4.怪物たちの狩り場


 峠の隧道トンネルは山の中腹にあり、峠道とは逆回りで峰を迂回している。

 馬車数台が並んで通れるほど幅広のトンネルは、その全てが掘られたものではなく、自然の洞窟を半ば利用する形で造られていた。

 さて、人の少ない辺境にこれだけの規模のものがあるのは不自然なのだが、それもそのはずで、このトンネルは近世に作られたものではない。


 ここは遙か昔に掘られ、忘れ去られ近年になって再発見された、一種の遺跡だ。

 しかし古くはあれど所詮はただの道。これといった考古学的価値はなく、見るべき美しさにも欠けるため、今や訪れるのは峠越えの旅人ばかりであった。


 バラ色の巨岩に口を開けたトンネル。だがヴェクたち三人は入ろうとはせず、その手前の開けた窪地で、各々、足下の砂地を向けていた。


 ヴェクが鞍を降り、薄いピンクの砂一面に染みる暗褐色の何かに指を這わせ、さらに周囲に散らばる骨や毛皮を確かめる。


「どう、ですか?」


 ソシアの問いかけに、彼は指にベッタリと付いた何かこすり合わせると頭を振った。


「こいつはほとんど怪物シェアルの血だな。人間のものは無さそうだ」


 ヴェクが指を嗅ぎ、立ち上る強烈な鉄の臭いと臓物臭に顔をしかめた。

 わずかに発酵したミルクの匂いが感じるが、これは明らかにレアカ・シェアル、つまり凶暴な砂漠の住人たちの脂肪が腐ったものだ。


「色も黒い。ただ、骨だの食い残しだのは相当時間が経ってるぞ。今朝とかの新鮮なものは無さそうだ」


「うぇ……ちょっと吐きそう、ごめん」


 ラファムがソシアに手綱を預けて馬を降り、一面の残骸を避けて岩陰に消える。

 そのソシアも気分が優れない様子で、口にハンカチを当てて強烈な臭いを堪えつつ、馬の上から周囲を観察する。


 ヴェクだけは平然と手で残骸を検分するが、彼は辺境の暮らしで、血の海には慣れていた。

 皮と骨、干からびた臓物などを選り分けるうちに、彼は妙な事実に手を止める。


「ほとんどネズ公ボイックの死体なんだが、ちょいちょい喰う側・・・の毛皮が混じってるのはなんでだ? まぁ、なんとなれば共食いもする連中だからな、違う群れが鉢合わせでもしたんだろう。そっちはどうだソシアさんよ」


「ええ、足跡は消えていますが、蹄の跡はトンネルへ向かっているようです。地面にいくつか引きずった痕跡もあるので、この辺に狩りをする怪物がいるのは間違いないですね」


 ソシアのやや緊張気味の声に、ヴェクはそっと腰に手を伸ばす。

 ――リーアって娘が巻き込まれてなくて一安心だが、狩り性の化け物ってのはマズいな。やっぱり道が使われなくなったんで、ふもとから出張でばって来やがったか。


「とにかくここを離れようぜ。狩り場のど真ん中にいつまでも留まるのは危険――」


 そのとき突如としてガァンという銃声が至近から鳴り、ヴェクは声も半ばに二丁魔銃をすばやく抜き放つ。

 ラファムが岩陰から慌てて後退してくるのを見れば、何が起こったのかは火を見るより明らか。狩り場に主人たちが戻って来たのだ。


「メルを頼む! トンネルに退けソシア!」


 ヴェクから手綱を預かったソシアが馬たちをトンネルへと避難させる。

 それを庇うように、ヴェクは一足飛びに戻って来たラファムと、血だまりの中心で背中合わせになった。


「数は」


「正面に五頭、裏取りが三頭、オオカミモドキレアカ・ヒツムだよ!」


ワン公ヒツムかよ、くっそ面倒だな、ペッ」


 ヴェクは唾を吐いて周囲の岩に照準を巡らせる。

 最悪ではないにしてもかなりの強敵だ。


「奴らはチームワークで詰めてくるぞ。突出した奴に気ぃ取られんなよ」


「そっちこそ、でっかい口にビビらないでよね」


 でかい口。わずかに震える声でラファムがそう評したものが、岩陰からそろりと、そしてゾロリと鋭い歯を並べて覗く。続いて本体がのそりと這い出し、真昼の陽射しを受けて鈍い灰色の毛を逆立て、盛り上がった筋肉を震わせた。

 その見てくれだけは筋肉質の野犬だが、大きさたるや馬と同じかさらに一回り大きい。


 これが砂漠の怪物レアカ・シュアルと総称される、荒野に適応した強靱な獣の姿だ。


 フレアヒェルを厳しい大地とする要因の一つが、その独特な生物相にある。

 捕食層であれ被食層であれ、荒野に住む動物たちは呆れるほど巨大に成長し、その気性は一部を除いて非常に荒々しい。

 人間など彼らには手頃な獲物でしかなく、人が数千年の歴史を重ねながら荒野を征服できないのも、理由の多くが彼らにあった。


 正面、巨大なオオカミモドキが五匹。

 ヴェクは油断なく照門越しの視線を巡らせる。


 生き物として規格外の巨躯が相手では、模造銃なら傷つけるのがやっと、魔銃でも急所狙いが必要となる。

 さらにオオカミモドキは群で行動する習性があり、人間ほどではないが知恵も回る。折しも一頭がこれ見よがしに岩から離れたタイミングで、別の一頭がヴェクの視界ギリギリから突進してくるところだ。


