死神安楽記

@raika_humi

第一話 「死神現る」


 今日も優しい雨が降る。毎日毎日、絶えることのない。一日に三回降る雨は、私のご飯。

「今日も、綺麗に咲いたね。」

「えぇ…。」

 手に持った銀色の雲から、優しい雨を降らせる。濃藍色の髪の男の人。

 一年前、私を、ここに連れて来てくれた人。

「外では、蝉が鳴いてる…もうすぐ、君が来て一年だね。」

「はい・・・。」

 彼は微笑み、私の先を人差し指で触れる。私は、そんな彼を見ながら、一年前のことを思い出していた。







 蝉の大合唱が聞こえる夏。強い太陽の日差しに、風もあまり無い日だった。

そんな日の、灰色の歪な道を、私は、歩いていた。

 私は、少し前まで手入れをしていた長い髪を結いもせず、ただ、歩いていた。

この日差しの強い日に、帽子も被らず、必須アイテムの日傘も指さずに。

額から汗が流れ、塗ったであろう日焼け止めや、施した薄い化粧が落ちてしまっている。

 私は直す気も無く、脇や背中をつたう汗は拭く気配すらない。

 それでも、ただただ、歩いているだけ。当てもなく。


「…あっ…。」

 私の足が止まったのは、履いていたサンダルのヒールが片方折れた時だった。

咄嗟に、近くの生垣に設置されている看板に手をついたので、転倒は避けられた。

「……っ。」

折れて転がったヒールを見て、目の奥が熱くなった。


「大丈夫?」

「…えっ?」

 声のした方を向くと、夏にも関わらず、頭の先から足元まで、黒一色で統一された男の人が立っていた。

「・・・転んじゃったの?」

「!?」

 男の人は、私の足元に目を向けた後、転がっているヒールを見て聞いた。

「・・・・・・。」

 私は、何も言えず、下を向いた。

「うちで、手当して行く?」

「・・・えっ!?」

 男の人の申し出が、瞬時に理解できず、伏せていた顔を上げるまで、少し時間が掛かった。

すると、男の人は、転がったヒールを拾い、

「ここ。僕の家なんだ。一応、病院だから、手当ぐらい出来るよ。」

 そう言って、ポケットから家の鍵を取り出し、看板の横の数段の階段を上る。

「ま、待って下さいっ! 私、怪我なん・・・つっ!?」

 言い終わらないうちに、左の膝に痛みが走った。恐る恐る、スカートを少し捲り上げると、

膝の中央には、赤く腫れ、少量だが血も出ていた。

 言われるまで、気づか無かった・・・・・・。

 顔を上げると、玄関らしき扉の前で、男の人は待っていた。

 私は、左足を庇いながら、ゆっくりゆっくり数段の階段を上った。


「どうぞ。」

 男の人が、扉を開けると、喫茶店に入る時と同じ鈴の音がした。

「・・・お邪魔します・・・。」

 外の明るさと対照的に、家の中は薄暗かった。

 玄関から入る光と、向かい側にある明り取りの窓が無ければ、真っ暗になるだろう。

 そんなことを思いながら、靴を脱ぎ、出されたスリッパを履き、廊下を進む。

「…ここは、病院なんですか?」

 病院というよりは、ドラマのセットで使われそうな古い洋館ような作りなのだ・・・。

「うん。一応、そうだよ。」

「・・・消毒液の匂いが全然しないんですけど・・・。」

 病院と言われれば、思い出されるのは、あの独特の消毒液の匂いだ。

それが、この家からは感じられない。

「あぁ、僕は消毒液使わないから。」

「・・・・・・。」

 消毒液を使わない病院なんて、有るの・・・?それを、聞こうとすると・・・。

「入って。」

「・・・はい。」

 男の人は、ドアを開けて、私を部屋に招き入れた。

 部屋は、窓が大きい為か玄関や廊下と違い、日の光が入り明るい。

 ここは、客間なのか、広く、大きめのテーブルにオシャレなソファーが置かれていた。

「適当に、座ってて。」

「あっ・・・はい・・・。」

 扉が閉まり、一人になる。私は、言われた通りにソファーに座り、鞄を抱える。

 

