漂流後

ーー明くる朝


オレたちはいつものように、カブトムシを胃に流し込む作業に没頭していた。

虫食にはすっかり慣れたが、こいつだけはダメだ。

とにかく臭いのだ。

きっと現地の人たちも臭み抜きをして食べているに違いない。



「この臭い……さすがにウンザリするわね」

「そうだな、鼻が曲がりそうだ」



お互いにムードは下がりっきりだった。

大きな甲虫だから丸飲みもできず、咀嚼(そしゃく)する必要がある。

この生活をするまでは風味や香りの重要性に気づいてなかったが、考えを改めようと思う。



「こんなことならママに料理習っとくんだったなぁ。ずっと金ヅチばかり触ってたもんな」

「エイリーンは十分すげえって。あんだけのもの作っちまうんだから」

「……ィー……」

「でも鍋やおたまが似合う女の方がモテるでしょ? カンナとノコギリじゃ誰も寄り付かないわ」

「……ィイーッ……」

「ッ?! ゴホッ ゴホ!」

「でも、タイキィがそう言うんなら……それも有りかな?」



遠くから聞こえてくる声、か細いながらも確かに聞こえた。

ルカだ!

たとえ百万頭の中で鳴いてたとしても間違えるものか!

むせて乱れた呼吸を整えてから立ち上がった。



「ルカッ! 来てくれたのか?!」

「ちょっと、急にどうしたの。ルカって誰?」

「ルカは世界一大切な……パートナーだ!」

「何よ、あなた既婚者だったの?!」



乱暴に家のドアを蹴り飛ばして外へ出た。

まずは海に行かないと。

でも……どの方角だろう。

ひとまず最寄りのバナナの木の方に行ってみよう。



「こっちじゃ……なかったか」



バナナの木があるエリアからも海は見える。

木々の向こうの海原にイルカの姿はなく、ルカの声も聞こえなくなった。

少し遅れてエイリーンが困惑顔でやってきた。



「ちょっと、急にどうしちゃったの?」

「こっちじゃない、砂浜の方に行くぞ!」

「ねぇ待ってよ。タイキィってば!」



今度は砂浜に続く森を駆け出した。

海まで緩やかな下り坂になっているから、走るスピードはみるみる加速していく。



「……ィィーッ キュィィーッ」

「こっちが正解か!」



声はどんどん大きくなっていった。

昨日別のイルカに出会った海岸の方だ。

毎日のように通る森が、今日は随分と長く感じた。



ーーまだ抜けない、海岸まであと少し。



だがその『少し』がひどく遠い。

突き出た枝を払い除け、足元の岩を飛び越して、ようやく森を抜けた。



そして眼前に広がった光景に、心を奪われてしまった。

この時の事を生涯忘れることはないだろう。



良く晴れた青空に、薄く伸びる白い雲。

その晴天を背景に、何頭ものイルカが海中から大きく跳ねて宙を泳いでいた。

まるでアーチでも象(かたど)るかのように整然と、縦一列に並んで飛んでいる。

先導する一頭のイルカに率いられながら。



遅れてやってきたエイリーンも、この幻想的な光景を目の当たりにした。

お互いに言葉が見つからず、しばらくの間たどたどしい会話に終始してしまう。



「すごい……、こんなの初めて見たわ」

「あぁ、オレもだ」

「イルカの群れ、なのかな? キレイねぇ」

「ほんとにな。たぶん、一度きりだろう」



ゆっくりと一頭がこちらへ泳いできた。

オレも海の方へと駆けていく。

腰まで浸かったかと思うと、直ぐに足が届かない深さになった。


でも大丈夫。

オレにはコイツが居るから。



「ルカッ! 良かった、まさかまた会えるなんて!」

「キュィィー!」

「心配かけてゴメンよ、お前は嵐の中で無事だったか? 何ともないか?」

「キュゥゥ、キュッ」

「元気ならいいんだ、元気なら。オレを助けようとして怪我してたらと思うと、気が気じゃなかったよ……」

「キュィィー……」



オレたちは再開を海の中で果たすことができた。

ルカの背びれにしがみついて、お互いの肌を重ね合う。

そんなオレを嫌がることもなく、ゆっくりと海面スレスレを泳いでくれる。

本当に、本当にお前は出来すぎたパートナーだ。



「ねぇ、タイキィ。あっちに船よ!」

「ほんとだ! おおーぃ!」

「こっちよー! おおーぃ!」



イルカの群れに付いてきたのは一艘のクルーザーだった。

オレたちは無事、2人揃って乗り込むことが出来た。

こうして、一ヶ月にも及んだ無人島生活は終わりを告げた。




ーーーーーーーー

ーーーー



文明の偉大さを改めて痛感した。

飛沫(しぶき)を上げながら疾走する船は、瞬く間に島から遠ざかっていく。

大きくはない島だったが、今はもう豆粒よりも小さい。


科学の力によって海原を走っているが、並走するルカの泳ぎに淀(よど)みはない。

