科学世界25 始まりの鐘
おかしいな――
一か所にまとめ、床に伏せさせられていた客の一人である俺は、目の前で進行中の犯罪行為を眺めつつ、疑問に思う。
霧さんが見たという一場面。それはもっと、切羽詰った状況になるはずだった。
発砲音、床に横たわる男、悲鳴、水たまりのようになった血。今のところ、そのような大事が起きる片鱗さえなければ、何らかのエクスが使われそうな気配すらない。
たった今も、金を出せといった強盗犯の一人が、店長と共に店の奥へと消えていく。
順調も順調。このまま進めば、金を盗られて犯人が逃げる。終了だ。
「変わっちまったか?」
「うん……そうかも」
小声で優子さんに話しかけると、小さな呟きが返ってくる。変わってしまったと言ったのは、霧さんの見た少し先の未来について。
霧さんが持つ能力のありがたいところは、その未来を変えられるということ。絶対の未来なんてない。これは、霧さんの口癖。
いるはずのなかった俺達がこの場にいることで、この強盗事件に何らかの変化をもたらしたかもしれないのだ。
「でも私達、なぁんにもやってないけどね」
「俺達が動いた方が、何か起きそうな気すらしてきた」
バタフライ効果。一匹の蝶の羽ばたきが、遠くの地で竜巻を引き起こす。
そんな言葉が頭をよぎるが、しっくりとはこない。その考えを元に行動するのであれば、霧さんの予知、その信憑性と意味が薄れてしまうからだ。
大げさに言えば、どこかの誰かさんが気変わりしたことで、強盗だって現れなかったかもしれない。
だから俺は、否定する。自分で持ち出しておいて何だと思うが、俺達が来たくらいでは大筋に変化はないだろう。
そう考えると、それはこれから起きることになる。人死はないに越したことはないが、油断するのはまだ早い。
声が聞こえてきたのは、俺がそんなしょうもない思考に囚われていた時だった。
「皆さん、おとなしくさえしていれば、きっと大丈夫です」
震える客達の中心で、力強い言葉をかける男がいた。
ウェイターと呼ばれる、接客業務を担当していた男だ。
「あいつらは、覆面を被っています。顔を見られたくないということはつまり、僕達を殺す気まではないはずです」
男の言葉に、周囲にいた者達が頷く。
あいつだって、怖いだろうに。従業員の鏡だな。と、俺も感心し一緒になって頷く。
だがそこで、事態は動く。
「ぺちゃくちゃとうるせえな。そこのお前、ちょっとこっちへ来い」
「僕、ですか?」
店内に残っていた方の強盗犯に声をかけられ、ウェイターの男が立ち上がる。
「あ、ちょっと待て」
悪い予感を覚えた俺が横から口を出し、素早く立ち上がる。
「俺も、俺の方がうるさかったんじゃないか?」
何を言っているんだこいつはと、数瞬おかしな空気が生まれ、強盗犯も怯む。
後から思えば、強盗犯を強引にねじ伏せる良い機会だったようにも思うが、この時の俺は、ただ男の代わりになろうと思っただけ。
しかしそれが、結果的に未来を変えた。未来を変えたとはまた大げさだが、少なくとも、気づきをもたらしたのである。
「何をするつもりかは知らないが、俺の方がいいに決まっている」
何がいいに決まっているのか。自分でもよく分からないことを言った俺は、苦し紛れに補足する。
「なにせ俺は、金持ちのお坊ちゃんだ」
「お、お前はいいんだよ! 座っとけ!」
安全に逃げ出すための人質確保か? それとも、うるさい俺達に対する見せしめに、暴行を加えようとでも?
