コタツ君とネコ娘
十笈ひび
第1話
あなたの背中がとても自由だと感じた。
高校に入って見つけた、初めての自由――
もうすぐ四月も終わるというのに、早くも高校という所は私にはつまらなかった。また私は中学のときと同じようなパターンで同じような友達に囲まれて、同じように「早瀬さんって物静かなタイプだよね、絶対A型でしょう?」なんて言われたりしている。
血液型と性格って、実はあんまり関係ないって知らないの? なんて言いたかったのに、そこで私は笑って頷いてしまった。確かに私はA型で、A型だからそうしちゃったのかも、なんて考えて、その後けっこう落ち込んでしまった。
私って、バカみたい……
教室には誰もいなかった。私は日直の最後の仕事をしている。日直は二人いるはずなのに、もう一人の日直だった西川さんはさっさと帰ってしまった。
(ゴメン、日直だったの忘れてた。でも私今日彼とデートで……)
鞄の底に入れていた通信端末に、西川さんからのメールが届いていた。
通信端末は基本的に学校で使用禁止になっていた。先生に見つかれば注意され、通信端末は一時的に没収される。だから、私は校内で通信端末をあまり使わないように気をつけていたのに……
メール越しでそんなこと言われても、西川さんの事情なんて私にはまったく関係ないし、そんな理由納得もできなかった。
でも、明日彼女に会えば、笑って許してしまうに決まってる。
やっぱり、私ってバカだなぁ……
教室という場所は中学のときと同じだ。高校生になっても何も変わらなかった。同じ制服を着た生徒に同じような机が与えられる。でも、高校に入ってすぐは、まるで見えない椅子とりゲームをしているようなものだった。私の居場所探し。でも、それほどに自由があるわけでもない。気がつけば、既に決められたような場所で、既に特定の友達に囲まれて身動きできないでいる。
「あーあっ! 高校なんてつまんない!」
窓の外に力の入らない手を突き出し、チョーク消しを叩き合わせていた。なんだか私一人が真面目に日直の仕事をやってるなんて……本当に私バカみたいじゃない!
一人の時間って嫌いだった。考えてもどうしょうもないことを延々と考えてしまうから。こんなつまらない人生で尽きてしまったら最悪! などと今は考えていた。夕焼けの空にカラスが飛んでいて、そんな光景がもの悲しい。
「黄昏か……もぅ! 私ってオバサン臭い! まだ人生の黄昏なんかに耽りたくないのに!」
虚しい独り言を吐き、空を見つめたままパンッとチョーク消しを叩き合わせると、不意に左手の感触が消えた。
なんてドジ! 窓枠に身を乗り出して落ちたチョーク消しを確認すると、そこにはチョーク消しだけじゃなく、後ろ姿の男子生徒がいた。男子生徒はボーっと佇んで動かない。彼の後頭部と左肩には白い粉がついていて……
どうやら、直撃してしまったらしい。
思わず顔を引っ込めようかと思ったけど、彼が動かないのも気になって「大丈夫ですか?」と二階から弱々しい声で尋ねてみた。
上を見上げた彼を、私はどこかで見たことがある。彼は確か私と同じクラスの……
「え~と……あ、あの……ごめんね」
名前を呼ぼうと思ったけど、躊躇ったのは名前よりあだ名の方が私の脳裏に閃いたから。
コタツ君。又はコタツ……彼はそう呼ばれている。高校に入ってまだ間もない頃に、既に彼はそう命名されていた。
私のクラスにはまるでぽっかり穴が空いたように存在感の抜け落ちた席があった。彼はそこの住人だ。彼はその席で、勉強以外のほとんどを机に突っ伏して寝て過ごしていた。
「年がら年中コタツにうずくまって眠ってる俺んちのじいちゃんにさ、アイツのあの後ろ姿って、そっくりなんだよな」と、早くもクラス一の軽口男と称される有田が言ったのが発端で、それから彼はずっと「コタツ」なのだった。
でも、まさか本人を前にして、ほとんど口を聞いたこともない私が気安くコタツ君とは呼べない。
彼はじっとこちらを見つめていた。無言というところがけっこう怖くて、私は引きつった笑みを浮べていた。コタツ君の性格はその存在感の薄さ故ほとんど不明とされている。
「怪我、ない?」
「……」
やだな……笑ってくれると有り難いのに。
じっとこちらを見つめる視線の意味が理解できずに戸惑っていると、
「ジュリエット……ああ、どうしてあなたはジュリエットなのか!」
出し抜けにコタツ君はそんなことを言い放った。
「は……?」
それは意外にも柔らかく、よく通る声で……聞き間違えようもなく、私の耳に届いたのだけど、私は自分の耳を疑うことしかできなかった。でも、呆然とする私をよそにコタツ君は間髪入れずに至極冷静な感じで続けた。
「ちょっと……そこどいてくれない」
「え……どくって?」
「教卓の下が安全だと思う」
「は? 教卓?」
「多分、その窓の大きさなら俺でもいけると思うから――命中率八五パーセントくらいかな」
無表情に言ってコタツ君はチョーク消しを拾い上げ、お手玉のように左右に軽く投げ交わした。窓に投げ入れるつもりらしかった。
「早くどいてよ」
私はコタツ君の言うとおり、急いで教卓の下にもぐり込んだ。直後、カタンッ! と音がして、チョーク消しが窓から飛び込んできた。
ジュリエットって、何よ……
私はもう一度駆け寄って窓を覗いた。コタツ君は何も無かったように背を向けてスロープを下りていく。背中と後頭部にはチョークの粉をつけたままだった。
私は家に帰ってクラスの名簿を見るまで彼の名前を思い出せなかった。彼は、
改めて知ったコタツ君の名前。その名前は、誰の名前よりもどこか特別な気がした。
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