Episode3:《希望の痣》

 2388年5月25日(水)10:33A.M. 第13居住区・南星宮みなみほしのみや高校 2-C教室


 光の左手にある痣は、通称《希望の痣》と呼ばれている。そう呼ばれる理由は、この痣が持つ“能力”にある。

 光の痣には、痣に触れた者の願いを成就させたり、あるいはその者にとって都合の良い出来事をもたらしたりする能力がある。言わば「歩くお守り」みたいな存在である光は、その端正な外見も相まって、図らずも学校の人気者として親しまれている。試合に勝ちたい、恋を成就させたい、テストで好成績を獲りたい、お金が欲しい――などなど、光の下には様々な望みを抱いた生徒が毎日のように訪れてくる。


 「お願いです!望月君ッ!!君のその左手で、ボクの『嫁』を召喚してくださいッ!!」

 「は、はぁ……?」

 さて今日も、区立南星宮高校のB棟2階の渡り廊下に面した教室で、ウェーブがかった茶髪をしたメガネの少年が、光に向かって頭を低く下げている。何かを嘆願されているようであったが、光はその要求の内容を理解できずにいる。嫁?召喚?一体何のことだろうと、光は首を傾げている。

 「この【召喚×1】って書かれたボタンをタッチするだけでいいんです!イベント期間的な意味でも、ボクのお小遣いの残高的な意味でも、これが最後の一回なんです!!お願いです、望月君!君のその強運の左手で、我が嫁、『フェリシア姫』の“限定バースデーコスチューム”を呼び出してください!!」

 メガネの少年は、慌てて自分のIDEA-Watchを光に向ける。浮かび上がったWatchの液晶には、『創星姫そうせいきジェネシスター THE GODDESSゴッデス WARRIORウォリアー』というRPGゲームのガチャ召喚画面が映し出されている。

 『創星姫ジェネシスター THE GODDESS WARRIOR(通称;創ジェネGW)』とは、2384年放映の美少女ロボットアニメ『創星姫ジェネシスター』の派生作品で、2年前のサービス開始以来、全植民星で50億ダウンロードを突破している人気作である。「フェリシア姫」ことフェリシア・ミリオンスターは、かつて皇女として統治していた故郷の星を追われながらも、再びその星の平和を取り戻そうと、スラム街出身の主人公セレナとともに自ら二人乗り巨大人型兵器・ジェネシスターに乗り込み戦う、同作のもう一人の主人公的ポジションのキャラクターである。普段仲間に見せる純朴で慈愛に満ちた表情と、敵の宇宙人に対して見せる、まるでウジ虫を見るかのような冷徹非道な表情とのギャップが、一部の特殊な性癖を持つファンに大ウケし、放映終了後の今でもなお根強い人気を得ている。今日5月25日は、そんな彼女の誕生日という設定であり、それに合わせてゲームでは限定コスチューム『創星の女神』を着たフェリシアが期間限定で召喚ガチャに登場しているのである。

 で、このいかにもヲタクな外見のメガネの少年・酉福希ヨウ・フーシーは、そんなフェリシアの熱狂的ファンの一人で、『創ジェネGW』をサービス開始時からプレイしているヘビーユーザーであるのだが――

 「プレイ歴丸2年、溶かしたお小遣いは総額300万ペック(※ペック……全植民星で使用されている国際電子マネー。この世界で唯一の現行貨幣。)。フェリシア姫への愛は誰よりも強いはずなのに、どうしてなのでしょうか、我が麗しのフェリシア姫は一向にボクの掌に舞い降りてくれません……。だからこそッ!!君のその《希望の痣》のお力をお借りしたいのですッ!望月君ッ!!」

 余分な熱がこもりすぎた説得を続ける福希。これは協力しなければ、光は福希から一生恨まれるだろうし、何よりこの物語が全く前に進めなくなってしまう。光の頭の中には後者の考えなど微塵もないだろうが、それほどの努力(?)をしても報われない友人の姿を見て、憐れに感じたのだろう、光は仕方なく自分の左手を彼に貸すことにした。

 「わ、分かったよ。えぇっと、このボタンを押せばいいんだよね?」

 「ハイッ!!もう一思いに押じぢゃってくだざいッ!!」

 まだガチャの結果も出てないのに感極まって涙する福希を尻目に、光は手袋を外した左手の人差し指で、【召喚×1】と書かれたボタンをタップする。その瞬間、《希望の痣》が再び青い輝きを放つ。

 召喚用のメダル1枚(1枚当たり3ペック)を消費して、ガチャがスタートする。巨大な鈍色の歯車が回り出し、ゴゴゴゴ……という音を3回立てた。三ツ星(★★★)以下のレア度のキャラならばここで奥の扉が開くのだが、この時は違った。歯車は3回音を立てて回った後、突如黄金色に輝き始め、それまでよりも段違いに早いスピードで回り始めた!そして歯車の周りから目映い光が漏れ出し、漏れた光が画面一杯を覆い隠す――!!