一人になって、先程、熱くなった目尻がもう一度熱くなった。

『お前、いらなくなったんだよね。』

『約束? 本気にしてたの?』

 

目を瞑り首を振るが、頭の中を嫌な音が響き、唇を強く噛み締める。

 すると、扉が開く音がした。

「お待たせ。」

 男の人は、救急箱と小さい桶を持って部屋に入って来た。

「・・・どうも・・・。」

 私は、ゆっくり顔を上げた。

「・・・・・・足出してくれる。」

 男の人は、私の顔を見たが、あえてそこに触れ無かった。

 私は言われとおり、痛む足を男の人の前に差し出した。

「・・・・・・。」

 男の人は、黒い長袖のポロシャツを肘の部分まで巻くり上げ、

水をつけた布で傷口を軽く洗い、脱脂綿に消毒液を染み込ませて、

「ちょっと、しみるからね。」

と、子どもに言うように言った。

「・・・・・・。」

 私は、何も言わずただ頷いた。 

 男の人の手当は、速くて丁寧で、しみると思っていた消毒も、そんなことを感じる間も無かった。

「・・・ありがとうございます。」

 膝に貼られた通常より大きめの絆創膏を見ながら、お礼を言った。

「ううん。家の前で転んだのも何かの縁だよ。」

「あ、あの・・・お代を・・・。」

 私は、先程、『病院』と言っていたのを思い出し、鞄の中から財布を取り出そうとする。

「いいよ。それより、少し休んで行きな。この暑さで、怪我した足じゃ大変だから。」

「で、でも・・・。」


 〝バンッ"


