5.隧道の秘密
一面に深紅の花が咲く天然の花園よ。湧水の岸辺にそよぐ可憐な花が、王国では恐れられ、禁じられているあの
夜の
命を救われた感慨も、朝の光に咲いた花の深紅に、それを見た彼の驚きには及ばない。
彼には禁じられた商品については知っていた。
もとより道楽の次男坊と呼ばれ、兄の急死で家業を継いだ身だ。地元の悪い衆との縁も浅くはなく、付き合いの中で悪魔の麗花を目にした事もあった。
だがこんな身近に自然の群生を見つけるなど、彼は全く思いもしていなかった。命が助かったついでに、彼は危険だが確実に富に結びつく
そして立派な元手があるなら、増やしたくなるのが商売人の性である。
栽培法はツテをたよって教えてもらえたが、彼は大した畑を持っていない。そもそも自宅の裏に植えようものなら銃士がすっ飛んでくる事請け合いだ。
自然とこの花園が、彼の企みの中心地となった。
普段から峠を越えて仕入れをしていたから、足繁く峠に通っても不審がる者など誰もいない。
それどころか周囲からは「ますます商売熱心になった」と褒めそやされる始末で、初めて数ヶ月もすれば、彼はこの稼業にすっかり首っ丈になっていた。
とはいえ栽培は一筋縄ではいかなかった。
最初の年は無計画に植えたために、その多くを枯らしてしまった。
群生していたからと高をくくったのが失敗の元で、商品にならない枯れ草を大量に抱え、なんとか土に混ぜ込んで誤魔化したのは苦い思い出だ。
二年目からは湧水を栽培地全体に引く事で水やりを楽にし、数を管理してどうにか軌道に乗せた。ようやく買い手も見つかり前途は洋々と思われたが、それでも試行錯誤の数は尋常ではなく、厄介なゴミの量は増えるばかり。
ついには湧水に染み出した毒を下流で飲んだ旅人が、トンネルで狂い死にするという痛ましい事件も起こった。
事件を機に、花園の発覚を恐れた彼は大胆な手を打つ。
爆薬を仕掛けて山崩れを起こし、トンネルへ向かう道を迂回させようという計画だった。幸いトンネルの出入口は複数あり、彼の花園は片方の出口にほど近い。
上手くすればトンネルは無事なまま、彼の秘密だけが保たれる。
その、はずだった。
思えば少々冷静さを欠いていたのだろう。雑に仕掛けられた発破は思わぬ崩落を誘発し、気付けばトンネルそのものが立ち入り禁止の有様である。
確かに秘密は保たれた。が、彼がトンネルへ向かう言い訳も同時に消し飛んでしまった。
この逆境においても彼はまだ諦めなかった。
丹念に地形を調べて無事な出入口を発見し、花の世話と峠越えの日数調整のために掘っ立て小屋まで建て、泊まり込んでの栽培に打ち込んだのだ。
その根性だけは見上げた物だが、いつの間にか執念は暴走し、努力の方向は明後日どころか完全に真逆を向いていた。
ちなみに聖女が彼を試しているわけではないのだが、逆境はまだ終ってはいない。
人通りが途絶えたことで嬉々としてゴミ問題に取り組んだ彼は、積みに積まれた肥料にもならないクズ草をまとめて焼却。
そこまでは良かったのだが、燃やしたあとの灰の管理を怠ったために、生乾きの花弁や果実が斜面に飛散し、揮発する毒の香りによって定期的に吹くあの死の風を産み出してしまった。毒素の消失までは数ヶ月を要するだろう。
もう彼は動じなかった。なるようになればいい。
そんな風に考えていたからだろう。
ついに今日、彼は事態に追いつめられるまま、最悪の選択へと至ったのである。
岩棚の掘っ立て小屋で寝息を立てる少女。
ほんのわずかだが毒の香りを吸ったために、今は深い眠りの中にある。
綿詰めマスクを付けたまま、彼は半日近く悩んでいた。
トンネルの中で少女の姿を見つけた時、彼は最初、後を尾けられたのかと焦った。ところが少女は彼を見ると、涙ながらに助けを求めてきたのだ。おそらく毒の風にやられた獣の死体を見て怖くなったのだろう。
