番外 夏井大斗のその後
「うああああ、助けてショッパ!」
「ほーら、こんな簡単なことで弱音を吐かない!」
「吐かせて!」
「ダメよ! だって、ヒロトは三代目探し物屋なんだから。それに、一人前の探し物屋になるって言ったじゃない」
言った!
言ったよ。確かにね!
でも、だからって突然分厚い本を十冊読めだなんて言われるとは思わないだろっ?
短編集なら、まだ分かる。それでも分厚いけど。
でも、長編小説を一日で読み切れって言うのは、学校もあるのになかなか無茶を言ってくるねっ?
「ショッパに会いたい。ショッパ助けて。僕、これ以上は読み切れない」
「大丈夫よ~。そんなんで弱音を吐かないでほしいわ」
「吐きたい」
「言葉が汚い」
ぺしーん。と、僕はメルに前足ではたかれた。こいつ、その内、爪を出してこないだろうな?
顔にひっかき傷を作って学校に行くのは、なかなか恥ずかしいんだぞ!
「だぁいじょうぶ。傷は男の勲章って言うでしょ!」とか言われたけど、そんな勲章いらないし、この前ひっかき傷をつけられた時なんか、南美ちゃんに笑われたんだよっ?
大丈夫って一応心配してくれたけど、声が笑っていたんだ。ああ、もう……。恥ずかしい。
あの日、物語の中から元の世界に帰ってきた僕は、あれが夢じゃないことを知った。いやあ、壮大な夢だったなーなんて思ったり、この夢を忘れたくないなーって思って感傷に浸っていたら、この猫!
それまで「にゃあ」としか言わなかったくせに、突然しゃべりだして夢じゃないと言うのだ。
ああ、そうだな。夢じゃないな。だって、お前人間の言葉をしゃべるもんな。
「ほらほらほらー。早く読み進めなさいよ~」
「まずは! 宿題!」
「それなら、三十分で終わらせなさいな。どうせ、プリントの問題を解くだけでしょう?」
そうだけど。そうだけど!
なんと言うか、この猫……スパルタなのである。
僕が一人前の探し物屋になるって言ったせいなのか、宿題とばかりに難しい小説を読めと言うのだ。おいおい、僕はまだ小学五年生だぞ。どう見ても対象年齢が中学生とか高校生もあるじゃないか。
読まないで部屋の隅に置いていたら、猫パンチされるわ猫キックされるわ、顔を尻尾でぺしぺし叩かれるわで……。読まないと、その内大きなひっかき傷を作られると思ったよね。
こいつ、僕の体にどれだけ傷跡を残す気だ。
「ヒロトー、次はこれを読んでねー」
「これ? ……って、これの中身。ほとんど絵本になってるんだから、それでもいいだろうが! なんでわざわざ、作品集で読ませるんだよメル!」
「あーら。その方がたくさんの作品をまとめて読めるからいいじゃない。ほらほら、読み終わったら感想文を書くのよ~」
うわあ……。
あの、メルさん。僕、さっき宿題があるって言ったよね。言いましたよね?
聞こえてた?
ねえ、聞いてた?
「あ、今日の夕飯はカレーみたいよ~」
うっわ、聞いてない。聞く気もないな、全く。
今日の夕飯がカレーなのはいいけど、まずは僕の話をちゃんと聞いてほしい。
宿題があるんだって!
「宿題があるのはいつものことでしょ~?」
ごもっとも。
それにしても、こんなに一度にたくさんの本を読ませて、メルはなにがしたいんだろう?
あの世界は、僕が図書館で読んでいた本の中の物語から生まれた世界だ。
手袋を買いに行く小狐の話に月を見上げる話。
動物たちがロウソクを花火と間違える物語。
赤とんぼとお嬢さんの物語。
月を見上げる船乗りと子供の物語。
スズメが一銭銅貨を探す物語。
女の子が池の中に簪を落とす物語。
どれもこれも、僕があの世界で出会ってきた人たちを思い起こす物語だ。
ショッパの出てくる物語はなかったけどね~。
なんでだろう?
