第44話




 今朝、私がリハビリ室に来てみると、珍しく美咲ちゃんが先に来ていた。

 彼女は以前、朝が弱く、なかなか起きられないと言っていたにもかかわらず、今の彼女は準備万端といった風に、何だかやたらと身体を動かしていて、私が部屋に入ったことにも気付いていないようだった。

「おはよう。今日は早いね」

 私が後ろから声をかけると、美咲ちゃんは思いきり肩をビクッとさせて、ごまかすように手を振り返す。

「あ、うん。おはよう。何か変な時間に目が覚めちゃってさ」

 へへ、と笑いながら後ろ頭をかいている彼女に、私はやはり違和感を感じずにはいられなかった。

「何かあったの?」

「へっ? い、いや別に何もないよ」

 怪訝に思って問う私に、彼女は慌てたように否定してみせる。

〈おかしい。やっぱり今日の美咲ちゃんは変だ〉

 別に嫌われたとか、そんな感じでは全然ないし、嫌われるようなことをした心当たりもない。

 ただ妙に浮わついているというか、時計ばかり見てそわそわしているのだ。

〈今日、何かあったっけ……?〉

 思考を巡らせてみるも、特にこれといって思い当たるものはない。せいぜい、今日は日曜日だというくらいだ。

〈日曜日……?〉

 そこで私はピンときた。だから私は咳払いをひとつして、美咲ちゃんへニマニマした顔を向けながら言った。

「そういえば、今日って何曜日だっけー?」

「ええと……日曜日、かな?」

「そっかー。日曜日かー。学校は今日休みだねー」

「そ、そうだね……」

 美咲ちゃんの視線が分かりやすく泳ぐ。かわいい。

「関係ないけど面会時間って九時かららしいよー」

「知ってるよ!」

 とうとう美咲ちゃんは真っ赤になって言い返してきた。思ったとおり、いつか見た彼氏君がお見舞いに来るらしい。

「いいなー。彼氏君がお見舞いに来るのかー。ね、紹介してくれる?」

「紹介するのは別にいいけど彼氏じゃないから!」

「そうなんだ。ところで彼氏君の名前って何ていう名前なの?」

「話聞いてる!?」

 そんなやりとりをきゃいきゃい繰り返しながら、私は以前、一度だけその男の子が美咲ちゃんと一緒にいるところを見たことがあること、特に親しげにしていた姿が印象に残っていることを、これ以上なく冷やかして言った。

 美咲ちゃんは「彼氏じゃないから!」と何度も否定していたけれど、その微妙に嬉しそうな恥ずかしそうな表情から、まんざらでもないことは明らかだった。彼女の言うところによれば、夏休みの間、彼──手嶋君という名前だそうだ──は朝に学校の部活へ行き、昼から塾へ通って、夕方ごろ、私が眠っている時間帯に来ていたらしい。新学期になってからも学校に塾にと忙しいせいでなかなか余裕がなかったそうだけれど、今日は空いていて、朝からお見舞いに来るという。

「それでそんなにそわそわしてたんだね」

「そわそわなんて、別にしてないし……!」

「照れなくたっていいのに」

「照れてない!」

「はいはい」

 先ほどと同じようなやりとりを繰り返しているうちに、私は自分が妙に上擦った気持ちでいることに気が付いた。と同時に、それは二人の特別な関係を間近にして、心の奥底で感じる痛みを誤魔化そうとしているんだな、ということを自覚せざるを得ないものだった。

 その事実を思いのほか冷静に受け止められたのは、浩樹君に追い付くために、共に並んで歩けるようになるために、前を向いて努力しようと決めて実践していることが、やはり大きいのだろう。

 ──現実はすぐには変わらない。変えられない。けれども気持ちのあり方は、自分の意思で変えられる。

「おはようございます。今日は二人とも早いですね」

 高田先生がにこやかな笑顔で私たちに声をかける。

 始めましょうか、と準備する先生へ、私は明るい気持ちで「はい」と答えた。


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