第4話




 私たちはそれから親しくなっていった。といっても、いわゆる恋人のような付き合いではなく、ただ話をして一緒に帰るだけという間柄ではあったけれど、浩樹君と二人で過ごす時間は、いつか来る別れを意識しながらも、心穏やかに過ごせる幸せな時間だった。

 その日は一学期の終業式で、ホームルームが終わった後、私たちは帰り道を連れ立って歩いていた。日は中天に差し掛かったばかりで、目に痛いほど鮮やかな青空に、この上で跳ねたら気持ちいいだろうなと思わせるような真っ白い入道雲が、遊ぶようにかかっていた。

「暑いな……」

 言いながら浩樹君は手で顔を扇いだ。日焼けした首筋に流れる汗の匂いが少し漂ってくる。

「暑いね……」と鸚鵡返しに答えながら、倦怠感を振り払うように私は元気よく続けた。

「でもさ、明日から夏休みだよ。遊び放題じゃん!」

「ちぇっ、アタマいいやつは気楽だよな。俺なんか夏休みの半分くらい補習に消えちまうよ。そうでなくても宿題が多いのに」

 漫画みたいに大げさに肩を落としてみせる浩樹君が、何だか可愛らしかった。

「宿題くらいなら私が教えてあげてもいいよ」

 と、さりげなく夏休み中にも彼と会える口実を作ってみる。

「マジで! 写させてくれるの! ありがとう藤咲。助かるよー」

「ダーメ。宿題は自分の力でやらないと」

「何だよーまるでマジメみたいなこと言って」

「分からないところは教えてあげるから、ちゃんと自分で解くこと。いい?」

「そんなこと言って、本当は俺に会いたいから言ってるんだろ?」

「あら、浩樹くんは私に会いたくないの? じゃあ宿題も全部ひとりで出来るってことね」

「う……、スミマセン。教えて欲しいです……」

 そんなやりとりをしながら、あぜ道を二人で歩いていった。浩樹君はその繊細な顔つきとは裏腹に、まるで昔からの友人みたいに私に話しかけてくれて、さりげない言葉のひとつひとつが、彼を想う気持ちとは別の場所をいつもあたためてくれた。そのせいもあってか、私は無意識に彼のことを「宗澤君」ではなく、「浩樹君」と呼ぶようになっていた。それに「ムネサワ」という響きは何となく彼には似合わない。やっぱり浩樹君は「ヒロキ」という名前の方が、しっくりくる。

 夏の日差しに照らされた土のにおいがする。道の右沿いからは瑞々しい緑に染まった穂の草いきれが空気を濃くし、左側に茂ったクワやカエデの林がそれらを中和してゆく。涼風がやかましいくらいの蝉の声を運んで、その声に負けないように浩樹君は声を張って言った。

「木元屋に寄って行こうか」


 木元屋は帰り道にある昔ながらの駄菓子屋で、ペンキのはげかかった字で「木元屋」と書かれた古い大きな看板が屋根に掲げてある。店の中はひんやりとうす暗く、けれども不快ではない。

 私はここに来るといつも何を買おうか迷ってしまう。木元屋はコンビニやスーパーには置いていないような小粒なお菓子がたくさん並んでいて、実際初めて来たときには、百円でこんなにお菓子が買えるんだとびっくりした。わくわくしながら、あれこれと行ったり来たりを繰り返す私を尻目に、浩樹君は迷うことなく商品を選んで、私はいつも彼を待たせるのだった。

 結局いつものラムネと、二十円のチョコバー、三十円の棒付きキャンディにした。店のおばあさんがレジにいなかったので、横にしつらえてあるメモ調に商品の名前を書いて、その上に代金を置く。浩樹君もそうしていたみたいで、ラムネの文字がチラッと見えた。

 店の外へ出ると、浩樹君は店先に置かれた色褪せたベンチに座っていた。「おせーよ」という言葉に「ごめんごめん」と答えながら隣に座る。そっと横目で彼の方を窺うと、長い首を流れるラムネが彼の大きな咽喉仏を律動させていて、私は自分のラムネを開けながら、ニヤけた顔を悟られないように密かに見惚れていた。

「でも藤咲、何でそんなに時間がかかるの? あらかじめ決めておけばいいのに」

 浩樹君が壜から口を離して私に顔を向けた。

「うーん……何ていうか、私は古いものがたくさん並んでいるのを見ることが好きなの」

「何だよそれ」

「ほら、私、小さい頃から転校が多かったって言ったでしょ? だからね、自分の居場所っていうのかな。『故郷』って言葉にすごく憧れてて。何十年も変わらず同じ場所に立ち続けているこのお店とかを見てると、どことなくホッとして、ついつい長居しちゃうのよ」

「そんなものかな。俺はずっとこの町で生まれ育ったから、むしろ他所へ行ってみたいと思うけど」

 穏やかな沈黙の時間。ラムネの中にあるビー玉へ陽光が反射する。複雑な形状をした壜に、虹色の輝きがいたずらをするように跳ねて、二つの透き通ったガラスの中に、私は確かな夏の匂いを感じた。

 すぐとなりのバス停にバスがやって来て、大勢の人が降りてきた。「世界的パラボラアンテナ設置の町」という看板を誇らしげに掲げたバスを見ながら、浩樹君は突然立ち上がって、

「藤咲、あそこへ行こう」

と言っていきなり駆け出した。

「待ってよ! 浩樹君」

慌てて後を追う私に、彼は笑いながら振り返った。

「早くしないと置いてくぞ!」

 上り坂を二人で息を切らせながら走ってゆく。二人だけの秘密の場所をめざして。


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