「まつとし聞かば」

第19話 松との出会い、再び


 意識が朦朧とする。

 ひたりひたりと冷たい不快な感触が、体中を蝕む。


 なるほど、これが「死」か。


 そう簡単に受け入れられるものじゃあない。「死ぬこと」よりも「独りになること」が怖かった。思えば、僕はたくさんの人に恵まれ、愛されてきた。大切な家族に守られてきた。


 それでも、時間は、老いは、容赦なくやって来る。


 僕は、死ぬ。


 116歳だっけか。人生1.5世紀時代から見れば短い人生だが、充分生きたと思う。心残りはもうない。


 ____本当に?


 何か、何か大切なものを、僕は忘れている気がする。



 ____立ち別れ



 暗闇の中、いつかの少女がこちらを振り向いた。



 ____いなばの山の 峰に生ふる



 少女がゆっくりとこちらに近づいてくる。



 ____まつとし聞かば



 少女は笑う。






「いま帰り来む」




 僕は上体を勢いよく起こした。窓の外はまだ深く暗い紫色だ。もうすぐ夜が明ける。僕は鼻に繋がったチューブを無理やり引き抜いた。ブザーが鳴るが、構わない。構っている暇はない。


 だって、先輩が待ってる。

 松の下で、約束したんだ……!


 ずっと忘れてた。だけど、今、ちゃんと思い出した。まだ、きっとまだ間に合う。


 不思議なことに、杖がなくても僕は歩けた。不思議なことに、病院の人たちは誰も僕に気がつかなかった。不思議なことに、僕はものすごいスピードで街を駆け抜けた。


 目指すは、松の山。


 あの一本松の下で。



 僕は、先輩にもう一度会いに行く。





 松の木に手を伸ばす。

 そして、触れる。
















つばさ!」


 松の木の裏からヒョッコリ顔を出した先輩は、あの頃と変わらぬ姿だった。


 100年ぶりの再会に、僕は涙があふれる。あふれながらも、僕は先輩に尋ねた。


「先輩、なんで、姿がそのままに……」

「何言ってんの? アンタもでしょ」


 そう言われて自分の姿を見ると、高校の制服を着ていた。手のシワもどこにもなく、髪もしっかり生えている。



 ああ、戻ってきたんだ。



「約束、守ってくれてありがとね」

 先輩がフワリと笑った。


 先輩、ごめんなさい。違うんです。僕は、ずっと、今の今まで、忘れてたんです。大切な約束を。二人で交わした、あの約束を。


 言いたいことが、謝りたいことが、洪水のように頭に流れてくる。それなのに、喉の奥がつっかえて、言葉にはできなかった。


 辺りは、立派な松の林ができていた。


「私が引退してから100年。友達増えたね」


 そう、僕らは戻ってなんかいない。

 ここは、僕らが高校生だったときから100年経った松の山だ。


「先輩は、何者なんですか?」


 僕の口から出た言葉は、単純な質問だった。


「私? 小宮花華こみやはなはなだよ。グリーン活動部、初代部長の」

 ああ、そうだった。この人は、こういう人だった。

「先輩は今までどこにいたんですか?」

「私はここにいたよ、さっきまでずっと。翼たちと一緒に、写真撮ったりしてた」

 訳がわからなかった。僕は頭を抱える。

「……ま、そうなるよね。じゃ、突然だけど聞くね」

 相変わらず、先輩の自己中ペースだ。懐かしいこの感覚に、僕はなんとなく安心感を覚える。


 それも束の間だった。


「翼。自殺しようとしてたでしょ?」


 そこで、思い出す。

 自分が昔、自殺しようとしていたことを。そして、先輩に救われたことを。


「なんで、知って……」

「ひいおじいちゃんが危篤だってことで、私はママと一緒にここに来たの。ひいおじいちゃんの地元だっていうここに。この、一本松のところに」


 そこで、ふと思い出した。

 いつだったか、孫の咲に自分が高校生だったときの話をした。グリーン活動部でのこと、曽根崎心中を観て出会った男女のこと、そして、その松の木のことを……。


「私が偉そうに話していたこと、やっていたことは、全部ママから聞いたことなんだよ」

「……!」

「まあ話戻すけど、それで一本松に触れてみたら、声が聞こえた。『ある人が自殺をしようとしている。だから助けてほしい』って。『その人が生きたいと思うようになるまで、隣にいてくれ』って。そして、私は100年前の世界に連れていかれたの」

 昔、神話で聞いたことがある。松の木は、時を繋ぐ神聖な木であることを。

「そうして、辿り着いた先にいたのが、戸塚翼とつかつばさ、アンタだった」


 つまり、先輩は僕の自殺を阻止するために、100年前の僕に会いに来た? にわかに信じがたい話だが、それが僕のたどり着いた仮説だ。そんなこと有り得ない。そう思いたいが、今自分が見ている現実が、その仮説を証拠付けている。


「仕組みはよくわからないけど、100年前の世界で私は生きてることになっていて、なんか普通に家とかもあるし、住民登録もできてるし、友人関係もうまく出来てるし、あんまりにもリアルすぎてびっくりしたよ」

 すごく細かいところまでやってのける松の木である。

「でも、翼が自殺を完全にやめるまでの期間限定だったらしくて、私は部活を引退したあと、またここに戻ってきた。で、どうやら私が100年前の世界で3ヶ月間過ごしている間、こっちの世界の時は止まってたっぽい」

「ですよね。僕の危篤のときに先輩がここに来て、そこから3ヶ月経ってしまったのであれば、多分もう僕は死んでます」

「……意外と冷静なんだな。私は松の木のことも100年前の世界に行くまで全然信じられなかったし、ていうかそもそも死ぬ間際だっていうのに偉く穏やかだな」

「はい。なんだかもう、死ぬ前なら何でもアリなのかなって思って。返って思考が柔らかくなりました」



 そういうもんか。短く笑った先輩の顔は、どことなく切なそうだった。






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