2.屋根裏の出会い


 〈銃士レシャール〉とは、このフレアヒェル大陸における法の番人である。


 彼らは都市や国家に仕え、民の生活と安念を守るため、昼夜を問わず犯罪や化け物と戦い続けていた。

 レシャール、すなわち〈騎乗する者〉という銘は、かつては剣と礼節に精通した騎士に贈られたものだ。主な武器が剣から銃へと移り変わった今日こんにちにおいても、その礼と武に根ざした伝統は、堅固に守り次がれている。


 アンメイア王立銃士大学校。略して王立大。


 それはアンメイア王国に三校、大陸全土にも十校しかない正統な銃士学校の一つであり、王国の銃士教育における総本山でもある。

 かつて堅固な要塞都市であったその敷地は、小山のごとき〈聖メイアの大樹ネツム・ヴーツ・ハイ・メイア〉を中心に、今は白壁の校舎群と宿舎街から成っていた。


 毎年、千名近い若者が未来を夢見て王立大の門をくぐる。

 しかし厳しさでは大陸随一とも謳われるこの学校にあっては、若者の多くは夢破れ、やがて同じ門より去っていく。そう頻繁ではないが、時には新士――卒業者が出ない年すらあるという噂だった。



 ***



 時はメイア歴357年、その春のある日。


 この年の王立大卒業テストは、実に波乱に満ちた最終日を迎えていた。


 テストは主に二つの段階に分かれている。

 前半は筆記と面接、そして実技からなる能力テスト。後半はそれらを活かして挑む実践テストだ。


 この年はいったい何が祟ったのか、ほとんどの生徒が前半で脱落という惨憺たる有様で、実践テストに歩を進めたのは実に五人に一人。

 その数、たったの八十余名。


 実践テストは朝方の前半合格者の発表で始まり、日暮れの鐘を合図に終わる。

 舞台となる校舎群への立ち入りは丸一日制限され、例え教官であっても入る事は許されない。


 課題は年ごとに違なる。

 今年の課題は「学校のどこかに潜む校長を見つけろ」という極めてシンプルなものだった。しかし、ときにシンプルは簡単と同義ではない。

 事実、王立大では課題が簡素であるほど「新士がいない年」になる傾向があった。


 乱世に生きた先達せんだつとは異なり、太平の世で法の番人を任される銃士には武よりも知が求められる。

 重視されるのは隠された真実へたどり着く優れた類推能力と、微かな手がかりすら見逃さない緻密な捜査能力だ。それを計るために、部外者による前半合格者へのあらゆる助力は禁止される。

 しかしだからといって、彼らは孤独ではない。

 課題がシンプルならば禁じ手も比例して少なくなる。特に他の合格者との連係は、禁止されるどころか暗に奨励されてすらいた。



 最終日もすでに昼を回り、脱落者たちが宿舎で枕を濡らしたり投げたりの大騒ぎをしていたころ。

 閑散とした校舎群からは、前半合格者たちの必死の足音が聞こえていた。

 手がかりを求めて数十人が奔走し、ときおり出会っては議論を交わす。


 そんな喧噪からやや距離を置き、黙々と校舎群を捜索する二人の少女がいた。


「これで……ほとんど調べたね」


「やはり〈あの人〉の事ですから、当たり前の場所に隠れてはいませんか」


 古い木造校舎の屋根裏。積まれたガラクタを検分する金髪の少女。

 問われて答えるのは、階段の踊り場から下を警戒した少女。


 二人とも青と灰のケープを羽織っているが、その服装はずいぶんと対称的だ。

 階段の少女の優雅な若草色のワンピースドレスに対し、もう一人は質素なシャツと当て皮のついた半ズボン姿。髪もドレスに合わせた青銀色の結い髪と、肩上でザックリと切りそろえられた金髪。