むしろ今まで過ごした中で一番上機嫌かもしれない。


度々海中からジャンプしては、水飛沫をこちらにかけてくる。

こちらがキャアキャアと歓声をあげて喜ぶと、ルカもまた楽しそうにして泳ぐのだ。

しばらくそうして過ごしていると、進行方向に大きな島が見えた。

あれが本島なんだろうか。



「ねぇ、タイキィ! ルカちゃんが!」

「すまん、止めてくれ!」



厚かましいオレたちのお願いにも、嫌な顔ひとつせずに聞き届けてくれた。

本当に申し訳ない。



「キュィィ……」

「ここで、お別れなんだな」

「キュゥ」

「ありがとう。お前には本当にたくさんの事を教えてもらえたよ」



再び抱き合うオレたち。

長い鼻先に腕を絡めて、しばし別れを惜しんだ。



「じゃあな、ルカ。またきっと会いに来るから」

「キュィッ」

「約束だ。いずれあの島で会おう!」

「キュウッ キュウ」



そしてオレたちは離れていった。

この時になってようやく実感が湧いたのだ。

長く続いた遭難は終わりを迎えたのだ、と。



__________

_____



それからというもの、慌ただしい日常が戻ってきた。

大使館経由で各々の国に帰った時、どちらも「時の人」となってしまった。

奇跡の生還者だのなんだのと、お互い連日のように報道され、週刊誌やwebニュースを飾った。


その後のオレたちはというと、SNS経由で毎日のようにやり取りをしていた。

この時ばかりは賃貸アパートではなく、南国の無人島に居る気分になるから不思議だった。


彼女とは近々ロンドンで落ち合う事になっている。

例の『漢字Tシャツ』を手土産にして。

よほど楽しみなのか、エイリーンは指折その日を数えていた。

そんなに好きなら習字でも始めればいいのに。



その後のオレはというと、語学力を活かして華麗に再就職した。

日常会話からミーティングまでの全てが英語というガチの外資系だ。

ナチュラルに話せる上に日本人の機微まで知っているので、日本支社で大変に重宝がられた。


ちなみに一連の元凶となったあの会社はというと、今や廃業寸前らしい。

オレをあっさりとクビにした後も、バンバン社員やらバイトやらが辞めていったそうだ。

その結果仕事が全く回らなくなり、顧客も離れてしまったとか。

ざまぁ見さらせ。


エイリーンの暮らしも順調なようだ。

趣味で家具を作っているのだが、『幸運を呼ぶ』なんて評判のおかげで、メチャ忙しいとの事だ。

「もう全然追っつかないの、タイキィに助けて欲しいくらいよ」

なんて嬉しそうに言っていたな。

あの腕前だから、いずれ本当の職人になってしまうかもしれない。

それも彼女の気持ち次第だろうが。




ーーそして数年後。


オレはひとり、約束を守るためにあの島へとやってきた。

外資系特有の、長大な夏期休暇を利用しての事だ。

今度は本島の人に迎えを頼んでいる。

念のために小型の無線も持っているから、遭難のおかわりは無い。



ここでルカに会えるだろうか。

会えたとして、オレを覚えてるだろうか。

島が近づくほどに不安は膨らんでいった。



到着して浜に降り立つと、周りはあの時と大して変わっていなかった。

せいぜい流れ着いているものが違うくらい。

森の概形も、砂の色も、あの時のままだ。



船を見送ってから、あの時の海岸を歩き始めた。

胸の中にイルカのアーチを描きながら。

ルカがたくさんくれた思いでの中で、印象的なものの1つだ。


そんな事を考えていたせいか海に入りたくなった。

泳ぎが得意な方ではないので、腰の辺りまで。



ーーザブン。

突然高くなった波を頭から被ってしまった。

もしかして、また嵐か?

まさかの遭難リベンジか?!



……なんてことはなく。

眼前に3つの背びれが現れた。


「ルカ、来てくれたのか!」

「キュィィーッ」

「ギュゥィー」

「ミュゥゥ」

「このちっこいのはお前の子供か? 結婚したのかよ!」

「キュゥッ」



何歳なのかさっぱりわからないが、2回りも3回りも小さいイルカだった。

鳴き声もマジキュート。

いつの間にかツガイになりやがって、おめでとう!


ひとしきり遊び終えたあと、オレは気になってたことを聞いてみた。



「なぁルカ、お前ってオス? それともメス?」

「キュィィ」

「うーん。どっちでもいいか! 友達に性別ナシってね」

「キュゥッ キュウ」



それにしてもルカに先を越されるとはなぁ。

ここでお互いの子供を遊ばせられたら絵になるのにな。

期待に応えられず悪かったな。




オレの子が生まれるのは、次の秋なんだ。




ー完ー

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