強盗犯にとって何とも煩わしい俺が、そう続け食い下がる。
「その役目は、生意気なことを言っていたこいつにやってもらうんだよ!」
「いやいや、今の状況を見ろ。俺の方が生意気な自信がある。俺にしておけ」
「あの、お客様。僕なら、大丈夫ですから」
訳の分からない問答を繰り返す俺と強盗犯に、自分を庇う必要はないと訴えるウェイターの男。
コントのような雰囲気が続く中、俺は違和感を覚え始めていた。――何か、変だ。
これほど言っているにも関わらず、俺に危害を加えようとはせず、頑なにウェイターの男がいいと訴える強盗犯。
そして、怯えていたのは演技だったのかと疑うほど、問題ないと言い張るウェイターの男。
「ああもう、面倒くせえ。お前の相手は後でしてやるからよ」
「え?」
舌打ちをした覆面の男が、俺から視線を逸しウェイターの男へと拳銃を向ける。
「まさか、お前ら……」
「ま、そういうことだ」
湧き上がっていた疑念が、確信へと変わる。
拳銃を向ける相手に対して、怯えるより先に憤りの表情をしたウェイターの男。呟くような小さな声だったとはいえ、咄嗟にお前らと言ったのも、俺は確かに聞こえていた。
人質の中に犯人の一人が紛れ込むのはよくある話。主な役割は、おかしな行動を取ろうとする者を内側から監視し、時に諌めること。
今回も、おそらく似たようなものだろう。ウェイターの男は、強盗犯の仲間だったのだ。
「最初から、そのつもりで――」
そして、俺は一つ勘違いをしていた。
エクス関連の何かが起きると聞き、強盗事件の発生。拳銃を持った二人の強盗のどちらか、あるいはどちらもがエクスを悪用するのではないかと。
違った。強盗犯の一人であることは間違いないが、エクスを使えるのは、裏切られ逆上するウェイターの男。
「僕を、怒らせたな」
「この距離だ、外さねえよ」
霧さんの予知は、当たっていた。多少強引な展開ではあったが――それとも俺が口を出したことで変化したのか――まさに、その通りになろうとしている。
撃たれて倒れるのは覆面の男か、ウェイターの男か。
そんなことを俺が知る由もないが、霧さんの見た場面と異なるのは、俺という異物がこの場にいるということ。
男の体を青白い光が覆っていくのを見て、横目で素早く優子を見る。が、状況に気づき立ち上がろうとしているも、少し遅い。
引き金に手をかける覆面の男、動き出そうと重心を低くしたウェイターの男。
今にも衝突しそうなその瞬間、誰よりも早く動いたのは俺だった。
「死ね……がべっ!」
「ええ!?」
この場合どうすべきかと迷った挙句、俺が殴りかかったのは覆面の男。
多少手心を加えたとはいえ、テーブルや椅子を巻き込みつつ数メートルは飛んでいく。壁にぶつかり、掛けられていた観葉植物が降り注いだ後、男はその場でぐったりとした。
驚いているウェイターの男はひとまず無視し、すぐに移動する。
「おい! 何があっ……ぐぼ!」
大きな物音に、店の奥から駆けつけて来たもう一人の強盗を、ドアの横に隠れていた俺が、即座に床へねじ伏せる。
意識を奪い立ち上がると、店内にいた者達が全員、ぽかんと口を開けていた。
「いや~。危なかったっすねぇ」
目を丸くするウェイターの男に、にへらと笑いかける俺。
「きゃ~! お金持ちのソラちゃ~ん! 素敵!」
ウェイターの男から優子に視線を移すと、意図を察してくれたのか、駆け寄り抱きついてくる。――お金持ちの、は余計だろ。嘘だし。
「……優子さん、ここは俺が。警察が来る前に、何とかあの男を外へ」
「りょうか~い」
耳元で呟いた俺に、優子は片目を閉じる。
迷ったと言ったのは、ウェイターの男の処遇について。
強盗犯の一人である男を野放しにはできないが、警察に連れて行かれるのも困る。
そこで、店内の後処理を俺がやっておく間に、男はエクスイコールの手で捕まえてもらうことにした。外には、三日月や速水達が待機しているのだ。
