歳歳年年男同じからずや

「キリシマや。真昼間っから惰眠を貪る暇があるのなら。おまえ、隣町へちょいと一走り、使いに行ってはくれんかの」


 時は2120年。場は東の海に浮かぶ島国。

 サムライの血を継ぐ『キリシマ・エンカ』十八の夏。


 強い日差しが世界を照り付ける。

 キモノを汗で着崩したまま、耳をつんざく様な蝉の合唱を聞き流し、縁側に横になっていたキリシマは、父『キリヤマ・エンカ』から使いを頼まれた。


「なんだ親父。まあた爺の薬か?」

「うむ。当代無敵で名を馳せた先代『キリウタ・エンカ』とて、もはや六十の晩年。父上も人である以上、齢には勝てぬと言ったところよ」


 エンカ家は戦国と呼ばれていた時代より代々受け継いだサムライの家系である。古くは国の為に刀刃を振るった歴史があるが、この泰平の世に至ってより、街の幼き子供達への指南を中心として、精神を鍛えんとする輩、はたまた武芸に生きる者に剣の道を嗜ませる道場を営んでいた。

 キリシマも例外ではなく、物心つく前には両手に豆を作らされ、以降、今に至るまで父キリヤマと、祖父、キリウタの厳たる指導を受けてきた。幼くして母を亡くしたキリシマは、その仕儀もあり、道場生はおろか、他流試合にて交流を計る際にも次第に相手を減らしていった。キリシマの持って生まれた武才と、潜り抜けてきた艱難辛苦は、キリシマの刀を単一で至高なる極地へと磨き上げていたのである。

 だが、当のキリシマはと言うと、磨き上げるだけの体貌に、心底興を削がれていた。如何に研ぎ澄まされようが、その抜き身を人に当てれば即御用となるこの時代。キリシマの眼睛に剣術とは、居間に飾られた高価なる掛け軸の様に、威光を醸し出すだけの下らないものとして映っていた。

 祖父のキリウタにしても、古くは幕府に仕え動乱の世に名を残したと聞くも、この田舎町に根を生やしている今の現状に、狡兎死して走狗烹られたのではとさえ勘繰るようになっていた。恩こそあれ、祖父の一振りに崇敬は出来なかった。

 そんな祖父も、キリシマの体が出来るにつれ床に就きがちになる。もはや、一日の大半を枕に頭を付けて過ごすその謂われは、やはり、齢により抗えぬ病魔であった。


「親父、いつもの薬でいいんだな?」

「ああ。……ほれ、これを持っていけ」


 キリウタは懐から取り出した一つの麻袋を、依然横たわるキリシマに放り投げた。

 キリシマはそれを受け取るも、その重さに一抹の違和感を抱く。


 エンカ家が根を伸ばすこの田舎町には、医者と呼べる存在がいなかった。故に、祖父の薬を購求しに、ここよりいくらかは栄えている隣町までキリシマが走らされる事は珍しくはなかったのである。

 キリシマは身を起こし、麻袋を開けると中を覗く。


「どうした親父。どうやらいつもより多いみたいだが」

「なに、キリシマ。残りは駄賃として受け取っておけ。この暑さだ。氷菓子の一つでも買うといいだろう」

「なんだ? 今日はやけに気前がいいじゃねえか。何かいい事でもあったのか?」

「なあに。儂とて偶には親らしい事もする。そう優曇華の花でも見つけたような目で見るな」

「後で返せと言ってもなにもでてこんぞ」

「心配するな息子よ。武士の言葉に二言は無い」


 キリヤマはいつもそう言って、子供をあやす様にキリシマに笑顔を向ける。

 その言葉に込められた真意をキリシマが知ったのは、海を隔て、遠く離れた異国の地での事だった。




*** *** ***




 隣町で薬を買い終えたキリシマは、色香を醸し出しながら道行く乙女たち全員に声をかけるも、その全てに脈の一筋も見いだせなかった事に失意し、目についた一軒の茶店に腰を下ろした。

 いつもなら直帰するところ、今日のキリシマは一味違う。金があるのだ。

 店に入ったキリシマを見つけると、盆に毛茸を浮かせた湯呑を乗せ、若娘がやってきた。


「いらっしゃいお客さん。なんにする?」

「そうだな……、とりあえず くず餅をくれ。——おお! それよか、あんた偉い別嬪だな」

「後ろ手に結った長髪、着崩したおべべに女手の早さ。あんた、もしかしてエンカさん家の一人息子だね?」

「なんだ姉ちゃん。俺の事を知っているのか?」

「当然、あんたはこの街じゃあ有名さね。——誰彼構わず手を出すぼんぼんの馬鹿息子、ってね」

「なんだ!? そんな事誰が言い出しやがった!?」


 キリヤマに嫁いできたキリシマの実母『カオル・エンカ』を、流行り病により、若くして亡くしたエンカ家には女手が無かった。幼少期より剣術の修行に明け暮れ、女子との交流が無かったキリシマがその反動で女好きに転じてしまったのは致し方のない事ではあったが、声を掛けられた町娘にとっては知った話ではない。

