2.反抗期と遊園地

「うるさくしてタクマさんに迷惑かけるなよ」

「わかってる」

「和樹くんの言うことちゃんと聞くんだぞ」

「わかってる!」

 ロータスにクルマで送ってもらいながら花梨は父親に向かって毒づくように叫ぶ。こんな良いお父さんに向かってよくもそんな態度でいられるな、と和樹は苦々しく思う。和樹が自分の父親にこんな態度を取ったならどんな目に合わされることか。思いながら和樹は後部座席から少し身を乗り出す。

「夜は父が迎えに来るそうなんで」

「うん、分かってるよ。花梨のこと頼むね」

 朗らかに笑って花梨の父親はアーケードの入り口でふたりを降ろした。


「おまえ何だ、あの口のきき方は」

 さっそくお説教してやったが、花梨は何のことか分からないのかきょとんとしている。まったく、このふたつ下の妹は甘やかされている。母親だって、結局のところ……。


 ロータスに着くと志岐琢磨が兄妹を迎えてくれた。

「来たか。アイス食べるか?」

「食べる、食べる! おじさんのチョコソースある?」

「わかった、わかった」

 はしゃぐ花梨の後ろから会釈して和樹は隅のテーブル席に荷物を置く。ちょうど窓の外を更に下の弟の駈が歩いて来るのが見えた。


「ひとりで来たのか?」

「うち、すぐそこだよ。大丈夫だよ」

 片眉を上げる琢磨に駈はしれっと答える。五歳児のくせにこいつはこいつで態度がでかい。自由気ままな妹弟たちに和樹は眉間にしわを寄せる。

「和樹もこっちでアイス食え」

 琢磨に促されて和樹は兄妹たちと並んでカウンターに座る。


「お兄ちゃんまた機嫌の悪い顔してる。ホントやだ」

 アイスクリームを食べた後、テーブル席に座って宿題のプリントを出しながら花梨がぷりぷり言う。ぷりぷりしたいのはこっちだ。

「反抗期なんじゃないの」

 分厚い本を開きながら駈がぽつりと落とす。そういうおまえが反抗期だろうが。

「たまにはさ、反抗してみればいいじゃん。お父さんにさ、この腹黒大魔王! とか」

 ぶっとカウンターの中で琢磨が吹き出す。和樹は肩を落として深く息を吐き出す。


「お母さんになら言ったことある」

「!」

 花梨も駈も顔を上げる。

「くそババアって」

「!!!!」

 こぼれそうなほど目を見開いている花梨の隣で、駈が眉を顰める。

「よく蹴り殺されなかったね」

 まったくこいつは母さんにそっくりだな。思いながら和樹は暗く目を細める。

「あの人、泣き出しちゃってさ。ヒドイ、とか言っちゃって」

 びっくり仰天でさすがの駈も口ごもる。

「そしたら父さんがどす黒いオーラ全開でさ。お母さんに謝れって」

 ふっと口を歪めて和樹は俯く。

「父さんに殺されるかと思った」


「それはそれは……」

 口をぱくぱくさせてようやく言葉を押し出した花梨の横で、駈が再び眉を顰める。

「それ、ウソ泣きだよね」

「まあ、そうだよね」

「ええ?」

 思いもよらぬという顔をする花梨を、和樹は複雑な顔で眺める。まったく良いよな、こいつは。

「おかげでエライ目に合った」


「でもさ、でもさ。そもそもお母さんにそんなこと言った和樹が悪いんじゃん」

 これには駈もうんうんと同意する。

「なんでそんなこと言ったのさ?」

 ずけずけ訊いて来る妹を和樹はじとっと見やる。

「……教えない」

「ええー」

 それからは一切口をきかずに宿題を始める。やがて花梨も諦めて算数のプリントをやり始めた。駈はもとより静かに本を読んでいる。


「…………」

 妹弟たちの顔を眺めて和樹は心のうちでため息をつく。

 母親にそっくりな上にまだ幼い駈と、父親譲りの顔と明るく朗らかな性格の花梨と。どちらも自分なんかよりずっと母さんに愛されている。

 子ども心になんとなくそう感じていた頃、母親に言われた。和樹がお兄ちゃんだから安心だね。


 きっと、褒めるために言ってくれたのだと思う。だけどあまりに何も分かっていない口ぶりだったから、なんだかとても憎たらしくなってしまった。好きであなたの子どもなんかに生まれた訳じゃないのに。


 父親に脅されて半強制的に謝罪させられた後、部屋に閉じこもっていた和樹のところにそっと母親がやって来た。

「仲直りのお出かけしようか」

 打って変わった優しい微笑みにころりと騙され連れ出された。


 母親の運転するクルマで命からがら、昼下がりの遊園地に出かけた。目立つ容姿でありながら目立つことを嫌う母はめったに人の多い場所には出ない。ましてや二人きりで出歩くなんてとんでもなく貴重なことだ。


 フリーパスポートを首から下げて片っ端から乗り物に乗った。驚くほど長いホットドックを半分ずつ食べて、夕暮れの風に震えながらソフトクリームも食べた。楽しくてお腹も満たされて何が悲しかったのかなんて忘れたころ、母親が観覧車を指さした。

「最後にあれに乗ろう」


 足元の園内には灯りが付き始め、ゴンドラが上って行くうちに山のふもとの街並みにも灯りが増えていく様子が分かった。山の上には細い三日月。

「お母さんのこと好き?」

 不意に訊かれてびっくりしたし、ズルイとも思った。どうしてそんな当たり前のことを訊くの。

 和樹が黙って頷くと、ささやくようにまた訊いて来た。

「妹や弟のことは?」

 気付いていたんだ。分かって和樹は涙ぐみそうになった。

「好きだよ」

「お兄ちゃんだものね」

「うん……」

「いい子だね」

 肩を抱かれて頭を撫でられた。もうそんなふうにされるのは少し恥ずかしい。

「私もあなたが大好き」

 おでこにキスしてもらって心に決めた。もう二度と母さんを泣かせたりなんかしない。……たとえウソ泣きでも。


 再び命からがら自宅に帰り着くと、何も言わずに置いて行かれた父親が鬼の形相で怒っていた。それも母さんが一言「怒らないで」と言えば、すぐにふにゃふにゃになっていたが。


 妹弟たちの顔を眺めて和樹は心のうちでもう一度ため息をつく。

 多分自分の悩みなんてどこの家の兄妹にもあることで特別なことなんかじゃない。母親を独り占めできない寂しさは、きっとどこの子供も感じている。特別なんかじゃない。

『和樹がお兄ちゃんだから安心だね』

 そう、自分は父さんと似ている。お母さんが大事すぎて時々分からなくなるんだ。だけど結局は母さんの言うことをきく。だって、大好きだから。仕方がない。長男だしね。


 覗き込んでみると花梨は計算を間違えている。教えてやりながら読めない漢字を尋ねてきた駈にも答えてやる。

 カウンターの中で新聞を読みながら琢磨が大きなあくびをしていた。

 お母さんは天使みたいに優しくて、悪魔のように人を操る。そしてやっぱり愛されている。

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