袖にすがりつく少女をなだめながら、彼は笑顔の裏で焦げ付くような焦燥を抱えていていた。
トンネルを通るはずのない彼が、少女と出会ってはいけないのだから。
そうこうしているうちにまた毒の風が吹き、無防備な少女だけを深い夢の中へと引きずり込んでしまった。
もう後はなし崩しの体で、彼は秘密の小道を通り、花園へとやってきたのだ。
獣に襲われないようにと少女を担いで。
彼がもう少し狡猾なら、少女を置き去りにして獣の餌にすれば良かったのだ。
あるいは機転がきくなら、少女を担いですぐに分岐に引き返せば、全ては悪い夢とでも言い訳できたかも知れない。
それが馬鹿正直にここに連れてきてしまうとは、まったく混乱していたとはいえひどい不始末だ。
今から分岐に戻っても、誰かが少女を捜索に来ている可能性がある。トンネルから下ってきたのを見られたら言い訳などできようはずもない。
自ら作った八方ふさがりの状況で、彼に残った選択肢は少女を殺めるか否か。
毒の香りによる眠りがどれほど続くかはわからない。今この瞬間に目覚めるかも知れない。
そうなれば彼の花園は知られてしまう。子供だから言い聞かせれば、あるいは金でも握らせれば黙っておいてはくれないか。
いや、子供に秘密というのは「いいふらせ」というのと同義だ。顔見知りだからといって安心してはいけない。
でも顔見知りだからできれば殺したくない。殺人は御免だった。あの旅人だって彼が直接手を下したわけではないのだ。
しかし少女を生かしたまま自分の助かる未来など見えず、いよいよ堂々巡りも鍋の底が見えてくる。
追いつめられた彼の心中は、徐々にある言葉へと収束していった。
すなわち。
「どうせ死ぬなら、眠ってる間がいいよな」
彼は花園の手入れに使う
「ごめんよ、運が悪かったんだな」
一度振り上げ、彼が小さな胸を貫かんとした刹那。
音もなく掘っ立て小屋に滑りこんだ黒い影が、手にした奇妙な武器でスキの先を捉え、彼の腕ごとひねり上げて吠えた。
「この馬鹿野郎が!」
***
「この馬鹿野郎が!」
人質がいると踏んでの、ヴェクの単身突入。
狙いは的中し、彼はすんでの所でリーアムを襲わんとするスキを破刃剣で絡め取った。相手を無理な体勢へと持っていき、すかざすヒザ裏へ蹴りを入れて、マスクを付けた男をひざまずかせる。
彼の後ろからはラファムも小屋に飛び込み、状況を察してリーアムを庇うように抱きかかえると、彼に合図を送って避難する。
ヴェクは男の手からスキをもぎ取り、小屋の外に放り投げる。
まったく抵抗しない相手を不審に思いつつも、彼は男の顔を隠していたマスクを剥ぎ取った。
「あ――知らねえ顔だがお前、その服はカタギだよな? 商人か旅行商ってところか」
男は頬のこけた顔を上げ、諦めと安堵を含んだ弱い声で答える。
「ふもとの、羊毛問屋です」
「羊毛問屋? つーと昨日ガルダドックに羊毛を買い付けに来たってのは、お前がそうか」
「……そうです」
妙な雲行きになったもんだ、とヴェクは戸惑いに頬をかく。
彼らが岩場に繋がれたラバを発見したのが小一時間前のこと。
周囲の痕跡をたどり、岩の割れ目から山頂方向へ続く小道を発見した彼らは、しばらくしてこの花園にたどり着いた。
やや広めの岩棚と、その一面に咲き誇る深紅の小花。
見かけは麗しくとも、そこから得られるのは人を壊す狂気の毒。犯罪を確信した三人は、ほどなくこの掘っ立て小屋に目を付けた。
行方不明の少女を捜していたら悪魔の花畑を発見したわけで、なかなか信じられない顛末ではある。
――にしてもこいつぁ。ヴェクにはこの男性、羊毛問屋が妙に気になる。
真っ当な商いの裏で
前者は計算高くて悪事の自覚があり、後者は手際が悪く食うに困って罪を犯す。