「そっちか!」


 見る間に迫る傷だらけの巨体。人を丸呑みに出来そうなほど大きく開いた口に、ヴェクは左の銃口を向ける。

 戦いの口火を切る三連斉射は、彼の狙いからややばらけ、筋肉質の巨体へ吸い込まれた。幸運にも一発が上あごを貫通し、その脳と血をを砂地へと撒き散らす。


「こ、いつは……キョーレツだな畜生」


 射撃が済むや、ヴェクは顔を歪めて左手を振った。

 とっさの判断で撃ったはいいものの、ものの見事に左手を痛めてしまったからだ。魔銃の反動リコイルの強さは模造銃の比ではない。事前の試し撃ちはしていたが、姿勢を崩しての射撃では負荷が大きすぎたのだ。

 左手に馬に踏まれたような鈍い痛みが走る。


「なにバカやってんの!」


 図らずも魔銃に振り回されてしまったヴェクとは違い、彼を諫めるラファムは、クセのある銃を全身で制御し、使いこなしている。

 彼女は剣術における突きの姿勢で踏んばり、魔銃が強壮弾マグナムを吐く度にその勢いを手首から肩へ、そして背中から足へと逃がしてステップを踏む。

 それは撃つというより、遠くの敵を突き殺すような動きだ。


 もちろんヴェクとて銃士の修行を積んだ身。

 二丁銃術でも左手は補助の意味合いが強く、頭さえ冷えれば次の無様はない。


「けっ、いってくれらぁ。いくぜおらっしゃぁぁぁっ!」


 ラファムが裏取りの二匹目を屠る後ろで、ヴェクは雄叫びと共に射撃を再開する。警戒して下がろうとした囮役に数発が突き刺さり、ノドを喰い破ってその命を絶った。

 手勢が半減した事に驚いたのか、獣たちは慎重に岩の陰に身を隠す。


「チェック、残弾こっちは二」


「左に五、右に四だ。まだいける」


「なら装填するからカバーして」


 敵が攻めあぐねたその隙をつき、二人は短く声を交わして連係再装填リロードの構えを取る。


 ラファムがしゃがんで輪胴を展開し、その間ヴェクが両手で前後二面を警戒する。遮蔽が取れない状況で安全に装弾するためのテクニックであり、初めての二人組でも息が合っているのは、互いに王立大での血の滲むような訓練の賜物だ。


 ――短時間でいいから、二人分を一人で補え、ってね。銃にビビらない化け物相手にちょっと頼りねえが……あ?


 二方向へと一段鋭く神経を研いだヴェクは、そよぎはじめた風に血や臓物とは別の臭いを嗅ぎ取り、困惑した。

 妙に甘ったるい、それでいていがらっぽく喉の奥に絡む、どうにも不快なこの香り。彼の後頭部がざわりと粟立ち、反射的にラファムに叫ぶ。


「息止めろ! ヤバイぞ!」


「は? 何言って――」


 瞬後、ゴウという先触れを経て、山の頂から砂煙と一陣の突風が落ちて・・・きた。

 強い砂ぼこりにラファムは装弾を中止して口元を覆い、ヴェクは一気に濃さを増した芳香の正体を、唇に感じた刺激で思い出していた。


 ――悪魔の麗花シュイヴァン・ブーツ


 脳裏をよぎったのは、少年の頃に出入りしていた娼館の風景。

 その片隅で薬を作っていた老婆の、ドロドロに汚れた鍋の中身。

 媚薬、興奮剤……それらに使われる玉ネギのような形の、毒性の高い果実。

 触っただけで老婆に頬を叩かれた。


 なぜそんな香りが風に乗って来たのか。

 それは彼にはわからない。

 だが唇を刺すほど濃い香りを吸えば、正気を保てなくなるのは確実だ。

 悪魔の霊花の記憶は、体中から何もかも垂れ流して動かなくなった娼婦の姿で終わっているのだから。


 死の香りと共に運ばれてきた砂ぼこりの向こうで、オオカミモドキたちが熱っぽく唸りはじめ、やがて正面で二頭が仲間割れの噛み合いを開始する。

 ヴェクは自分が倒した一頭が傷だらけだった事と合わせ、ある確信を得る。


 ――間違いねえ。こいつら、前にもこの風で正気をなくして仲間割れしやがったんだ。でもわかったところで、今のヤバさは変わらねえぞ!


