おじちゃんの伝言

野口マッハ剛(ごう)

無名の小説家

 僕の名前は健人と言い、二十歳で、小説家を目指している。今は晴れた春の朝。七階建てマンションの四階から空をベランダで見る。空気に触れて、僕の心はまだ覚めないようだ。なぜかって? それはまだ寝ぼけているから? 違うな。それじゃあ何かって言われたら答えるしかないな。僕の心の中にあるしこりのことをね。

 僕には年男おじちゃんと言う親戚が居た。その人は僕のおばあちゃんの兄にあたる。おばあちゃんから手紙が来たんだ。おじちゃんが亡くなった、って。おじちゃんとは、僕が十五の頃に一回だけ会ったきり。

 風がそよそよと僕の顔に触れる。なんの慰めにもならない。

「年男おじちゃんのことを考えているのか?」

 僕が振り返るとお父さんがベランダに入って来ていた。おじちゃんって確かお父さんの家系の人だっけ? 僕は頷く。するとお父さんが笑い飛ばした。なんで笑うんだ?

「ハハハ、そうか、そうだよな。健人にとっては大切な人だもんな」

 僕がムカついたのは言うまでもない。お父さんは昔からおじちゃんのことをバカにしていた。なぜかって? おじちゃんは無名の小説家だからだ。

「ショックだろう? それはそうとあれはどうした?」

「あれって?」と僕は怒りをこらえる。

「ほら、あれだよ。書き物さ」

「あぁ……」と僕がリビングに戻ってテーブルの上に置いていた原稿を手に取った。お父さんはニヤニヤしている。腹立つ。

「笑うなよ」

「おっと、悪い悪い。小説で食っていけるのか?」

 お父さんに言われて僕は何も言い返せれない。そんなことってわからないじゃないか。どう考えてもお父さんはイジワルで言っている。悔しさで僕はいっぱいだ。

「まあ、お前も二十歳だ。そろそろわかってくれ、それが伝えたいことだ」

 僕は必死で考える。なんて言おう? お父さんにどうやったら考えが伝わる? そうだ、おじちゃんだ。

「おじちゃんは自分の小説をほめてくれた。それがいけないことなのかよ?」

「ほう、会ったのはお前が十五の頃だ。それも一回だけ会ったきり。それで全部が決まるのか? どうなんだ?」

 なんて嫌なことを言ってくるんだ。それでも僕にとっては大事なこと。もう、何を言えばいいのかわからない。

「おじちゃんはもう死んだんだ、健人」

 そんなことは知ってるよ!

「おじちゃんの顔が思い出せないんだ」

 僕がそう言ってベランダから外を見る。なんてことはない住宅街が見える。

「なんでもっと覚えようとしなかったんだろう? 自分がぼんやりとしていたからだ」

 お父さんが僕の横に立つ。空を見上げる僕ら。音のしない外って、よくおじちゃんを思い出しやすかった。

「そうか、それは意外だった」

 何が意外、だ‼ どうせそんなこと、一ミリも思ってないだろ!

「まあ、あまり考え過ぎるな。健人はこれからがある。その、これからをムダにするな」

 ちょっと意外だった。お父さんがそんなことを言うなんて。また笑い飛ばしてくるのかと思った。

「お前はこれからどうしたい?」

 僕はおじちゃんを思った。

「おばあちゃんの家へ行ってくる」

 大事な話をするために。

 僕は久しぶりにおばあちゃんの家へ着く。僕の顔を見て、おばあちゃんは嬉しそうに笑みを浮かべる。リビングに招かれた。

「よく来たね、調子はどうなの?」

「うん、いい感じ」

 僕らはイスに腰掛けて話をする。なぜだかおばあちゃんはさびしそうだった。でも、顔は笑顔、気のせいか?

「手紙は読んでくれたかい?」

「うん、びっくりしたよ」

 僕はと言うとソワソワしている。なんでかって? おじちゃんのことだ。理由はあるけどね。

「おじちゃんが、文学の会に行ってたことは知ってたかい?」

「え⁉ 何それ?」

 僕はそんなことは知らされていなかった。ずっと僕はおじちゃんが趣味で小説を書いていたと思っていた。

「知らなかったのかい?」

 そんなの初耳だよ。

「年男おじちゃんはね、文学の会で、健人のことを自慢の小説家だと言っていたんだよ。おじちゃんは賞こそはとってはないけど、会での書き手としては優れていたんだよ」

 僕が落ち着かない理由。

 それはおじちゃんの顔が思い出せない。

「へぇ、そうなんだ。それはすごいことだよね! びっくりしたよ!」

 おばあちゃんが満足そうな顔をしている。きっと兄を語るのが楽しいんだろう。良かった、ここに来て。

「健人は小説を書いているかい?」

「うん、まあまあだよ!」

 静かなリビングにまるでおじちゃんの思い出の花が咲くようだ。

「そうそう、こんな言葉を預かっていたよ」

「え? 誰から?」

「久保年男からだよ」

「え、おじちゃんの?」

 なんだろう?

「文学ってのは、本当に食っていけないものさ。手弁当みたいなものだ。それは日の目を見ないのもある。けれども健人は違う、俺の希望の光そのものだ、とね。おじちゃんは心臓発作で倒れたんだよ、文学の会の帰り道に。さぞ無念だったろう」

 僕はその言葉を聞いて初めに何を考えたっけ? おじちゃんの顔がやっぱり思い出せない。おじちゃんがそんな死に方をしたなんて。僕はおじちゃんの顔を思い出せないと同時に、とある目的が出来た。

「思い出してね、健人。お前がおじちゃんと会ったのは五年前。文学と言うものを通じたからこそわかりあえるものがあったんだよ」

 それは、もう二度と返ることはないのだろう。おじちゃんの写真を見せてもらっても、もうおじちゃんは帰って来ない。

 だから小説家になるんだ。

 ただ忘却の先に年男おじちゃんの顔があるのだ。それはもう顔を思い出せない。立派な小説家のおじちゃん。

 ありがとう、年男おじちゃん。

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