勇者の天敵が魔王ってデタラメなんですけどっ!?


勇者の天敵が魔王って嘘八百デタラメなんですけどっ!?




「でも、アメツチ、お前……何か変わったか?」


 主人公らしい鋭さでアテルイはアメツチの変化に気づいている。


 アテルイとはそういう女だ。


 アテルイとは個人名ではなく、勇者の名だという説から生まれた『恩讐のアテルイ』で、女でありながらアテルイの名を継ぐ事は、容易い話ではない。


 男を凌駕する体力と頭脳。


 女らしい情のこわさや人としての意志の強さ。


 エニシさんが理想の女性だとするならば、アテルイは強く聡く女の象徴だろう。


「ああ、俺は御霊みたま天啓しめしを授かった」


 だから、アテルイはアメツチのそんな台詞にも動じず、嘲笑う事も恐れる事もなく聞き返してきた。


「それは、どういう話なんだ? また盟守ムスビの教えを護れって話なのか?」


 アメツチとアテルイの決定的な対立要素についての例えと思ったらしい。


「いや、これから何をして何をしないで、どう動くかのための話し合いがしたいんだ」


 確かにアメツチがしようとしている話は、周囲の豪族ヨクブカの圧力に対しての対応についての話ではあったが、今日はいつもアテルイとしているような抽象的な話ではない。


 アメツチがするのは、さとの滅びを回避し、|を『恩讐のアテルイ』の物語から決定的に切り離すための話し合いだ。


「……本当に変ったな、アメツチ。一晩で見違えるくらいだ」


 そのアメツチの気合を感じ取ったのか、アテルイの瞳が戦いを語るときのように輝く。

 

 『恩讐のアテルイ』の中でく描かれたそれは、マンガの中でのアメツチとアテルイの関係を象徴しているかのように剣呑でいて美しい野生の光だった。


 そう、アテルイの物語では端役でしかないが、アメツチは確かに勇者の天敵なのだ。


 『恩讐のアテルイ』は、全てを失ったアテルイの復讐の物語であると同時に、それでも人間として生きたアテルイの報恩の物語だった。


 そしてアメツチは、アテルイの物語の中で、回想としてしか出ない端役でありながら、苦しめるために生命いのちを救い復讐に生きるしかなくさせた存在。


 言い換えるなら、アメツチはアテルイの人生を決定付ける呪いをかけた恩讐相半ばした天敵だった。


 だが、『恩讐のアテルイ』のアメツチより、妄念であり<死念>である<輪廻転生>という<志念>が宿った今のアメツチのほうが、勇者アテルイの天敵というには、より相応しいのだろう。



 アメツチに<輪廻転生>が宿ったのは、無念を覆す奇跡を願う無数の心が時空も世界も超えたからだ。


 無数のアンハッピーエンドを迎えた世界の魂達が生んだ奇跡によって生まれたこの可能性世界で、さとが滅びる事で始まったアテルイの運命は変るはずだ。


 いや、アメツチが必ず変える。


 けれど、勇者アテルイにとっての天敵アメツチが、生き方を決定付ける存在であるというのは変えられない宿命なのだろう。


 なぜなら、アテルイは戦いの中でこそ輝き、アメツチは戦いを起こさぬために生きる盟守ムスビの一族の一人だからだ。


 勇者アテルイが、起こってしまう争いの中でこそ、自分らしく輝ける英雄なら、アメツチは、争いの中でも人々の生活を支え配られるための道具や糧を作り続けて、奪われ傷つけられ殺されていく‘ 名もなきその他多勢 ’の遺志から生まれた奇跡だからだ。


 『恩讐のアテルイ』の主人公が、‘ 世界を私したいと願う者達 ’の我欲の中で傷つき死に瀕した者のために涙して、その者達が創りあげてきた世界に生きる者として恩を感じ、怒りながら復讐する者なら、『恩讐のアテルイ』の端役である事を止めたアメツチは、‘ 世界を私したいと願う者達 ’を諌め、‘ 争いを止めようと抗い続ける滅び逝く者達 ’を護るために理不尽と悲劇を食い止めようとする者だからだ。


 理不尽を覆すために戦う事を選ぶだろう勇者と、理不尽を行わせないために戦わせない事を選んだ‘ 勇者の天敵 ’。


 それがアテルイとアメツチの関係だ。


 権力者に選ばれた一握りのエリートが、他の人々を、家畜やペットとして扱うようなやり方。


 力という理不尽こそが人間を服従させて秩序を生み出すという我欲の理屈 で、人が援けあい共に創りあげていく「人類の生存戦略」を、自分達に都合よく捻じ曲げる理不尽。


 そんな人間社会が克服すべき「自滅本能」から生まれた理不尽を人間社会のルールと定め‘ 自然の摂理 ’と呼んで誤魔化そうとするような権威。


 そういった悪意を打ち砕くには、勇者や英雄ではダメなのだ。



 まして、理不尽を更なる暴力の理不尽で覆す自称魔王や自称神の権力に与するのでは意味がない。


 それが和のくにの人々が選んだ生き方で、盟守ムスビの一族として集まったこのさとの在り方だ。


 『恩讐のアテルイ』の物語の中で、アテルイもアメツチも、目の前の危険によって、その生き方を貫く覚悟を見失った。


 それをアメツチは正さなければならない。



 数年後のアテルイならアメツチなど敵わないくらい手強く成長してるだろうが、今ならば何とかなるはずだ。


 前世はともかく、前々世の俺は、一応だがフリージャーナリストだ。


「アテルイ、俺はこのままならさとが滅ぶと解った。でも、オマエのやり方じゃさとは救えない事も解ったんだ」

 

 だから、アメツチは、事実から意見、そして提案という流れで結論から口にした。

 

 ちょっとした会話テクニックというやつだ。


「だから、オマエと一緒にさとを救う方法を考えたい」 


「それは、やつらには勝てないって事か? そんな事はない! 武を鍛えて力を見せ付ければやつらも諦める」


 だが、思ったとおりアテルイは今までのようにアメツチを否定した。


 ここでアメツチが今までと同じように否定を返せばいつもどおりの子供のケンカが始まっただろうが、もちろん俺はそんな事はさせない。


 アテルイへの劣等感や嫉妬というアメツチの感情を俺が制御すれば、同じ過ちは繰り返さずに済む。


「諦める? 本当に、あの強欲で我儘にしか生きられない飢えた猿のような侍達が、諦めるなんて事ができると思ってるのか?」


 他ならぬアテルイの一族が豪族ヨクブカ武士シグルイを、棍棒や投石といった原始的な武器の使い方を教えるような強いボスに率いられて増えすぎた猿の一団が収穫の時期に現れた時に例えた台詞で問い返す。


 それが、アメツチとアテルイの‘ 言葉による戦い ’ではない‘ 言葉による激突 ’ぶつかり合う事で共に磨き合う真理への探究の始まりだった。

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