大人になりたい子供は
武蔵-弁慶
第1話
「
先輩は誰に言った風でもなく、そう言った。一見、独り言のように見えるそれは、先輩が人の顔を見て話すのが苦手というだけで、僕に向けて発せられた言葉だ。
僕は読んでいた部誌を閉じ、先輩の方を向いて答えた。
「えっと、先輩の言葉の意味がよくわからないんですけど」
他に人がいれば、とてつもなく変な光景に見えるだろう。だって、先輩は独り言を言っているだけのように見えるから。だけど、これが僕と先輩にとってみれば当然なので、あまり突っ込まれたくない。まぁ、大きな本棚と、折り畳み可能な長机にパイプ椅子しかない文芸部の部室には、他に人がいないため、突っ込まれることもないのだけれど。
「そのままの意味よ。大人になる、それに何の意味があるのでしょうか。私たちは、ネバーランドで夢を見続ける、子供ではいけないのでしょうか?」
先輩は手元に視線を落としたまま、返事をした。
なるほど、先輩の言いたいことがわかった。
「ダメなんじゃ、ないですかね」
僕は模範的であろう回答をした。
先輩は不服そうに、僕に問う。その理由は、と。
「なぜなら」
Becauseと、いった具合で僕は言葉を続ける。
「世間が子供でい続けることを、肯定しないからです」
この場合重要なのは、僕が、ではなく、世間が、というところだ。僕自身としての意見ではない。
「なら、あなた自身はどうなの?」
流石先輩。僕が聞かれたくないことを聞いてくる。
「僕は、特に何も言えませんよ」
先輩は一つ、ため息をついた。
夕日が窓から差し、オレンジ色に床を照らす。僕の座っている位置まで、照らされる。グイーンと、机とパイプ椅子の影が長く伸ばされる。
「それでも、
どうあっても、先輩は僕の意見が知りたいらしい。僕なんかが言ったところで、本当にどうしようもないというのに。
「そうですね、大人になることに意味なんてないのでしょう。でも、だからと言って、それが子供でい続けていい、理由にはなりません」
「なぜ?」
簡潔な質問が、丸で幼子のようで僕は笑った。
「なぜなら」
やっぱり、僕は Because の調子で言う。
「この世界で、生命を続けていかなければいけないからです」
「生命を?」
先輩は、不思議そうな声を出した。髪に隠されて、よく見えないけれど、恐らく先輩は声と同じように、不思議そうな表情をしているだろう。
「えぇ。これはあくまで、僕の頭の中の考えで、現実は違うとは思うんですけど」
そう前置きをし、僕は喋り出す。
「命あるものは、何にしろ、その個体を後世に伝え続ける義務があります。その個体、つまり種ですね。だから、僕たちは本能のように子供を残したがる。だって、種を伝え続ける、言わば、保存し続けなければいけないから」
「でも、最近は少子化。つまり、種の保存があまり、義務としてなされていないようだけれど」
先輩は唇をいじりながら、そう言った。唇をいじるのは、先輩が考え事をしているときの癖だ。
それにしても、鋭い。僕が言いたいことを、簡単に言ってくれた。
「そうですね。では、それはなぜでしょうか」
僕はすかさず先輩に質問した。
先輩は唇から手を離さず、言葉を紡ぐ。
たまに思うんだけど、喋りにくくないのかな?