「ソシィ、これまでに潰した場所を見せて」


「その前にラフィ、頭に蜘蛛の巣がついてますよ」


 慌てて金髪を手で払う少女の名はラファム。

 それを見ながら口に手を当て苦笑する、ドレスの少女の名はソシア。

 二人は同じ教官に学んだ同級生で、共に前半合格者だ。


「ここまで調べていないんだから、もう除外でいいよね?」


「そうですね。念には念をと思いましたが、あと調べてないのは旧教官棟、弾薬庫、武器庫……それと下水道ですか」


 天窓からの薄い陽射しを頼りに、床に広げた校内見取り図を確かめる二人。

 そこに手書きで「捜索済み」とされているのは倉庫、物置、屋根裏に地下室など、いずれも人が隠れる場所としてはありふれた候補地である。


「〈あの人〉の性格からすると下水はアリだろうけど、探す時間が惜しいから外そう。あと臭いのも嫌だし」


「それ〈あの人〉も同じ事を言いそうですよ」


「そうだよね〈あの人〉だし。ああもう、他の連中の手を借りたいけど――」


 他の合格者と距離を置く者はそう多くない。

 というのも、人を捜索するという事に関して最も力を発揮するのは、単純に目の数であるからだ。

 一つの町に匹敵する面積を、二人でしらみつぶしに探す事など不可能。

 合理的に考えれば、外の合格者たちに合流するのが最善手である。


 しかし、彼女たちにはそうできない事情があった。


「人柄を押さえてるんじゃ、手は組めないからね」


「校長も人が悪いですね。私たちにだけ、こんな課題を押しつけるなんて」


 二人には他の合格者にはないアドバンテージがある。

 それは二人が、校長と面識があるどころか、知己の仲ですらあるという事だ。

 隠れようとする者の人格を知れば、その行動にもおおよその目星がつけられる。それは追跡者にとってこの上もない武器だ。


 ゆえに二人は校長本人から、他の合格者とは違う課題を渡されていた。

 わずかな時間で人柄を知る事も含めて合格者への試練である。あらかじめそれを知る二人からは、協力という数少ない有効打が取り上げられていた。

 方や目が足りず、方や知が足りない。ここまでしてようやく、二人とそれ以外の試練が釣り合うという算段らしい。


「圧倒的に手も目が足らないよ。ここまで潰すのにもう半日かかってる」


「移動だけでそれなりの時間を食いましたね。やはりもう一度、行動を読み直さないと…………ラフィ?」


「ソシィも?」


 ふいに二人は口をつぐみ、周囲の薄闇にピンと神経を張る。

 すきま風のわずかなうねり、ときおりネズミの這う足音。それらの合間には控えめな静寂が入りこむ。

 わずかに混じった無意識の吐息は……


「そこ、銅綴じの長持チェストの裏!」


 ラファムの声が屋根裏のガラクタを打った。

 驚いたネズミたちのキーキーという抗議の向こうで、ホコリと床板がわずかに擦れた。


「キミだね、昼前から私たちをつけ回していた人は。盗み聞きなんてしてないで、堂々と姿を現したらどうなの?」


「その態度は褒められませんね。どうしても出てこないなら撃ちますよ」


 二人はケープ下の肩釣りホルスターを開け、学校から支給されている訓練用の銃を抜く。

 装弾数四発の小型リボルバーに訓練弾という豆鉄砲だが、武器として無力かというとそうではなく、技量次第では人の命を奪える代物だ。


「…………待て、待ってくれよ。そんなに怒る事はないだろ」


 気の抜ける声と共に、闇の向こうから長身の人物が抜け出してくる。薄明かりにとけ込む浅黒の肌にクシャクシャの長髪。

 生徒の青ケープが似合わない男、そうヴェクだった。


 彼は二つの銃口に狙われ、両手を頭の後ろに組んだ格好でゆっくりと二人に近づく。


「そりゃ、確かに、つけてたのは悪かった、謝るよ。だが禁止されちゃないぜ。何だってそんなに腹を立ててるんだか、理屈に合わねえよ」


「こっちにはこっちの事情があるんだよ。大人しく姿を消して、ううん、周りからいなくなってくれたらそれでいい」


 そう言いながら、ラファムが銃口でヴェクを階段へと誘導する。

 潜んでいた胡乱な男に細い眉を上げ下げしていたソシアは、はたと、すれ違おうとしたその襟を掴んで止める。


「あなたは確か西棟の生徒の元野盗さん、でしたね。なぜ私たちに目をつけたのですか」


「さてね……そっちに事情があるってんなら、それは俺の事情ってことで」


 とぼけた態度のヴェクの背中を、再びラファムの銃口がつつく。


「どっちでもいいよソフィ。ね、もう追ってこないでよ。迷惑だから」


「はいはい。っと、そうそう、これはサービスで言っとくけどな」


 彼は足下の見取り図にアゴをしゃくる。


「旧教官棟と弾薬庫には鍵が掛かってた。出入りの形跡もないぜ。入ってみたが誰もいなかっておいおいおいおい!」


「余計な口を!」


 ラファムが怒りも露わにヴェクの鼻に銃を押しつける。

 すぐにソシアが間に割って入り、友人に銃を下げさせるとヴェクに向き直る。


「ラフィ! ……報告は助かりますが、けっこうです。お引き取りください」


 ソシアがヴェクを通し、彼は「もう追わねえよ」と口を薄く曲げると、わざとらしく音を立てて階段を下りていった。

 ラファムはそれを追って、鼻息も荒く踊り場に仁王立ちすると、靴音が階下に消えるまで見送る。

 さらに窓に顔を寄せ、彼が校舎から出て行くまでその目を離さなかった。


 やがてヴェクが完全に視界から消えるや、ラファムは図に新たな書き込みを加えるソシアに詰め寄る。


「あんな奴の言葉を信じるの!?」


「冷静に考えてラフィ。〈あの人〉の行動から考えても、この二箇所は除外すべきです」


「そりゃそう……じゃなくて! 相手は元悪人、そもそもが銃士の敵だよ!」


「だとしても今は彼もまた生徒、そして合格者です。

 新士になりたいのは彼も同じ、だと信じましょう。たしかに気になります。何を考えての行動かは〈読めません・・・・・〉でしたし、利用されている可能性もある。でも残り時間は多くありません」


 ソシアの言葉になお口を挟もうとしていたラフィだが、読めない、と言われた途端にぐいとアゴを引く。

 そのまま瞳に戸惑いの色を浮かべるラフィに対し、ソシアは彼女の肩に手を置いて続ける。


「今は集中してラフィ、お願いです」


「……ソシィは、ずるいよ」


 どちらからともなく、二人は見取り図に目を落としたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る