立ち上がり、ハルに向き合ってハルの両肩に自分の両手を置く。
「彩葉の仇、ありがとうな、ハル」
「……中学に入った頃には、この力に気づいていたんだ……。バレたらどこかから秘密の組織が来て連れて行かれるんじゃないかって思ってさ。みんなと離ればなれになってしまうかもしれないって思うと、怖くなってずっと秘密にしていたんだ。……でも、そういう組織は、しっかり俺のこと調べて、わざわざ向こうからやって来たってことなんだよな。結果このザマかよ……幸村、巻き込んで本当に悪かった……」
「何言ってるんだよ、ハル! そりゃ驚いたさ! ありえねぇ! って思ったさ。それにこんな、ドラゴンみたいなのが出てきたり、ナチスの親衛隊みたいなのが銃を持って襲ってきたり、ハルだけでどうにかなるような常識の範囲じゃねぇだろ? 自分を責めるなよ!」
「でも、彩葉が……。俺は……いつまでもずっと一緒にいられると思ってた。いや、思い込んでいた。人生が終わる時に、いつか別れは必ず来ることはわかっていたけど……。こんなの突然過ぎだろ……。しかも、俺が巻き込むような形で……。そんなのってないよな。俺、まだ彩葉に伝えなくちゃいけないこと……、何も言えてないのにさ」
「そうだハル! その力で彩葉はどうにかならないのか? まだ温かいし……ほら、回復とか電気ショックで蘇生とか、そんな類の魔法って使えないのか?」
ボクは可能性があるなら何とかならないものかと焦り、強めな口調でハルに言った。彼の肩に置いたボクの手につい力が入ってしまう。
「この力でどうにかなるならそうしたいけど、俺が知っている限り、俺の力は発電とか何か壊すことに使えるだけだ……。他に使い道があったとしてもやり方がわからない。もし試そうとしても、きっと……これ以上、彩葉の体をボロボロにすることなんてできねぇよ!」
ボクは、黒焦げになって倒れている将校や首のない兵士を見て、ハルの言葉の意味を理解した。その時、再び先程のように、倒れている竜から脳内に直接響く声が届いてきた。
『我が名は神竜王ミドガルズオルムの眷族、黒鋼竜ヴリトラ。異界の門であるシンクホールを守りし古の竜なり。宇宙の民アヌンナキの手引きの元に行動する人の子らに欺かれ、不覚にも戦に敗れた惨めな竜だ。そなたらが我の仇を討ってくれたことにまず礼を言わせてもらおう。ただ、その娘は気の毒であった。我の肉体は間もなく滅び、やがて消えてゆくであろう。人の子らよ、我とその娘を救うための取引き……、即ち我と契約を交わさぬか?』
専門用語みたいなのが多くてよくわからなかったけど、彩葉を救えるかもしれないっていう意味は理解できた。
「何だって?! 彩葉は助かるのか?」
ハルがヴリトラと名乗った竜に質問する。取引だとか契約というところが妙に気になる。しかし、ボクらに選択権はなさそうだ。竜との契約……。
最悪な悪夢のようなできごとが起こったんだ。奇跡の一つくらいあったっていいだろう。
ボクとハルは、互いに頷き、奇跡に全てを懸けることにした。
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