7.魔女候補生

 その日の学校帰り、勢い込んで花梨はロータスに飛び込んだ。

「ただいま!」

「来た来た」

「待ってましたよ」

 約束通り、お母さんのお友だちの和美ちゃんと今日子ちゃんが居てくれたから花梨は目を輝かせてもう一度ただいまを言う。


「おやつは?」

 カウンターの中からタクマがいつもの調子で尋ねてきたが、今日の花梨はおやつどころではないからふるふると首を横に振る。

「もう着替える?」

 お母さんが花梨の後ろに回ってランドセルを下ろすのを手伝ってくれる。いっそう笑顔になって振り返りながら、花梨は元気よく「うん!」と返事をした。


「じゃあ、さっそく始めますか」

 そう言って和美ちゃんは紙袋の中から黒いワンピースと赤い大きなリボンを取り出した。

「これで良いんだよね?」

 花梨がリクエストしたハロウィンの仮装コスチュームだ。

「うん!」


 お客さんが来ないことをいいことに、花梨はぱっぱとその場で着替えを始める。ゆったりしたAラインの黒いワンピース。肩の上あたりでふわふわしているくせ毛を梳かしつけて今日子ちゃんが赤いリボンを頭に付けてくれる。

「似合う、似合う! かわいい」

 和美ちゃんにはやし立てられ、花梨は調子に乗ってその場でくるんと一回転して見せた。ひざ丈のワンピースの裾がふわりとなる。女の子はこれが大好きなのだ。


「お母さんはコスプレしないの?」

 花梨が脱ぎ捨てた服を畳んでいるお母さんに花梨は尋ねる。目の端でぎくりと和美ちゃんが顔を強張らせた気がした。

「私はもう卒業したの」

 お母さんはにこりと笑って花梨の肩を抱き寄せる。

「主役はもうあなたでしょう」

 そう言ってもらえるのは嬉しいけれど、花梨はお母さんとふたりで仮装してみたい。それを言ったらダメだろうか。

「先に写真撮影しておこう」

 和美ちゃんに背中を押されて店の外に向かいながら花梨は考え続けていた。





「かわいいなあ。うちのムスメ」

「誰が生んだと思ってるのさ?」

「そりゃあ、先輩のおかげだけど」

 スマホの画面と隣の美登利の両方に向かってデレデレしながら池崎正人は幸せそうだ。カウンターのいちばん奥の席でコーヒーを啜りながら宮前仁は思う。なんだかんだでいちばん幸せそうなこいつが、いちばんの勝者なのだろうと。


 正人が覗き込んでいるスマホの画面には先程船岡和美が撮影した花梨の画像がずらりと並んでいる。竹ぼうきを手にポーズを取る姿は誰が見ても愛らしい。けど、美登利があんなふうに言うほど花梨は彼女に似ていない。似ているといえばやっぱり末っ子の駈だ。


 とはいえ、大抵の子どもの顔などへのへのもへじに見える宮前にとって、三人の子どもたちはやっぱり特別だ。自分に子どもができたらこんな感じかな、とも思う。哀しいかな、彼のパートナーは三兄弟に夢中で自分が出産する気にはまだならないようだが。今も仮装行列の後に付いて行ってしまった。

「女って子どもが好きだよなあ」

 たまに大人げなく自分の息子に嫉妬している幼馴染の気持ちも少しは分かる。宮前の小さなぼやきは、幸い琢磨にしか聞こえなかったようだった。





 駅前のケーキ屋さんの焼き菓子詰め合わせを貰って帰って来ると、お母さんはとても喜んでくれた。全部あげたかったのに、お母さんは微笑ってマドレーヌをいっこだけ受け取ってくれた。


 本当は、今夜はうちに来てくれるかと思った。けれどお母さんは和樹の家に帰ってしまった。仕方ない。お母さんの家はあそこだから。物心ついた頃から弁えているから花梨はそのことで我儘は言わない。

 もし。どうしても一緒にいて欲しいときには、お母さんは花梨が何も言わなくても来てくれる。お母さんは魔法使いみたい。言わなくても花梨の気持ちをわかってくれる。


 だから。お母さんと一緒に仮装したいという花梨の願いに何も言ってくれないのは、それは叶わない望みだという事だ。花梨はそういうふうに理解している。きっと兄の和樹や、花梨より年下だけど賢い駈も。


 お風呂から出てリビングに行くと、お父さんはまたスマホを見てにこにこしていた。

「これ、フレームに入れような」

 花梨に画面を向けながら言う。

「わたしカワイイ?」

「世界一かわいい」

 それならお母さんは宇宙一かな。タオルに首をかけてお父さんの隣に座りながら花梨は思い出す。


 前に和美ちゃんが秘蔵のコレクションだと言って写真をたくさん見せてくれた。以前には商店街の宣伝のためにお母さんが毎年ハロウィンの仮装をして練り歩いていた。おとぎ話の中から出て来たみたいなきれいな姿で。

 中でも金髪のかつらを被ってすらりとした足を出した仮装は凄かった。その写真を見て花梨はどきりとしてしまった。恐ろしい程に美しいものがある。子ども心に初めてそれを知って、それは花梨のお母さんで。


 きれいなお母さんは自慢だけど、きれいすぎると胸がぎゅっとなる。目が離せないでいると和美ちゃんはその写真をくれた。持って帰ってきて見せると、お父さんははっきりと顔をしかめてみせた。すぐに表情を戻しはしたけど。

「お母さんはいやがるだろうから隠しておけよ」

 和美ちゃんもそう言っていたから心得てはいたけど、そう言うお父さんだっていやそうな顔をした。お母さんがきれいすぎるからだ。きれいすぎてどこかへ行ってしまいそうだからだ。


 思い出して花梨は少し切なくなる。すると突然お父さんの手の中でスマホが鳴った。花梨の画像を見てにこにこしていたお父さんはびくりとして電話に出る。

「あ、ああ。うん……」

 びっくりした顔のまま花梨にスマホを寄越す。

「お母さんが、おやすみを言ってって」


 手を伸ばして受け取りながら、花梨は嬉しくなる。ほらね、お母さんは魔法使いみたい。仮装行列の後、着替えをしながら和美ちゃんたちと話した。


「わたしもお母さんみたいに魔法が使えるようになるかな」

 だって、みんながお母さんを好きになる。魔法みたいだと花梨は思う。

「それは魔法じゃなくて病……」

 何か言いかけた今日子ちゃんの口をふさいで和美ちゃんが言ってくれた。

「きっとなれるよ」

 片目をつぶって教えてくれた。

「女の子は恋をすると魔法が使えるようになるんだよ」

 なるほど。


 お母さんと話した後、花梨はスマホをお父さんに返す。

「わたしも誰かを好きになったら……」

 声に出してしまったらお父さんが目を丸くして叫んだ。

「なに!? 花梨はもう好きなヤツがいるのかっ」

「…………」


 お母さんは魔法使い。不思議な力でみんなに愛される。

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