「どなたか、警察への連絡をお願いします」
優子がウェイターの男に話しかけに行くのを見て、俺は大声で指示を飛ばし始める。
凄いじゃないか、格好良かった、等の言葉と共に拍手をされてしまう俺。
事件が起きるかもしれないことを、分かっていたことに罪悪感も覚えたが、少し気分が良かったのは内緒だ。
結局、エクスが主に使われた一件ではなく、その実態を掴むことはできなかったが、強盗事件はこれで終わりを迎える。
しかし今夜の一件を機に、俺とエクスイコールの関係は深さを増していくのである。
「お疲れ様。どうだった?」
「どうもこうもあるか。今何時だと思ってやがる」
深夜十二時過ぎ。警察と、どこかから嗅ぎつけてきた報道機関への対応を終えた俺に、三日月がねぎらいの言葉をかけていた。
雷斗と風香はいない。眠いからという理由で、先に帰ったのだという。――俺が怯える人質なんかをやっている最中に、あいつら……今度、お仕置きだな。
「まあまあ。でもこれで、私達の活動がどういったものか理解してくれたかな」
「少しだけな。そんでもって、もう辞めたい」
エクスイコールの活動については、概ね理解した。共感できる部分もある。
ただ、俺の本業はボディガード。今回のような事件に巻き込まれるのは、勘弁して欲しいところだ。身が持たない。
何よりこんなことを続けていれば、いつか姫乃に怒られてしまう。というより、この後も絶対に怒られる。
事情を多少知っているミーコに至っては、今頃何をしでかしているか分からない。
落ち込んでいるだけならまだいいが、混乱して泣き喚いたり、夢見君は死んじゃいましたと、姫乃達に報告していたりするかもしれないのだ。
こんな夜中から、悪い意味でのパーティ開催。
「帰りたいけど、帰りたくなくなってきた」
「大丈夫。今後は、出来る限り気にかけるからさ」
微笑を浮かべた三日月が、私の家に来るかい? と、言ってくれる。
少しだけ悩みはしたものの、俺は首を横に振り、姫乃の屋敷へ帰ることを選んだ。こういったことは、後に伸ばせば伸ばすほど悪化するのは間違いない。
じゃあなと手を上げ、数歩進み振り返る。
「そういえば、今後の俺への接触は――」
「君は、富豪家のボディガードだって言ったよね? だったら、心配ないよ」
「あ、そう」
姫乃の、引いては富豪家だからこそ、外部の連中に対して厳しいはずだが。
含むような笑顔を見せていた三日月が気になったが、疲れていた俺は、質問するのも億劫になり、いい加減な相槌を打つと帰路についた。
あの時ちゃんと聞いておけば良かったと、後悔するのは次の日だった――
……。
「悪かったって。そろそろ機嫌直せよ」
「別に。いつも通りよ、私は」
屋敷から三十分ほど歩いた所に、俺達の通う学園がある。
車で向かった奈子とは別に、初日だけは徒歩で向かいたいというご主人様の意見が尊重され、若干寝不足の俺も一緒になって歩かされていた。
念願だった学園生活が始まるというのに、姫乃の機嫌は悪い。
「怒ってるように見えるけど」
「いいえ。私はただ、屋敷で出されるものに飽きたのなら、そう言ってくれれば良かったのにって、思っているだけ」
「違う。違うんだ。昨日は何となく――」
「ふうん。何となく? 何となく、行っただけなのね。私に声も掛けず、あんなお店にね」
姫乃の機嫌が悪い理由は、言うまでもなく昨日の一件だ。
しかし、俺から伝えたわけではない。伝えるまでも、なかった。
「いやはは! 恐怖心より、正義感が上回ったと言いますかね? あの場では、僕がやるしかない。そう、思いましたね!」
学園へ行く準備をし階下へ降りてきた俺の前、誇らしげな顔をしつつ、思ってもいない気持ち悪いことを語る男がいた。男の名前は、夢見ソラ。
すでに朝食を済ませ、リビングのソファに座っていた姫乃達の視線は、その大きくて四角いデジタル機器に釘付けだった。
