残香飛
此花朔夜
第1話
いやあ、お久しぶりです、先生。長らくご無沙汰しておりました。
しばらく里帰りしておりましてね。丁度、祖母の13回忌でして。ええ、ええ。お陰様で、皆元気にやっております。
そうそう、お土産もあるんですよ。なにぶん、田舎なもので、大したものではないんですけどね。これから段々と気温も上がってくるでしょう。今日お持ちしたのはね、暑気払いにはうってつけのヤツなんですよ。
ホラッ。これ、なんだと思います? え、黄色い梅干? いやあ、先生は相変わらず、冗句が苦手でいらっしゃいますね。
これはね、梅の甘露煮なんですよ。うちの田舎はね、ちょっとした梅の産地でしてね。実家もまだ、妹がね、梅農家をやっているんです。
え? 梅は青いものだろうって? ああ、確かに青梅の方が目にする機会が多いかもしれないですね。青梅は、まだ熟しきっていない若い梅の実なんですよ。私が実家に戻っていた頃はね、梅が黄色く熟しはじめる時期だったのでね。商品にするのはほとんど青梅ですから、こういう、熟しきった梅の実は、内々で消費してしまうのが常なんです。梅自体は台所に所在無げに積まれておったものなんですが、でもまあ、味は抜群ですよ。
どうぞ、物は試しです。ひとつ、おあがりになってみてください。
どうです? 若い梅は酸味が強すぎるきらいがありますが、これは程よく甘くて、食べやすいでしょう?
ええ、ええ。自慢ですよ。何と言っても祖母直伝の味ですからね。
子供の時分には、散々、梅仕事を手伝いましたからね。この甘露煮なんかは、皮ごと梅を炊いているんですけどね、先に梅全体に針で穴を開けておかないと、皮が裂けて、不細工になるんですよ。この穴を開ける作業ってのがね、ひたすら、もう退屈でしてね。今年何十年ぶりかにやってみましたが、やっぱり骨が折れました。けれど、見てくださいよ。この梅の丸々とした様子を。私の努力の結晶なんですからね。そりゃもう、自画自賛するってもんです。
え? なに? 土産の薀蓄はわかったから、何か好い土産話はないのかって?
ははあ、成る程。先生様はまた、原稿のネタに行き詰まっていらっしゃる。そういう訳でございますね。ようござんす。とはいえ、たいした話でもないのですがね。
先程お話しした通り、私は祖母の法要で里帰りをしていたんですが、その祖母というのは、私にとっては親代わりのようなひとだったんですよ。農家ってのは、家族総出で仕事をするものでしたからね。働き盛りの母は梅の世話にかかりきりで、どうにも、私の世話にまで行き届かなかった。その点、祖母はもう歳が歳でしたから、バリバリ農作業という訳でなく、のんびりと家事をこなしていたんですね。
いや、もちろん家の仕事も辛かろうとは思いますが、孫に構ってやるだけの余裕が祖母にはあったという訳です。ですから、私も祖母にはいっとう懐いておりました。所謂、おばあちゃんっ子というやつですね。祖母が亡くなった折には、それはもう、悲しいなんてものじゃありませんでした。年甲斐もなく号泣してしまいましたよ。
さて、その祖母の話なんですが、久方ぶりの実家ですし、ましてや法要の為に帰省したんですから、今更ながら孝行をしようと思いまして、仏間の掃除をしておったんですね。
そうしたら、不意に、祖母の匂いがしたんですよ。
ええ、正確に申しますと、祖母が生前愛用していた香袋の匂いがしたんです。伽羅だか白檀だかわかりませんけど、懐かしい、心地の好い匂いがしたんです。
ですが、件の香袋は、祖母と一緒にお棺にお納めしているんですよ。それに、うちの女どもは皆、洒落っ気なんてないもんですから、香水なんかの匂いのついたものは、身につけやしないし、そもそも、持ってすらいないという体たらくでして。
極めつけは、私以外に、祖母の匂いを嗅いだ人間がいないときた。
そんな訳ないだろうと、私も散々、匂いの元をたどってみたんですがね。とうなく、見つかりませんでした。
もしかしたら祖母が、うだつの上がらない孫が心配で、様子を見にきたのかもしれないな、なんて、実家の方ではひどい笑い話にされてしまったんですがね。
如何です、先生。なかなかに不可思議な話でしょう。
……はい? プルースト効果? ああ、匂いを嗅ぐと、関連した記憶を思い出すっていうやつですね。
ええと、今回はその逆? ……はあ、本当に先生は夢のないお人ですな。
まあ、推理小説家にそんな話をした私も大馬鹿ですがね。
残香飛 此花朔夜 @MockTurtle_0v0
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