誰も知らないわたしの話

高橋 夏向

第1話 私は目を覚ました

 覚め切らない意識の中、私は違和感を感じていた。机に伏せ眠っていたこともあるけれど。それ以上に夏の蒸し暑さに。

 肩を越す自分の髪と皮膚の間に伝う汗の感覚がある。着ている服は半袖で、擦れて音を立てたスカートの感覚は確かに夏の制服のそれで、夢にしてはやけに現実味がありすぎる。

 これは夢なのだろうか。それとも、現実なのだろうか。ふわふわと思考が定まらない中、扉が開かれた音が聞こえる。この音には聞き覚えがある。教室の古びた扉のものだ。

 顔を伏せたままにその音の動きを詳しく知ろうと耳を澄ます。息を切らした呼吸音と、上履きが床を叩く音が聞こえる。その足音は感覚が狂っていなければ私の前で止まった。

「ミツバさん。部活終わったよ」

 そう言って優しく私の肩を叩く誰か。他人との接触が好きでない私は驚いて飛び起きた。いったい誰が、という疑問は他の思いに塗りつぶされる。

「……葵、くん?」

 どうして彼が。私が混乱を顔に出せないまま彼を見ていると、彼は不思議なほど柔らかい笑顔を私に向けた。

「いつも待たせてごめんね、待っててくれてありがとう。にしても、寝ちゃうくらい疲れてるなら、言ってくれれば部活なんて休んででも送っていくのに……」

 葵くんはそう言って私の頭を割れ物に触れるくらいの手付きで撫ぜた。ますますわけがわからない。動きが固まったままの私を見てくすりと笑うと、彼は慣れた手付きで私の荷物を纏め始めた。おかしい、どうして。頭の中で問う言葉はいくらでも出てくるというのに、一向に口は動かなかった。

 荷物を纏め終えた彼は当然のように私の荷物と自分の荷物を片手に持ち、空いている方の手を差し伸べてきた。

「じゃあ、帰ろうか」

 私は何も言えないまま席を立ち、椅子を仕舞ってから彼の手を取った。指を絡められる。驚いて彼の顔に目を向けると、彼は淡い赤に染まった頬で微笑んだ。

 彼は南川 葵。私と同じ小学校、中学校の出身で、同じ高校に進んだ男子生徒だ。そういうことはしっかりと思い出せるのだ。何の違和感もない思い出も、記憶もしっかりと頭に残っている。だからこそ断言できる。

 私と葵くんは、ただのクラスメイトだ。小中と一緒だったため他の男子生徒よりは会話する機会も多かったけど、ただそれだけ。何の変哲もないクラスメイトのはずなのだ。だというのに、何故か彼は私の手を引き、今日あった出来事について楽しそうに話をしている。

「……葵くん」

 特に反応を示していなかった私が声を掛けると、彼は「ん?」と呟き私に目を向ける。私が歩みを止めたのに合わせて彼も足を止めたから、彼は良い人なんだろうなと他人事のように思う。

「あのさ、今日って何月何日だっけ」

 訊ねると彼は大して悩みもせず「7月16日だけど、どうかしたの?」と答えた。

「いや……なんでも」

 そう返すと彼もなんでもなさそうに「そっかー」と返してきた。私の突然の質問に慣れたかのような反応だ。

 もう何もかも意味がわからなかった。葵くんに手を引かれる意味も、今日の日付も、私がいた教室に3-2と書かれていた理由も。

 目を覚ましたら半年以上が立っていたなんて、どういうことなんだろう。その問いは誰にも出来ないまま、妙な違和感だけを残していった。蝉の鳴き声が聞こえる。確かに夏なんだと、私の全身は教えていた。

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