「たくさん本を読ませる理由? 特にないわ」
「……は?」
「特にないって言ったの」
「え、じゃ、じゃあ……。別に読まなくてもいいんじゃ?」
「いいえ。探し物屋は本の中の物語から生まれた世界に呼ばれるお仕事なの。だから、本を読んでいないと向こうに行くことができないのよ」
あー、それはつまり……。
「これだけの本を読めば、前みたいに向こうの世界に行けると思ったんだけど、それほど困っている人はいないようね」
「おい、メル」
「なにかしら?」
「天誅!」
「いっ、た―――――い! なにするのよぅ!」
なにするのは、こっちの台詞だ!
このバカ猫!
「そんな頻繁に行ったり来たりしてたまるか! 僕はもう、しばらく本は読まないぞ!」
「えーっ?」
「えーっ? じゃない!」
やることがあるって言って、ちょ、あ、白い光が……!
「さあ、ヒロト! お仕事の時間よ!」
「あーっ! せめて、宿題が終わってからがよかった―――――!」
そして、僕は今日も三代目探し物屋として困っている人を助けに旅に出るのでした。
「明日も学校なのにー!」
数日後。
「夏井くん、なにをしているの?」
「あ、南美ちゃん」
ここは町立の図書館。
今日はメルがワクチン接種で家にいないため、読書地獄から逃げるためにやってきたのだ。
まあ、逃げた先が図書館だから逃げたとは言いきれないんだけどねー。
「気分転換ってやつかな」
「気分転換? 夏井くん、最近ずっと難しい本を読んでばかりいるのに、図書館にいて気分転換になるの?」
うっ……。言われると思ってた。
メルのスパルタ教育によって、僕は学校でも家でも分厚い本を読むようになった。
だって読まないとメルにひっかき傷を作られるし……。学校で恥ずかしい思いをしたくないからね。
「うーん、難しい本ばっかり読んでたから、絵本とか読みたいなーって思ってね」
「へえ、そうなんだあ」
「うん」
そう。最近、僕が読んでいる本は挿し絵も少ないものばかりで、なんだか無性に挿し絵があって文字数の少ない絵本が読みたくなったんだ。
いやあ、読書は嫌いじゃないけれど、さすがに日本の文豪が書いた作品とかそういうものばっかりは、あきる。
僕だって絵本を読みたいし、児童文学を読みたい。
活字だらけの本ばかり読むのは、目も頭も疲れるし、なによりあきるんだ。
いやあ……。メルに言っても許してくれないから、メルのいない間に読むしかないんだよねえ。
しっかし、本を読むのがあきた代わりに本を読むって、変人みたいだな。僕。
「今日は、どんな本を読んでいるの?」
「実はついさっき来たばかりでさ。今はどれを読もうか悩んでいるところなんだ」
「へえ、そうなんだ。あ、それじゃあ……どういう本が読みたいかな。オススメがあったら紹介したいんだけど」
「え、本当? それじゃあ、お願いしてもいいかな」
「うん」
「聞~い~た~わ~よ~」
「聞いたってなにを?」
「ヒロトが女の子とデートしてるって情報よ~」
家に帰ると、南美ちゃんがオススメする絵本を借りてきた僕にメルがそう言った。
ワクチン接種で疲れたのか、だらけているが、近所の猫から僕が図書館にいるって情報を得たついでに聞いたんだろ。
「デートじゃないよ。たまたま会っただけ」
「たまたま~? ヒロトってば、ウソはダメよ~」
「ウソじゃないけど」
メルは、なにをもってウソだと言っているんだろう。
「だって、あの南美って子とヒロトがキスしてたって言ってたんだもーん」
「……はあっ? なにそれ」
「ほら、絵本を一緒に選んでいる時に、小さい子がぶつかってきてね」
あ、ああ……。それね。
「南美ちゃんが倒れないように支えただけで、キスなんかしてないよ。どこから見てたのかは分からないけど、憶測で話をするのはダメだよ」
「え~? おもしろくなーい。もっとこう、恋愛してみたいとか思わないの?」
「思わない」
って言うか、探し物屋もやっているのに恋愛まで僕が手を出せると思ってるのか?
