四日目、第一試合、後編

「異世界に飛ばされて、世界の命運をかけて鬼神と戦う? ……やれやれ、転生モノの勇者様にでもなった気分だぜ」


 余裕ぶって嘯くアザトだが、しかしてその実余裕はあまりない。

 先ほどから、守護霊の応答がないのだ。

 そう。エルティナという何者かが神の力とやらを貸してくれた時から。


(どうなっている……彼女の声が聞こえない)


 今アザトの体に満ちる力、それがあれば十分に戦えるだろう。守護霊の加護は必要ない。そうアザトの理性は断ずる。だが。


「早くしなさい! 何をもたもたしているの!」


 アザトは、眦を決してエルティナを見上げた。


「エルティナと言ったな、今すぐこれを解除しろ。事情を説明している時間はない」


「はぁ!? 何を言って……」


 鬼神を目の前に、神の力を捨てて一介の人間に戻る。それがどれほどの愚行か。


「時間はないと言った!」


 それを知ってなお、アザトは決然と吼えた。


 エルティナによる肉体強化が解除された直後、アザトの肉体は鬼神の力の余波によって、血煙すら残さず消し飛ばされた。

 アザトの、目論見通りに。



……え!? どうして!?


 目論見通りに、繋がった。何故彼女が自分を見限ったのかは、アザトには分からないが、少なくとも、もう一度話をすることは出来る。


(さすがに俺が死ねば、動揺すると思った。分の悪い賭けだったが、な)


……どうして、そうまでして私に拘るの? あの人からもらった力で戦えばいいじゃない。私はいらないでしょ?


 拗ねている。それは伝わってくるが、何に拗ねているのか、アザトにはよく分からなかった。アザトにとって自分が力だけの存在だとでも思っているのだろうか。


(そうだな。神の力、僅かな時間だったが、その凄まじさは伝わった。確かにあれなら、戦うことは出来るだろう)


……だったらそうしてよ。


 力ならば確かにあれで十分だった。だが、アザトが必要としているのは、アザトが彼女に求めているのは力ではない。力では、ないのだ。だから。


(だとしても、俺が求めるのは、お前だ)


……なんでよ……。


(さあな。理由は分からん。ただ、願いの叶う権利だの神の力だの、そんなものより、俺はお前が欲しい。俺は、お前を望む。俺の隣に、いてはくれないか)


 アザトにとって彼女とは、何か、かけがえのない存在なのだ。何故そう思うのかは、アザトにも分からないが。


……うん。


(行こう。鬼神が、待っている)


 闘技場の世界に戻る刹那、アザトは、彼女が誰であるかを思い出した気がした。



 肉体が再生された直後、上を見上げたアザトはエルティナに尋ねた。


「どのくらい時間が経った?」


「0.1秒ってところかしら。それにしても愚かね。神の力を捨ててまで、一人の女を求めるなんて」


 憫笑するエルティナに、しかしアザトは不敵に返した。


「悪いが実利で女を選ぶほど落ちぶれてはいないつもりでな。まあその実利でも、俺の相棒は最高だってところを見せてやるさ」


 そう言ったアザトを敵足りうると認識してか、鬼神が振り返る。その剣が大地ごと彼を両断せんと振り上げられた時には、アザトは鬼神の内懐に踏み込んでいた。

 右肘打ち、右裏拳、左正拳、左蹴り上げ、震脚と同時の右正拳の連打で、鬼神が人間であれば即死していたであろう急所を貫く。いや、そもそもその連撃自体が、厳密零時間のうちに行われた、速度換算で無限速度の連撃。物理学の範疇で語るならば無限大のインパクトを与える、理論上は宇宙を粉砕する一撃の連環套路。