「そうですね。僕は、とある御方のボディガードをしていますので、慣れていた部分も大きかったと思います。やはり蓄積された経験値というのは、いざという時に――」
「ソラちゃ~ん! こっちは、無事に終わったよ~! それじゃあ、後でね!」
「夢見さんの言う、とある御方というのは彼女のことでしょうか? 美人な方ですね」
「あいつめぇ……! ああ、いや、その、彼女はですね」
「夢見さんも、隅に置けないですねぇ。警護対象者との恋って、なんか燃えませんか?」
「それ、何の質問?」
四角いデジタル機器、テレビの電源を慌てて切るも全ては遅かった。
くるりと振り返る、姫乃と奈子と葵の三人。姫乃は無表情、奈子は悔しそうな、悲しそうな表情。葵は、見ている時からずっと大笑いしていた。
何とも言えない空気感の中、俺に言えるのはこれだけだった。
「おはよう。そっくりさんって、見たら死ぬんだっけ」
エクスイコールのことは伏せたが、出発するまでの時間、俺はこってりと搾り取られていた。
「あ、そうだったわね。私なんかには、声をかけられるはずなかったよね。だって私も行きたいって言ったら、ソラは困るもんね?」
「勘違いを正しておこう。あの女は、偶然出会っただけの知り合いの女。そこに何のあれそれはない」
「はいはい。分かってる、分かってる。おしゃれなお店で二人きりのディナーを楽しむだけの、あれそれね」
くそ。具体的に説明できないのがもどかしい。いっそのこと、エクスイコールの存在をぶちまけてやろうか。
そうは思ったものの、踏みとどまる。姫乃の口が固いことは知っているが、問題はそこではない。
あいつらに関わることで、何らかの危険に巻き込まれてしまうのではないかと、思ったのだ。
「ああ、姫乃? 制服似合ってるぞ」
「あら、ありがと」
淡白な返事が返ってくる。話を変えようとしてみるも、うまくはいかなかった。
その後も、俺の必死な弁明は続き、少しは姫乃の棘が抜けてきた頃、学園が見えてくる。
「あ! ソラ、あれだよね!」
「まさしく。我が唯一の主人である、姫乃様」
「……もう分かったから。気持ち悪いからそれ、やめなさい」
広い。大きい。凄い。表現豊かな俺でも、出てくる感想はそんなのだ。
さすがは、選ばれしお坊ちゃんとお嬢さんが通う学園。広い敷地に、見えているだけでも大きく、華やかな建物がいくつか。
庶民の心が染み付いた俺には、場違いな場所であることは間違いなかった。
「門から建物まで、遠くね?」
何だこの庭。どこに金かけてんだ。――まあ、全部だろうが。
「奈子が言っていた通りね。どうせ歩くことになるのだから、門までは車で行った方が良いよって。明日からは、奈子と一緒に行きましょう」
「よっしゃ」
小さくガッツポーズをする俺に、早く行こうと楽しそうな表情を向けてくる姫乃。
姫乃の募らせていた想いとはまた違うが、俺もわくわくと期待に胸を踊らせていた。
この日、この時、この瞬間から、輝きに満ちた学園生活が始まるのだ――
「おはよう、ソラ。それに、富豪姫乃さん」
「よう」
三日月夜と速水俊輔。
なぜか。そう、なぜか俺達と同じ制服に身を包んだ男女が一組、門を越えたところで待っていた。
爽やかな朝の挨拶をしてくるも、晴れやかだった俺の表情は抜け落ちていく。
「あは。こんな所で会うなんて奇遇だね。そもそも、一緒の学園だったんだ? 嬉しいな」
「俺達もな、実はお前らと同じだったのさ。お嬢様とボディガード。俺は、三日月家のボディガードだ」
突然話しかけてきた馴れ馴れしい男女に、警戒した様子の姫乃が、こいつらは誰だと俺の袖を引っ張る。
俺は、目の前で嫌らしい笑顔を浮かべる二人をじっと見たあと、答えた。
「ひ、人違いではないでしょうか?」
刻を告げる綺麗な鐘の音色が、学園全体に響き渡った。
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