僕は器用じゃないし……て言うか、僕はまだ小学五年生なんだけど。
最近のマセた子は、僕より年下でも恋人とイチャコラしてるって聞いたとあるけどさあ……。正直、今のところ興味が全くないんだよねえ。
「恋愛はいいわよ~。好きな人が自分を見てくれるように身だしなみを整える大変さとか、男女のかけひきとか、消極的な子よりは積極的な子のほうが子だくさんになるとかね」
それさあ、猫の世界の話?
猫たちの恋愛の話なの?
ねえ、メルさん。
アンタ、避妊手術してるから妊娠できないよねえ。なんで、そんなこと知ってるの。
情報?
やっぱり外からの情報なの?
まず、猫の世界の常識だったら僕に押しつけないで欲しい。僕は人間だし、猫みたいな恋愛はしないよ。
いやあ、発情期になると近所の猫たちがいっせいに鳴きだすから、うるさすぎて眠れないんだよね。
子孫をつなげるためには必要なことだとは思うけど、とりあえず寝不足になるから僕の家の近くではお止めください。お願いします。
「なーんだ。おもしろくないわー。恋愛しなさいよー」
この猫はなんだろうか。さっきから恋愛の話しかしてないぞ。
だーかーら、今は興味ないんだってば。
「ほら、ヒロトと仲が良い南美って子に告白してみたい?」
……はあ。なんだろう、一気に疲れてきたぞ。
「メル。それ以上、僕に恋愛の話をしてきたら」
「……きたら?」
「一週間、おやつのカリカリあげない」
「い、イヤ―――――っ! それだけはイヤ―――――! ヒロト様! 何様僕様ヒロト様! お願いですから、わたくしめのカリカリを隠さないで! ねえ! お願い!」
うるさい。いつものことだけど、そんなにカリカリが好きなのか。
別に悪いとは言ってないけど、最近食べ過ぎなんじゃないかと思う。母さんにメルの体重が増えたって言っておかないと……。
「そんなに嫌なら、読書の邪魔をしないでね。読み終わったら、南美ちゃんに感想を教えてって言われたし」
「えっ? やっぱり……」
「今日はカリカリなし」
「きゃあああ! ごめんなさ―――――い!」
はあ……。それじゃあ、この絵本を読も……。
白い光さん来ちゃったー!
せめて、せめてこの絵本を読み終わってからがよかったなー!
結局、その日借りた絵本は、その日のうちに読み終えることができず、南美ちゃんに絵本の感想を伝えることができたのは、それから三日後のことだた。
「本当、探し物屋の仕事って唐突だよね」
「物語の中の世界に住む人は、自分のことで精一杯だからねえ。仕方ないわ」
「せめて、せめて読み終わってから行きたい」
「読んだところで、その物語とは違うから、それほど意味はないと思うわよ」
それでもさあ、物語と同じ行動を取って迷子になったり、なくし物をする人はいるんだから、事前に情報は持っていたほうがいいと思うんだよ。
メルはそう思わないの?
「そうだけどぉ」
「向こうの世界に行くためだけに本を開くのは、なんだか違うと思うんだよねえ」
どの本の呼ばれるかなんて、アカリさんに呼ばれた時ぐらいしか分からないだもん。
あの時は偶然じゃないかと思ったけど、なんだか無性に読みたくなる本って、読んでいると高確率で向こうの世界に呼ばれるんだよねえ。
メルの言う通りに自分から向かって行くよりさあ、相手が呼ぶのを待って、自分の好きな本を呼んでいたいよ。
僕は……。
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