真夜中のドラゴンフルーツ

@basiko-da-gama

最終話


 静けさのみが支配する街。こんな真夜中とあっては、昼であれば人が賑わう公園も不気味さの漂う空間と化している。例えるなら、さながら冥界というところか。

 夜道を歩きながらそう考え、ふ、と自虐的な笑みを浮かべた。

 いっそここが本当に冥界であれば、あるいは楽になれたのかもしれない。

 この仕事という名の責め苦から解放されるのであれば、それも悪くないだろう。

 昏い想像。こんなことを思う私は、おそらく正常ではないのだろう。きっとどこかにそれを落としてきたのだ。間違えたのがいつだったか、もう覚えていないけれど。


 ……私だって、好きでこんな時間にこんな場所を歩いているわけではない。

 上司のミスで増える作業。終わるまで帰れないデスマーチ。

 結局、会社から出た頃には終電は過ぎ去ってしまっていた。もっとも、それにももう慣れたが。

 不幸中の幸いというべきか、会社から私の家まではそこまで離れているわけではない。おおよそ徒歩で一時間ほどか。そのため終電を逃してしまった日は、こうして夜の街を一人で歩きながら帰るのが通例となっている。


 「……あれ?」

 ふと気になって、足を止める。視界の端に見覚えのないものが映ったからだ。

 「あんなところに、屋台なんてあったか?」

 公園の木の影に隠れるように営業している屋台。控え目な明かりがぼう、と妖しげに夜の公園を照らしている。

 今まで、この公園に屋台なんてものはなかったはずだ。あればもっと早く気づいている。今までこの時間帯にここを通った回数は両手でも数えきれない。ずっと見逃し続けてきたというのは無理があるだろう。

 となると、偶然今日だけやているか、あるいは今日からオープンなのか。

 まぁ、いずれにせよラッキーだ。丁度腹も減っている。帰ってカップ麺でも食べようと思っていたが、ここで食べていくとしよう。

 屋台の方まで足を運び、軽く観察してみる。屋台自体はかなり古いらしく、ところどころが老朽化して薄気味悪さを醸し出していた。

 店の名前は『ドラゴンフルーツ』というらしい。屋台として、その名前はどうなのかと思わなくもないが、店名というのは得てしてそういうものだ。特別不思議なものというわけでもない。

 のれんを潜っても、私には声一つかからない。一応店主はいるようだが、座ったまま身じろぎ一つしないのだ。

 「えぇと、まだ、やってますか?」

 とりあえず、営業中かだけ訊ねてみる。

 するとすぐに、「えぇ」と地の底から響くような声で答えが返ってきた。それに、少々ぎょっとしてしまう。

 というのも、店主はかなりの小柄だったからだ。いや、小柄どころか、服の上からでもかなりの痩せぎすなのだと分かる。

 そんな体躯から今のような重低音な声が出れば、私でなくとも驚いてしまうだろう。

 ……ともあれ、まだ営業中であるようだ。

 中に入って、空いている席に座る。もっとも、こんな時間では空いてない席など一つもないわけだが。


 ふぅ、と一息ついてから、何があるのかを確認する。

 ここはおでんを売っているようで、大根にこんにゃく、ちくわにゆで卵と食欲をそそる品が幾つも並んでいた。

 夕食すら食べていない私にとって、これは目にするだけでも腹を刺激する毒と似たようなもの。さっさと注文を決めて、店主に伝える。

 頷いた店主は紙皿に品物を移していく。牛すじに厚揚げなど多種多様な食材が目の前を通り過ぎる瞬間の連続。腹の虫はどうにもご機嫌で、さっきから大合唱だ。店主に聞こえてないか心配になる程に。