 「お、おお、おおおおおおおお!!」

 2年もの間見たことのなかった特殊演出に、福希は目を奪われる。そして画面の光は段々弱まり、奥に映るキャラクターの影を浮かび上がらせていく。

 画面に現れたのは、純白のドレスと純白の翼をまとった、「『創星の女神』フェリシア姫(レア度:★★★★★★)」そのものだった。

 「キッッッッタアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 高校の敷地外まで轟くほどの歓喜の声が、福希の喉元から飛び出した。こうして、プレイ期間2年、総課金額300万ペック、第3話のここまでの文字数1935文字を注ぎ込んだ福希の執念は、光の左手人差し指一本によってすべて報われたのである。

 「ついに……ついにお会いできましたね、フェリシア姫!!嗚呼、このゲームを始めてから、ずっと貴方に会うことだけを夢見ておりました……。嗚呼、ボクはもう、たとえ今日死ぬとしても何の悔いなく死んで逝けます――。」

 まだ齢16にして大げさなことを言い出す福希に、やや呆れた表情を浮かべる光。新名はフェリシア姫が映し出された画面を、チュッチュチュッチュと何度も口づけしている。福希にとっては感動的シーンではあるだろうが、周囲の眼は非常に冷ややかなものだ。正に敵を見下すフェリシア姫のような目線が、福希を取り囲んでいた。


 「……ねぇ?酉福希さん?」

 福希の背後から、ボキッ……ボキッ……という乾いた音が聞こえる。福希がその音に振り向くとそこには、黒髪のポニーテールの女子生徒が、引きつった笑顔と眉間に寄せた皺を浮かべながら、そのか細い指を鳴らしていた。

 「ゆ、湯田さん!?」

 「さっきから発情期のニホンザルみたいにキャーキャー騒いで、Watchに口を何度もつけて……大好きなゲームで何かイイコトでもあったのかしらァ??」

 ニホンザル、というものが一体どんなものか分からなかった(恐らく生き物だろう)が、彼女はきっと自分の努力(?)が報われたことを祝福しに来たのだと、福希は思い込んでいる。だが光は逆に、女子生徒が侮蔑の眼差しで彼を見つめているのを感じ取っていた。というのも、彼女はこの学校の規律を守る風紀委員であり、校内でのソーシャルゲームのプレイは原則として禁止されているからである。彼女を制止すべきかとも考えたが、光はもう少し様子を見ることにした。

 「ハイ!ついに我が最愛の嫁・フェリシア姫が、僕の掌に舞い降りてきてくれたんです!!この日が来るのを2年も、2年も待ったのです!!これ以上の幸せがありましょうか?いいや、ありませんッ!!2年間諦めずに課金という名の努力を継続し続けた男の奇跡を、湯田さんもお祝いしてください!!」

 最愛の嫁・フェリシア姫と出会えた喜びで胸いっぱいの福希の眼には、女子生徒の怒りの表情など見えていなかった。福希のセリフを聴いた湯田という名の女子生徒は、熱湯のごとく煮え滾る憤怒の情をついに表に出す。

 「――そうね。“そんなこと”のために必死で頑張ってきたアナタの幸せを、たっぷりと呪(いわ)ってあげないとね。」

 「ありがとうございます!!――って、今なんて言いました?フェリシア姫との再会を“そんなこと”呼ばわりしましたね!?あと『祝う』って字も間違――」

 「二度と現実世界に帰ってくるなこのキモヲタがああああああ!!!!」

 「い、いいいいいだいいだいいだい!!やめでぇ!じんぢゃうぅ~~~~!!」

 女子生徒は素早い動きで福希の首を右肘で捕らえ、その華奢な身体付きからは想像もつかない程の強い力で、見事なフェイスロックを決める。福希の背中には、彼女の平たく硬い胸板がぴったりとくっついていて、どうあがいても全く逃れられないようになっている。そんな状態で首を絞められている福希は、あと数秒で本当にあの世に逝ってしまいそうなくらい顔が青褪めてしまっている。

 「おっ!?湯田と福希のヤツがケンカしてるぞ!!いけぇ、湯田ァ!!そのまま落とせぇえええ!!」

 二人の様子を見かけた短い黒髪をした筋肉質の男子生徒は、仲裁に入るどころかむしろ応援して面白そうに観戦している。教室にいた他のクラスメイトも彼の声援に続けて、「衣栖佳がんばれ!」「負けるな酉!」などの野次を飛ばし始める。中にはIDEA-Watchを使って勝手に撮影したり、電子貨幣を賭けたりする者まで現れ、2-C教室は瞬く間に格闘技大会のリングと化していた。

 「どう?現実の女の子の抱擁は?こんな甘美な感覚、2次元なんかじゃ味わえないでしょう!!」

 「ぜ、全然嬉じぐないですッ……!特にあなだのような、“まな板おっぱい”なんがではああああああああ!!」

 「誰の胸が『まな板』ですってぇえええええ!?!?」

 「まな板」というワードが、更に少女の力を強くする。福希の首が、普通ではあり得ないくらいに後ろに反っていて、今にもそのままボキッと折れそうである。これ以上はマズいと感じた光は、まさに「まな板」の上にいるの福希を救うために割って入る。

 「や、やめなよ衣栖佳!このままじゃ本当に死んじゃうよ!?」

 「イヤよ!こんなキモヲタを幸せにさせるには、もうこの現実世界ではなく、どっか異世界に転生させてあげないとダメなのよ!酉君は、きっと来世では特殊な能力を身につけて俺TUEEEEして、美少女のハーレム作って幸せになってくれることでしょう!これは彼の幸せのためなの!分かって、望月君!!」

 ごめんなさい、何を言ってるのかわかりません、と光は小さく呟く。そうこうしている内に騒ぎを聞きつけた担任教師が二人を引きはがし、騒ぎは呆気なく沈静化した。とりあえず無事に生還できた福希だったが、その後、福希と湯田は、別室で担任と教頭から厳しい指導を受けたという。

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