竜の笛ははるかに

守分結

第1話 記憶のしずく

 笛の音が響いていた。頭の上に。

 太く、細く、低く、高く。

 地をはうような調べがいつの間にか天高く昇り、ぼくはその音の調べにあわせて身体をゆらした。

 とても、とても気分が良かったんだ。

 雨のしずくが庭先の紫陽花を濃く染めて、青々と生い茂った草むらからカエルも声を合わせて歌っていた。


 不意に、笛の音がやみ、後には雨が縁側の屋根をたたく音だけが残った。

「ショータはこれが好きか?」

 かわりにおじいちゃんの大きな手が、ぼくの頭をなでた。

「吹いていると、おまえが伸び上がったり縮んだりするから吹きにくくてなあ。でも好きならしょうがないな」

「うん。すき。だってじっとしていられないんだもん」

 おじいちゃんの太い笑い声が降ってきて、ぼくも一緒になって笑った。

「ねえ、それ、なんて言うの?」

「これか、これはな、竜の笛だよ」

「りゅうって、えぇっと、ドラゴン?」

 おじいちゃんはまた楽しそうに笑った。

「西洋のドラゴンと違って羽は生えてないけどな。空は飛ぶ」

 へえ、とぼくはうなずいて、おじいちゃんのひざの中からもぞもぞとはい出た。おじいちゃんの手の中にある笛をじっと見る。

 赤くつやつやした竹に細いひもが何重にも巻きつけられている笛は、いかにも竜の笛というふうに見えた。

「この音は、空に舞いのぼる竜の鳴き声さ」

「ふぅん。リュウってこんな声でなくんだね」

「そうさ。おじいちゃんも聞いたことはないけどなあ」

 おじいちゃんがククククとのどを鳴らして笑った。

 パタパタパタと雨が降る。

 ケロロロロとカエルが鳴く。

 夏のはじめの午後だった。

「おまえは忘れてしまうかもしれんなあ」

「そんなことないよ」

「そうか。忘れてもまた思い出せばいいことだがな」

 おじいちゃんがなぜそんなことを言うのか、ぼくにはわからなかった。

 だからぼくは、もう一度吹いてとねだって、またおじいちゃんのひざの中におさまった。

 竜の笛の音が、また空に昇っていった。


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