あべちゃん物語 

@abe39

第1話 つりはエロと見つけたり

 ある日曜日、いつものようにアジ釣りに行った。

 もう10年間お世話になっている馴染みの乗合船である。千葉の行徳から船が出て、横浜沖のポイントまで1時間20分かけて行き、アジを釣る。

 いつものように船の左舷中央あたりに陣取り、竿や仕掛けを準備していた。左舷後方は3人分の席が開いていた。

(どんな人が来るんだろう。あまり騒がしい人や、初心者じゃなきゃいいけど)。

とちらっと席を見て思った。隣に初心者の人がいると、おまつりといって、針や糸がお互いに絡まってしまう事故がよく起きてしまうからである。

 出船間際になって3人は乗り込んできた。40代半ばの夫婦と、20代前半の娘さんの3人連れだった。

 小さなボートで乗合船に付け、3人は船に乗り込んできた。暗黙のルールに従い、僕は彼らの荷物を船にあげるのを手伝った。20代の娘さん(名前はわからないが、今後は勝手にミカさんと呼ぶことにする)が船に乗り込むときに、手を掴んで引き揚げてあげた。すべすべしていて程よく柔らかく、不思議な感触だった。

 僕は50も半ばのおっさんである。20の女の子の手を握る機会など全くといってない。役得であった。もし電車の中で同じことをしたら僕は痴漢として一生を棒に振ることになったであろう。

「ありがとうございます」。

ミカさんは僕の目を見て微笑んだ。

 かわいい。ミカさんはかわいかった。そして、美人でもあった。かわいさと、美しさが混ぜ合わされて絶妙にいい感じである。目がぱっちりとしていて、筋は通っているが小さめの鼻、ちょっと色っぽい唇、白くてしみひとつない肌。黒のタンクトップに、ニットのショートパンツ、黒のストッキングというファッションである。釣りにはあまり向かないが、男性の目は振り向かせるであろう。

 もう10年もこの乗合船に乗っているが、こんなかわいい子が乗ってきたのは初めてであった。しかも、ミカさんは僕の真横に陣取った。

 こんなかわいい子なら、おまつりしてもOKである。いや、むしろ歓迎である。

「すみません、またおまつりしちゃって」。

「大丈夫ですよ。今外してあげますからね」。

「何度も本当にすみません」。

「気にしないで。自由に楽しく釣ってください」。

僕の態度にミカさんは思う。

(まあ、なんてやさしくて素敵な人。私一目ぼれしちゃったみたい)。

などと50のおっさんは中学生のような妄想を膨らませながら、いざ沖へと出発したのであった。

 実際に釣りが始まってみると、すぐにアジの群れに遭遇し、僕はしばらくミカさんのことを忘れて釣りに集中していた。すると、隣のミカさんが、

「いやーん、大きい」。

と声を上げたのだった。

 もちろん釣れたアジが大きい、という意味である。もちろん、ナニが大きいという意味ではない。しかし、声が可愛いこともあり、ちょっと僕はどきりとした。

 またしばらくすると、ミカさんは声を上げた。

「ああん、出ちゃう出ちゃう」。

 もちろん、釣ったアジをバケツに入れておいたら勢いよく暴れてバケツから出ちゃいそうになった、という意味である。もちろん、ナニが出ちゃいそう、という意味ではない。僕はさらにどきりとした。それからは、アジを釣りながらも、ミカさんの発言に注意深く耳を傾けるようになってしまった。

「あっ、ひっかかっちゃった」。

 もちろん、針が海底の岩場に引っ掛かった、という意味である。ナニが顔にひっかかっちゃった、という意味ではない。しかし、面白い。釣りの言葉は、あっち方面の言葉とよく似ている。10年も釣りをしていて初めて知った。

「いやーん、ぬるぬるするーっ」。

 もちろん、糸にクラゲの粘膜が付いてしまい、糸がぬるぬるになってしまった、という意味である。春から夏にかけて、東京湾にはクラゲが多く、よくある現象だ。ナニがヌルヌルするという意味では決してない。

 ミカさんがどうするかちらちらと横目で眺めていると、糸についたクラゲのぬるぬるを素手で取り除き、顔をしかめながら手をいっぱいに伸ばして指ではじきながらクラゲの粘膜を海に捨てた。決して、決して初めてナニに触った女性の仕草ではないのである。

 もうさすがにミカさんの口から、ナニを想像させるような言葉は出ないであろう。そう思った矢先である。テポドン級の爆弾発言がミカさんの口をついて出た。

「ねえ、パパ。太いのちょうだい」。

 僕はその衝撃に思わずこけそうになった。さすがにこれは一瞬なんのことだかわからなかった。

 エサの青イソメ(ミミズのようなやつです)が残り少なくなってしまい、もう細いのしかなくなってしまって針につけにくいので、太いエサをちょうだい、という意味であった。これはさすがに難しい。パパ、太いのちょうだい、と言えば、ナニを思い浮かべるのは仕方がないであろう。

釣りが終わり、帰りの船の中で、ミカさんはごろりと横になった。こちらにお尻を向けて、立て膝である。疲れたのか、腕を空中に伸ばした。

「さあ、来て」

のポーズではない。決して絶対ないのである。

僕は目のやり場に困って、できるだけ前を向いてたばこを吸っていた。

釣りはエロと見つけたり。

一緒にいたお父さん、お母さん、ホントにすみません。

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