第3話 母の決断

 それからほどなくしたある日、ばいは厳しい顔をした母に呼ばれた。

 姉妹たちは皆不在だった。官庁で行われる式典に呼ばれていたからだ。正式には呼ばれたのは竹葉ちくよう菊珍きくちんで、半人前の蘭君らんくんはそのお供……という名の顔見せに行っている。

 本当だったら梅花もいくはずだった。しかし今日は、のどの調子が少しよくなかったから、大事をとって一人だけ妓楼に残っていた。


「どうしました?」

 段静静だんせいせいが死んだときをはるかに超える深刻な雰囲気で言われた内容は、雰囲気とたがわず確かに深刻だった。


こうの選抜?」


 公妓とは宮妓とかんのことだ。

 前者は芸で宮城に奉仕する妓女のことである。皇帝の日々のりょうを慰めたり、典礼の際に歌舞音曲を提供したりする女たちだ。後者は官庁に所属する者たちで、やはり公式行事において芸を披露する。

 社会的な地位としては、梅花たちのような私妓しぎと呼ばれるものたちよりも幾分か高い。


 だがその扱いは時代によって違っており、今の時代は公妓にとっては最悪といっていい状態だった。

 そもそも選抜が必要になった原因自体が、彼女たちの不遇のあかしのようなものだ。

「ほら、この前の戦の褒美でだいぶ出したから」

 皇帝は最近行われた出征で武勲をあげた者たちに、褒美として公妓を賜っていた。その結果、数が足りなくなったのだ。

 しかも当今は、だからといって儀式や宴の規模を縮小するような人間ではない。


 公妓は芸を献じる立場としてそれなりに尊重されるが、身分のうえでは下働きと同じ賤民せんみんで、所有される立場だ。

 したがってなにかのときには、物のように所有権が譲りわたされる。その点、自由度は梅花たち私妓のほうが圧倒的に高い。

 だからあの段静静も、かつて皇帝に宮妓になるよう要求されたのを断ったのだ。そして皇帝直々のご指名を断ったとして、彼女の名声は絶頂を極めた。


 だが今回は、断って名声があがるというような事態ではない。


「お断りはできないの?」

 無理だとわかっていつつも、梅花は問わずにはいられない。

 花街の妓楼は、独自に運営されている。しかし実際のところ所属する妓女たちは、「きょうぼう」という公的な機関に籍が置かれている。

 したがって実をいうと、広い意味では梅花も「官妓」に分類される。

 だから買断されていたとしても、今日の竹葉のように役所関係の行事に出る義務があるし、このような要請を断ることはできない。


 案の定、母は首を横に振る。

「それに妓楼を名指ししていたから、必ず一人出さないと」

「そんな……」

 断るどころの話ではない。もはやそれは実質的な徴発だった。

 妓楼の名を背負って出るからには、落ちることは許されない。落ちようものならば妓楼自体の格が下がるからだ。

「お前を出すことはできない。だからわたしは、菊珍しかいないと思ってる」

「……はい」

 竹葉は口がきけないという点で、選抜の条件に満たない。

 蘭君はまだすうの身分だ。一人前ではない者は出せない……というのは口実だ。これまで彼女を育てるために、大金がかかっている。彼女の水揚げの際に入るその儲けがなければ、妓楼が傾いてしまう。

 したがって残るは梅花か菊珍である。なぜ菊珍のほうを選んだのか……それは菊珍のほうが格上の妓女であり、間違いなく選ばれるであろうから、というものではない。

 梅花は母の思考が手にとるようにわかっていた。


 ――どちらが竹葉の人生の面倒を見てくれるか。


 四人の姉妹のなか、竹葉だけは母の実子だ。

 そうでなければ、彼女は妓女にはなれなかっただろう。辛辣しんらつな目でみれば、彼女は生まれつき不利な条件を持っているのだから、この花街でわざわざ手をかけて芸を仕込むなど、実の親でもなければするわけがない。

 そしてそこまでして竹葉を育てただけに、母の竹葉への情は深い……というより、元々この人は懐に入れた人間に対して情が深くて、実子ではない三人もほんとうにかわいがってくれた。仮母が妓女をいたぶる話がそこら中に転がっている、この花街で。

 それだけに、我が子に対する彼女の気持ちが強いものだということは、梅花にはよくわかっている。


 母が案じているのは、竹葉が妓女として動けなくなったあとのことだ。


 彼女は誰かに助けてもらわなくては、生きていけない。

 梅花は彼女の死まで面倒をみるつもりでいる。宣言したことはないし、頼まれたこともないが、そう思っていることを母は知っている。

 その点、なさぬ仲でも赤子のころから一緒にいた仲だ。お互いの思うことはよくわかっている。


 だが菊珍は?


 彼女は竹葉の面倒を見てくれるかもしれない。

 だがそれは、「かもしれない」ところまでしか梅花にはわからない。それは母も同様なのだ。


 梅花はうなだれた。

 ひどい人間だ。母と、自分は。


 ――わたし自身、菊珍がねえさんの面倒を絶対見てくれると確信できないから、「わたしが行きます」と言えない。


「……菊珍なら、きっと大成しますよ」

 公妓のなかでも、民間から選ばれて入った者は、ほかよりも優遇されると聞く。ましてや菊珍のように実力のある妓女ならば。

 だからよほどのことがない限り、誰かに渡されることもないはず。



 けれどもそんな考えは言い訳にすぎないし、もしかしたらそんなふうにずるいことを考えたから、罰が当たったのかもしれない。



 話を終え、二人で無言で茶を喫していると、蘭君がいきなり帰ってきた。

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