漂流一ヶ月目
ーーねぇタイキィ。ここでずっと暮らそうって言ったら、どう思う?
突然エイリーンはこんな事を言った。
どう思うって、どうだろう?
オレが返答に困っていると彼女はすぐに撤回した。
パパやママが心配してるし、などと呟いて。
こんな時は気の利いた言葉を返すべきなんだろう。
だが女慣れしてないせいで、無様に戸惑うだけだった。
言語を知っていても適切な言葉が見当たらない。
なんとも情けない話である。
気まずさを誤魔化すように、二人で砂浜に足を運んだ。
これはもちろんデートなんかじゃない。
船やヘリコプターに救難信号を届けるためだ。
とは言っても狼煙を上げたり、大声出したりするくらいしか出来ないけど。
ちなみに砂浜には流木を並べて「SOS」と定番のアレも押さえていた。
砂浜に着いたはいいが、そんなに都合良く船など通らない。
ヘリや小型機なんて更に見かけない。
救援を呼ぶ作業のうち、9割9分は海を眺めている時間となる。
しばらくして、エイリーンが何かに気づいたようで、指をさしながら立ち上がった。
船らしきものは見えないけど何を見つけたんだろう。
「ねぇ、あれって……サメじゃない?」
確かに海面から大きめの背びれが見えた。
だがオレの記憶が即座に「サメではない」と答えを出す。
心配させないように努めて声をやわらかくして答えた。
「いやいや、あれはイルカだよ」
「そうなの? この距離でよくわかるわね」
「まぁあれだ。ちっと縁があってね」
オレが腰が浸かる深さまで海に入って行くと、イルカがスイーッとこちらに近づいてくる。
うーん、この子はルカじゃなさそうだな。
人懐っこいけど知り合いとは違った。
オレは少し気落ちしながら、初対面のイルカに告げた。
「お前さ、ルカの事知ってるか? つっても、それが誰かなんてお前らはわからないか」
「ギュッ ギューイッ」
「もしそれらしいイルカを見たら伝えてくれ。元気でやってるから心配はいらない、と」
オレの言葉なんか分からないだろうに、話が終わるまで待ってから悠然と去っていった。
なんとかルカに伝わってほしいんだが、上手くいくだろうか。
砂浜に戻るとエイリーンが呆れ顔で待っていた。
「英語だけじゃなくイルカ語も堪能なのね。次はウサギ語? それともネズミ語かしら」
「いや、別に話せるわけじゃねぇって。ただ気持ちが通じてる気がしてるだけだよ」
「それだけでも十分よ。言葉なんて意思疏通の為のいち手段じゃない」
みんなもこうじゃないの?
動物の考えてることって何となくわかるだろ。
「気持ち良さそう」とか「楽しそう」「怒ってる」とか。
それと変わらないと思うんだけど。
ーーその日の晩。
いつものように食事を終えたオレたちは、とりとめもない事を話していた。
ベッドに2人並んで腰掛けながら。
仕事の事、家族の事、趣味や余暇の過ごし方など、暇な時間を塗りつぶすようにじっくりと。
「ハァ……ここの暮らしは食事に難があるわね。ポロネーゼが食べたいわ」
「毎日食えてるだけで有り難いけどな。豚骨しょうゆラーメン海苔増しが食いたい」
「らーめんってあれ? ズルズルズルーッてすするやつ」
「それそれ。外国の人からするとトンデモマナーらしいな」
「そうね、私はその国の文化やマナーは受け入れる方だけど、あれは無理だと思う」
「生まれ育った側からすると平気なんだがな」
こちらの常識は相手の非常識、なんて事は珍しくない。
特に異文化に触れたときは顕著だろう。
それでもエイリーンは頭ごなしに否定せず、ひとまず飲み込んでから答えを出してくれる。
良識的な子だと思う。
「そういえば、タイキィは日本人だったわね。このシャツの文字もわかる?」
「えっと、それを聞くのか?」
「これは初めて日本に旅行に行ったときに買ったの! kanjiって美しいわよね、このシャツもお気に入りなんだぁ」
「そうか。気に入ってるんだな、それ……」
エイリーンが着ているのはでかでかと漢字がプリントされているTシャツだ。
重ね着のインナーシャツだったせいで最初は
気づかなかったけど、初めて見たときは笑いそうになった。
それは筆で書かれたような、美麗で、力強く、堂々としたフォントで……
雑念
とあった。
「ねぇねぇ、どういう意味? この1文字目は細かくて精密だし、2文字目も下の点々とグワッとした動きがたまらないの!」
「うぅーーん、知りたい?」
「もちろん! 教えて教えて?」
「読みは『za tsu ne n』で、不要な発想とか、邪魔なアイディアとか、そんな感じ」
大輪の華の笑顔が一転、瞬時に萎(しお)れて枯れていった。
すまん、嘘は良くないと思ったから。
「え……と、そうなんだ。ネガティブな言葉だったのね」
「ネガティブっていうか、その……。気にするな」
「こんなに美しい字なのに、やっぱり日本語は難しいのね」
「今度意味も踏まえながら、かっこいいヤツ探してやるから」
オレが軽く告げるとアラ不思議。
枯れたはずの花が、満開の花畑になったぞ。
そこまで日本文化を愛してくれると、日本人として嬉しく思う。
つい最近に国外逃亡しかけたことは棚に上げながら。
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