 何時しかキリシマは、隣町から訪れる度に見境なしに女を口説く、エンカ家きっての垂らしものとして、この街ではちょいとした噂がたっていた。先程のキリシマの健闘にも、町娘が靡かなかったのも無理からぬ話ではあった。


「あんた、あんまり家名に泥を塗る様な事をするんじゃないよ」

「いいんだよ。あの道場も親父の代で打ち切りさ」

「やだね。なあに冗談言ってんだよ。ほら、お詫びにくず餅一個付けとくから元気だしない!」


 この国にエンカ家ありと謳われたキリウタの時代。だが、気付かぬうちにも月日は流れた。いつしか達人と言われた男は一介の老人となり、いつしか他国からは銃火器などの近代兵器がなだれ込み、いつしか刀は時代遅れと揶揄される様になった。

 キリシマの吐いたその一声は、冗談でも自虐でもなく、自身の本音からの屹度だった。


「あんた、いい女だな」

「お生憎。うちは子持ちだよ」


 キリシマが肩を落とすと、淡い恋心と同じく、くず餅にかけられた黒蜜の更に上にのせられていたきな粉が、ふわりと机に散らばった。




*** *** ***




 すっかり茶店に長居したキリシマが帰路についたのは、当に日が暮れ、あれだけ五月蠅かった蝉の泣き声がすっかり聞こえなくなった時分である。

 暗い夜道をひた走り、十八年間を過ごした我が家が視界に入った時、キリシマは一人の男と出くわした。薄暗い中顔が浮かびあがり、発せられたその声で確信を持つ。


「キリシマか。大分……、遅かったな。待ちくたびれたぞ」

「親父……? なんだよ……それ……?」


 道場の前に佇んでいた男はキリシマの父、キリヤマだった。その腰には刀をぶら下げてある。普段見ない父の帯刀姿。いや、それよりも——


「何だよ親父!? まさか、人を斬ったのか!?」


——キリヤマの纏う着物は返り血で真っ赤に染まっていたのである。


「キリシマ。儂は国を出る。ここへは戻らない」

「何言ってんだよ……? 何言ってんだよ! 親父!」

「儂が憎けばお前も後を追ってこい。その刀に定見を宿した時、儂はおまえの前に再び訪れる。二進も三進も無く、今のおまえには斬る価値もない」


 キリヤマはそう言い残し、背を向けキリシマの目の前から立ち去ろうとした。

 予測はついていた。だが信じたくなかった。否定したかった。して欲しかった。故にキリシマは、尋ねざるを得なかった。


「待て親父! 一体誰を斬ったんだ!?」


 歩みを止め、振りかえりもせずキリヤマは言い残す。


「なあに……。死にぞこないの老人を一人……」


 その言葉を聞いたキリシマは家に向けて走り出した。向かうは祖父、キリウタが眠る寝室だ。戸を開け、家に入ると廊下を進む。飛び散った血に染まる障子を開けると、そこには横たわるキリウタの姿があった。


「おい、爺!!」


 腹から血を流す祖父の肩を、キリシマは抱いた。幼き頃は何よりも恐れたが、今はあまりに軽いその体。

 消え入りそうな、蚊ほどの虫の息で、キリウタは目を開ける。


「……キリシマか……?」

「おい爺! なにがあった!? 待ってろ! 今医者に連れていく!!」


 キリウタを抱き上げようとしたキリシマであったが、それは細い腕で拒まれる。

 数多の修羅場を潜った伝説のサムライは、自身に残された時が残りわずかであるとすでに察していた。


「なにしてんだよ爺!」

「聞け、キリシマ……キリウタ・エンカの最後の庶幾を……」

「最後ってなんだよ!? 何諦めてんだ!? あんた英傑なんだろ? こんな事くらいでくたばんじゃねえよ!!」


 キリウタは手に持っていた刀をキリシマに差し出す。それはエンカ家に代々受け継がれる家宝二刀の内の、一振り。キリヤマの腰に掲げられた真打に双する『アメノムラクモノツルギ』であった。


「キリシマ、お前はこれを持ってして奴を追え……いつか……おまえは……奴を——」

「おい爺! 死ぬな! 死ぬんじゃねえ!」


 キリシマは祖父の体を揺らし続け、名を呼び続けた。だが、返事が返ってくることは二度となかった。十八の夏、キリシマは家族を失った。




*** *** ***




「やべ、寝ちまってたか……」


 異世界で用意された広い闘技場。その片隅に腰かけていたキリシマは、余りの退屈さに夢を見ていた。懐かしく、忌まわしい、遠い昔の物語である。


 祖父の遺言通りに海を渡ったキリシマは、キリウタの無念を果たす為旅を続けた。そのためには一つの条件がある。それは、世界一の剣豪になる事。キリシマが剣術の天才なれば、キリウタが剣術の奇才なれば、キリヤマは剣術の鬼才である。その腕には天と地程の、途方もないほどの差異がある。地を行くキリシマにとって、父、キリヤマは碧落の存在にある。

 その如何ともしがたい距離を、キリシマは縮めるべく強敵を探してきた。己の命を捨てるように、より一層刀を磨いてきた。


 目の前には——


 世界中から寄せ集められた好敵手がその時を待っている


「……そろそろ、行くか」


 開会が宣言される。




*今書いてる終焉曲の一部を抜き出したものです。

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