後ろに立つ少年

西乃 まりも

後ろに立つ少年

 あの事件が起こったのは、3時間目、算数の授業中だった。


 先生が黒板に書いた内容をぼくたちは書き写していた。一通り板書を終えてふとこちらへと顔を向けた先生が、何かに気づいたように、教室の後ろの一点をじいっと見ている。ちょっと目をぱちぱちしてみたり、明らかに驚いているような顔をしているので、なんだろうと思った。


「どうしたんですかー? 先生」


 Sくんがへらへらと後ろを振り返り、先生の目線が行っている付近に目をやったとたん、「わ、何だ……アレ」と声を上げた。その上ずった声の調子を不審に思ったクラスの子が一斉に後ろを振り返る。


 そのとき、ぼくは教室の一番後ろの席に座っていた。みんなの目線はぼくを通り越して、その後ろの辺りに向けられている。つられて振り返ってみると、そこには、力なくうつむいた姿勢でたたずんでいる、僕たちくらいの年齢の男の子がいた。


 全体が灰色がかったような、うすぼんやりとした姿に見えるその子は、下を向いたまま動く気配はない。うつむいているので表情は分からないが、どう見たって、明るい雰囲気ではなかった。


 ぼくのクラスは全員で20人。男子は8人で、そのうち、ぼくを含めて4人がその姿を捉えたらしい。

 ぼく以外の男子3人は急に椅子から立ち上がると、その子に向かって鉛筆を振りかざして「でてけ! 殺すぞ! 殺すぞ!!」と狂ったように叫び始めた。その中の一人、Tくんは、持っていた鉛筆をすごい勢いでその子に向かって投げつけた。だけど、不思議なことに、鉛筆はその灰色の子供の前で急に勢いを失って、僕のすぐ隣にぽとりと落ちてしまった。


 女子の中にもその姿が見える子が2人いたらしい。そのほかの女子も、子供の姿は見えなくても、その付近に丸い玉を見たり、人の気配を感じる子もいたようだ。数人の子がキャーッと叫びながら、椅子に掛けていた上着を灰色の子の立っている方角に投げつけて、ばたばたと教室から逃げ出していった。


 だけど、中には何も感じない子もいるようで、そういう子たちは、その騒ぎをあっけに取られて眺めていたり、逃げてしまった女子たちの後をわけも分からず追いかけていったりしていた。

「どうしちゃったのみんな」っていう感じだ。

 Mくんなんて、「みんな何やってんだ?」って調子で、先生が書いた黒板の文字をひたすら書き写している。


 とにかく、見える男子三人が殺すぞ殺すぞってすごい顔で連呼しているので、ぼくは「まあまあまあ、そんな乱暴な」と、なだめにかかった。ぼくは「幽霊は肉体を持ってないだけで、人間と同じようなもの」だと思っているので、ほかの子よりはちょっと落ち着いていられた。もちろん、怖くはあったけれど。

 だけどここは少し踏ん張って、みんなにいいところを見せてやったら、株があがるかもしれない。


 教室の中の誰よりも、その灰色の子供に一番近いところにいたぼくは、思い切ってそいつに「あなた誰ですか? どこから来たんですか?」と尋ねてみた。だけど、もしかしたら、彼の耳は機能していなかったのかもしれない。ぼくの言葉にまったく反応する様子を見せず、ただ下を向いて黙ったまま、動くことはなかった。


 しばらくの間……、多分、10秒か20秒かそこら、灰色の子はそのままじっとしていたのだけど、やがておそろしく滑らかな動きで、窓のほうへと移動し始めた。歩くにしては早すぎる動きで窓のところまで行くと、そのまま消えて見えなくなってしまった。


 ぼくたちの教室は3階にある。あれっ消えた? と思ったとたん、学校放送のスピーカーから、緊急地震速報のサイレンが大音量で鳴り始めた。


 みんな、またまたパニックだ。教室にいた子は机の下にもぐって、廊下に逃げていた女子たちは、廊下に置いてある本棚の本を頭に乗っけてしばらくじっとしていたのだけど、念のため避難しましょう、という連絡が来たので、みんなで急いで体育館に移動した。


 急に避難することになったおかげで、幽霊騒ぎでパニックになっていたクラスの雰囲気ががらっと変わったところは、良かったような気がする。けれど実は、そのとき、ぼくたちの真下(2階)の教室にある3年生の教室でも、おかしなことが起こっていたそうなのだ。


 これは後から聞いたのだけど、あの緊急地震のサイレンが鳴った直後、3年の担任の先生が、窓の外に、落ちていく人影を見たらしい。3年の生徒も数人同じように目撃したようで「窓から人が落ちた!」って叫んですぐに窓辺に駆け寄り、地面を見下ろしたのだけど、そこには誰の姿もなかったんだそうだ。


 あれは一体なんだったのだろう。担任の先生は「あれは幽霊だな」って断言してたし、ぼくもそうだろうと思う。

 だけど、女子たちの怖がりようは普通じゃなくて、今後あの話をしたり、人に広めたりしたらキックするからね! ってすごい勢いで今も脅されている(正直、ぼくは女子にキックされるほうが怖い)。


 どうやら、あの日、クラスの女子たちは放課後全員で集まって話し合いをしたらしく、あの話は秘密にしておこうってことになったんだそうだ。「あんまり霊の話をしていると悪いものが寄ってくるよ」って言ったぼく(と担任の先生)の言葉が効きすぎて、「幽霊の話をすると呪われる」ってみんな思っているらしい。調子に乗って心霊アドバイザーぶるんじゃなかった。


 ちなみに、その後教室に戻って、先生が持っていたインスタントカメラで教室の写真を撮ってみようってことになったので、代表してぼくがシャッターを切ってみたのだけど、出てきた写真にはびっしりと丸い玉、しかもめったに写らない赤い色の玉が写っていて、その丸がいっぱい写っている辺りに、例の子供が透き通った状態で写りこんでしまっていた。やばいものが写ったなぁ、と思ったら、先生が「これは燃やしたほうがいいな」と言うので、マッチで燃やそうってことになったのだけど、火をつけようとしても付かない。何度やっても無理なので、チャッカマンを借りてきたのだけど、それでも火が付かない。だからまず、写真を細かく細かく切り刻んでばらばらにして、灰色の子が見えた生徒6人と先生とで給食室に行って、ガスコンロできれいに燃やしてもらった。


 ……写真なんて、写すもんじゃないよ、ほんとに。



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後ろに立つ少年 西乃 まりも @nishinomarimo

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