03. 月が加護する眠り姫
「──シェイド様!」
物思いにふけっていると、名前を呼ばれ現実に戻される。どうやら一足先を探っていた従者が何かを見つけたようだ。
「どうした?」
「すぐ先の建物から強い月の魔力が……」
薄暗い森に差す午後の光。それはまるで誘導するように道標を照らす。
「分かった。お前たちはここで待っていてくれ」
「危険です。人間界でおひとりにするわけには……」
彼の言う通り人間が何か仕掛けてくる可能性はある。しかし、そこまで人間を疑いたくないのが正直な気持ちだ。いま自分たちに攻撃を仕掛けるのは、魔族に対し宣戦布告するようなものだから。
今回の月の女神の引き渡し自体、魔族と人間との友好関係を保つための制度でもある。あらかじめ“取り引き”として話をつけてあるのだ。そうでなければ魔族は勝手に女神をさらい、街へ連れて帰るだけ。人道に反する行為と分かっていても、月の女神に宿る力は世界に大きな影響を与えかねない。彼女の中に眠る力の恐ろしさを知っている者たちが、正しい判断で保護しなければ……。
「これだけの強い月の魔力なら、間違いなく月の女神だろう」
いや、それだけじゃない。自分には分かる。
この懐かしい魔力は、確かに……。
「まずは力を制御しなければ、お前たちが魔力に呑まれてしまって危険だ。だから……」
「……かしこまりました。ですが、少しでも何かありましたら必ず合図を」
「あぁ、そうするよ。彼女に万が一の事がある方が恐ろしいからな」
金髪の青年を思い出し、冗談半分に軽く笑う。
「じゃあ、行ってくるよ」
「はっ。お気をつけて」
光の先に待っているものは、決して甘くない現実だろう。
彼女の姿を見て、そう思った──。
かつては教会だったのかもしれない。古びたその建物が、今回の魔族と人間の取引場所。建物自体は古すぎて、本来の目的ではもう使われていないのだろう。だが邪悪なものを寄せ付けない魔法陣はまだ生きているようだ。さすがに人間界の力なだけあり、魔族の自分にはピリピリして居心地が悪い。
ゆっくりと扉を開く。太陽の神を祀っていたのだろうか。天井から陽の光がたっぷりと降り注ぐ構造になっている。
──綺麗だな。
基本的に太陽を疎ましく思う魔族だが、なぜか自分はあの光が嫌いにはなれなかった。
視線を建物の中に戻す。奥の祭壇らしき場所に、あきらかに景色からは浮いている棺が置かれている。間違いなく元からここにあったものではない。
周囲を警戒しつつ、あやしげなそれに近づいていく。近づくほど鮮明になるシルエット。棺の蓋はガラス状。中に見えるのは、散りばめられた可憐な花々。そして、その中に……、
「……月の、女神」
隠すことのできない強い月の魔力はその証。魔に順ずる者すべてを魅了する高い魔力。その身に触れたいと願うのは、魔族である性だろう。
棺の奥の肌に触れれば、戻れない気がした──。
「──早く戻らないと、ノインに怒られるな」
どうでもいいような言い訳をつくる。そうでもしなければ何かを爆発させてしまいそうだった。
顔を隠すマスクを締め直し、まずは彼女の魔力を制御する術をかける。
月の女神の魔力は、この世界すべての月の魔力を司り、その核となる特別な力。強い力はその身を守る薬である反面、正しく扱わないとその身を狂わす毒にもなる。人間である彼女には、その力を制御できるほどの能力は身についていないはず。並みの魔族では出逢った瞬間に彼女に惹かれ、連れ去ってしまう危険があるのだ。
だから統治者たちが信頼を置く人物が、彼女を迎えに来る決まりとなっているのである。絶対に彼らに逆らえない、都合の良い立場の人物が。
「──よし、これでいい」
手持ちのマントで彼女を包み、起こさないようそっと抱き上げる。華奢な身体は想像以上に軽い。力を入れれば折れてしまいそうなくらい繊細だ。同年代の少女と比べても彼女は特に小柄なんじゃないだろうか。
「……人間界できちんとした生活はできていたんだろうか」
統治者たちが年頃になった時に生まれた女神が婚約者として街へ連れて来られる。十七年前、生まれた瞬間に彼女の運命は決まったのだ。魔界へ引き渡されるとは、人間側からしたら生贄も同然。もしかしたらそれが原因であまりいい生活をさせてもらえなかったのでは……。そんな心配が頭をよぎる。
キラリ、胸元の光──。
太陽が引き止めるように反射する。
「……ブルームーンストーン。本当に伝説の月の女神なんだな」
ブルームーンストーンのペンダント。それこそが月の女神の証である。
古い伝説によれば、かつて恋仲だった太陽の神から贈られたものだとか。現代の月の女神はそれを手に握って生まれてくるという。
疑っていたわけじゃない。月の女神の迎えとしてここまで来た、ただ……。
言い伝えとして聞いた話が現実に現れる。にわかに信じがたかった真実が目の前に舞い込み、この先に待つ彼女の運命を思うと心が痛む。
いや、これから自分たちが彼女に精一杯の対応をしていけばいい。彼女を不幸にしたいわけではないのだ。納得して“婚約”を受け入れてくれれば、それで……。
──勝手な言い訳にしかすぎないだろうか?
「……早く、行こう」
これ以上、余計なことを考えてしまう前に。
「……ぅ…ん…?」
「……え?」
突然ぐらつく身体。
華奢な少女ひとり支えられないような腕力ではない。これでも家系の方針で子供の頃から鍛えている。先祖は騎士の家系で、いまだに剣の修行が必須なのだ。
ただ、いかんせん不意打ちすぎた──、
「──うわっ!?」
深い、青──。
太陽の神が虜になったといわれる、どこまでも澄んだ青の瞳……。
転んだ拍子に目覚めた彼女と視線がぶつかる。マスクを外さなくて正解だった。逆光の太陽の影に隠れることができただろうか?
それは、ノインと交わした彼女を迎えに行く際の約束。
──そうだ、シェイド。ひとつお願いがあるんだ。
彼女には決して顔を見せないこと。
なぜかって?
……自覚がないからやっかいなんだよ──
統治者たちと会うまで、決して顔を見せてはいけない……、と。
「……すまん、女神」
聞こえたかは分からない。返答も待たないまま、彼女の口元へ薬草を忍ばせた布をかぶせた。念のため知人に頼み眠りの効果がある薬草をもらっていたのだ。眠らせていた彼女が目覚めてしまった時のために。本当に使う事態になるとは思わなかったけれど。
徐々に閉じられていく彼女の瞳。安堵のため息をつきながら、再び眠りの世界へと旅立つ彼女に視線を這わせる。
よくよく見れば、まだあどけない顔をしている。どこにでもいる、いたって普通の少女だ。こんな年若い人物に魔族たちは勝手な責任を背負わせようとしている。本来ならば人間として生きるべき少女に……。
「……これじゃあ、また年寄りくさいと言われるな」
思い出して苦笑い。
だけど知りたい事もある。
お前の瞳に、俺はどう映るのか──。
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