この男はそのどちらでもなさそうだ。身なりはしっかりしていて裕福そうであり、なのにこの花畑と来たら素人の手慰みもいいところで「趣味の園芸」の域を出ていない。
情熱、というか執念こそあるようなのだが、どこにも本気で取り組んだ形跡がないのだ。
思い返せばリーアムを殺そうとした時も、動き出すまでかなりの間があった。
さらに今のこの表情だ。まるで止めてもらえて良かったと言わんばかりの、このホッとした顔よ。
全てが彼の知る「覚悟を持って悪を働くマトモな人間」の枠から外れている。
リーアムの介抱は少女たちに任せ、彼は男の首根っこを掴むと花畑まで連れて行く。そして風に揺れる花を見ながら、彼は男に話しかけた。
「おいオッサン、ちょっと訊いていいか。この畑の
「えっ……金で三、いえ四枚ぐらい、もうちょっと少ないですが」
素直に答える男の目が、チラリと彼の飾り帯に向く。
相手が銃士と知って隠し立てをする気はないだろうが、ヴェクはその金額にふむ、と首をひねった。摘発を恐れながらの商売にしては明らかに危険に見合ってない。
ますますヴェクにはわからなくなる。稼業でもなく生計でもない素人芸に、この男が手を出した理由はいったい何だというのか。
「なあオッサン、なんでこんな事をした。月に金三枚なんて、ちょいとの道楽で消えちまうだろうに」
「なんで……さあ、ちょっと、自分にもわかりません。もしかしたら……」
男は薄く笑って首を振った。
「もしかしたら、冒険したかったのかも知れませんね。でも、人を殺さなくてよ――ぁ!」
瞬間、ヴェクは男を顔面から花畑に放り込んでいた。
「な、なにを」
狼狽する男。見返す先でヴェクが瞳に鬼気を湛える。
「なにがボーケンだよオッサン! そんなの勝手に山にでも登ってりゃよかっただろうが! 人様の命を奪う所行の理由がそれか、あぁ?」
「わ、私は殺してないぞ。旅人だって手に掛けてないし、リーアちゃんも――」
「んな事は見りゃわからぁ! 人殺しの顔じゃねえ、いや、俺が止めなかったら結局殺してただろうがな。そうじゃなくて、俺はこの花の事を言ってんだよ!」
彼は怒りに任せて花を一輪引っつかみ、それを男の鼻先に突きつける。
「いいか、この花は人を殺せる。
それもマトモな死に方じゃねえ。よがって狂って、そいつが人間だったかもわからねえような様にして殺すんだ。爪の先くらい量を間違えただけで、何もかも垂れ流して死んだ女を俺は
……月に金貨三枚、それと引き換えに何人死んだかな、オッサン」
次第に青ざめていく男の顔に、ヴェクはツバを吐きかけてやりたい衝動を堪えてつぶやく。
「人を食い物にするのが善いとか悪いとかじゃねえ。ただ度胸も覚悟も、理由も無しに人を害する。俺はそれが許せねえだけだ」
銃士としては彼の憤りは正しくない。人を守れ、害を除けと教えられるからだ。
だが辺境という混沌の中で育った彼は犯罪の中にも確固たる理由と、整然とした理論がある事を知っている。
だからと悪が許されるわけではないが、少なくともこの男は平和と安心に首まで浸かりながら、彼の常識を軽率な行いで愚弄していた。
「……とにかく重罪だぜ。無事でいられると思うなよオッサン」
ヴェクは男を起こして後ろ手に捕まえると、途中から背後に立っていたソシアにアゴをやる。少女が無言で取り出した朱色の水晶がパッと輝き、迸った赤光が一面の花畑に火を熾した。
「も、燃える、花が」
「燃えて正解だ馬鹿野郎が! ……ソシアさんよ、これでいいのかい?」
「
「そうか……」
地獄めいた熱光に深紅の花弁が燃え朽ちていく。
それはまるで花びら一枚一枚が天へと伸び上がっていくようにも見える、儚くも美しい光景だった。
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