青という狂気

歌川裕樹

第1話 暴走するトラック

焦っていた。どうしていいのか分からない。恐怖が背筋を伝う。私はトラックに囲まれていた。「圧し潰す積りか?」四方が見えないまま私はハンドルを握っていた。真後ろからは煽られ、左右からは車線を塞ぐように迫る。どうにか隙間を見つけて一瞬、前に出る。

トラックの群れが加速する。私は逃げきれないと思いながらアクセルを踏んだ。

その時、急停止の音と共にトラックのエンジン音が遠ざかっていった。

私は余裕などなかったけれど必死で振り返った。

一人の少年が、立ち塞がるように横断歩道に立っていた。信号は赤だ。

ゆっくりと歩いているようで、しかしどの車も前に出られないように前後にふらふらと機敏に動く。

「助けられたのか?」私は安堵しながらも疑っていた。何故追いかけられていたのか。何故助けられたのか。

『青い』トラックの群れは遠ざかっていった。どれもが例外なく『青い』。

やがて私は普通乗用車の車列に囲まれる。

絶望した。

どの車も例外なく『青い』。幻覚ならば早く治ってくれと思った。

私は狂っているのかもしれない。だが車だけが青く見える幻覚などあるのだろうか。

川を渡る橋の上は見渡す限り全て『青い』車しかない。

これがほんのひと時の事ならば何かのイベントだとでも思っていただろう。

だが、『青い』車が出現する理由を、手掛かりを求めてJR立川駅周辺と自宅を往復していた私には、この現象は一週間以上続いていたのだ。

野猿街道を走っている時だっただろうか。私は『青い』車が前方を埋め尽くしているのに気づいた。珍しい。乗用車だけではない。バスまで『青い』。

「……おかしいな」この時の私の感想はそんなものだった。だが。

対向車線も見渡せば全てが『青い』車列だった。バックミラーにも当然のように『青い』車しか映っていない。

あまりの恐怖に私はこれが三年前だったのか五年前だったのかさえ覚えていない。

最初に気付いた時から背筋が凍り付いたことだけを覚えている。

当時私は青を好んで着ていた。賢明な誰かであれば大人の着こなしは青、と特集が組まれたのはいつなのか判断が付くだろう。『青い』のは車だけではなかったのだが。

すれ違う誰かの服が『青い』。

近所に止まっている自家用車が『青い』。ついこの間まではそんな色ではなかった。何故揃って色を変えたのか。私の車はごく普通の灰色だ。近所も思い思いの色だったはずだ。

狂気への恐怖。狂ってしまいたくはない。だが世界か自分のどちらかが狂っているのだ。

他にこんな『青』の氾濫はあり得ない。私は暑い夏の日差しの中、何が、誰が、どうして、誰に向けて、こんなことをしているのか調べ続けた。

結論どころか手掛かりさえない。

そんな日々の中、疲れ切った私は立川の喫茶店に居た。悪癖の煙草を吸うためだ。

ストレスも限界だった。震える手で私は煙草を吸っていた。

「だめですねえ」

隣席から声が響く。左からだった。確認すると女性の二人連れだった。綺麗だったのは覚えている。

「こんなに写真を撮られているのに気づかないようではだめですねえ」もう一人が答える。

思わず周囲を見渡した。右隣に座っていた日焼けした女性がスマホで私の写真を撮り続けていた。私が彼女を見ているにも関わらず、構わず撮影は続いた。

疑問が一つ、解けたような気がした。

この異常は私をターゲットとして起きている。日ごろから薄々感じては居た事だった。

だが見も知らない左の女性二人、右の女性一人はなぜ私に語り掛け、私の写真を撮っているのか。

誰かの怒りにでも触れたのか。これは罰なのか。悪質なゲームにでも巻き込まれたのか。また恐怖が全身を包む。助けてくれ。何故そもそも私の顔を知っているのだ。何故隣に座って助言めいたことを言うのか。それならこの現象の理由を教えてくれ。

「助けて欲しい」私は呟いた。左隣の二人が何か言ってくれはしないかと半ば狂気の中で思ったのだ。

「助けてもいいんですけどね」はっきりと返事があった。

私の方を向いている訳ではない。左隣の女性は二人で世間話をしているようにしか思えない。縋り付いてでも助けを求めれば良かったのだ。私はただ「助けて欲しい」としか言えなかった。こんなことがあり得るはずがない。その考えが私を縛っていた。

喉が渇いていた。私は追加のアイスコーヒーを階下で買うと、再び席に戻った。

助けてくれるかも知れない二人にコーヒーを浴びせてしまったのはその時だ。

足がもつれ手も震えていた。それは言い訳だ。

派手にコーヒーをかけてしまったが、二人は機敏に「大丈夫です。気にしないでください」とワンピースを(白のワンピースの女性しか覚えていない)拭いた。

「これじゃやっぱり助けが必要ですねえ」

拭き終わった女性は、やはり私に語り掛けるように目の前の女性に語り掛けた。

暑く、狂った夏はまだ始まったばかりだった。私はまるでP.K.ディックの『聖なる侵入』(株式会社サンリオ刊)の中に入り込んだような世界の真っただ中に居た。

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