 まるで彼の焦りに呼応するかのように、仲間割れに加わらなかった二頭が前後から、口角から泡をとばして二人に喰らいかかる。


 ヴェクは一瞬迷った。

 急所以外に弾を当てて止めるためには、片手では足らない。しかし呼吸による反動制御が難しい今、別の方向に向けた二丁を的確に御すのは至難の業だ。

 ラファムの再装填も間に合うまい。

 だが両方を止められなければ、彼もラファムも一瞬で肉塊にされてしまうだろう。


 それでも、いくら迷おうとも、引き金は引かねばならない。

 ヴェクは一か八かの二面両手射撃に挑んだ。

 先んじて快調に吠えた右銃は、オオカミモドキの胸を裂いて心臓を打ち壊す。だが左銃は三発をてんでの方向に散らしたあと、ガギュッと異音を立てて止まってしまう。

 不安定な射撃、いわゆるガク引きで空薬莢が排莢口に詰まったらしい。


 万事休すかと思われた、その刹那。

 トンネルからキュッと空気を裂いて飛来した弾丸が、二人を噛み砕かんとしていた凶悪な頭部を捉え、その半面をごっそり削って横殴りに吹き飛ばす。

 ドン、という銃声は後を追って響き、さらに続けて、仲間割れした獣たちをハチの巣にする。


 風が収まる。


「――っ、ふぃい、死ぬかと、思ったぜ」

「こっちも」


 唇を舐めて空気が澄んだことを確認し、ヴェクは辛抱していた息を安堵の言葉と共に吐き出した。その足下では、ラファムが腰を抜かして尻餅をつく。


「にしてもまぁ、すっげえ腕だわな、ソシアさんはよ」


ふはりほほ二人ともふぇ……怪我はありませんか?」


 トンネルの入り口からトテトテと走り出てきたソシア。

 彼女はヴェクにウィンクすると、口にくわえていたライム色の水晶を取って二人を気づかう。ラファムが顔を輝かせてそれに応えようとし、だが再びそよぎはじめる風に警戒を促した。


「また風が来るかも」


「ラフィ、ご心配なくです」 


 ソシアは安心させるように親友に手を振り、不思議そうに見つめるヴェクの前で、手にした水晶――織魔水晶オビナーシュを掲げ、風上を睨んで強く声を上げた。


織魔執行ペルテーヴ


 瞬間、水晶が強い輝きを放ち、同時に三人の周りで風が妙な具合に渦巻く。

 そして一呼吸置いて、突風が彼らを起点に、見えざる巨大な槍となって吹き降りてくる風を穿った。舞い上がる砂も死の香りさえもない清浄な空気の障壁。それが突如として三人の周りに出現したのだ。

 強大な魔法の力に舌を巻くヴェクを、少女たちが手招きする。


「あまり長くは続きませんよ」

「ソシィが息切れする前に早く、急いで」


 風の魔術が作った道を、三人は一気に走り抜けてトンネルへと逃げこむ。

 少し奥で馬と再会したヴェクは、一息つくと改めてソシアの能力に舌を巻いた。


「あんた、とんでもない魔力ゴーツォ持ちだな。あの風の魔法は並の人間に出せる力を越えてるぜ……あんた魔術師ベフェアールなのか?」


「それは……血筋なのです。私の髪の色でお気づきになりませんか?」


 ソシアは少し恥ずかしそうに、そして怯えた態度で下唇を噛んだが、やがてキッパリと、ヴェクを信頼した様子で青銀色の髪をかき上げ、白い首筋を晒した。

 そこに見えたのは、やや尖った耳と、うなじに走る不思議な渦巻き模様のアザ。隣でラファムが手を迷わせ、ヴェクに瞳で何かを訴える。


 だがしかし、ヴェクはソシアの不思議な特徴を見ても、キョトンとするばかりだった。


「……で、それは?」


 今度はソシアが、そしてなぜかラファムまでもが呆然とする。


「へ? ヴェク、もしかして知らないとか」


「何を? もしかしてラファムさんよ、首にアザがあると魔法の腕が上がるとか、そういうまじないでもあるのか?」


 ヴェクの的外れな答えに、二人は呆れるやら可笑しいやら、急に歯を見せてうなずき合い、二人してヴェクの胸板をポスポス叩く。


「いやいいの、知らないならそれで」

「なんか、覚悟したのがバカみたいでしたね」


「おい二人とも、俺が物知らずなのは知ってるだろうが、なんだよ気味悪いなぁ。ああもう笑うなよ」


 今や腹を抱えて大笑いする少女たちに、ヴェクは咳払いをしてトンネルの奥に目をやる。


「それよりお二人さん、リーアちゃんの件をとっとと片付けようせ」


 ヴェクの苦言に笑いを飲み込んだソシア。

 彼女はそうですね、と姿勢を正すと、二人を馬たちへと引っ張った。


「こちらに手がかり、いえ証人がお待ちですよ」


 謎かけのような言葉にヴェクとラファムは顔を見合わせ、すぐに正体を知って揃ってアゴを外す。

 そこでは三匹の馬にならんで、立派なラバが一頭、俺が何? といわんばかりの間抜けな顔を見せていたのだった。

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