「霧原っ!!」

 私の『やっぱり、払います。』という言葉は、勢いよく開いた扉の音と怒鳴り声にかき消されてしまった。

「あぁ、アキノさん。どうしたの?」

 男の人は、声のした方を向いて、穏やかに返した。

「お前、あれ程、水羊羹は三丁目の草加和菓子屋で買えと言っているだろっ!!」

「もう、売れ切れだったんだよ。この暑さだからね、午前中で完売しちゃったんだって。」

「ったく・・・お前が、もっと早起きしないからっ!!」

「僕、低血圧なんだよ。」

 私の位置からでは、男の人の影になって、怒鳴っている人の姿は見えない。

 流石に、盗み聞きしているようで、居たたまれず、声を掛けようと、ソファーから立ち上がった。

 しかし、見えたのは、男の人や自分と異なり、柔らかそうな長い耳に、クリッとした瞳で、本来後ろ足の部分で、ソファーの肘掛の上に立っている・・・

「う、兔っ!?」

 だった。私は、驚きのあまり声をあげてしまった。

 二人も、私の声に驚き、私の方に目線をやるが、

「ん? 何だ、人間がおったのか。」

「うん。家の前で、怪我してたから、手当してた。」

「・・・・・・。」

 二人・・・いや、一人と一匹は、先程ように、普通に会話をしている。

 私は、これは夢か、それとも、兎は最新のロボットなのではないかと思ったが、

「おい、娘。これは夢でも無ければ、私は、ロボットでも無いぞ。」

「!?」

 いつの間にか、兔のアキノは、テーブルの上に移動しており、

私が考えていたことを全て否定していた。

「アキノさん、そんな言い方したら、彼女が怖がるよ。」

「黙れ。私を見た人間が考えることなど、こんなもんじゃ。」

「・・・・・・。」

 前足、いや腕を組んで言う、喋る兎に、私は何も言えず、ただ茫然とするしかなかった。




「・・・落ち着いた?」

「・・・はい・・・。」

 あれから、うさ、アキノさんに『これだから、最近の人間は・・・』と、長い小言を言われた。

 私は、目の前に出された冷たいお茶を一口飲む。 

「あっ、美味しい・・・。」

「良かった。アキノさんが入れてくれるお茶は、美味しいんだ。」

「えっ? アキノさんが入れたんですかっ!?」

 そう言われて、私は、思わずグラスを見る。

「何だ、娘。私が入れたのでは、気に入らないのか?」

「いえ、そういうわけじゃ・・・。」

 何度見ても、喋る兔には慣れない。昔話や童話の世界なら分かるけど、ここは現実で、時々、透視とか出来る人はいるけど、私の周りは普通で・・・。

「いい加減、慣れんか。」

「そんなぁ・・・。」

 つい、数十分前まで、喋る兔がいるなんて、考えもしなかった人間に、

どやってこの状況を受け入れろというのか。それよりも・・・

「あ、アキノさんって・・・結局、何なんですか?」

 ロボット説を否定された今、アキノさんは一体何なのか。

「ふむ・・・まぁ、簡単に言えば、妖怪だ。」

「ヒッ!?」

 アキノさんの答えに、足の痛みも一瞬忘れて、思わず立ち上がってしまった。

「座れ。全く、妖怪と言っても、お前に危害は加えん。」

 そう言われても、目の前に、妖怪がいるだなんて、普通の人間には受け入れられない・・・。

「・・・お前、私の事ばかり怖がっているが、よく霧原の傍にいて怖くないな。」

「えっ?」

 私は、ソファーに座っている霧原さんに目を向ける。

 アキノさんが、妖怪というのは良いとして、霧原さんは、どう見ても普通の人間にしか見えない。

 もしかして、本当は、狸や狐で化けてるとか・・・。

「・・・本当に、分かりやすい娘じゃ。考えていることが、まる分かりだ。」

 と、アキノさんが独り言のように言ったが、気にせず、

「あ、あの、霧原さん・・・。」

「僕は、妖怪じゃないし、狸や狐でもないよ。」

 私が聞きたいことを察したのか、言い終わらないうちに答えてくれた。

「ですよね・・・。」

 私は、そっと胸を撫で下ろす。しかし、霧原さんは持っていたグラスを置いて、

「僕は、死神だよ。」

「そうで・・・えっ・・・?」

 何を言われたのか理解できず、もう一度、霧原さんを見た。

「僕は、死神。人間じゃないよ。」

「・・・ヒィィッ!!?」

 私は、鞄を掴んで逃げようとしたが、

「ツッ!?あっ!?」

 鈍い痛みが膝に走り、誰も掛けていなかったソファーに躓いた。

「大丈夫?」

 いつの間にか、近くに来ていた霧原さんは、私に手を差し出す。

「!!?」

「怖がらないで。何もしないから。」

 霧原さんは、困ったような笑を浮かべた。

「で、でも、死・・・神な、なんで・・・すよ・・・ね?」

「うん。」

 確認するように、もう一度聞くと、霧原さんは頷いた。

「娘。お前、妖怪や霊の類は嫌いか?」

「ち、小さい頃から・・・苦手です・・・。」

 アキノさんの質問に答える。

 幼稚園の時に行った、夏祭りのお化け屋敷で迷子になってから、お化けや妖怪は苦手。

流石に、絵本やアニメは大丈夫だけど、実写のホラー映画は見ることが出来ない。でも・・・

「あ、あの・・・し、死神って・・・か、鎌で、人の魂を・・・狩るんですよね・・・?」

 震えながら、私は質問した。

「まぁ、『狩る』って言えば、狩るけど・・・。」

「私も・・・狩りますか・・・?」

 私が聞くと、霧原さんは、首を横に振り、

「僕達だって、無闇に狩ってるわけじゃいよ。それに、僕は、医者だから。」

「お、医者さん・・・?死神なのに・・・?」

 人の命を奪う死神が命を助ける医者って、どういうこと・・・?

それとも、妖怪のアキノさんが霧原さんを操ってるとか・・・?

「失礼な娘じゃ。私に、霧原を操っておらん。」

「!?」

 また、心の中を読まれた。

「フフ・・・アキノさんは、関係ないよ。死神でも、医者なんだ。もちろん、人間の医者とは違うけどね。」

「ど、どう・・・違うんですか・・・?」

「僕の専門は、安楽死科。」

「あ、安楽・・・しか?」

 聞きなれない「科」の名を繰り返す。

「そう。安らかな『死』を提供する。それが、僕の役目だ。」

「!?」

 私は、そう言った、霧原さんの背に大きな黒い翼が見えた。


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