『……人間か?』


「ただの人間さ。愛の力で少しばかり強くなってるが、な」


 鬼神の問いに柄でもないことを返しつつ、アザトは一度間合いをあける。

 流石に原初の神の肉体。生まれたての偽神の力、それもそのごく一部のみを用いた偽りの奇跡で得た、ただ威力の数値だけが大きい攻撃で倒せるほどたやすくはない。

 では攻撃の次元を上げて時空間ごと破壊するか。

 有効な手段ではあるだろう。鬼神の肉体も3次元に収まる存在ではあるまい。ならば相手の存在次元を上回る高次元攻撃による攻撃は至当。

 だが、それは決定打ではない。攻撃手段自体を見直すべきだろう。

 ならば、情報攻撃か。

 対象を構成する情報と対象に連結する情報そのものを削除することにより、対象を滅する、語弊はあるが、謂わば現実改変による存在消失攻撃。あれならば、いかな鬼神と言えど厳密零時間のうちに葬ることができるだろう。

 対敵がそれに対して現実改変で対処してくるのなら、現実改変能力の力比べということになる。そうなれば勝利は確実だ。本来『絶対に』書き換えることの出来ない自分自身を書き換えた彼女の現実改変能力は、文字通り『絶対を超えている』。絶対という覆しようのない壁が、彼女と彼女以外の間に立ちはだかる。勝負を託すに、これほど正しい、選ぶべき手段があろうか。


……でも、嫌なんだよね?


 たった一つ、それを使いたくないというアザトの心情を除いては。


(数少ないシスコンの理解者だ。是非もない。鬼神の戦意を徹底的に奪うため、あえてもっとも効率の悪い戦闘を行う。そのうえで圧倒する)


……うん。アザトくんの望むままに。私の力は全部、アザトくんにあげるから。


「エルティナ、奴の封印を解放しろ」


「そんなことしたら……」


「俺は鬼神の戦意を折る。二度と復活しようなどと思わないように、な。そのためには、封印さえなければなどと思わせてはならない。全力を以てして、人間如きに敗北したと思わせる必要があるのだ。……それは、お前の利益でもあるだろう」


「ああもう、ぐずぐず話してるうちに世界を元に戻すギリギリまで力使っちゃったじゃない。……知らないからね」


 吐き捨てるようにエルティナが封印を解く。刹那、鬼神は23の魔法を即座に発動し、己の肉体を凄まじい倍率で強化する。それこそが、アザトの狙いだった。


「全力で来い鬼神、これからお前を折るのは、たった二人の人間の意思だ!」


(時間軸をずらせ。厳密零時間に無限回の打撃を叩き込む。奴がこちらの時間軸に追随してくるなら、逃げきれ。奴が対処してくるようなら、全て潰せ。頭の悪い力押しだが、ついてきてくれるか?)


……勿論。ねえ、アザトくん。


(何だ?)


……愛してるよ。


(どうやら、俺もそうらしい)


 直後のアザトの動きは、またも厳密零時間のうちに行われた。杖による守護霊の加護の破壊は、間に合わない。時間をどれだけ操作しようが、時間を定義する時間軸そのものを操作して動くアザトを捉えることはかなわない。


 アザトにとっては永遠にも等しい時間。アザトは殴り続けた。

 対敵の防御は万全であった。装備においても、能力においても。だから、アザトはその主観においては長い時間をかけてそれらを一つ一つ 捻り潰す。

 どんな抵抗も無意味だと、鬼神に思わせるために。

 それは根競べだった。アザトが諦めるか、それとも、鬼神が、折れるか。

 結論から言えば、アザトは敗北した。

 鬼神に、根底から敗北を認めさせることは出来なかったのだ。


 だが。確かにアザトは、鬼神を倒した。


「終わった、か……」


 永遠にも等しい厳密零時間が経過したのち、立っていたのはアザトだった。

 その傍らには、既に鬼神の姿を失ったブラックが、眠るように倒れていた。


「無駄な意地を張って余計な労力を使った気分はどう? ゴミクズ」


「彼に伝えてくれ。これが俺の、愛の形だと」


 答えにならない応えを返すアザトの顔は、晴れやかであった。

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