「少子化の理由。様々あるでしょうけど、一般的には子供を産まなくなったから、ね。そして、その背景にあるのは恐らく、金銭的理由じゃないかしら」
「と言うと?」
僕は先輩の言葉を促す。先輩は、促されるまま、答える。
「子供を育てるには、かなりのお金が必要だわ。私だってそう。今、ここにいる事自体に、お金がかかっているわ。私の父様、母様は、私が生まれた事で出費が増えたことで、しょ、う」
先輩の言葉が途切れ途切れになった。そして、唇をいじっていた手を止めた。
うん、僕の言いたい事がわかったみたいだ。
「まさか、種の保存。義務。この世界。つまり、そういうこと?」
「そうです」
僕は先輩の言葉を肯定した。
「この世界で、子供を残すのに、お金がかかるから」
先輩は、驚愕、という様子で言った。
「この世界で生きていくには、先程先輩の言ったように、お金が必要です。それも、大量のお金が。昨今の社会で、他の人、自らの子供のことを考えれるお金があればいいのですがね。残念ながら、ない人も多い」
「でも、命あるものは、種の保存に関わらなければいけない」
先輩が僕の言葉の続きを言ってくれた。
「はい。さて、結論です。子供が、まぁ、ここでは先輩たちのような年頃の高校生のことにしておきましょう。その子供が、稼げるお金と、先輩のお父様やお母様、つまり大人が稼げるお金。どちらが、種の保存ができるほど稼げるでしょうか」
簡単な問題だ。答えるまでもない。
先輩は苦々しげにため息をついた。
「なるほど。それが、あなたの理由ね」
「まぁ、取るに足りない戯言ですがね」
僕はそう言い、先輩の座っているパイプ椅子に近づいた。顔さえ合わなければ、先輩のパーソナルスペースは狭い。僕が不安になる程度には。
先輩の手元には一枚のプリントがあった。
「……先輩」
「まぁ、そういうことよ」
「いや、だからって、大人になる意味を聞くのは……」
「うぅぅ、し、仕方ないでしょう!?」
「仕方なくはないですよ」
僕はため息をついた。意味深なこと言ってきたと思ったら、ただ、この紙を書くのが嫌だからの現実逃避かよ。
「先輩、これ、ちゃんと書いてくださいね?」
「……言われなくとも、わかっているわよ」
拗ねた口調の先輩は、机に上半身をひっつけ、文句を垂れた。
『進路希望調査』。先輩を苦しませている原因で、僕にはこれから先、絶対に関わりがないものだ。
「大人になりたくないわ」
「大人になってくださいよ」
僕は苦笑しつつ言った。
「一君のように、ずっと、子供でいたいわ」
先輩のその言葉に、僕はどう返事をすればいいのか、わからなかった。
どこか、遠くでチャイムが鳴った。文芸部の部室は、放送が壊れており、チャイムが鳴らないのだ。
時計を見ると、六時。先輩はそろそろ帰宅の時間だ。
僕は先輩に声をかけた。先輩はヨロヨロとゾンビのように立ち上がった。
「それじゃ、さようなら。また、明日」
先輩は鞄を持ち、僕に背を向けてそう言った。
「はい、さようなら、先輩。……進路希望調査、出したほうがいいですよ。期限、過ぎてたでしょう」
僕はそう、先輩の背に言った。
「もう少し、考えるわ」
そう言い、先輩は部室を出た。そして、カチャリ、と鍵をかけた。
部室に、1人取り残された僕は窓を開け放った。ぼんやりとした空気が、部室に流れ込む。夕日が赤く、当たりを照らし、家路を急ぐ学生の影を、長く長く伸ばしている。
手のひらを夕日にかざす。夕日は、僕の手だけでなく、体を透過して部室を照らす。
「先輩は、酷いことを聞くなぁ」
僕は1人、呟く。
「もう、僕は大人になれないのに」
そう、どんなに祈ったところで。
「子供は大人になれないんです」
僕の読んでいた部誌を、風が捲る。日に焼けて黄ばんだ一ページ目。連なって書かれた、作者の名前。一番最後に書かれた僕の名前。
『亡き友、
『追悼号』
はてさて、先輩は進路をどうするのか。
とりあえずは、
「大人になってくださいね」
僕はそう言った。
子供から大人へと、向かう先輩へ。
僕を残し、大人になる、あなた方へ。
大人になりたい子供は 武蔵-弁慶 @musashibo-benkei
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