 「お待ち遠」

 数十分にも思えた一分程の後、そんな店主の掛け声と共に、皿に盛られたおでんが私の前に給仕された。

 白い湯気を巻き上げて、早く食べろと自己主張するおでん達。無論、断るべくもなく、私はしばしの間、差し出されたおでんに舌鼓を打つのであった……。



*



 「いや、随分と疲れていた様子だが、大丈夫かい?」

 私が食べ終わったのを見計らってか、店主が話しかけてきた。

 あまりの食べっぷりに感心したのか、心なしか口調が軽くなっている。

 「えぇ、なんとか。おかげで腹も満たされました」

 「そりゃよかった。まったく、まだ若いんだから、こんなところに来ちゃいけないよ。仕事でもしてたのかい?」

 「あー、まぁ。今、ちょっと忙しい時期でして」

 主に、上司が期限を守らないせいで。

 というか、上司の上司も期限を守ってない。

 上が全く期限を守る気がないから、最終的に一番下の私達にそのしわ寄せが来るわけで。

 ……あぁもう、思い出したら腹が立ってきた。

 「ストレスが溜まってるみたいだね。僕でよければ話は聞くけど?」

 「いえ、そんな。迷惑でしょうし」

 「心配しなくていい。こういう仕事をしてると、キミみたいな人もよく見かけるしね。慣れてるんだ」

 慣れてるってのと迷惑かどうかってのは、ちょっと論点がずれてる気がするが……

 「吐き出すだけで楽になることもある。遠慮することはない」

 こうも言ってくれているし、お言葉に甘えることにしよう。


 私は仕事に対する愚痴を少しずつ告げていく。

 一度口に出してしまうと、よほど堪えていたのか次から次へと溢れてくる。店主が聞き上手だったのもあっただろう。小一時間ほど話し込んでしまった。

 しかも、話に夢中で気づかなかったが、数名、お客さんが訪れて来ている。

 どれだけ集中してしまっていたのか。何だか、妙に気恥ずかしくなってしまう。

 一度そう感じてしまえばもう止められない。

 うん、腹も膨れたし、そろそろお暇することにしよう。

 「大将、ご馳走様でした。また来ます」

 「はいよ。ありがとうございました」

 「いえ、こちらこそ。愚痴に付き合わせてしまって」

 「気にしなくていいさ。でも、そうだね。あまり無理をしちゃいけないよ。

 「……そうですね、気を付けます」

 「――」

 のれんを潜って外に出ようとする。

 と、その直前に店主から再度声がかかった。

 「、気を付けてね」

 ――それは、どこか含みのある口調だった。

 私は頷いて、改めて屋台の外に出る。 

 こんな真夜中だというのに、公園はそれなりに賑やかだ。

 ふと、夜空を見上げてみる。


 ――満天の空には、欠けるところの一切ない、大きな満月が鎮座していた……



*



 「ねぇ、あの変な話聞いた?」

 「え、なになに?」

 「公園の隅で人が倒れてたって話」

 「……それって、酔っ払いが寝てただけじゃないの?」

 「それが、違うの。何でもその人、死んじゃってたらしくて」

 「ふぅん。けど、それがどうかしたの?」

 「何でも、死因は過労だったらしいんだけど……、おかしな点があるのよ」

 「過労するほど働いてなかった、とか?」

 「うぅん。働いてる環境は超過酷で、その点は問題ないんだけど……。なんかね、死亡直前に、大量のおでんを食べてたみたいなの」

 「……おでん? おでんって、あの食べるおでん?」

 「そう。その食べるおでん」

 「何で死ぬほど疲れてる人がおでん食べてるの?」

 「さぁ? でもね、不思議なのはそこじゃなくて。その付近に、おでんを売ってるお店なんて一つもないの。それこそ、半径数キロってレベルで。それなのに、死んじゃう直前まで食べてたっていうんだよ?」

 「……何だろ。確かに、変だね。死ぬ前に食べたかったのかね」

 「あはは。でも、ミステリーの香りがしない?」

 「そうね。それが本当なら、だけど。で、どこまで脚色したの?」

 「あ、ひどーい! 信じてないね!」

 「当たり前でしょ。アンタ、これまで私に何回デマ教えてると思ってるのよ」

 「こ、今度はホントだもん!」


 仲良し女子高生の話は流れていく。

 真実を、内包しながら。



*



 ――ドラゴンフルーツという花の話をしよう。

 この花は、新月か満月の晩、その一晩のみ花を咲かせるという。

 その花弁は白く、しばしばこう称される。


 ――――天使の羽のようである、と。


 "彼"がその店にドラゴンフルーツと命名したのは、一種の皮肉と言っていい。

 天使と正反対で、けれども似たようなものだという。


 あぁ、それと、もう一つ理由はあるか。


 そう、ドラゴンフルーツの花言葉の話さ。

 花言葉は『永遠の星』


 これもよく皮肉が効いている。

 だって、そうだろう?


 真夜中にこの店を訪れたら、もう、永遠に昼を見られないんだから。

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